『ウィッチ』映画評

ホラー映画の名作『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)のリメイクの監督に大抜擢された気鋭の映画監督ロバート・エガース。ハリウッドで近年最も期待される彼のデビュー作『ウィッチ』を翻訳家・ライターの野中モモがレビュー。

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jul 20 2017, 8:15am

©️2015 Witch Movie,LLC.All Right Reserved.

魔女の時代である。もちろん彼女たちはこれまで常にずっとそこにいたのだけれど、ここ2~3年、音楽やファッションなどのポップカルチャー情報をなんとなく眺めていても、魔術の神秘の世界に近づこうとする表現が増えているように感じる。これは自分がもともとその分野に興味があるから目につくというだけの話ではなくて、もっと大きな世の中の流れへの反応に違いないと確信している。

その流れを「保守化」のひとことでまとめてしまうのは大雑把すぎるだろうけれど、とにかく社会のあらゆる面において余裕のなさが不安を招き、女性やマイノリティへの恐れと憎しみを募らせる人々がいて、あちこちで緊張が高まっているのは現実だ。移民を排除し、科学研究予算を削減し、生殖の自由を制限するドナルド・トランプはアメリカ合衆国大統領に選出され、少なくない数の人々に支持されているのだ。しかし、そうした不寛容に屈したくない人々も確実にいて、集合的な抵抗運動も盛り上がりを見せている。

©️2015 Witch Movie,LLC.All Right Reserved.

いま西洋史においてキリスト教と結びついた権力に弾圧され続けてきた魔女への注目が高まっているのは、こうした社会情勢と決して無関係ではないだろう。はたして彼女たちは本当に忌むべき邪悪な存在なのだろうか。「そうとは限らない」「むしろ教会が悪」という認識は20世紀から引き続き広まって、魔女は主流派の権威に抵抗する女性のアイコンとして(一部で)共感とあこがれを集めている。しかし、かといって彼女たちを単純に善とするのも失礼な話になるだろう。魔女はそうした善悪の二分法には収まらないミステリアスな異人として、21世紀に生きる私たちをも魅了してやまない。

サンダンスをはじめアメリカ各地の映画祭で高い評価を獲得したロバート・エガース監督の長編デビュー作『ウィッチ』は、こうした時代の気分と響き合う作品だ。原題「The Witch」には「A New England Falktale(ニューイングランドの民話)」という副題がつく。

舞台は1630年のアメリカ、ニューイングランド。主人公の一家は、イングランド国教会に迫害され、新天地を求めて大西洋を渡り、アメリカを植民地化した清教徒たちの第一陣なのだろう。敬虔なキリスト教徒たちの中でも特に敬虔なのであろう父親に率いられ、7人家族は村を出て森のそばに住まいを構えることになる。信仰をよりどころに貧しく厳しい生活を送る家族だが、ある日、まだ幼い赤ん坊だった末っ子が何者かに連れ去られてしまう。はたしてこれは狼の仕業なのか、それとも森の魔女なのか。悲しみに暮れるうち次々と禍々しい事件が起こり、長女トマシンが魔女ではないのかという疑念が沸き上がる。はたして彼女は魔女なのか、そもそも魔女は実在するのか。

©️2015 Witch Movie,LLC.All Right Reserved.

エガース監督は「こんな時代に生まれなくてよかったな~!」と心から思わずにいられない17世紀ニューイングランドの暮らしを、浮つくことなく雰囲気たっぷりに描写してみせる。観客がこの監督に関して過去のデータを持っていない故に、ますます緊張が張り詰める。「何をしでかすかわからない」と。

主演女優アニヤ・テイラー=ジョイも、これがデビュー作とのこと。この作品のあとM・ナイト・シャマラン最新作『スプリット』に抜擢された彼女、笑顔の場面がほとんどないにもかかわらず、ちょっと前の川島海荷、もしかしたら真野恵里菜を思わせる瞬間もあってたいへん愛らしい。

フレッシュな才能をフレッシュなうちに味わうことに大きな喜びを感じる人にとっては、2017年思い出の一本となりそうな恐怖映画である。ただし子どもがひどい目に遭うのが耐えられない人にはおすすめしません。

『ウィッチ』
7月22日(土)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

Credits


Text Momo Nonaka