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Roppongi, Tokyo © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

曖昧と確信:鈴木親インタビュー 前篇

Kazumi Asamura Hayashi

6月2日まで天王洲のKOUSAKU KANECHIKAにて個展『晴れた日、東京』が開催されているフォトグラファー鈴木親にインタビューを敢行。前篇は、写真のインスピレーション源やキャステイング論を語る

Roppongi, Tokyo © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

鈴木親の興味の対象は多岐にわたる。一貫して言えるのは、手付かずの領域に対してのあくなき探究心と冒険心、そしてそれを表現するのに欠かせない審美眼を持ち続けているということだ。その興味の矛先はストリートカルチャーやグラフィティにはじまり、ハイブランドなどの最先端かつコンテンポラリーなラグジュアリーにまでいたる。そんな両極の面白さを融合し、モダンに落とし込んだ彼の写真は、ファッション・オーディエンスへ歓喜に満ちた驚きを与えるものでありながら、たしかな納得力を持っている。その鍵となるのはキャスティングやロケーション、さらにはライティングなど様々だ。

オリジナルな視点を持ちつつ、それを写真というフォーマットで提示している彼が、今日の日本のファッション写真界において頂点の一角を担う人物であることは疑う余地もないだろう。
人は説明的なこと自体には意外と納得するのに、自分で読んだり調べたりするのは面倒に感じるものだ。たとえば雑誌という媒体はその欲求を満たすべく、日夜コンテンツを作っては発信している。だがそれを、鈴木親という人間はたったひとりで、そして写真という方法によってコンプリートさせてしまう。彼の写真のどれもが、読者の心にしっかりと焼き付けられるのだ。

Nakameguro, Tokyo © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

ひとつ特筆すべきなのは、今回のエキシビションで展示される写真の一つひとつに、撮影された場所がタイトルとして採用されていることだろう。飾られた作品とタイトルからは、彼が東京在住の写真家であり、そして“それがいい”とオーディエンスに対し提示し続けたことが読み取れる。欧米への憧れが強かった80年代や、模倣することに違和感を感じていた90年代、そして本格的に表現が国境を越え始めた00年代。そのすべてを肌で感じながら、既存の価値観を緩やかながらも如実に打ち消し、新しい美意識を提示してきたファッション・フォトグラファーが彼である。彼は「曖昧なものが好き」とインタビューでも語っているが、確信的に進めなければ「曖昧」も中途半端な表現で死んでしまう。西洋と東洋をくまなく見聞し、それを拒絶することなく影響を受けながら、彼のフィルターを通じて昇華させてきたからこそなせる技なのだ。

4月21日より天王洲のKOSAKU KANECHIKAにて開催されている個展『晴れた日、東京』は、初期作品を含めて彼の時代性を存分に感じることのできる個展となっている。「なんとなく面倒」だったと語る自身の昔の写真への無頓着さが、再び私たちの前に並ぶと、どうしてか色鮮やかに映る。

Chiba, Chiba © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

——写真を始めたきっかけを教えてください。

大学生のときには機材を借りて現代美術の展覧会の写真を撮ったりしてたけど、最初は美術周りの仕事がしたいって思う程度だった。写真がどうっていうよりは、美術家を写真で撮ったりするのが面白かった。でもパリのポンピドゥーとPS1で行われた『l'hiver de l'amour』っていう展覧会のカタログを見たときに、それがすごく良くて。表紙でアンダース・エドストロームがマルジェラのドキュメントを撮ってて、ニコラ(・ゲスキエール)のBALENCIAGAの内装を手がけた美術家のドミニク・ゴンザレス゠フォルステルがそのページのADをしてた。そのドキュメントの写真が異常に好きになって、それでこういう写真が撮りたいって思ったのが最初かも。そのアンダースがフランスに住んでるってカタログに書いてあったから、「これはフランス語を覚えよう」と思って。フランス語の学校に行ったらアンダースの知り合いの人がいて、住所だけ教えてもらったんだ。これは行くしかないと思ってフランスに行ったのが、多分1996年か97年だったかな。

——けっこう行動派ですね。

あんまり考えてないかもしれない。直感的に動くのが自分には合ってるから行っちゃえ、みたいな感じで行って。それでアンダースに会いに行ってブック見てもらって、「そのまま仕事した方が良い」って言ってくれた。「アシスタントにつきたいんだったら、技術を覚えるしかないけど、別に技術とかはいらないよね」って。それですぐ『Self Service』と『Purple』に連絡してくれて、編集部に行ったときにオリヴィエ・ザームとかエレン・フライスに出会った。「なんでアンダースが良いと思ったの?」って聞かれて、その展覧会のカタログが好きっていう話をしたら、「それは私たちがキュレーションした展覧会のカタログだよ」って。だからこれはやるしかないみたいな感じだったのかな(笑)。なんとなくそれでトントントン、って行ったという。実際パリにいたのは1年ぐらい。それで全然作品とかも撮らずに、『Self Service』とか『Purple』をちょこちょこやったり。金になるっていうよりはのんびり、いろんな人に会えて楽しいって感じだったな。

Aoyama, Tokyo / Susan Cianciolo © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

——写真を撮るときのインスピレーション源は?

いちばん多いのは街中を歩いてて、光が強かったり弱くても、そこだけよく見えるところがあって。あとは爆音でやってるライブとか行ってもアイデアが浮かぶ。トランス状態なのかも(笑)。旅行でいろんな風景見ているときもけっこう浮かぶかな。どこかで何か集中できる別のことをやってるときに、撮影のことを考えるかも。

Meguro, Tokyo © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

——モデルのキャスティングにおいて、共通点などは?

まだあまり世に出ていない人が良いと感じてる。モデルさんのキャリアが長くなると、その仕事に合わせることがうまくなる。例えば豪華な洋服を着た途端に、パッと華やかに表現できたり。キャリアが短いと本人の個性がまだそこに存在していて、そのあいだに生まれる曖昧さにとても惹かれる。写真への評価は数字では表せられない。写真表現っていうものは曖昧だからこそ、今まで撮り続けた人が有名になったりするのを見ると自分が正解だったのかな? と感じたりしますね。だから、パブリックイメージがつく前の人をを撮るのが好きですね。

Sendagi, Tokyo © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

——今回の展示のプレスリリースに「日本の状況でファッション・フォトグラフィーっていうのはすごくなりたちが難しい」とありましたが、そういったことに対して何か思いはありますか?

海外にもいるけど、言われたことそのままやる人っているじゃない? でもブルース・ウェーバーとかテリー・リチャードソン、ギイ・ブルダンもヘルムート・ニュートンもそうだけど、本人の意図があって、ちゃんと作品みたいに仕事する。でも日本だとそれが成立しづらい。広告の仕事をやるためのステップになっているところがあるのに、誰もそのことは言わないようにしてる。それが質を落としている気がする。いまの若い世代の状況は少し違うかもしれないけどね。簡単にいうと、海外の媒体が日本の写真家にファッションの仕事を振ろうって思ったときに頼む日本のカメラマンって、荒木さんや森山さん、ホンマさんとかだけど、日本のファッション誌ではそんなに見かけない人だよね。だから、その人たちは日本だと曖昧な扱いをされる。広告でもないし、エディトリアルでもないし、作家なんだろうけど、向こうの写真作家みたいな扱いではないじゃない? その曖昧さがすごく面白いって言ってたんけど、でもそれを明文化するのは今まで多分誰一人しなかった。だから荒木さんとかが無意識にやってきたことを意識的にやることで、もしかしたら次につながるのかなとは思う。

後篇に続く……

Shibuya, Tokyo © Chikashi Suzuki, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

鈴木親展「晴れた日、東京」
会期:2018年4月21日(土) - 6月2日(土)
時間:11:00〜18:00(金〜20:00)
休廊日:日、月、祝
会場:KOSAKU KANECHIKA
住所:東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 5F