映画・テレビ業界に求められる「多様性」

「テレビや映画を観ても、そこに自分を投影できるキャラクターがいない」。非白人の視聴者・観客が共感できる作品を作るために、エンタメ業界は、いま大きな意識改革を迫られている。

by Amrou Al-Kadhi
|
10 April 2017, 9:35am

わたしはイラク人とエジプト人の血を引く移民の二世としてイギリスに生まれた。現在はゲイとして暮らしている。言うまでもなく、テレビや映画で自らを投影できるキャラクターに出会ったことはない。思春期特有のアイデンティティ喪失に陥っていた10代の頃、わたしはテレビに希望を求めていた。14歳のとき、両親が寝たことを確かめると、テレビのある一階に降りていき、チャンネルを回して自分が馴染める世界を探した。結局、そんな世界がテレビの中に見つかることなどなかったが、『クィア・アズ・フォーク』などのドラマや『エンジェルズ・イン・アメリカ』といった映画は、保守的な家庭環境に育ったわたしに希望を与えてくれた。そのキャラクターたちは、他のテレビ番組に登場するどのキャラクターよりもはるかに親しく感じられた。けれども、わたしは失望もしていた。彼らがほぼ例外なく白人であることに。

テレビや映画が描く世界に疎外感をおぼえたが、実際に自分が演技をする立場としてその業界に入ってみると、そこには排他的体制があった。これまでわたしがテロリスト役のオーディションに呼ばれた回数は約20回(脚本では、それらの役はどれも無名で、"地下鉄駅の怪しい髭面男"や"冷血なアラブ系殺人鬼"など形容されていた)。これは、イギリスやアメリカで、中東の血を引く俳優のほとんどが経験することだ。テレビの自由な世界に希望を見出していたわたしだったが、実際に足を踏み入れてみれば、そこにあったのは現実世界と変わらない体制的人種差別の世界だった。

わたしの経験は極めて具体的で特殊なものだが、人種差別はイギリスのメディアに広く見られる問題だ。英国映画協会BFIのクリエイティブ・ディレクター、ヘザー・スチュアートは、調査グループを率いて、映画界における有色人種や少数派民族系(BAME:Black, Asian, and Minority Ethnics)俳優たちの扱われ方の現状を精査している。この調査は、2006年に、イギリス映画での黒人俳優たちの扱われ方を精査することから始まった。同協会がまとめた調査結果によると、調査対象となったイギリス映画1,000本のうち、59%の作品には黒人俳優がひとりも登場せず、また、黒人俳優が演じる登場人物に役名が与えられているケースは13%にとどまった。調査チームが観た映画の中で、有色人種や少数民族系の俳優たちが演じているキャラクターの多くは、「人種問題に関係した役柄である傾向が強い。また、『アンダーグラウンド』のようなドラマが放送されると、キャスティングに見られる多様性を誰もが賞賛する傾向にある」とヘザー・スチュアートは説明している。しかし、そこで浮き彫りとなるのは、『アンダーグラウンド』のような番組でキャスティングにおける多様性が賞賛を浴びてしまうことで、テレビ・映画業界における有色人種・少数民族の俳優たちの扱いの実態が霞んでしまうという現実だ。

2015年米アカデミー賞では、白人俳優ばかりがノミネートされて大きな騒動が巻き起こった。その背景には、ノミネートを選考するアカデミー会員の大半が白人によって占められているという実態があった。

何がこのような惨憺たる状況を作り出しているのだろうか?これは「業界で誰が力を持っているのか」に深く関係してくる。それこそが、スチュアートの関心でもある。2015年米アカデミー賞では、白人俳優ばかりがノミネートされて大きな騒動が巻き起こった。その背景には、ノミネートを選考するアカデミー会員の大半が白人(平均年齢は62歳)によって占められているという実態があった。ひとびとの意識的な人種差別が表面化している事実はない。しかし、業界で権力を持つ者たちの存在と、多様性に欠ける作品の実態との間にある関係性は、たとえばアカデミー賞のような授賞式でノミネートを選考する立場にある会員たちに無意識の先入観があることを示唆しているのではないだろうか——会員の大半が白人であることから、彼らが自己を投影できる白人キャラクターばかりの作品が作られる傾向にあるのではないだろうか?

劇中で中心的役割を果たす役柄に、多様性を反映した俳優を積極的に起用することが、この闘いにおける次なるステップだ。イギリスのテレビ局Channel 4は、1年前、新たに「ダイバーシティ(多様性)推進部」なる部署を設立し、その担当部長にラミー・エル=バーガミー(Ramy El-Bergamy)を任命した。ラミーは就任後、間もなくして、そこに「根本的な問題を見た」という。そして、就任以来、彼が進めてきた主な仕事は「業界で力を持つ人々に対し、有色人種をはじめとする多様な人々の視点を示すこと」だったと説明する。ラミーは、理事や委員、プロデューサー、その他、Channel 4の番組や映画の製作者たちに多様性を訴え、ときに製作の過程で彼らが"従来"の世界観に落ち着いてしまわないよう後押しする役割を担っている。「たとえば、脚本で建築家のキャラクターがストレートの白人男性として描かれているとすると、作品クリエイターたちに『この役は黒人クィア女性でも描くことができますね』と、別の視点を示すわけです」とラミーは話す。

しかし、劇中に多様性を生むだけではなく、業界で力を持つ人々に多様性の視点をもたらすには、まず有色人種や少数派民族の俳優たちに均等な機会が与えられる、公平な業界にしていかなくてはならない。その具体案は、いたるところで見られるようになってきている。そんな変化を生むべく戦っている業界関係者のひとりが、キャスティング・ディレクターのカーメル・コクレインだ。彼女は、白人俳優の優位性は体系的なものだと話す。すでに演劇学校の学費体系が白人に有利なものとなっており、そこから外された非白人系俳優たちは業界大手のエージェンシーの目にとまりにくい。大手エージェンシーが抱える非白人俳優のセレクションは目をつぶりたくなるようなもので、「平等な配役を実現するために、ストリート・キャスティングをしなければならないこともある」とコクレインは嘆く。

バリー・ジェンキンスによるインディ映画の傑作『ムーンライト』は、米マイアミの貧困地域を舞台に、同性愛の黒人が"男性のあり方"に苦難するさまを描き、当初はたった4館での公開だったにもかかわらず、最初の週末だけで約4,600万円の興行収入をあげた。「何が売れるか」という観点自体を、改めて考え直すときが来ているのだ。

今年、BFIは、才能溢れる無名の映画監督たちと業界の架け橋となり、彼らの作品制作を支援することを目的として立ち上げた<BFI Net.Work>で、有色人種と少数派民族系の映画監督のみを対象としたプログラムを開催した。わたしも、光栄なことに、このプログラムで受賞を果たした。しかし、受賞をTwitterで報告すると、「これは白人監督への逆差別だ」という内容のコメントが相次いだ。すぐに言い返したい気持ちをこらえ、一息ついてから、「白人監督が業界から疎外されていたわけではない」と前置きしたうえで、「このプログラムは、単に"誰にでも平等にチャンスが与えられる業界を目指す"というテーマのもとに立ち上げられたものなのです」と説明した。本当の多様性を実現するには、有色人種や少数派民族系の個人だけでなく、誰もがともに闘わなければならないのだ。

多様性のある作品が白人の観客たちに受け入れられないのではないかという思考が、何よりもばかげている。現実世界の多様性を反映したキャスティングの作品が、白人のみ起用された作品と同じだけ商業的成功と業界の評価を得ることも多々あるのだ。バリー・ジェンキンスによるインディ映画の傑作『ムーンライト』は、米マイアミの貧困地域を舞台に、同性愛の黒人が"男性のあり方"に苦難するさまを描き、当初はたった4館での公開だったにもかかわらず、最初の週末だけで約4,600万円の興行収入をあげた。ドラマ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』だって、白人有名俳優の起用なしに大成功を収めている。「何が売れるか」という観点自体を、改めて考え直すときが来ているのだ。

しかしながら、平等な業界のあり方を実現するための進歩を、業界関係者の自己満足で終わらせてはならない。肌の色に関係なく、俳優に均等な機会が与えられる業界を作りあげる——その実現に向け絶えなく努力を注いでいくことで、きっと映画やテレビ番組にも、私たちが生きるこの世界の複雑さが反映されていく。そのとき初めて、社会通念に屈することなく自分を生きる未来のティーンエイジャーが、夜中につけたテレビ番組に自分を投影できるキャラクターを見つけて、心からの安心感を得られる——そんな世界が生まれるのだ。

関連記事:アカデミー賞は社会を反映できているか?黒人とクィア:『ムーンライト』は何が革新的なのか?長谷川町蔵評:『ムーンライト』

Credits


Text Amrou Al-Kadhi
Still taken from Moonlight
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.