ザ・レモン・ツイッグスと60-70年代ロック

ロングアイランドのスタイリッシュな10代の兄弟、ブライアンとマイケル・ディアッダリオが結成したザ・レモン・ツイッグス。その圧倒的なレトロ感溢れるサウンドに、未来が見える。

by Emily Manning
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22 November 2016, 3:40am

マンハッタンを出て1時間ほど車を走らせたところ——ロングアイランドに入ってすぐの場所に、ヒックスヴィルはある。小規模なショッピングモールや全国チェーンのドラッグストア、古びたダイナーに個人経営のネイルサロンなどが点在する、いたって普通のアメリカンな町だ。人口は4万人ほど。町の目抜き通りから一本裏に入れば、そこには映画『ヴァージン・スーサイド』的な郊外の町並みが広がる。そこに、ブライアンとマイケル・ディアッダリオ(Brian and Michael D'Addario)兄弟が待っている。名門レコード・レーベル、4ADとレコード契約を結んだバンド、レモン・ツイッグスの鬼才ふたりが作り出す、パワーポップスの影響を色濃く映したみずみずしく複雑なサウンドは、時代を超越している——少なくとも、この町から生まれたものとは到底思えない。

ディアッダリオ兄弟が実家の玄関から出てきたとき、晩夏の日差しがふたりを照らし、もともと線の細いふたりの影は、さらに細長く地面に伸びた。ふたりは、レーナード・スキナードのドキュメンタリーを観ていたのだと私たちに教えてくれた。バロック・グラム然とした曲調とスタイルが特徴のレモン・ツイッグス(「ハーモニー・コリンが『パートリッジ・ファミリー』を描いたらレモン・ツイッグスになる」と形容されたこともある)と、サザンロックと反逆児的イメージが特徴のレーナード・スキナードには、ほとんど共通点などないように思える。しかし、マイケル・ディアッダリオ(マイケルは、17歳にしてギター、ベース、キーボードなどマルチに楽器を演奏することができる天才肌のミュージシャンだ。特にドラムには定評がある)曰く、レモン・ツイッグスとレーナード・スキナードは、「ほとんど同じバンドから影響を受けている」のだそうだ。

ふたりは、「ブリティッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれ世界にイギリス産ロックの旋風を巻き起こしたバンドと、その影響を受けて生まれたバンドの音楽を聴いて育った。「ビートルズとかビーチ・ボーイズ、ザ・キンクスに夢中になった」と、現在19歳のブライアンは話す。ブライアンもまた、ギターやドラム、トランペット、バイオリンまでをも演奏できるマルチインストゥルメンタリストだ。近所の教会の駐車場で開かれたカーニバルで心ゆくまでモグラ叩きゲームを楽しんだ後、中華料理を食べながらブライアンは話をしてくれた。60年代70年代ロックの素晴らしさを彼らに教えたのは、彼らの父親だった。ブライアン・ウィルソンとバッドフィンガー全盛の時代、彼らの父親も当時の多くの若者たち同様、自作のポップソングをレコーディングしたのだそうだ。マイケルとブライアンが初めて楽器を手にしたのは、彼らがまだ幼稚園児の頃。そして楽器が演奏できるようになると、間もなくして父親のエイトトラックを使ってEPをレコーディングした。心理学者で女優でもあった彼らの母もまた、彼らの嗜好に影響を与えたという。「母ちゃんとビートルズのカバー・アルバムを作ってるんだ」とマイケルは言う。「原曲とはかなり違うアレンジになるよ。バラードのテンポをあげてみたり、速い曲をバラードにしたりしてるんだ」

ビートルズのカバー・アルバムが発表される前に、まずは彼らのデビュー・アルバムがリリースされる。『Do Hollywood』と題されたこのアルバムは「僕たちの存在は、様々な影響を受けてできあがっている。それをすべて表現したアルバム」だそうで、ビートルズの真似事ではなく、60-70年代ロックをクリエイティブの原点としてできあがったサウンドなのだという。レモン・ツイッグスの曲には、美しいメロディや力強いハーモニー、オーケストラの力など、60-70年代の特徴的な要素が散りばめられ、そのご機嫌で華やかなアレンジは、今日の音楽業界で突出してエキサイティングでフレッシュな魅力として際立っている。

『Do Hollywood』というタイトルも、言い得て妙だ。2年前、ブライアンとマイケルは、バンド、フォクシジェン(Foxygen)の片割れでもはや学者レベルのサイケデリア狂であるジョナサン・ラドー(Jonathan Rado)とアルバム制作をするため、ロサンゼルスに飛んだ。「ジョナサンは俺たちが好きなバンドのほとんどと一緒に仕事をしたことがあって、だから俺たちが求める音を完全に理解してくれてた」とブライアンは言う。「曲ひとつひとつにどんなサウンドが必要かを即座に理解してくれていたから、とにかく楽だった。レコーディングをして、ジョナサンの家でくつろいでを繰り返してただけのように思えたけど、同じ視点と感覚を持ったひととアルバム作りをするというのは開眼だった。あんなに楽しかった時間は、それまでになかったよ」

西海岸といえば古着天国だが、ふたりもまた古着屋巡りを満喫したという。マイケルはフリーマーケットでTシャツやベルボトムをはじめ、タイトなヴィンテージのアイテムを多く購入したそうだ。私たちを出迎えてくれたマイケルは、コンバットブーツにハイウエストのフレアジーンズ、ハチドリがプリントされ、大きな襟が時代を感じさせるボタンアップシャツ、そして彼よりもゆうに40年は長くこの世に生きてきたであろう、六角形のレンズがおもしろいサングラスを身につけていた。「俺たちが持ってる服のほとんどは、ひとが捨てようとしてたもの」とブライアンは特徴的な服のコレクションについて説明する。「あれはもともと俺のTシャツだったんだよ」と、牛の絵がプリントされたTシャツを着たブライアンを指差してマイケルが言う。「というか、もともとは俺の友達のカノジョが持ってたものだったんだけど。いま履いてるこれは俺のカノジョの」とマイケルは、履いているパンツに目を落としてそう言い、笑った。「なんでも一応もらっておく主義なんだ」

車で1時間という距離にあるマンハッタンだが、ふたりは"ニューヨーク"に固執していない。カリフォルニアに移る考えはあるのだろうか——アルバムがリリースされた後にサンフラワー・ビーンのツアーで前座を務めることが決まっている彼らには、ヒックスヴィルはあまりに閉塞的に感じられてしまうのではないだろうか?「カリフォルニアに移るのは構わないけど、でも俺たちは家族がここにいるからね」とマイケルは言う。「両親も若くないし、叔父もいる。叔父はダウン症のうえにアルツハイマーもあって、施設に暮らしてるんだ。毎週一度は叔父の顔を見に行ってるから、それができなくなるのは現実的じゃないかな」

家族との繋がりは、彼らをヒックスヴィルに引き留めているだけでなく、彼らの音楽を豊かにしている要素でもある。「みなまで言わなくても解ってもらえる、そういう関係ができあがっていてね。他人を相手なら言わなくちゃ解ってもらえないようなことも、家族の中では言わないほうが伝わったりする。何かが気に食わなかったら、それを我慢する必要もない。ダイレクトなんだ。どんなことで食い違っているか瞬時に解るぐらい、お互いを理解してるんだよ」

意見の相違が持ち上がったとしても、彼らはお互いへの尊重を忘れないのだそうだ。ひととしても、卓越したミュージシャンとしても。「俺とはまったく違う発想でものを作り出せるマイケルをすごいと思う。『お前、それどうやって思いついたんだ!』ってね」とブライアンは弟について賞賛する。「"エネルギーに満ちて底抜けに楽しい曲"っていう俺の方向性の、さらに先へとサウンドを押し広げることができるんだよね。音に対して、明確なヴィジョンがある。俺はヴィジョンがあったりなかったりするんだけど」。そこへマイケルが口を挟む。「いや、全然そんなことない。年齢的なものなんだと思うよ。真剣に考えて決断して、選んでやってみるけど必ず後悔する——まだそういう歳なんだよ。でもね、すべて胸を張って決断して進んでるんだ」

Credits


Text Emily Manning
Photography Zachary Chick
All clothing model's own.
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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