KAWS’ solo show on Perrotin booth, Frieze. London 2017. Photography Claire Dorn. Courtesy of the Artist & Perrotin

KAWS × テリー・ジョーンズ対談

イギリス最大のアートフェア<フリーズ・ロンドン>の一環として、KAWS(カウズ)の作品がリージェンツパークに設置された。カウズが、i-D創始者で彼の盟友でもあるテリー・ジョーンズと語り合う。

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nov 30 2017, 10:50am

KAWS’ solo show on Perrotin booth, Frieze. London 2017. Photography Claire Dorn. Courtesy of the Artist & Perrotin

This article was originally published by i-D UK.

1997年、Gimme 5のディレクター、マイケル・コッペルマンは、ニュージャージー州出身のポップアーティスト、カウズ(KAWS)を写真家のマット・ジョーンズに紹介した。以来、カウズはi-Dファミリーの一員になった。それから20年、カウズ(本名:ブライアン・ドネリー)は貨物列車にグラフィティを描くライターからマンハッタンのビルボード広告にいたずら書きをしオモチャや洋服、ビルほどの大きさがある3Dフィギュアなどのデザインを手がけるアーティストになった現在まで、自らのヴィジョンに妥協せずアートと商業を融和させた作品作りを続けている。2008年、i-Dの創始者テリー・ジョーンズは彼にその年の7月号『The Stepping Stone』号全体にイラストを描いてもらうことを思いついた。「そのアイデアは面白いと思った。展示の準備で忙しくなってしまう前にカウズにお願いしようと思ったんだ」と、当時テリーは語っている。「表紙から裏表紙まで、完全にカウズの作品にしてしまおう。“カウズ・バージョン”は限定版にすることも念頭に置いて、コレクター垂涎の一冊にしようと思った」。その冊数は、レアなドリンク「Dandelion and Burdock」よりも少なく、現在では入手困難になっている。i-Dはテリーとカウズに、ロンドンで開催されるアートフェア<フリーズ・ロンドン>やコミック、そして未来への種まきについて語ってもらった。

KAWS, FINAL DAYS, 2013. Photography Stephen White.Courtesy Perrotin and Frieze

テリー・ジョーンズ(以下TJ):これまでの20年間で何度話をしたかわからないけど、会うたびに進化しているね。新しい作品について教えてくれないかな?

カウズ(以下K):テキサス州のフォートワース現代美術館で、この20年間を振り返る回顧展をしたばかりなんだ。スタジオに帰って、色と構図に焦点を当てたペインティングを作り始めた。実験的なことがやりたくてね。色々と試しているうちに、より大きなスケールの作品になっていったんだ。それと同時に白黒のペインティングも始めた。油絵というよりも落書きのようなもので、写真などに重ねて描く作品以外では、久しぶりのペインティングだった。作品はストレスを感じている人の姿を映し出していて、肖像画みたいになった。

TJ:作っているときに、特定の人のことを考えていたのかな?

K:人というより、世の中に漂っている雰囲気みたいなものだね。今年は大変な1年だったからね。僕にとって、あれらの作品はストレスを軽減するストレスボールみたいなものだった。

TJ:作品のなかで、目は重要な意味を持っているよね?

K:うん。ただ作り続けているだけでもあるんだけど。目ありきというわけでもない。意図的にそれを入れないのはイヤなんだよね。目があるから、家族のような何かを感じさせるんだ。

TJ:初期作品『Accomplice(共犯者)』について教えてくれないか?

K:それまで彫刻はMichelinのミシュランマンをもとに作った『Chum(親友)』と、僕の作品のなかでもっとも人気が高いキャラクター『Companion(仲間)』のふたつしかなかった。当時、作品を作っていると「ストリートアートだね!」とよく言われたよ。それで「ストリート性を完全に排除したキャラクター、優しく、フレンドリーなキャラクターを作ろう。一度、すべてを忘れて自分が作りたいものを一から作ってみよう」と考えた。そうしてできたのが『Accomplice』だった。

TJ:『Companion』や『Chum』のアイデアは、それ以前の初期作品にも見られるよね?

K:そう、まだ広告にペインティングしていたときの作品が反映されてる。レタリングではなくペインティング要素の強いグラフィティの作風に移行したころだね。あのころから、作品にドクロや「X」の目が登場し始めた。もっと多くのひとに作品を見てもらいたいと思い、広告とグラフィティを並列したものとして考え始めた——「広告は人の目につくように作られている。だからどうやったらグラフィティを多くのひとに見てもらえるだろう?」ってね。

TJ:そして今は、君自身がブランドになったね。

K:そうだね! 不思議な感じだよ。ひとにブランド的に扱われたり、チームとして語られるけど、僕には今でも作品を世に送り出している”個人”という感覚があるから。成長したってことだと思うんだけど……どうなんだろうね。ブランド化してないと言うつもりはないけど、自分がブランドである感覚はない。僕が憧れてきたアーティストたちと同じ、ひとりの人間としか感じていないんだ。

TJ:君の作品は「盗用」をもちいたのが興味深かった。広告を使って、そこに作品を作り上げた。ロンドンのリージェンツ・パークの作品は、巨大な公共スペースに設置されているよね。あの作品は、誰かが手を加えるかもしれないって考えてたのかな? 今回の木材を用いた作品に誰かが手を加える可能性は、君の頭にあったんだろうか?

K:いや、そういうことは考えていなかった。木の作品を作り始めたのは、子どものころに持っていた木製のおもちゃについて考えていたから。温かみがあってもろい木材は、たとえば繊維ガラスとはまったく違う感触を持っている。あの作品には、木製ならではのリアルな温かみがあると思う。

TJ:でも巨大だよね。

K:そう、そのとおり。彫刻を作って完成させた後もずっと考えてしまうことがある。「守ってあげないと」と思うようなね。それはとても興味深いことで、ひとは普通、あれだけのスケールのものを見ると支配されたような気持ちになる。でも同時に「ここに置いてあって大丈夫なのかな?」と考えてしまう。

KAWS, WAITING, 2017, Courtesy the Artist & Perrotin

TJ:フォートワースでこれまでの20年間を振り返って「ああ、もっと突き詰めるべきだったな」と思ったことはあった?

K:もちろん。グラフィティというもの自体が、同じ文字を繰り返し描いていくという連続性を持っているものだし、キャンバスである貨物列車が違うだけで、基本的には画風も変わらない。僕が電話ボックスにペインティングし始めたころ、そこに貼ってある広告写真はどれもシンプルだった。だけど時代とともに変わっていったんだ。それで「そろそろこの作風を卒業しなきゃ」と考えたんだけど、いまはあのスタイルをやめなければよかった、もっと作っておけばよかったと後悔しているよ

TJ:それは電話ボックスがもうほとんどないから?

K:そう。あの頃が夢だったかのようにね。当時、僕はストリートにかなりの数の作品を残していた。当時は十分やりきったと思っていたけど、今となってはもっとやれたような気がするね。

TJ:ロンドンの街には作品を残さなかったのかな?

K:その答えはよく知ってるだろ! 君も共犯者のようなものなんだから!

TJ:すべて撤去されてしまったね!

K:そう、ロンドンはひとつも残らなかったね。その後、市場に出回った形跡もない。

TJ:価値を見出せなかったんだね。

K:当時はね。残されたものもあったけど、ほかの作品はすべて破棄されてしまった。

TJ:君が最初に大きく「KAWS」の名を描いた列車は、その後どうなった?

K:あれが貨物列車に描いた初めての作品ではないんだけど、あの列車は今でも現役らしいよ。昨年、あれが走っている写真が送られてきた。ソーシャルメディアの素晴らしい点はそういうところだね。

TJ:グラフィティが今みたいに評価される時代が来るって予想した? ブルックリンのウィリアムズバーグは、地域全体に、計画的にグラフィティをほどこしていたりする。もとはストリートで生まれ、当初は器物損壊と言われたものが、アートとして扱われていることについてはどう思う?

K:素晴らしいよね。僕が初めて行った外国はドイツだったんだけど、そこで出会ったひとが、展覧会に僕の作品を出展してくれることになったんだ。その展覧会が政府の後援で開かれるものだと知って、とても驚いたよ。いま振り返ってみると、80年代、僕はグラフィティのショーを開くたび、常にヨーロッパからの強い支援を得ていた。それにしても、グラフィティが今のような規模にまで成長するとは思ってもみなかったよ。

TJ:事務手続きをして作品を作ったことはないよね?

K:ほとんどないね。実際、ストリートアートが本格的に受け入れられるようになっていくにしたがって、僕自身はストリートアートに懐疑的になっていったんだ。90年代当時はまだ誰もやったことがなくて、その未知なる可能性が新鮮だった。それがストリートアートに興味を持った理由のひとつだったんだ。だけどインターネットが登場して、ストリートアートについてまとめたブログみたいなものが出てきた。誰もがストリートアーティストのようになっていって急に興味がなくなったんだ。僕の興味も、方向性も変わっていったしね。

KAWS, Untitled, 2017, Courtesy the Artist & Perrotin

TJ:<フリーズ>でのショーはどうだった?

K:僕にとってフリーズは、新しい作品を楽しく見せられる実験的な場だった。インターネットや印刷物でなく、実物の作品をひとびとに見てもらえた。それこそ僕がフリーズでやりたかったこと。

TJ:道や広場、公園など好きなスポットは?

K:ジャーナル・スクエアかな。鉄道駅がある地域で、子どもの頃はよくそこで過ごしたよ。当時、祖父が鉄道会社で働いていて、僕を電車に乗せてニューアークやマンハッタンまで連れて行ってくれたんだ。一緒に電車に乗って、降りたら駅の周りを少し歩いて、また電車で帰る——数年後には叔父たちがマンハッタンにあるコミック店〈Forbidden Planet〉に連れて行ってくれるようになった。アクセスが良かったから、毎日のようにマンハッタンに行っていたよ。

TJ:好きなコミックは?

K:ないね……大人になった今、コミックと聞いて浮かぶのは、S・クレイ・ウィルソンやロバート・クラムみたいなアンダーグラウンドの漫画家たち。僕はコミックを読むような子どもじゃなかったんだ。

TJ:クラムに会ったことは?

K:あるよ。2回ほど。僕の作品は大きいから保管する場所が必要で、制作にはスタジオが必要なタイプの作家。だから、紙という小さな空間に作品を作り上げていくコミックの世界に憧れるんだ。紙の中に書かれた世界なのに、強い存在感があって、現実に大きな影響を与えられる——コミックのそういうところが好きだね。

TJバリー・マッギーについて聞かせてくれないかな?

K:初めて会った頃、彼は素晴らしい作品を精力的に作ってたね。グラフィティをやってると作品を通していろんなライターと会う機会がある。そこでギャラリーについて考えると、80年代のグラフィティ・アーティストたちがいかにギャラリーによってスターダムに持ち上げられ、その後吐き捨てられていたかを痛感する。だけど、90年代にバリーが登場して、ストリートのバックグラウンドを持つアーティストたちのための新たな領域を切り開いてくれた。96年から97年にかけて、サンフランシスコで彼はまだ駆け出しだった僕を家に迎え入れてくれて、作品制作をさせてくれた。そういうふうに活動の場を切り拓いてくれた人がいたからこそ、今の自分があると思う。バリーが蒔いた種が芽吹いて、今の自分があるんだ。

TJ:君が未来に向けて蒔く種は?

K:どんなふうに育っていくんだろうね。僕の作品が誰かを触発して、「もっと良くできる」とか「自分のやり方はこうだ」って思わせることができればいいね。

KAWS, Untitled, 2017, Courtesy the Artist & Perrotin