Yoshiki strikes the iconic X Japan pose before performing in Drafthouse Films’ We Are X. Courtesy of Drafthouse Films.

「洗脳と死とビジュアル系」:YOSHIKI インタビュー

ドキュメンタリー映画『We Are X』は、保守的な日本社会に挑み「ビジュアル系」を確立したバンドX Japanの壮絶で、にわかに信じがたい実話を収めている。

by Matthew Whitehouse; translated by Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.
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13 December 2017, 11:38am

Yoshiki strikes the iconic X Japan pose before performing in Drafthouse Films’ We Are X. Courtesy of Drafthouse Films.

YOSHIKIこと林佳樹の世界に足を踏み入れるのは中世で国王に会うようなものだ。その御姿を拝むにはそれ相当の長いプロセスを要す。決められた時間の少し前に到着し、名前を呼ばれるのを広間で待たなければならない。現存する日本最大のロックスターに接見するのだから、それは当然のことだ。

YOSHIKIを知らない読者のために少し説明しよう。彼は日本でもっとも成功したロックバンド、X JAPANを1982年に結成した張本人であり、同バンドのリーダーでドラマーでもある人物だ。「ビジュアル系」の生みの親のひとりでもある。ビジュアル系を知らない?「イギリスのグラムロックのビジュアルを、さらに煌びやかにしたもの」と言えばわかりやすいだろうか。X Japanは初め「保守的だった日本社会に果敢に挑んだ挑発的なビジュアルのバンド」にすぎなかった。しかし、東京ドーム(全55,000席)を満員にするコンサートを18回も行ない、3000万枚ものレコードを売り上げてきた記録をもって、彼らは国宝級の存在にまで上り詰めた。

この日、わたしがYOSHIKIに接見したのは窓の外にケンジントン宮殿を臨む5つ星ホテル〈ロイヤル・ガーデン・ホテル〉のペントハウス。イギリスのメディア向けに一日限りで開かれたイベントだが、わたしが会場に到着したとき、会場スタッフたちは忙しく、しかし静かに立ち回っていた。会場の中央にはグランドピアノが置かれ、YOSHIKIはその横に立っていた。全身を黒い服に包み、ブロウされたブロンドの髪もその頬骨も美しい。いつもどおり、目はサングラスで覆われている。手首にはギプスが巻かれている——取り憑かれたようにドラムを叩くYOSHIKI、ショー終盤に痛みにのたうちまわることさえある。

“誰も映画化、脚本化することはできないだろうと思っていました」とYOSHIKIは話す。「完成した映画を見て、『実際にこうしたことが起こったのか?』と驚きました。いまだに、あれが夢だったらと信じたい自分がいるんです”

この日、イギリスのメディア関係者が集ったのはYOSHIKIと『We Are X』を語るためだ。『We Are X』はバンドの結成から1997年の解散、その10年後の再結成にいたるまでのストーリーを映画監督スティーヴン・キジャック(Stephen Kijak)が追ったドキュメンタリー映画。YOSHIKIの半生として描かれたこのドキュメンタリーはX Japanの歴史、彼らが日本社会に与えた衝撃、そしてロックの世界において西洋と東洋を隔てていた障壁(かつてKISSのジーン・シモンズは「アメリカ出身だったら、X Japanは世界一のバンドになっていたかもしれない」と発言している)を幾度となく打ち崩そうとした彼らの試みを描いている。しかし、輝かしいバンドの軌跡を辿るだけではない。そこには彼らが経験した「死」や「崩壊」、そうした出来事に苦難する人の心の痛みが映し出されている。YOSHIKIは11歳の頃、父を自殺で失い、1998年にはX JapanのギタリストHIDEを、2011年には元X JapanベーシストのTAIJIを亡くしている。

「誰も映画化、脚本化することはできないだろうと思っていました」とYOSHIKIは話す。「完成した映画を見て、『実際にこうしたことが起こったのか?』と驚きました。いまだに、あれが夢だったらと信じたい自分がいるんです」

A young X Japan sport their signature Visual Kei style in an archival photo from Drafthouse Films’ We Are X. Courtesy of Drafthouse Films.

YOSHIKIにとってロックは逃避の手段だった。父の死に打ちひしがれていたYOSHIKIは爆発的な解放力を持つ音楽に安らぎを見出した。「セックス・ピストルズやG.B.H.を聴くようになりました」とYOSHIKIはいう。「当時、日本はとても保守的でした。高校では髪が耳に付くくらい長いと教師に髪を刈られ、坊主にされていました。僕は髪を赤く染めて学校へ行ったことがあります。注意を受けた次の日も赤い髪のままで登校すると、教師たちに髪を刈られました」

この逸話だけをとっても、YOSHIKIが極端な性分であることがわかるだろう。彼のドラミングも極端で、激しい。ステージ上で倒れたときのため、彼の横には常に酸素ボンベが準備されている——それほど激しいのだ。最近、彼は頚椎人工椎間板置換手術を行なったが、これも本人曰く「数十年間にわたり激しいヘッドバンギングを続けてきた結果」だったという。「意図的に自分の身体を破壊しているようなもの。表現として適当かわかりませんが、毒を以て毒を制すというか……痛みを忘れるためにさらに痛みを加えるような。必要以上に激しく演奏してきた理由も、そこにあるのかもしれませんね。限界を超えるほどの激しさを求めていたところもあります」

YOSHIKIは静かに語る。父を失った心の痛み、父の亡骸を発見したときの鮮明な記憶、そして友人ふたりを同じような状況で失ったことについて。ベーシストのTAIJIは、航空機内で客室乗務員に暴行をはたらいたとしてサイパンで逮捕され、現地の拘留所で首を吊って自殺。ギタリストのHIDEはドアノブに結びつけたタオルで首を吊った状態で発見された。彼らの死に日本中が悲しみに暮れた。YOSHIKIは現在でもX Japanのリーダーとして、彼らの死の悲しみを抱えたまま生きているように見える。「僕は、最初に死ぬのは絶対に自分で最後まで生きるのはHideだろうと信じて疑わなかったんです。ステージではクレイジーですが、普段はとてもおとなしかったから彼の死はいまだに理解できません」と、いまでもHideの死が事故死だったと信じてやまないYOSHIKIは言う。

『We Are X』はメンバーの死以外にもレンズを向けている。YOSHIKIの幼馴染であり、X JapanのボーカルでもあるTOSHIが辿った数奇な半生は実に興味深い“もうひとつの物語”として、映画に奥行きを生んでいる。映画の序盤、ラジオDJがYOSHIKIに1997年のバンド解散の真相を問うシーンがある。DJは「メンバーの不仲によるものだったのか、それとも音楽性の不一致が生じ始めたからだったのか」と問うのだが、YOSHIKIは「ボーカルが洗脳されてしまったんです」と答えている。

「何かがおかしいとは感じていたんですが、僕の頭の中はX Japanの世界進出でいっぱいだったんです」と、プレスイベントでYOSHIKIは説明した。「やっとひと段落ついてTOSHIに会ったとき、すでに手遅れだと思いました。TOSHIは僕のところに来て『バンドを辞めたい』と言いました。TOSHIはもう僕の知っているTOSHIではなくなってしまったとそのとき気づきました」

TOSHIはカルト自己啓発セミナー団体「ホームオブハート(HOH)」の洗脳に遭い、「X Japanの音楽は悪」と信じ込むようになった。「X Japanが解散したあの夜は、僕にとって単にバンドが終わってしまった夜だっただけでなく、友達を失った夜でもありました」とYOHSIKIは言う。「僕とTOSHIは4歳からの幼馴染です。目の前にいるTOSHIは肉体としては存在しているものの、もうTOSHIではありませんでした。10年後TOSHIは戻ってきましたが、そのときにも『TOSHIはまだ様子がおかしいな。なにかが違う』と感じました。でも『一緒に音楽をプレイしていけば、そのうち目を覚ましてくれるかもしれない』と思ったんです。実際、音楽をともにやる中でTOSHIは目を覚ましてくれました」

TOSHIが戻ったX Japanは、2008年東京ドームで3公演を行なった。そこからX Japanの第二章が始まった。解散から再結成までの約10年間、バンドの活動がなかった期間中に人気が拡大していた事実について、「よりビッグになってましたね」とYOSHIKIは笑う。東京ドームでのコンサートを終えたX Japanはその後、北米ツアーを敢行、日産スタジアムでのコンサートでは2公演で約14万人を集客した。そこで彼は、自分たちが国際的な存在となっていることに気づいた。「世界中にファン層が拡大しているんだと気づいたんです。それはまるで、悪夢が急に素晴らしい夢に変わったような感覚でした。何が起こっているのがよくわかりませんでした」

“僕がもっと違った生き方をしていれば、メンバーが死なずに済んだかもしれないという思いは、今でも強く心にあります。それが僕にとって最大の後悔です。彼らの肉体はもうこの世に存在しませんが、いまでも僕の心の中には生き続けています”

映画はX Japanがニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行ったコンサートで、クライマックスを迎える。そこには解散から20年を経たX Japanが、ロックの世界における東西分断の壁を今にも崩しさろうとしている姿が見られる。ロイヤル・ガーデン・ホテルでイギリスのメディア向けに開催されたイベントも終了間近となったころ、わたしたちはYOSHIKIに「やり直せるなら過去をやり直したいと思うか?」と質問してみた。すると彼は「やり直したいことはたくさんありますね」と静かに答えた。「僕がもっと違った生き方をしていれば、メンバーが死なずに済んだかもしれないという思いは、今でも強く心にあります。それが僕にとって最大の後悔です。彼らの肉体はもうこの世に存在しませんが、いまでも僕の心の中には生き続けています」

Yoshiki in Drafthouse Films’ We Are X. Courtesy of Drafthouse Films.

「これからどうしていきたいかだと思います」とYOSHIKIは続ける。「過去は変えられない。解散を機に僕が活動を辞めてしまっていたら、X Japanの歴史は恐怖の歴史のままでした。でも僕たちはまた手を取り合って夢に向かって走り出し、歴史を書き足していった。メンバーの死を正当化することはできませんが、X Japanがよりビッグになることでその歴史を輝かしいものにしていけるかもしれない」

映画の続編も作れるのでは?——わたしたちはそう提案した。YOSHIKIはこれに対して「いいですね」と微笑んだ。「僕もホラーよりコメディ映画のほうが好きですから」

We are X』Blu-ray/DVDで12月13日に発売。