メランコリーな18ヶ月

i-Dでもおなじみのスタイリストであり、フォトグラファーでもあるウィリアム・ベイカーが、20歳になったばかりのイーゴアを18ヶ月間にわたり記録した写真集『The Book of Igor』。希望と理想に溢れる年頃のメランコリーを捉えたベイカーに話を聞いた。

by i-D Staff
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04 January 2017, 8:45am

アーティストと、アーティストが"女神"と讃える「ミューズ」の関係性は、私たちの文化に大きな影響を及ぼしている。古くはダンテとエリザベス・シダル、20世紀にはアンディ・ウォーホルとイーディ・セジウィック、アレキサンダー・マックイーンとイザベラ・ブロウの関係性などを例に挙げればわかりやすいだろうか。写真家ウィリアム・ベイカーも、写真集『The Book of Igor』でミューズをクリエイティブ・インスピレーションとしてその存在感を存分に探っている。しかし、それと同時にこの写真集はミューズをも破壊しているのだ。ベイカーはイーゴア(Igor)をInstagramで見つけ、そこからふたりの関係は始まった。20歳のイーゴアは、幼少の頃からオンラインの世界に没頭して育った。ウィリアムは、自らをドキュメントすることに取り憑かれているイーゴアのあり方を、写真というメディアを通して脱構築しながら、そこに底抜けに明るいユースの要素を際立たせている。そしてまた、この本は若いストレート男性と年上のゲイ男性の間に生じた、言葉では表すことのできない繊細な関係をも映し出している。そこに生まれたのは、非伝統的な関係を温かく、そしてチャーミングに見つめる視点であり、セクシュアリティや共存というテーマを観るものに考えさせる一方で、そうしたテーマを超えた奥行きを見せてもいる。この本のヴィジョンについて、そしてこの本を制作する過程で学んだことについて、ウィリアムに聞いた。

イーゴアの何に惹かれたのでしょうか?
Instagramを使い始めて間もないころ、友人のひとりが「この子のアカウントを覗いてごらん」と勧めてくれて。それがイーゴアのページだったんです。意図的に挑発的なイメージを作り出している彼に興味を持ちましたね。計算されているのに、とてもナチュラルに感じられたんです。なにより、コンピューター・ゲームに興じているところや、下着一枚でほぼ裸の姿など、ストレートの男の子がこういうイメージを世界に向けて発信しているということ——なのにそこにはとてもホモエロティックなものが感じられました。ラリー・クラークが写真に浮き上がらせる痛々しいほどにヘテロでストリートなセクシュアリティから、ブルース・ウェーバーの作品に顕著な伝統的男性像のファンタジー、スラヴァ・モグティンのよりディープで退廃的なホモエロティシズムの世界まで、僕が他の写真家の作品に求める世界観を、彼は体現していたんだと思います。イーゴアがアップする写真はどれも大胆で素直で、グラマラスからは程遠い世界観でした。

イーゴアだけを追った写真で一冊の本を作ろうと考えたきっかけは?
単にイーゴアにインスパイアされたんです。それだけです。そして、始まりからそのつもりでプロジェクトを始めたんです。「お互いをよく知って、その過程を写真に収めていき、写真集にまとめよう」とね。もちろんテーマはイーゴアの存在だったわけですが、同時に彼が体現しているユースや美、イノセンス、焦り、叶わない恋といったものも表現した写真集になっています。よく、「君は僕のミッドライフ・クライシス(中年の危機)の証しだね」と冗談を言ったものですが、僕は本当に彼の"イノセントでありながら自分を客観的に見れていて、身体的な魅力、横柄な態度、そして自信過剰な面を屈託なく垂れ流しにしているにもかかわらず、優しく、どこか悲しげな、あの矛盾に満ちた存在感"に惹かれっぱなしだったんです。「悪い男になりたい」と言う彼に、私は、不安に翻弄される少年を見ていました。知れば知るほど「この存在を写真の永遠のうちに捉えたい」と強く思うようになりました。

撮影に費やした18ヶ月間で、関係はどのように発展していきましたか?
当初から僕たちふたりの間には何か大きな力が生まれているように感じましたが、お互いを知るにしたがって、写真集でも分かるような"関係の変化"が生まれていきました。付き合っているみたいに感じられるときもあれば(もちろん彼はストレートですが)、親友みたいに感じられるときもあった。僕が彼の世話を焼くこともあれば、彼が僕を大きく助けてくれたこともありました。1分ごとに立場や役割が入れ替わる感じでした。

親密な雰囲気での撮影では、どの程度リラックスできたのでしょうか?
イーゴアと僕はまったく違う現実に生きています。違う星から来たんじゃないかとさえ感じられるほどお互いの違いに驚かされることもあった——でもそれが「不快だ」と感じられたことは一度もなかったんです。イーゴアは何にでも積極的で、僕たちはお互いにリラックスできていました。そうでなければ一冊の本として世界観を打ち出すことなんてできません。彼はもともと自信に満ち溢れたひとで、まったくシャイではありませんしね。少なくとも表面的にはそんな面を見せることはありませんでした。モデルとして写真を撮られるということを心から楽しんでいる様子でした。でも、ヌード写真は意図的に写真集からは外しました。目に見えて性的な視点と解釈される作品にはしたくなかったんです。

特につながりを感じる写真は?
すべての写真につながりを感じます。だからこそ編集に時間がかかったんです。どの写真にも多くの思い出があって、どの写真にも捨て難い彼の一面が捉えられていましたから。でも間違った方向性の感傷を前面に出すような作品にはしたくなかった。その場にあった彼や私のフィーリングや感情を捉え、そこにストーリーが浮かび上がる作品にしたかったんです。でも特に好きなのは、イーゴアが撮った自撮りの写真です。知り合ったばかりのひとを「もっともっと」と知りたくなる、あの感じを思い出させてくれるから。スマホが鳴って、ポケットから取り出したら画面にそのひとの名前があって、歓喜する、あの感じ——そして、いつまでたってもスマホが鳴らない、あの不安感——そういう感情を、この本で感じ取ってもらえたらと思うんです。イーゴアに出会えたことを幸運に思うし、この本を作り上げたことを誇りに思っています。パーソナルなプロジェクトを手掛けたいとずっと考えていたのが、これで叶えられました。

ニューヨークのファイヤー・アイランドとロンドン近郊のイルフォードでは、撮影の際に雰囲気やムードに違いが感じられましたか?
イーゴアはイルフォードにいるとき、いつでも囚われの身のように感じているようでした。彼は「有名になりたい」「アメリカへ行って金持ちになりたい」という夢があるんです。それを聞いた僕は「は?なんだそれ?」と思いましたが、これといって何も誇るべきものがない土地に育つと、ニューヨークやロサンゼルスという街は"成功"を象徴する存在なんですよ。いわゆる「アメリカン・ドリーム」です。僕にはそんな夢はなかったな。ただポップ・スターになって、誰からも後ろ指さされずにメイクがしたかったぐらいのものです。対するイーゴアが憧れるもの、聴くもの、観るものはすべてアメリカのもので、だから彼が「アメリカに行きたい」と言ったときは別段驚きもしませんでした。でも、イルフォードにあるイーゴアの実家近くの公園で撮った写真で、彼の妹がアヒルに餌付けをしている作品はいいでしょう?あの日、降り注いでいた光に、郊外の寂寥感と、そこから逃れられないという独特の感覚が完璧に表現されていると思います。

この本全体に、なかでも巻尾に収められているイーゴアの自撮り写真に、ソーシャルメディアへの視点、現代の私たちの生き方に対する意見が感じられるように思います。そういうことは考えていましたか?
僕が彼をどう見たか、そして彼が彼自身をどう見ているかを表現するとともに、彼が僕にどう見てほしいと望んでいたかを、この本では表現したかったんです。巻尾に収められている写真はすべてイーゴアが送ってきたもので、僕が撮ったものとは対照的な世界観ですよね。彼自身が撮ったもののほうが彼という存在がモノとして扱われているように思えますね。
「もっとセクシーに」「もっとあからさまに」と肌の露出度が増していき、その傾向が以前より若い世代に広まっているソーシャルメディアの現状は、やはり危険だと思います。でも私がより危惧しているのは、若者たちのあいだに親密な関係や本当のコミュニケーションが欠如していることです。深い感情の表現や、真の自分を知ることからしか生まれ得ない、魂が共鳴するような心の触れ合いが欠如している状況こそ、危険だと思っています。

『Book of Igor』から何を感じ取ってほしいですか?
"関係性"が育まれていく様子を感じてもらいたいですね。それと、ある少年の成長を追ったドキュメントとして見てもらうとともに、「ひとはずっと成長を続けるものなのだ」ということも感じ取ってもらえれば嬉しいです。そして、大人になる手前の時間というものがいかに特別なときか、それを感じてもらいたいし、10代後半から20代前半のメランコリーを感じてもらいたい——無限の可能性に満ちた未来に胸踊るあの時期に、自分も持っていたであろう夢や希望を、僕自身がもう一度感じたかったのだと思います。

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Credits


Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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