滲み出るウクライナの傷

『ローズガーデン』シリーズで、ナディア・サブリンは平和だった幼少時代の思い出の向こうに、酷い今の現実を映し出す。

by J.L. Sirisuk
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24 January 2017, 4:42am

「子供時代や童話の世界、多幸感、そして愛を思い起こさせてくれた場所」——ナディア・サブリン(Nadia Sablin)はウクライナをそう説明する。「現状を思うと胸が引き裂かれる思いです。どうにも表現できない胸の痛みです」。サンクトペテルブルクに生まれ、その後レニングラードに暮らした後、両親とともにアメリカへと移住したサブリン。大人になってからは商業写真家として活躍していたが、2003年に平和部隊Peace Corpsに参画し、その活動の一環としてウクライナへ行く機会を得た。「子どものときに後にして以来、東欧には行っていなかったんです。行ってみると、話されている言葉も懐かしく、人々の存在もとても自然に感じられて、電車が走る音も私の記憶そのままでした」と彼女は話す。それ以来、サブリンはロシアとウクライナを度々訪れている。ときに同じ被写体を数年にわたり撮り続けるなど、写真家として生まれ故郷を見つめた作品を創作している。

マイダン革命が巻き起こる最中の2014年、サブリンは西ウクライナへと旅をした。制服姿の高校生、新しく買ったハイヒールを履いて見せる少女、銃を手にした少年など、サブリンの『Rosegarden』シリーズに見る写真には、ウクライナの他地域に息づく美しさと平穏の空気感の向こうに、国の東側で起こっている戦争の悲劇が目に見えない影を落としている。サブリンは自身が知る町を訪ね歩き、現実に傷ついた心から目を背けさせてくれる、そして美しい光へと導いてくれる光景を、写真に収め続けている。ロシア版Facebookで被写体を探すことについて、プーシキンについて、そして革命について、サブリンに聞いた。

子どもの頃のあなたにクリエイティブな影響を与えたのは何だったのでしょうか?
両親がアート好きで、頻繁に私を美術館や展覧会に連れて行ってくれたんです。祖母もまた、詩人アレクサンドル・プーシキンを研究する学者で、レニングラード内外をガイドして回るツアーガイドの仕事をしていました。よく祖母について行って、プーシキンがいかに彼自身のアートに翻弄される生涯を送ったかについて話すのを聞いて、とても興味を持ちました。

プーシキンの何に惹かれたのでしょう?
彼がそこまで人生に身を捧げたということですね。経済的な安定のために毎日仕事へ行くような生活ではなく、自分が情熱を傾けるものに人生を捧げたということ——退屈な生き方を放棄して、愛し、書き、感じるものを深くきちんと感じる生き方を選んだ——そこに惹かれました。

あなたの写真には人々の捉え方に温かさが感じられます。どのようなプロセスで写真を撮るのでしょうか?
ひとを撮るときには、それが親しい仲の友人であろうと見ず知らずのひとであろうと、私はそのひとを本気で好きになる傾向にありますね。そこに強い心のつながりを感じるんです。マリーナ・アブラモヴィッチのパフォーマンス作品『The Artist Is Present』を見たことがありますか?観客は会場を訪れ、そこにいるアブラモヴィッチをただ座って見つめる——そういう作品なんですが、ただ座って目の前にいるひとを見つめていると、否が応でも何かが起こるものなのだと私は思うんです。相手の目を見て、相手に耳を澄ます——全身全霊で相手を感じようとする。それをやって、相手に対する個人的な気持ちがまったくうまれないほうがおかしいと私は思います。わたしがカメラでやっていることは、そういうことです。よく見て、よく聴くことで相手を理解したいのです。

『Rosegarden』シリーズについて、少し詳しく教えてください。
わたしは確固たるアイデアをもとに、それを具象化するために写真を撮ったりしないんです。色々試しながら撮り、出来上がった作品群に後からテーマを見出して、まとめあげていくという感じです。『Rosegarden』の中で最初に撮った写真は2004年のものですが、シリーズを構成しているほとんどの写真は2014年に撮りました。戦争が起こった直後です。2014年、マイダンで反乱が起こり、ウクライナの東側で戦争が始まると、いとも簡単にクリミアが制圧されました。その現実をうまく理解できずにいたんです。子ども時代の思い出や、童話を思わせるような光景が広がる、私にとって幸せの象徴であるあの場所に、今や戦争が起こっているという現実——それはあまりにリアルでした。そこで苦しんでいる人が大勢いるということ——希望が打ち砕かれ、大勢のひとが亡くなり、経済は壊滅的な状態になった。そんなすべてが理解できなかった。だから、現地に行って、この目で見て理解しようと思ったんです。

被写体となる人たちは、元から知り合いなのでしょうか?
友達である場合もあるし、撮影をした日に知り合った人たちもいます。ロシア版FacebookのようなSNSで出会ったひともいましたよ。写真を撮らせてくれるひとを探していて、そこへ誰かが冗談でアップしたプロフィールに騙されて、私が本人に連絡してみると「写真を撮らせてくれる」というので会った——そんな人もいました。それがあの銃を持った少年です。

銃を持った少年を撮影した経緯についてもう少し教えてください。
彼は際立った個性の持ち主でした。ロシア版Facebookで、ウクライナ南部のオデッサに暮らすモデルや写真家を探していたときのこと——色んなフォーラムを覗いて回って、「オデッサ在住で、私に写真を撮らせてくれるひとを探しています」と声を掛けましたが、誰も名乗り出てくれませんでした。それに4日間も費やしたんですけどね。そこで、「写真を撮ってもらいたいというひとを探そう」と思い立ちました。すぐに「写真を撮ってくれるひとを探している」という書き込みを見つけたので、電話をして見ると、彼はフォーラムに自分の名前と写真がアップされていたことにショックを受け、驚いている様子でした。しかし、色々と話をするうちに、彼が「うちのほうまで来てくれるなら、モデルになってもいい」と撮影に応じてくれたんです。「行く」と即答した私に、彼は「ギターか銃か、何か持って行くべきか」と訊くので、「持ってきたいものを持ってきて」と言いました。待ち合わせ場所に現れた彼は、銃を持っていた——そういう経緯です。

それら写真を改めて見てみて感じることは?
過去に撮った写真に目を通して、エキシビションを開催しようと考えはじめたら、これをシリーズとしてまとめるのが当然のように思えました。バラや小さな美しい花がそこかしこに写り込んでいることに気づいて、そこでウクライナをお庭として描くというアイデアを思いついたんです。春には花を咲かせて、夏を通して実をつける木々がウクライナにはたくさんあります。ウクライナは自然が豊かな国で、でも写真には傷ついたりしおれたりしている花、花を落としてしまった草もたくさんあり、建てられた壁の向こうに押し込められてしまっている草花が無数にある——ウクライナの現状を象徴していると感じました。美しく自然な国を写しているつもりだった写真に、ウクライナの苦難がにじみ出ていました。

Credits


Text J.L. Sirisuk
All photographs courtesy and copyright Nadia Sablin
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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