「フリー・ルール」な山本耀司:独占インタビュー

Y-3のローンチ以来、スポーツウェア業界で圧倒的な存在感を見せてきたYohji YamamotoとAdidasが、スポーツウェアに特化させたコレクション、Y-3 SPORTをスタートさせた。

by Holly Shackleton
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01 June 2016, 12:00pm

頭からつま先まで黒ずくめの彼は、ファッションデザイナーというより、むしろロックスターのように見える。東京湾岸、品川区の京浜運河沿いに建つ大きなインダストリアルビルに、Yohji Yamamotoのスタジオはある。煙草を吸い、日本茶に口をつけながら話す彼の足元には、愛犬、秋田犬のリンが見守るように伏せている。「リンは、僕の人生最後の彼女なんです」と彼は微笑んで言う。スタジオの外には、春の光のなかに立って煙草を吸う若い男女が見え、山本のスタジオからクリエイティビティの振動が、開け放たれた窓を通って、伝わってくるようだ。

黒の上下とTシャツに身を包み、トレードマークとも言えるグレーの髪をソフト帽にたくしこんだ山本耀司には、否定しがたく力強い存在感がある。邪念のない朗らかな佇まいに、プレスはこぞって彼を「賢者」「名匠」と呼ぶ。「いや、やめてください、名匠だなんて」と彼は声を上げる。「自分が何かをマスターしたと思ったらもうおしまいなんです。私はいつでも誰かと闘っている。権力、金、凡庸、既成概念……そういったものといつでも闘っているんです」

今春、Yohji YamamotoとAdidasは再び手を取り合い、ブランドとしては初となるスポーツウェアに特化したライン、Y-3 SPORTをローンチした。洗練さ、黒、人間工学的に優れた−−いまスポーツウェアに求められるすべてを備えた−−スポーツウェアのコレクションだ。派手な色も、目立ったロゴもない。Y-3 SPORTのアイテムはスタイリッシュなブラックとチャコールグレーのみを用い、本格的なアスリートのための本格的なアパレルとなっている。「パリやニューヨーク、北京、上海といった大都市を歩いていると、人々が随分醜いスポーツウェアを着ていると気づきます」と山本はコレクションのインスピレーションについて話す。「安い生地に、ひどい色の組み合わせ。正しく着こなしていない。見ているのが辛くなるほどです。そこに何とか変化を、と思ったのがきっかけです。Y-3でやりたいことは、スポーツウェアをエレガントでシックなものにすること」

「Y-3は、僕のクリエイティブライフを豊かにしてくれるもの。感情や感覚はすべて服に注ぎ込んでいますから、それを感じてほしいですね」

山本とともに、ビジョンの具現化にあたったのが、Y-3のシニアデザインディレクター、ローレンス・ミッドウッド(Lawrence Midwood)だ。「ヨウジはデザインスタジオに入ってくるなり、『前に進むべきときが来た。Y-3を前進させよう』と言ったんです」とミッドウッドは当時を思い出しながら話す。「レアルマドリードのサッカーウェアをはじめ、スポーツに関係するプロジェクトにはそれまでもいくつか取り組んできたし、"Y-3で本当のスポーツウェアを作るのもありだね"なんて話してもいましたが、今回のコレクションに明確な存在意義を与えたのは、あの時のヨウジの言葉でした」

出来上がったカプセルコレクションは、現代工学とデザインを駆使した画期的な作品群となった。アイテムはどれも、これまでの作品以上にソフトで軽く、耐久性にも優れている。接着の技術を駆使してつくられた構造とシームレスなデザインによって、体の動きにより大きな自由がもたらされた。また生地には通気性に優れた素材が用いられており、着心地は抜群。激しいトレーニングに最適なアイテムばかりだ。「私たちは、着る人がどんなスポーツをやっていようと絶対にスタイルを妥協しないということを念頭において、今回の製品開発にあたりました」とミッドウッドは話す。Y-3ブランドの主軸であるハイテクスニーカーはY-3 SPORTのラインでも健在だ。限定販売となるハイトップスニーカー「Approach」には、Adidasのプライムニットが用いられているばかりでなく、足が地面と接触するたびにエネルギーを発する特別なカプセルが埋め込まれている。また、プライムニットの中敷きは路面からの衝撃を抑え、足を最大限に保護してくれる。スポーツウェアというよりもスペースウェアといったほうが良さそうな仕上がりだ。

"防護"こそ、デザイナー山本耀司の創造の鍵を握る要素だ。彼は、自らがデザインする服をこれまでもたびたび「鎧」と形容してきた−−黒く、時に着るのが難しく、しかしいつでも美しい。それは、複雑で先が読めない現代において、私たちを守ってくれる鎧なのだ。着る人を繭のように包んで守るという、山本がもつ真摯な情熱は、幼少期から絶えず燃え続けている。「このことは私がキャリアの初めから一貫して作り続けてきたものです」と山本は日本茶を一口飲む。「私の母は第二次世界大戦で夫を失った未亡人です。50年前、街にいる女性は、自分のためではなく、男性の気をひくための服を着ているように見えました。それはあるべき姿じゃないと思っていましたね。女性はもっと自立するべきだって。今でもその思いは変わりません」

「パリやニューヨーク、北京、上海といった大都市を歩いていると、人がみんなずいぶんと醜いスポーツウェアを着ているなと気づくんです。そこに何とか変化を、と思ったのがきっかけです。Y-3でやりたいことは、スポーツウェアをエレガントでシックなものにすること」

山本は東京の新宿に生まれた。2歳のとき、父が第二次大戦で戦死。洋裁店を営む母が、女手ひとつで一人息子の耀司を育てた。母のその断固たる決意、そしてみなぎる活力を垣間見た幼少期が、彼の人生を決定付けた。「いつも闘志を燃やしていました」と山本は話す。「大変だけど、その重みがあるからこそ、凡庸に甘んじまいと頑張れるんですよ」

一時期は弁護士になろうと法律の勉強に励んだこともあった山本だが、自らの心に従い、ファッションの道へと進んだ。1972年に会社を設立。その30年後、Y-3をローンチした。顧客との感覚のずれを感じた山本が、2001年秋冬コレクションのショーでシューズを借りたいとAdidasにコンタクトを取ったことがきっかけだった。「ファッションがつまらなくなっていた」と山本は当時を思い出しながら話す。「自分がストリートから乖離しすぎているという感覚がありましたね。自分の作った服を着ている人を街中で見かけることもなくなって、寂しく感じることもありました。当時、ニューヨークではビジネスマンがスーツにスニーカーをあわせて通勤するのが流行し始めていました。不思議な組み合わせがとてもチャーミングに見えて、とても影響を受けましたね」。そうした時代に応え、その後のトレンドを作り出すことになるモダンなコラボレーションが誕生した。「完全に新しく、それと同時に未来を垣間見せるようなものができたという感覚がありました」

45年間という歳月をファッションに費やしてきた山本耀司−−その間、数多くの受賞や表彰、展覧会の開催、本の出版も果たしている−−だが、彼はファッションデザイナーと呼ばれることを嫌う。「ファッションが嫌いなんです」と山本は言う。「ファッションが持つ語彙がイヤでね。"ファッション"という言葉も嫌いです。音自体、風邪を引いているみたいでしょ。ふぇぁっしょん!って。僕はファッションデザイナーじゃないんです。単に洋服を作っている人。それだけですよ」。業界における反特権階級意識と独立した経営体制こそ、彼の成功がここまで長く続いている理由のひとつだ。トレンドを追わず、メディアでの露出にも執着しない。ソーシャルメディアで話題換気を図ったこともない。誰もが新しいものを追うことに執着している現代にあっても、山本は誠実さと品格を自身の主軸として創作活動を続けている。「これまでずっと、メインストリームとは別の道を進んできた」と山本は説明する。「陰を歩いてきたわけです。これからも叫び続けますよ。"アンチファッション"、"ビジョンを持て"、"ありのままでいいんだ"、"自分の人生を生きろ"って。昔からそう叫んでいたし、今でもそう叫んでいます。現代の若者たちは息つく暇もないように見える。スマートフォンから顔を上げるべきですよね。モニター越しにいくら世界を考えてみても、何にも分からないですから」

「陰を歩いてきたわけです。これからも叫び続けますよ。"アンチファッション"、"ビジョンを持て"、"ありのままでいいんだ"、"自分の人生を生きろ"って」

人々がイメージや他人のアイデア、他人の好き嫌いに溢れ、翻弄される中、山本はこれまで以上に信念を持って我が道を行き、自身の内面にインスピレーションを求める。「インスピレーションを得るためにどこかへ足を運んだりはしません」と彼は話す。「映画も観に行かなければ美術館にも行かない。毎朝、犬の散歩で墓地を歩きはしますけどね。雨でも雪でも欠かしたことはありません」−−清々しい空気にハッピーな気持ちになったりしてね。周りにはたくさんの木があって−−それが僕の至福のとき。散歩のとき以外は孤独です。インスピレーションを得る瞬間といえば、車の運転をしているときなんかにはそういうことが起こったりしますね。なぜだかわからないけど、動きの中でアイデアが湧くことが多いですかね……」

東京とドイツのヘルツォーゲンアウラハ市に拠点を置くY-3チーム。彼らを率いてアイデアを体現させる山本は、まるで名指揮者のようだ。「ファッションは映画に似ていると思います」と彼は言う。「ファッションも映画も、グループで作るものでしょう。私が監督で、生地や裁断、縫製、アクセサリーについては、経験豊かなアシスタントがいる。プロに囲まれているわけです。次のシーズンのイメージを言葉で伝えるだけで、彼らは仕事に取りかかってくれる。斬新なカッティングや新しいシルエットを提案してくれたり−−フィッティングはいつも楽しいですね。フィッティングのときだけ、本当の幸せを感じます」

来シーズン、Y-3は、レーシングや格闘技、そしてもちろんサッカーといった競技に焦点を絞り、「さらにスポーツを意識した」コレクションになるようだ。「グラウンドで行うスポーツで考えています」と山本は話す。「どれだけ速く進めるか、どれだけ速く走れるか。どれだけ高く飛べるか」。そして2018/2019シーズンには、ヴァージングループ創設者リチャード・ブランソンによる宇宙ビジネス企業、Virgin Galactic社とともに、宇宙旅行用アパレルを販売するという。パフォーマンスウェアの限界を探る一大プロジェクトだ。機会があれば、山本もまた宇宙へ旅するのだろうか? 「私ですか? 行かないですよ。だって、煙草が吸えないでしょう!」と山本は冗談を飛ばす。

彼にとって、Y-3は極めてパーソナルな刺激となっているようだ。「私のクリエイティブライフを豊かにしてくれるものですね」と彼は説明する。「感情や感覚をすべて服に注ぎ込んでいますから。メッセージはすべて服に込められている。だから、それを感じてほしいですね」。来年は、会社設立45周年の記念すべき年となる。しかし、山本はそこに特別な意味を見出してはいないようだ。「振り返るのは好きではありません」と彼は言う。「前だけを見ていたいんです。そうでないと疲れてしまいますから」。では、デザイナーとしてこれまで成し遂げた数多くの功績の中で、際立って思い出されるものとは何なのだろう? 「成し遂げたという感覚はないですね」と彼は言い切る。「有名になったということは自覚しているけど、それは私が何かを成し遂げたからではない。周りが私を有名にしたのです。私が起こしたいのは革新。あのリズム、流れと勢い−−それが私を掻き立てるんです。やってもやっても満足できない人間なんですよ。より良いものへの探究心がモチベーションです。ライバルはいつでも探していますよ」。見つかったか? と聞くと彼はこう答えた。「まだですね」。山本耀司はすでに臨戦態勢だ。

Credits


Text Holly Shackleton
Photography Nathalie Canguilhelm
Fashion Director Alastair McKimm
Hair Cim Mahony at Lalaland Artists
Make-up Francelle
Styling assistance Lauren Davis, Sydney Rose Thomas
Hair assistance Shelby Samaria, Brian Casey
Make-up assistance Takahiro Okada, Kuma
Casting Angus Munro at AM Casting (Streeters NY)
Casting assistance Liz Goldson at AM Casting (Streeters NY)
Models Sora Choi at Wilhemina. Lily Stewart and Londone Myers at The Lions. Christian Dion at D1. Noah Metzdorf at Ford
Models wear all clothing and footwear Y-3 SPORT
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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