パンクスvsネオナチ軍団!『グリーンルーム』

『ブルー・リベンジ』(13)で注目を浴びたジェレミー・ソルニエ監督の新作は、楽屋(グリーンルーム)に閉じ込められたパンクバンドの脱出劇。360度、理不尽だらけの空間から脱出せよ! 余裕なき現代情勢を反映させたこのサバイバル映画を、映画ライターの鍵和田啓介がレビュー。

by Keisuke Kagiwada
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15 February 2017, 4:15am

© 2015 Green Room Productions, LLC. All Rights Reserved.

この世には時代のムードをモロに体現してしまった作品というのがごく稀に存在する。製作者の意図があったか否かに関係なく、そうとしか思えないような仕上がりになってしまう作品というのが確かにあるのだ。『グリーンルーム』もそんな作品のひとつと言えるだろう。良くも悪くも今という時代の"いやーな感じ"を刻印してしまった作品であると思う。

一見すると、伝統的なスプラッター映画の系譜に連なっているかのようだ。なんせ森の奥深くに佇むライブハウスを訪れた若い男女(実際は、売れないハードコアパンクバンド)が、そこに住まう"モンスター"に目をつけられ攻防戦を繰り広げるハメになるという話だ。これはライブハウスをキャンプ場に置き換えたらまんま『悪魔のいけにえ』だし、その"モンスター"にしても倒しても倒しても次々に湧いてくるあたりは、どうしたってゾンビを想起させる。

しかし、そうした過去作とは大きく異なる点がある。本作における"モンスター"の造形だ。いわゆるスプラッター映画であれば、レザーフェイスとかゾンビみたいに、超人間的だったり非人間的だったりするのが常だが、本作ではネオナチのシンパたちである。といって、思想や原理に基づいて行動するわけではない。実際、ネオナチたちがバンドを襲うのは、バンドのメンバーにユダヤ人がいたからとかではまるでなく、仲間が犯した殺人を目撃されてしまったという理由からだ。いきおい並外れた狂人集団というわけでもなく、要は生身の人間たちである。

ここで注目すべきは、ネオナチがそれとして描かれているという点だろう。現代を舞台にしたスプラッター映画に、政治的なイシューを持ち込んだ作品は少なくない。それこそジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』におけるゾンビは、社会的弱者のメタファーとみなされてきた。しかし、それはあくまでメタファーとしてであったのに対し、本作ではまんまネオナチとして描かれている。そこをどう解すべきか。

作中のバンドのメンバーたちの会話がヒントになりそうだ。「無人島に1組だけアーティストを連れていくなら?」と問い合うシーンがそれに当たる。平和だった頃には、ブラックサバスやミスフィッツといったセレクトをしていた彼らはしかし、ネオナチとの攻防に突入すると、サイモン&ガーファンクルやプリンスといったアーティストを挙げるようになる。生きるか死ぬかの瀬戸際に立つと、もはや気取っている場合じゃないということだろう。

それに即して先の問いに答えるなら、もはやメタファーなどというインテリの気取った遊びに手を染めている時代じゃないということだろう。実際、某合衆国大統領はメタファー抜きの剥き出しの言説でもって、労働階級の白人たちの支持を集めた。かの支持者らが本作におけるネオナチ集団と重なるのは言うまでもない。そうした情勢下においては、もはや彼らをそれとして表象し、化けの皮を剥がしていくしかないのではないか。その意味で、『グリーンルーム』は反教養主義時代にふさわしいスプラッター映画と呼べるかもしれない。2017年に本作を見て、そんなことを考えた。

グリーンルーム
監督・脚本:ジェレミー・ソルニエ  出演:アントン・イェルチン  イモージェン・プーツ  パトリック・スチュワート  メイコン・ブレア  2015年 アメリカ  英語  95分 配給・宣伝:トランスフォーマー
2月11日(土)より、新宿シネマカリテ他にて全国順次ロードショー

Credits


Text Keisuke Kagiwada

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