詩人・最果タヒが描く、「光」を感じさせる言葉たち

詩人、小説家、エッセイスト。幾つかの肩書きを持つが、どれも共通するのは「言葉」をツールに表現活動を行うということ。多くの女性たちから注目を集め、共感される「言葉」を描く最果タヒが本企画のために書き下ろした詩。

by Akira Takamiya
|
27 June 2017, 8:00am

10代の頃から自身のブログにて文章を綴っていたものが「詩」だと評価されキャリアをスタートした最果タヒ。その後コンスタントに作品を発表すると同時に現代詩手帖賞や中原中也賞を受賞するなど、着実に詩人としての道を歩んできた。そんな最果の書く詩は、ときに難解だと言われることもある。その理由の一つは、執筆環境や方法が大きく影響しているのかもしれない。

日頃、詩や文章を書く作業は喫茶店や移動中の電車の中など外出先で行うことが多く、その場に浮遊する人々の会話や雑踏からインスピレーションを受け言葉を紡ぐという。それらは大抵、パソコンだけでなくiPhoneのメモ機能を使って行われるらしい。最果にとって言葉は「目で読む」のではなく「耳で聴く」ものであり、「ひとつの言葉が生まれたときに次に来る言葉を探すというイメージ」と話してくれた。世の中に散りばめた言葉を拾い集めて、次々とつなぎ合わせていく。まるで積み木をするように、言葉遊びを行なっているのかもしれない。

今回、彼女は『the fifth sense』のために日常に溢れる「光」を題材にした新たな詩を書き下ろしてくれた。

光の匂い

夜のあいだは、この都心の大気圏を、巨大なナイフが羊羹みたいに切り離している。すきまに、宇宙から溢れてきた透明の光が挟み込まれてまた明日、私たちは距離を見誤る。ゆがめられていくことに誰も気づかないで、愛しているを信じている。

朝は、光の匂いがする。せいいっぱいためこまれたものが、蒸発をして世界の壁すべてにへばりついている。生きていることがあいまいでもかまわないじゃないか、勝手に美しくいてくれる、草や雲があるというのに、どうして生きることを奇跡と呼ぶの。

縄跳びをしている子が、突然飛んだまま消えてしまう気がして見つめていた。きみがいなくなってもいいよ、たぶん、重ねてきた時間が光に飲まれただけだから、慣れることは平気だよ。お花見、あじさい、すずらんの群れ、もう永遠にこんな景色は見られないと言いたげに毎年カメラをもつ人が、宇宙でいちばんうつくしい春。

最果タヒ

Credits


Photo Yuji Hamada
Text&Edit Akira Takamiya

Tagged:
poet
poem
tahi saika