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(C)2016 LOVE AND WAR LLC

『オン・ザ・ミルキー・ロード』 エミール・クストリッツァ監督インタビュー

Takuya Tsunekawa

『アンダーグラウンド』を撮った巨匠による9年ぶり待望の新作! エミール・クストリッツァ監督が、映画作りの辛さと音楽の楽しさ、レットカーペットありきの映画産業、自身で築き上げたユートピアについて語る。「芸術的な達成は、自由の中でのみ達成していける」

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エミール・クストリッツァは、空間内における人物の動かし方、いわばアクションの振り付けをダイナミックに設計し演出することができる。アイロニーと寓意に富んだ独創的な演出、そしてスラップスティック・コメディに純真な幻想と残酷な現実とが交錯するマジック・リアリズムが加わった自由なナラティヴによって、独自のアーキテクチャを構築しているのである。

映画監督としてカンヌ、ベルリン、ベネチアと世界三大国際映画祭を制覇し、自身が率いるバンド「ザ・ノー・スモーキング・オーケストラ」や小説家など多岐にわたるクリエイティヴな活動も繰り広げる奇才が、長編としては約9年ぶりに手がけた新作『オン・ザ・ミルキー・ロード』が、現在全国で公開されている。

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「アーティストにとって重要なトリガーは、自分の選ぶ可能性だと思います。最初の作品群の映画を手がけていたときに私は信頼を得て、そこから自分で成長し違う方向に向かっていくことができました。当時から建築を含め色々なことをやっていましたが、映画だけを作っていたら、こんなにたくさんのことをいっぺんにできるとは想像できなかったと思う。だけれども、色々なことをやろうと思えたのは、インスピレーションをそもそもシネマから得ているからです。音楽を演奏するときは自分の映画を観て来てくれた方々に向けてだったし、本を書くときはこれが映画になりうるかもしれないという物語を自分ひとりで作り上げる特権のもとで紡いでいました。コミュニケーションの手段がまた違った形で表れているわけです。しかし映画を作るときには軍隊のようにたくさんの人が関わります。撮影の際には空間から空間へ移動しなければいけない、そして色々な空間に浸入していかなければいけません。それに対して本を書く作業は、芸術的な何かプロセスを楽しみながらの活動だと言えます。私にとって、映画作りは楽しいものではありません。わざわざ苦難を自ら経験しているようなところがあります。だからいまマルチな興味を持っているけれど、それはある程度、映画監督として認められた後だから持てる贅沢だと思います。だけれども、映画のウィルスというものが私の血流を巡ってしまうので、またこうやって映画を撮った。それが『オン・ザ・ミルキー・ロード』です。もう映画は撮らないかもしれないと思っていた時期もあったのに。音楽は私にとって楽なものであり、やはり一般の方々と分かち合える、あるいは交換できるカタルシス、そういう瞬間が音楽だと思います。映画を撮るときに苦しんだ報い、ご褒美のようなところが音楽にはありますね」

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本作の舞台となるのは、戦時中(ボスニア内戦を彷彿させる)の架空の国。彼自身が演じるコスタとイタリアを代表する国際的な女優モニカ・ベルッチが演じる神秘的な花嫁が出会って恋に落ちる。しかし次第に物語は戦火の影を強め、マンハント的な様相を帯びると同時に、ふたりの愛の逃避行がパワフルに描かれる。コスタは右肩に相棒の隼を携え、ロバに乗り、傘を差して銃弾を避けながら前線の兵士たちにミルクを配達する。そう、この映画のヒーローは兵士たちに美味しいミルクを届ける心優しい男であり、彼は自ら進んで戦いに向かう人物ではないのである。

「今回の映画で最もパーソナルな部分は自分自身です。というのも、役を演じるというよりも、ある種自分がもしその場に置かれたらおそらくこうするだろうということをやらなければいけなかったからです。それを監督し、演じなければいけなかったのはやはり大変でした。二度と自分の作品には出演したくありません(笑)」

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当初、『Love and War』という仮題で製作されていた通り、『オン・ザ・ミルキー・ロード』が焦点を当てるのは、愛と戦争である。クストリッツァは、たとえ戦争の真っ只中にあっても、私たちに愛が最も重要なものであることを描く。傲慢な争いの不条理が、愛への障害を一層強調するのである。

モニカ・ベルッチが「この映画は、愛やセクシュアリティが年齢ではなく、エネルギーの問題であることを証明している」と語っているように、映画の中で若くはない男女のラブストーリー、愛の逃避行がこれほどエネルギッシュに描かれているのも珍しいだろう。本作で描かれるロマンスは、あたかも白馬ならぬ茶ロバの王子様とお姫様のおとぎ話を、円熟した男女で再現したかのようだ。

「ラブストーリーに年齢は関係ありません。グレアム・グリーンが愛について美しい物語をたくさん書きました。ラブストーリーはたくさんあるけれども、グリーンが書いたような愛はいまのトレンドセッター的な映画の中には見られません。そのような映画の構造においては、観ている方はただの観客ではなく、チケットの購入者になってしまったのです。いま作られるラブストーリーは、完全にビジネスありきの作り方をしています。しかし、本作ではモニカが演じてくれたことで、ロマンスに年齢は関係ないのだということを、そしてどんな年齢であっても誰だって恋に落ちる可能性はあることを示してくれました。もしかしたらリタイアした人たちが一緒に暮らしている老人ホームのような場所で、世界で最も素晴らしい最高のラブストーリーが生まれるかもしれません。今回の映画はアドベンチャーとロマンスをミックスしたものになっています。より冒険的なラブストーリーになっていると自負しています」

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『オン・ザ・ミルキー・ロード』において、クストリッツァは喜劇と悲劇、あるいは日常と冒険の間を行き来することを試みている。戦争や紛争を扱いながらも、彼の作品はシリアスに傾き過ぎることはない。決して映画の中に軽さやユーモアを込めることを忘れはしないのだ。

「それはどちらかというと私の文化から来ているものです。シリアスであっても笑いはわかるべきであるというのが私たちの精神です。ブラックユーモアはシリアスな映画を助けてくれる、そこから一歩連れ出してくれるような役目を果たしてくれます。監督の多くはシークエンスが上手く展開できないときはダークに行きがちで、そのために映画が成立しないことがよくあります。映画を放置し、全員がシリアスな物言いをし、全員がシリアスな行動をし、最終的にはコントラストやバランスのない作品になってしまうことは容易いのです。だからこそ、私たちはユーモアを見い出さなければいけない。そういうとき、車を衝突させてしまった女性の一枚の写真を私はいつも思い出します。それは車が全壊している状態のなか、ステアリング・ホイールだけを持って生き延びた女性が笑っている写真です」

「たとえば、人は戦中であっても人生は普通に続いているわけですよね。私は、人が何か言ったジョークや鳥が飛び上がったりしているところを現場で取り込みながら作品を作り込んでいきます。自分が生きてそこにいて、何かにリアクションをして、そして何か修正しながら加えていく、そうやって映画は作られるものなのです。それは作り手の熱意にかかっていると思います」

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そのようなスラップスティックの中に戦争のエコーや不条理を込めた彼のスタイルやユーモアは、チャーリー・チャップリンやバスター・キートンを彷彿とさせもするだろう。

「『アンダーグラウンド』(1995)を撮ったときに言われたことが一番いい例になるかもしれませんね。「シェイクスピアとマルクス兄弟の間の作品」と評されたのです。それだけ聞けばそんな作品は不可能だと思うけれども、私の映画作りの上ではいつもそれはまったく可能なことのように思えます。また、『ウェディング・ベルを鳴らせ』(2007)のときには「ただのコメディ」だとあらゆるジャーナリストから批判されました。感情が欠如していると言われたのです。それはただおかしな映画を作ろうとしたのであり、感情が欠如した映画を作ろうと思ったわけではありませんでした」

愛と戦争、コメディとアドベンチャー、そして感情を豊かに散りばめた本作は、クストリッツァの集大成的な作品であり、結婚式や井戸などこれまでの作品にも頻出してきた様々な彼らしい要素が登場する。もちろん、人間と動物とのつながりや友情も描かれる。活気に満ち満ちたバンドの伝統的なバルカン・ミュージックを中心に巻き起こる狂騒のパーティも健在だ。クストリッツァの映画ではいつも自然や音楽が中心的な役割を果たしている。

「言ってみれば、いつも同じ作品を作っているのだと思います。物語は変わるけれど、私が使っているのは常に同じような要素です。人によっては私のフィルモグラフィーの悪いところだと言う方もいらっしゃいますが、たとえば誰かの画家のレトロスペクティブを見に行ったとき、同じような色彩を使っていることがわかると思います。モチーフが被っていることもあるでしょう。まったく同じに思えるものだってあるかもしれない。それは同じアーティストによるものだからです。映画業界のメインストリーム的な監督たちは、パーソナルなものを作る権利をそもそも与えられていません。だから自分のモチーフを繰り返し掘り下げることができると同時に、新しい要素を持ち込んで映画を作っていけるということは、私の人生における贅沢なのだと思います」

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「私がまだカンヌやベルリン、ベネチアでスタートした頃、とても歓迎されたし運もよかったのだけれど、今日、これらの三大映画祭のような場の主役はレッドカーペットであり、そこではモデルが歩くことが大切なのです。先日のベネチアの開会式のレポートを読んでいても、そこにはジェーン・フォンダやロバート・レッド・フォードのことが書いてあったのだけれど、(記者は)美しいブラジルのモデルに目を奪われていました。世界中がレッドカーペット化しているようにも思えるのです。映画はその中で二次的なものに成り下がってしまっている。監督の自由を制限することによって、映画のそもそもの主な要素やビジネス自体も干上がってきてしまっているように思います。芸術的な達成は、自由の中でのみ達成していけるものだと思います。しかし、そのクリエイティブ・プロセスに関してはもう自由を感じなくなってきてしまっているのが現状です。その意味では、私はレアなケースだと思います。私には自由があります。だから映画でさえもまだ作っていられる。今日では、金というものが持つ力があまりにも大きく、大企業たちによる資本主義的構造の社会においては、金が神であり、ロックフェラーが預言者です。そのような中では、自由に撮れる監督を増やしていくことは無理でしょう」

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しかし、拝金主義に毒された映画業界の現状を辛辣に批判するクストリッツァは、おそらく憂いてばかりではない。
彼は『ライフ・イズ・ミラクル』(2004)の撮影で使用したセルビアの村を買い取り、クステンドルフ(Kustendorf)という自分の村を作ったことでも知られているが、そこで自ら映画と音楽のフェスティバルを催し、第72回ベネチア国際映画祭でソッリーゾ・ディベルソ賞とマジックランタン賞を受賞した『ブランカとギター弾き』(2015)の長谷井宏紀を発掘するなど若手映画作家の発掘や育成にも関心を注いでいる。ユーゴスラビア崩壊を経験し、ボスニア内戦で故郷をなくした彼は、あたかも自らユートピアを作り出しているかのようだ。

「それは映画祭でも続けていることですし、最大限の力を持って、誰もが映画を作る最初の数ステップを歩めるように背中を押しています。そのうちのひとりが宏紀です。彼は日本の状況にはとても満足していないと話してくれました。プロデューサーが見つからないそうです。『ブランカ』は低予算で作った映画だけれど、将来性をとても感じさせる作品だと思う。もしこのことをみなさんに言うだけで何か彼の助けになるのであれば嬉しい。世界中の方に響いている作品なので、日本の方にも響くことを願っています」

「私自身が、数少ない自分のユートピアを実現できている人間のひとりであるとは思う。私の母は非常に頑固でタフで、自分のやりたいことは必ずやり通すような女性でしたが、彼女から受け継いだものが作用している気がします。いまみんなが使う薬は"成功"という薬だけれど、私は名声という意味ではなく、芸術的な意味での成功を得たことで、自分のユートピアを信じることができたし、それに向かって前に向かうことができました。私はアートにすべてを捧げています。これからも決して諦めることはないでしょう、どんな困難に直面しようとも」

『オン・ザ・ミルキー・ロード』 全国公開中 http://onthemilkyroad.jp/