Hannah Black and Carla Perez-Gallardo, artists and owners of restaurant Lil' Deb's Oasis. Photography Clément Pascal.

若いアーティストたちがNYを離れる理由

ブルックリンでなら極小ワンルームしか望めない家賃でゆったりとしたアパートメントが借りられる上、街中でマリーナ・アブラモヴィッチやライアン・マッギンレーにばったり出くわすかもしれない町——マンハッタンから電車で2時間離れたところに、そんな町がある。

by Alice Newell-Hanson
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09 February 2017, 8:25am

Hannah Black and Carla Perez-Gallardo, artists and owners of restaurant Lil' Deb's Oasis. Photography Clément Pascal.

2010年5月、パティ・スミスはマンハッタンのイーストヴィレッジにある私立大学クーパー・ユニオンで、学生たちにこう言った。「今のニューヨークは下積み時代にある若者たちを拒んでいるも同然。ニューヨークはもう私たちの街ではない。だから、私からアドバイスできることといえば、『新しい街を探しなさい』ということ」

ニューヨークのハドソンは小さな町のように感じられるが、実は米国勢調査局からニューヨーク州の「市」のひとつとして認められている、れっきとした街だ。現在、ハドソン市の人口は約7,000人。マンハッタンから北に120マイル北上したあたりに位置し、ハドソン川上流に隣接したエリアだ。かつて鯨漁で栄えたハドソン市は、これまでに1800年代初期の繁栄から、脱工業化を図ったアメリカ政治の影響を受けて1970年代には衰退を経験するなど、波乱万丈な財政状況を生き抜いてきた。過去10年間は市外からアンティークを求めて訪れる観光客が増え、また再生を見せている。そんなハドソンに新たな住人が増えてきているという。その多くはパティ・スミスの助言を聞いてか、ニューヨーク市に見切りをつけた若いアーティストたちだそうだ。

ニューヨーク市の一般的な教養大学の卒業生たちがアップステート・ニューヨークに移住するという流れは遠い昔からある。しかし、数あるアップステートの市の中で、ハドソンは微妙な位置付けにある。一般的には、大都市圏と田舎の境界エリアとして地図の上にしか見ることのない地名だ。グランド・セントラル駅からは電車でたった2時間という距離だが、電車を降りればそこには広大な農地が広がる。デトロイトやフィラデルフィアなども、現在多くのニューヨーカーたちに移住地として選ばれている土地だが(パティ・スミスの子どもたちも、現在はデトロイトに住んでいる)、それらの街とは対照的に、ハドソンは自然豊かでコミュニティ感覚に溢れ、そしてなにより家賃が安い。

1967年、スミスと当時ボーイフレンドだった写真家ロバート・メイプルソープは、ブルックリンのクリントン・ヒル地区にあるホール・ストリートに暮らしていた。160 Hall Streetの2階にあったアパートメントだが、当時の家賃は月額80ドル。それが2012年には100万ドル以上の価格で売買されている。2016年現在、クリントン・ヒル地区内で1ベッドルーム・アパートメントは平均家賃が月々2,444ドルとなっている。作家でキュレーターでもあるシャネキア・マッキントッシュ(Shanekia McIntosh)は、6年前にハドソン市へと移住したが、当時ハドソン市内の1ベッドルーム物件は、平均月額家賃が600ドル前後。インフラを考慮に入れて計算すると、現在のハドソン市内の家賃相場が、1967年ブルックリンの家賃相場と同等ということになる。

シャネキアはハドソン市の目抜き通りウォーレン・ストリートに暮らしている。アーティストたちが友達を引き入れ、またその住人が新たなアーティスト友達を引き入れ、と代々受け継がれてきた3ベッドルーム・アパートメントを、2人のハウスメイトとともにシェアしている。リビングルームには大きなオーク材製暖炉があり、壁に取り付けられた大きな本棚には、過去に暮らしていたアーティストたちが置いていった本が乱雑に並べられている。テレビドラマ『X-ファイル』の主人公ダナ・スカリーを写実的に描いた油絵(上階に住む隣人エルバート・ペレスによるもの)を飾った壁際に、古着屋で買ったというヒョウ柄プリントのプラットフォーム・ブーツを履いたシャネキアは座っている。家計簿をつけているようだ。21歳のときにハドソンへ移り住んだときほどではないにしても、現在彼女が毎月支払っている家賃は「"仕事のために生きる"という生活サイクルでなくても金銭的に困らない」程度に安いという。「ここに暮らしているかぎり、1週間ぐらい働かなくても家賃の心配をする必要はないの」とシャネキアは言う。

Writer Shanekia McIntosh. Photography Clément Pascal.

マサチューセッツ州の大学を中退したシャネキアは故郷であるブルックリンに1年間暮らした後、ハドソンへと移り住んだ。その後、ハドソンのコミュニティ・ラジオ局WGXCで働くなどしたシャネキアは、現在ハドソンでアート・イベントをオーガナイズしている。「ニューヨークでは『Nylon』や『Rolling Stone』でインターンをしたの。でもそれがちょうどたくさんの雑誌が廃刊になっていった時期で、私は街で行き止まりに迷い込んでしまったように感じた」と彼女は言う。「そこへ持ち上がったハドソン移住の話はいい機会のように思えたの。ここ何年間もハドソンには素晴らしいクリエイティブ・シーンが見られているしね。70年代から多くのアーティストたちが移り住んだエリアなのよ」

70年代以前にも、ハドソンはアーティスティックなエリアとして一部でよく知られた存在だった。ハドソン・リバー・スクールの画家たちは1800年代中期に大きな活躍を見せ、ハドソン・バレー地域に生まれたエルズワース・ケリーは近郊のスペンサータウンに大きな納屋のようなスタジオを持ていた。最近では、バンドThe Holeの元ギタリストであるメリッサ・オフ・ダ・マーと映画監督のトニー・ストーンが、ハドソン川から目と鼻の先の場所に、19世紀に建てられた工場を改装してコミュニティに根付いたアート・スペースBasilica Hudsonをオープンさせるなどしている。ライアン・マッギンレーやデヴィッド・ハモンズなど著名なアーティストたちも、ニューヨーク市からハドソン近郊へと移り住んでいる。また2013年には、マリーナ・アブラモヴィッチがパフォーマンス・アートの学校マリーナ・アブラモヴィッチ・インスティテュートをハドソン市内コロンビア・ストリートの劇場跡にオープンすると発表している。

そうした著名アーティストたちの存在がキャリア開始前後にいる若いアーティストたちを引きつけた結果、ハドソンには世代を超えてアートを創造する土壌ができ上がっている。ハドソン出身の伝説的アーティスト、アール・スワニガン(Earl Swanigan)が描いた、ハイファイブをする鶏やパイプを口に咥えた猫乃絵が町のそこここに見られ、ハドソンへと流れ着いた若いアーティストたちを迎える。

映像作家のジア・アンガー(Zia Anger)は、スワニガンが描いたオリジナルの絵画作品を自宅リビングルームの壁に飾っている。壁には他にも、ハドソンをベースに活躍するアーティストでありアンガーの従姉妹でもあるアニー・ビールスキ(Annie Bielski)の作品も飾ってある。ジアはニューヨーク州の西側に位置するイサカで生まれ育った。大学を卒業したらマンハッタンに暮らす予定だったが、結局現在に至るまでマンハッタンで暮らしたことはない。「大学を卒業したらマンハッタンに行くつもりでお金も貯めていたけど、結局引っ越さなかった」と彼女は話す。「ともにアーティストの両親がニューヨークの話をよくしていたけど、実際に私が行ってみた印象は両親や友達が話していたニューヨークとは全く違っていた。すべてが商業化されすぎている印象だけが残ったわ」と彼女は当時を回想する。ジアは4年前にハドソンに移り住み、当初は住み込みで子守から家庭教師までを請け負う仕事をしていた。稼いだお金はビデオ・アートと映画の製作費に充てられた。しかし、住み込み家庭教師としての仕事は長くは続かなかった——移住間もなくして、夢見た分野での仕事が軌道に乗ったからだ。その後、ジアはエンジェル・オルセンやジェニー・ヴァルなどとコラボレーションを果たし、最近ではインターネット上で大きな話題を呼んだマギー・ロジャーズのビデオ「Alaska」の監督を務めた。「ハドソンに移り住んで最初の2年間は週に40時間働くという生活だったわ。これこそは私が理想とする生活リズムだと思った。理想的な生活である上に、経済的に困窮する心配もなかったしね。地元からニューヨークへと移り住んで、仕事仕事仕事の生活を送りながらもそれほど裕福にならず、疲れ果てていくひとを、16歳のころから多く見ていたのよ」

飲食業でのアルバイトを掛け持ちしてようやく貯めたお金を元手に創作活動を続ける——そんな、ライフサイクルが当たり前になっているニューヨークを尻目に「ハドソンでは実際にアートを仕事として、それだけで生活している人たちがたくさんいる。それが可能なぐらい、物価が安いのよ」とジアは説明する。「例えばあなたが職人で、作ったものを月に5つしか売れなかったとしても、それでなんとか暮らせる。1,000ドルあれば1ヶ月は暮らしていけるの。1,000ドルなんて、マンハッタンで最低限必要な額の3分の1にも満たないわよね」

Artist Conor Backman. Photography Clément Pascal.

アーティストのコナー・バックマンにとって、ハドソンは心の平静をもたらしてくれる土地でもあるという。彼はハドソン市内から少し離れた場所にある、袋小路の建物に暮らしている。20世紀半ばに建てられた、ミニマリスティックなバンガローだ。バックマンはこの建物を自宅兼スタジオとして使っており、地下の貯蓄庫には彼の作品が保管されている。外には庭があり、ときに鹿の家族が訪れるという。森の生き物たちが警戒することなく歩き回る、そんな静かな環境は、繊細な作りのバックマン作品に共通するものがある。彼は現在、ブリュッセルのギャラリーで開催される予定のショーに出展するため、スマートフォン画面ほどのサイズのペインティングをシリーズとして制作している。その後にも、2月にはニューヨーク州立大学オールバニ校での個展を控えているバックマン。ハドソンの静けさに息苦しさを感じたとしても、「2時間電車に乗ればニューヨークに着くんだよ」と言う。

ニューヨークのような大都市は、アーティストたちにとって絶対的に必要なコミュニティとして機能してきた。しかし、現代ではインターネットやソーシャル・メディアがその役割を果たしている。もうアーティストたちに地理的な近さは必要ないのだ。ハドソン市内にあるトロピカル料理のレストラン<Lil' Deb's Oasis>で、名物のエルサルバドル料理ププサスを食べながら、このレストランのオーナーであり、自らもアーティストであるカーラ・ペレス=ガヤルド(Carla Perez-Gallardo)とハンナ・ブラック(Hannah Black)は、Instagramがこのレストランにもたらしたポジティブな効果について話してくれた。建築現場の労働者や子連れファミリーが賑わう週末のLil' Deb's Oasis——ネオン・ピンクに彩られたこのレストランのInstagramページを見たニューヨーカーたちが、次から次へと来店する。「10-15年前だったらこんなことはなかったでしょうね。今はどんなチャンスも逃していないという実感があるわ」とハンナは言う。「ここまでたくさんの人たちがうちのレストランをフォローしてくれて、私たちがきちんと世界に参加しているんだという実感があるの」。ふたりは今でも定期的にマンハッタンに出掛けており、去る11月にはMoMA PS1で開かれた女性のみのアート・シンポジウムに、ケータリング・サービスで参加したという。

Lil' Deb's Oasisのようにコミュニティをベースとしたビジネスは、現在のニューヨークではもうほとんど目にすることがない。カーラとハンナは店舗を元オーナーのデビーから受け継いだ。36年間にわたり地元民にブレックファストを提供し続けたデビーは「そろそろ引退を」とレストランをふたりに譲ったのだ。デビー時代にはダイナーだったスペースを、カーラとハンナは友人の助けを借りて新しい空間に作り変えた。パイナップルをメインのモチーフに、トロピカルなパラダイスが広がる空間だ。太陽の光のもと、フロリダのカントリークラブで少し飲んだアルコールに心地よい酔いを感じながらくつろいでいるような錯覚に陥る、そんな空間だ。壁はストロベリー・アイスクリームの色に塗られ、テーブルはすべて大理石模様のターコイスブルー、椅子の足には「床を傷つけないように」とネオンカラーのテニスボールがあしらわれている。オレンジ色の床には、アンリ・マティス調の葉が描かれている。

Lil' Deb's Oasisのリノベーションを手伝った友人たちは、今やこのレストランの常連客だ。地元の人々、特に地元のアーティストたちに「美味しいものを安く」とオープンしたLil' Deb's Oasis。近年になってハドソンにオープンしたレストランの大半は、週末にニューヨークから訪れる観光客を相手に高額の設定を打ち出しているが、カーラとハンナは地元のアーティストたちのために安価を貫いている。「地元の人間はこういう場所を必要としていたし、今でもそれは変わらない」

家賃の安さから、当初はディナーのみの展開を考えていたカーラとハンナだったが、ハドソン市内に住むエルサルバドル出身の家族との話し合いの結果、「お互いが損をしないランチ展開計画」として、ランチ時の営業も決めた。午前11時から午後3時までは、マリア・ロメロ(Maria Romero)がエルサルバドル料理のププサスを客に提供するというものだ。この時間帯は、ププサスからの売り上げをマリアとその家族が、スムージーからの売り上げはカーラとハンナが手にすることができる。マリアの子ども9人が、学校帰りにウェイターとしてアルバイトをすることもあるのだそうだ。

「私はブルックリンのカナージーで育った。そこには強い絆で結ばれたコミュニティ感覚があったのよ」とシャネキアは言う。「町内会があって、よくブロック・パーティが開かれたわ。でもそういったコミュニティ感覚は、再開発プロジェクトによる中流階級化によって失われてしまった。お金に物を言わせて新しいエリアに引っ越して——そこに根付く歴史を無視して中流階級化していくということは、そこに息づいてきたコミュニティを傷つけると同時に、未来の世代をも傷つけることにつながるのよ。あの開発はいただけないわ」。シャネキアは、既存のコミュニティに新参者が参加し、貢献する形の好例として、Lil' Deb's Oasisのアプローチを挙げる(デビーは店舗の上にあるアパートメントに今でも暮らしており、時おり降りてきては店をチェックして行く。カーラとハンナが焚くお香だけは気に入らないらしい)

Film director Zia Anger. Photography Clément Pascal.

区域再開発に伴う地域の中流階級化は、ハドソンが過去10年ほどに渡って取り組んできた問題だ。その結果には、良いものも悪いものも見られる。去る夏、『The New York Times』紙は記事の中で、ハドソンを「田舎版ブルックリン」と形容した。最近のInstagramで見られるハドソンの画像には、アンティーク店、多肉植物やキャンドルを販売する店、そして木製スプーン作りのワークショップ広告などが見られる。

「ここを訪れるひとの中には、ハドソンがマジカルで、理想郷のような場所だと思ってるひとも多い」とジアは言う。「実際にここはマジカルな地域よ。でも、観光が現地住民に何をもたらしているかを侮っているひとが多いと思う」 2014年、アートを紹介・販売するウェブサイト『Artsy』は、ある特集の中で、盛り上がりを見せるハドソンのギャラリー・シーンについてこう書いている。「現在、ハドソンは "計算されたヒップさ"を確立しつつある。しかし、このブーム以前からハドソンに暮らす人口の20%は現在も貧困層にあり、彼らはこのルネッサンスとも言うべき繁栄から目に見える形での恩恵を得ていない。それが実情だ」

シャネキアは「ハドソン開拓期の終わり頃」にハドソンへと流れ着いたという。当時はウォーレン・ストリートにも市の中心地にもまだ空き店舗スペースがたくさんあったのだそうだ。バーは一軒しかなかった。「ちょうどハドソンが商業化され始めた頃にここへ来たの」と彼女は言う。最近になってハドソンへと移住してきた多くのアーティスト同様、シャネキアもこの変わりゆくコミュニティの中での役割を重く受け止めている。

「ニューヨークでは、新参者が既存のコミュニティを変えていく。ハドソンでは、新参者が『なんとかしてコミュニティに貢献したい』と思ってしまう。そこがニューヨークとハドソンの大きな違い」と彼女は言う。この夏、シャネキアは、ジアやその友人たちとともに、ハドソン・エリア図書館で地元の子ども達を対象に3日間のデジタル・アート・キャンプを開催した。「27人の子どもが集まって、普段は使うこともないであろうツールを使って3日間、交流を深めたの」。シャネキアの友人2人は地元の子ども達のためのセーリング・クラブを立ち上げ、また他の友人1人は不登校児のための学校をハドソンに設立する計画に関わったという。「"地域に参加している"という実感がある」とジアはハドソン人口に生じている人口層の変化について説明する。「ニューヨークでは参加なんかする必要がないの」

しかし同時に、訪れるべき変化がなかなか訪れないという現実もあるのだそうだ。「ニューヨークには大きなクィア・ユースのコミュニティがある。特に有色人種のクィア・キッズのためのコミュニティがね。ハドソンにはそういったコミュニティがないに等しい」とシャネキアは話す。「少なくとも、そういったキッズが集える実際の場所はまだ存在していない」。ハドソンにはそれなりのクィア人口が存在している。プライド・パレードも毎年開催されているが、市内にはいまだにゲイバーが1店舗もない。「ハドソンでは自分が面白い立ち位置にいると感じるわ。ハドソンに引っ越してくる若いアフリカ系アメリカ人は皆無よ。引っ越してくるのは、若い中産階級もしくは低所得層の白人が圧倒的に多い。友達と遊んでいて、そこに誰かが訪ねてくると、そのひとは私がここで育ったんだと信じて疑わないの。私が黒人だから」

おしゃれな店舗が立ち並ぶウォーレン・ストリートに観光客が見るハドソンと、ハドソン市が社会的・経済的に直面している現実とのあいだには、大きな隔たりがある。「ウォーレン・ストリートを歩いていると、自分がきっと今日一日で観光客が見る唯一の黒人なんだろうなと考えてしまう。でもここに暮らしている黒人は私だけじゃないのよ!」とシャネキアは言う。ハドソンにはカリブ海周辺国やバングラデシュ出身の移民、そしてアフリカ系アメリカ人も多く暮らしている。しかし、アンティークのメッカとして人気急上昇中のハドソンのイメージから彼らは排除され、また現実問題として起こりはじめている家賃急騰に苦しめられている。

キッチンでヨガの「気のポーズ」をとりながらジアは、両親も同様にニューヨークでの夢に見切りをつけてアップステート・ニューヨークへと引っ越したと語る。「私の両親とその友人達は60年代後期にニューヨークからイサカに引っ越して、70年代初頭までそこにコミューンを作って生活していたの。全員がそのままイサカに残り、今でも幸せに暮らしているわ。でもね、それが"人生の成功"なのかどうかはまた別の問題だと思う」とジアは話す。「私はひとが理想郷を実践した世界に育った。だから、そこに巣食う危険もよく理解しているの。私が昔から知る友達の多くは、そんな世界に育ったからこそ外の社会で適応するのにとんでもない苦労を強いられたわ。ハドソンはそんな地域ではないけれどね。コスモポリタンで、ビジネスが盛んな土地だし」。そして、最後にジアはこう付け加えた。「ここでは、アートを突き詰めながら、人間性を追求することができるんです」

Credits


Text Alice Newell-Hanson
Photography Clément Pascal
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.