『ダゲレオタイプの女』:黒沢清監督インタビュー<後編>

世界中に熱狂的な支持者=“キヨシスト”を有する黒沢清が、オールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語のオリジナルストーリーで挑んだ初めての海外進出作品『ダゲレオタイプの女』。i-Dは、映画団体「Indie Tokyo」の主宰にして映画評論家の大寺眞輔をインタビュアーに迎え、本作の魅力、黒沢作品に通底するテーマを探った。監督が考える、Jホラーとゴシックホラーの違い、人類最古の写真技法「ダゲレオタイプ」と映画にみる類似とは……? ※本インタビュー<後編>にはネタバレを含みます。

by Shinsuke Ohdera
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18 October 2016, 6:10am

『ダゲレオタイプの女』:黒沢清監督インタビュー<前編>はこちら

大寺:見る者と見られる者との間に生まれるある種の欲望やコントロールを通じて美しいものが生まれるという信念も、一歩間違えるとやはりマッドサイエンティスト的妄想に通じると思います。しかしそれに対する恐怖や危惧も黒沢作品には常に存在して、つまりダゲレオタイプが黒沢監督自身の欲望を反映しているならば、一方でこうした自分に対する警戒心として植物的要素が映画に導入されるのかと思いました。
黒沢:なるほど、それはあったと思います。ご存じのように僕の映画では植物という要素がちょくちょく出てきます。ときに話の中心に据えられることもありますが、今回は中心ではないにせよ、あまり深く思考しないまま感覚的にふと重要なものとして作品に出してしまいました。日本独特の趣味のようなものをフランス映画で使ってしまうと、国なり文化なりの違いが出てきて独特のニュアンスが生まれてしまうと危惧しましたが、植物に対する人間の眼差しや付き合い方はパリであれ東京であれ、都市ならばそう変わりないだろうという安心感で導入したということもあります。

大寺:ステファンの娘マリーが植物園に就職しようとする場面で「動きは見えないけれども、根を張って環境を支配する」という台詞がありました。これは被支配者の側が動きを止められたままそれでも関係を逆転させ環境をまるごと支配する術として、ほとんど黒沢監督の恐怖そのものではないかと思ったのですが。
黒沢:裏に複雑な意味を込めて書いたわけではありませんが、正直に言いますと、実際の植物自体に恐怖を感じているわけでも研究しているわけでもない僕が、たびたび映画にそれを出してしまって、一体どこに自分は魅かれているのかという自問自答を素直に言葉にしてみたらああなりました。確かに、マリーの口を通して僕はこういうところで植物に魅かれていると言わせてしまっております。だから深くは考えていませんが、あの台詞は僕の正直な気持ちを告白したものですね。

大寺:ダゲレオタイプの使い手であるステファンは対象を欲望してコントロールしたい。それに対しマリーや亡くなった妻は被写体の位置から動けない。しかし、静かに根を張っていつの間にかその場所そのものを変えてしまう。これはほとんど黒沢監督の恐怖そのものですよね(笑)。
黒沢:そこまで意識的ではありませんでしたが、それは間違いありません。ステファンやマリーの言葉を通じて、色んな意味で僕自身の映像や植物に対する考えを、ふと語らせてしまっているところはありますね。

大寺:少し別の角度から考えてみたいと思います。この映画では屋敷の全体像があまり出てきませんが、夜のシーンで一度だけありました。温室に明かりがき、後ろに屋敷がそびえ立っている。屋敷というのは垂直、縦の印象が強いのに対して、その前に水平に広がっている温室、ここには明らかに垂直と水平の構図の対立があると思いました。なぜそれが印象的だったかというと、これは『サイコ』('60)のベイツ・モーテルだと。
黒沢:ベイツ・モーテル! それはなかなか面白い指摘だと思います。狙ったわけではありません。むしろそうした映画的引用や記憶の反映は狙っちゃいけないものだと考えていました。しかし同時に、実は撮影中何人かから、これはヒッチコックじゃないかという指摘を受けていました。そうです、『レベッカ』('40)や『めまい』('58)ですね。

大寺:ヒッチコックという映画的記憶からこの作品を語ってみたい誘惑はありますが、ここではやはり映画的運動の問題に話を限定したいと思います。この作品には、映画全体を垂直に運動させようとするときと、水平に運動させようとするときの違いが明確にあり、例えば階段という装置の導入が典型的であると思いました。
黒沢:それはそうですね。直感的ですが、映画の演出をする際、それが横の運動なのか縦の運動なのかはいつも気にして考えています。フランスに行くと、日本と違って西洋の建造物なので、こんなところに縦の階段があるのかと発見したり、地下に行けるのかと驚いたり、完全な西洋建造物で撮影したのはこれが初めてなので新鮮に縦横の動きを楽しませて頂きました。

大寺:マリーが階段から落ちるシーン、あそこも階段ですが、彼女が落ちる直前に画面の隅で埃がスッと落ちています。あれは素晴らしかったですね。
黒沢:ありがとうございます。あの埃、実はCGなんですよ。撮影現場でスッと落とすこともできたのですが、これを落とすべきかやめるべきか、あるいはどのタイミングで落とすべきか、僕にしては珍しく悩みました。だから、あそこだけCGにしてしまえば、あとでなくすことや落とすタイミングも選べるので、これだけはあとで判断させてくれとスタッフに頼みました。実はものすごく悩んだし、こだわった部分でした。これに気づく人は少ないかなと思っていたのですけど、気づいて頂いてありがとうございます。

大寺:マリーが階段から落ちて、彼女の顔が分かる程度にカメラが寄るところまでワンカットで撮られています。あれはまた『回路』のときと同じ撮影トリックでしょうか?
黒沢:ええ。あれは巧妙にワンカットに見えるよう合成されています。単純に言うと、本当に転げ落ちているのはスタントの方ですが、途中まで転げ落ちてもらって、最後の3段だけマリー自身が落ちるところを合成で組み合わせています。だから、いかにも本人が落ちてくるように見えるという仕組みですね。『回路』で謎の女性が塔の上から地面に落ちる場面と基本的には同じ発想です。

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大寺:『回路』のときにも黒沢監督からお伺いしましたが、やはり映画にとつぜん垂直の運動が導入されると、ある種のショッキングな効果があるのだと。
黒沢:それは僕の発明ではなく、昔から気づいている人は多かったと思いますが、たぶん舞台演出などでも同じだと思うんです。舞台は全体的に横に広く、人間も横に動くので横方向の運動というのはある種気持ちのいい転換です。映画の場合もスクリーンが横長だという問題もあり、横に動くと次はどこに行くのだろうという気持ちの良さが表現できます。それに対して、縦というのはむしろ衝撃、分断であるとか、予測もしない何かですね。気持ちのいい横の動きと、それを突然分断してしまう縦の動き。舞台でも階段から転げ落ちるとか、上から何か落ちてくるという演出があると思います。すると観客が驚いて飛び上がる。実際撮影していても、横に動くのは容易いですが縦の動きっていうのは結構大変で面倒くさい。だからそう多くはできないのですが、その分すごく効果的な場面を作れますね。

大寺:つまり、縦というのはここぞという時しか使えない重要なものですよね。今はまた映画の原理的問題で話をかわされましたが(笑)、ここはもっと直截に黒沢監督の精神分析的側面に引きつけた方が面白い話をうかがえそうで、そろそろ時間ではありますが、本当はここを深く掘りたいです(笑)。
黒沢:いやいや、あれは僕が要求しているんじゃなくて、映画そのもの、あるいは映画のジャンルが要求しているんですよ(笑)。誰がやってもああなるはずです。

大寺:いや、ここからは黒沢監督の本音が絶対聞けるはずです!今回の映画は黒沢監督の無意識ダダ漏れだなと思いながら見ていました(笑)。
黒沢:それは確かにそうです。むしろ、そこでしか勝負できなかったのです。撮影も順調に進み、スタッフもキャストもみんなよくやってくれましたが、やはり細かいニュアンスのようなものはフランス人には伝わらない部分があります。「これをやりたいんだ」と言うと「じゃあ、あなたのやりたいことはこれだね」とバンっと実現してくれて、すごくクリアにストレートに色んなことが明確に形作られました。日本ですと、こちらの細かいニュアンスを汲んでくれますから、ちょっとそこを変えようとか、この辺は編集でとか、細かいアレンジが後でいくらでも可能です。あるいは、馴染みのスタッフ相手だと過剰に分かられてしまうので、いやここは少し捻った表現に変えようという場合もあります。ところがフランスでは、僕のお願いしたものがそのままあっけらかんと出てきて「そうか、僕がやりたかったのはこれだったのか」となります。だからもう、それをそのまま映画として見せるしかない。アレンジできない。僕の願望や本音もきっとそのまま出ているでしょう(笑)。

『ダゲレオタイプの女』:黒沢清監督インタビュー<前編>はこちら

Credits


Text Shinsuke Ohdera
Assistance Masayuki Ueda
Photography for Portrait Kenta Sawada

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