Photography Alasdair McLellan

Diorに至るキム・ジョーンズの軌跡

キム・ジョーンズのDior Hommeデビューコレクションはエレガントで、スポーティで、洗練されていて、そして何よりウェアラブル。アラスデア・マクレラン撮影のコレクションフォトと合わせて、キムのインタビューをお届けする。

by Ben Reardon; translated by Ai Nakayama
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07 May 2019, 2:54am

Photography Alasdair McLellan

This article originally appeared in i-D's The Superstar Issue, no. 354, Winter 2018.

Diorメンズウェア部門のアーティスティック ディレクターに就任したキム・ジョーンズは、ロンドン、ハーリーストリートの外れにある新しいオフィスで荷ほどきをしていた。 Céline時代のフィービー・ファイロがかつて拠点としたこのオフィスでロンドン暮らしを再開したキムは、この街を〈故郷〉と呼ぶ。「メンズウェアのインスピレーションを得るには、ロンドンは最高。自分の故郷であり、住み処だから」とキム。「仕事するにあたって、自分がハッピーでいるために必要なものは揃える」。彼のオフィスはまだ比較的モノが少ない。唯一キム・ジョーンズらしさが表れているのは、大きな出窓の目の前、彼のデスクの設置予定場所の左側の壁一面を埋め尽くす、Vivienne Westwoodのアーカイブシューズコレクションだ。他人のうわさ話に笑いながらダイエットコーラを飲むキムは、会議、納期、インタビューの予定調整をするべくアシスタントにメッセージを送るのも忘れない。髪をきちんと整え、BALENCIAGAのセータ ーに、Cartierのダイヤモンドブレスレットとプラチナネックレス、そしてNikeのスニーカーを合わせた彼は、清潔感があり健やかだ。世界有数のラグジュアリーブランドの頂点に立ち、多大なるプレッシャーを感じているはずだが、当の本人はリラックスし、幸せそうにみえる。

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キムのそばには、彼のDiorデビューコレクションが並べてある。今年6月のパリで、スタンディングオベーションを受け世界的にも絶賛された、かのコレクションだ。カフ ェチェアに使われる籐細のモチーフをレーザーカットで再現したコートやトートバッグ、淡いローズピンクのスーツ、Diorの最初のブティックの壁紙から着想を得た〈トワル ドゥ ジュイ〉プリントなど、キムのコレクションは、ムッシュ・ディオールの私生活にまっすぐなオマージュを捧げている。PVC素材のジャケット、パジャマスタイルのシャツ、ムッシュが愛用していた陶磁器の花柄をアップデートしたフラワーモチーフ、ミツバチ、フェザー……。コレクションを通して、軽やかさとポップな開放感が漂う。スポーティで、エレガントで、洗練され、何よりウェアラブル。まさにキムの才能が最大限に発揮されたコレクションは、インフルエンサーたちがこぞって写真を撮ってSNSに投稿することになるだろう。実はキムは、ショーの2日前、ベラ・ハディッドやキム・カ ーダシアンなどのビッグネームたちにコレクションを先行公開していた。「アトリエ側はびっくりしていたよ」とキムは明かす。「でも、いちばん大事なのは楽しむこと、そして自分のクリエイションの周りにひとつの世界、ひとつのコミュニティを築くこと。シ ョーの準備が整ってから、たくさんの人たちが訪ねてきてくれたよ。ケイト・モス、ナオミ・キャンベル、スケプタなど大勢が集まって、すごく楽しくて、いい雰囲気だった」。キムはDiorで、新しいルールを打ち出しつつある。セレブやインターネットと積極的に関わっていくという姿勢だ。彼はその輝かしいキャリアを通して、常にインターネットを〈武器〉として使ってきた。「ずっと前、まだ自分のブランドをデザインしてた頃は、常にMySpaceのトップ40ユーザーに入っていたんだよ」と彼は笑う。

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1979年9月11日、ロンドンで生まれたキムのパスポートは、世界を飛び回る動物学者デヴィッド・アッテンボローのパスポート並みに使い込まれている。水文地質学者の父に連れられ、幼い頃からエクアドル、アフリカ、カリブなど世界各地を転々とした。この幼年時代の体験が、キムのクリエイティビティの源泉だ。「インスピレーションを求めて世界中をまわっている。本よりも、人びとや場所を実際に眺めるんだ」とキム。「そうすればいつだって、自分を刺激してくれる新しいクールなモノを見つけられる。ただ、自分が実際に体験したことのほうに興味をもっているけど」。両親の離婚後、姉とブライトンで暮らしていたキム。i-Dをはじめとする、影響力の強いインディ系ファッション雑誌を教えてくれたのは姉だった。さらに、現在でも仲の良い友人であるリリー・アレンも、姉の紹介で知った。若きキムはファッション雑誌を読みふけり、雑誌のクレジットに記載されたスタイリスト、デザイナー、フォトグラファーたちの名前を懸命に記憶した。当時のi-Dでコントリビューターとして活躍していたリー・バウリー、レイチェル・オーバーン、クリストファー・ネメス、BodyMap、ジュディ・ブレイムらに、キムの心は大きく揺さぶられた。それまでのファッションの常識に疑問を突きつけた彼らの進歩的な審美眼は、現在でもキムのなかで、試金石として生き続けている。

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ブライトン時代、キムはスケートシーンにたむろするストレートエッジやポストパンク・ハードコアキッズたちとつるみ、不良少年に少々ゲイ的なスパイスを加えたような格好をしていた。Capital Eのリーバイスをはき、お気に入りは初期のUndercover、 Supreme、A Bathing Ape、Neighborhood、Good Enough。ハウス、アシッド、テクノ、ガバを好み、『猿の惑星』や『スター・ウォーズ』シリーズのグッズ、NikeやVansのヴィンテージスニーカーを集めていた。当時まったく知られていなかったクィアカルチャーに惹かれ、アマンダ・リアやドラァグパフォーマンス、カルト的人気を誇るドキュメンタリー作品『パリ、夜は眠らない。』にハマっていった。ストリートスタイル的知見、さらに社会的・文化的知見に基づくキムのファッションの知識は無尽蔵だ。さらに彼はコレクターでもあり、若い頃から希少な有名ファッションアイテムやアート作品を集めている。「アートだったら、ブルームズベリー・グループの作品はたくさん持っている。あと最近、フランシス・ベーコンの〈叫ぶ教皇〉シリーズの習作1点を手に入れたんだ」とキムは明かす。「人生でも最高の買いものだったかも」

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アズディン・アライアの全シーズンのアイテム、リー・バウリーのショーで披露されたアイテムまでもが揃うキムのコレクションは、まさに歴史的だ。「集めたものをすべて写真撮影して、いつか展覧会を開きたい」とキムは明かす。「仮面、スパンコールのレギンスなど、リー・バウリーのアイテムは本当にすばらしい。Jordanの〈Venus〉Tシャツ、レイチェル・オーバーンの卍シャツ。どれも歴史に残るアイテムで、なかなか手に入らないものばかり」。彼が美術館級の希少品コレクションを築けたのは、長年の友人である、ウエスト・ロンドンのヴィンテージショップ〈Rellik〉のスティーヴン・フィリップに負うところが大きい。スティーヴンと初めて出会ったのは、キムが16歳の頃。場所はソーホーにある「汚いバー」だったという。「彼のことは、愛を込めて〈マザー〉と呼んでいる」とキム。「彼ほどおもしろい人には会ったことがないね。大好きだ。本当におかしくって。見たこともないモノをみせてくれるんだ。リサーチの才能が抜群で自分の趣味もわかってくれてるし、いつも僕を驚かせようとしてくれる」

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そしてロンドンとブライトンを行き来するようになったキムは、クラブカルチャーへ傾倒していく。〈Kinky Gerlinky〉〈Popstarz〉〈Trade〉などのクラブで朝まで踊り明かす。その後、キャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツに入学し、写真とグラフィックを学んだ。在学中、セントラル・セント・マーチンズの学生たちとつるんでいるうちに、同校の現MA(大学院)ファッション科のディレクター、ファビオ・ピラスの目に留まる。ファビオはキムを高く評価し、同校MAメンズウェア・ファッションコースへの入学試験の受験を勧める。デザイン経験のみならずパターンの引きかたの知識もなかった彼だが、ポートフォリオをつくりあげると、圧倒的なクオリティで周囲を驚かせ、ファッションデザインの道を歩み始めることになった。2015年に急逝した同校の名物教授、ルイーズ・ウィルソンのもとで学んだ彼は、2002年にロンドンのファッシ ョン界でデビュー。奇抜なファッションで有名な同校の卒業コレクションショーで、キムはサウスバンクの若者たちをそのまま連れてきたかのようなデイリーユースアイテムのコレクションを披露し、観客のリアクションは、当惑と熱狂で見事に二分された。「誰かがルイーズに『キム・ジョーンズはよくわからない、シンプルすぎる』って言ったんだ。そしたらルイーズが、『シンプルすぎるっていうならあなたがやってみなさいよ』ってきっぱり返したんだよ」

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キムの卒業コレクションは、大胆で、峻厳で、純粋で、自信に満ちたメンズウェアのステートメントだった。ハウス経由でパンクを賛美し、美しいジーンズ、パウダーピンクのブルゾンジャケット、ロン・ハーディがプレイしたシカゴの伝説的なゲイクラブの名前から取った〈Edge of the Looking Glass〉のプリントTシャツ。それにバンダナとVansのスニーカーを合わせたスタイルは、ぱっと見だと実に気楽で、手が届きそうで、魅力的で、エフォートレスな印象だが、実は、すべてのアイテムがサブカルチ ャーの網羅的な知識に基づいてデザインされていた。のちに彼の代名詞となる特徴が、最初のコレクションにすべて盛り込まれていたのだ。

彼の生み出すアイテムは、常に一般受けし、クールで、クリエイティブで、蒐集対象としても価値が高い。「卒業コレクションでは、大半の生地を自分で作ったんだ。見た目はシンプルでも、実は一点ずつかなり手間をかけて仕上げたんだ」。このコレクションアイテムの大半を購入したのは、ジョン・ガリアーノだ。そのなかには、キムが気に入っていたジャケットも含まれる。本当は手元に置いておき、自分で着ようと考えていたらしい。「正直なところ、ちょっと残念だった」とキムは打ち明ける。

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それと同時期、キムはロンドンのオールドストリートの、マイケル・コペルマン率いるGimme 5でデザイナーとして働いていた。ストリートウェアのパイオニアでGimme 5の創業者コペルマンは、Stüssy、A Bathing Ape、Neighbourhood、Visvim、 WTaps、Supremeなど著名なブランドのディストリビューターとして長年活躍しており、インターネットもSNSもDover Street Marketもない時代にアートとビジネス双方の才能を発揮。まさに先見の明を備えたリテールの神だ。そんな彼がキムのデザインの才能を見出し、彼を育成した。コペルマンとの関係は、キムにとっても重要だ。「マイケルにはいろんなことを教えてもらった。彼はデザイナーではないけれど、自分のデザインプロセスに間違いなく影響を与えてくれた人物」とキムは証言する。「若い頃、僕はマイケルを通して、藤原ヒロシ、高橋盾、NIGOに出会った。彼らは確かな知識に基づき、これまでにない服を生み出していた。彼らの思考プロセス、使用するハードウェア、細かい技術などすべてが、昔の自分にとってすごく大事だったし、それは今も変わってない」。そしてキム・ジョーンズのキャリアに多大なる影響を与えたもうひとりの大物といえば、リー・アレキサンダー・マックイーンだ。出会いはセント・マーチンズ。「当時、僕は『The Sun』紙をパターンペーパーとして使ってたんだ。 20ページもあって安かったし。それに通学時、地下鉄のなかで読むにもぴったりだった。リーはそんな僕をおもしろがって、彼のもとでしばらく働くことになったんだ。すばらしいデザイナーで、彼のもとでいろんなことを学んだ。彼の演出力や美しいものを生み出す力は、自分のなかに生き続けている。僕たちはすごく仲が良くて、彼は本当にたくさんのことを教えてくれた。とりとめのない話題ばかり何時間も話したり。リーも僕も動物が大好きだったりして。本当に気が合ってた。笑いのセンスが似てたし」

2000年代前半、ロンドンの中心はホクストン・スクエアだった。マックイーンのスタジオや、キムのPRを担当していたマンディ・レナードのオフィスもその場所に構えられていた。当時の業界を率いていたのは『The Face』『Dazed』『Sleazenation』、そしてi-Dなどのファッション誌。そしてキムは『The Face』が選ぶファッション界における重要人物トップ100の20位にランクインした。ルイーズ、マンディなど多くの人びとの協力を得ながら、ファッション界から一目置かれる存在となり自信をつけたキムは、自らの名を冠したブランドを始める。ちょうど、ルル・ケネディが若手デザイナーのためのプラットフォーム〈Fashion East〉のメンズウェア部門〈MAN〉を立ち上げたばかりで、その支援デザイナーとしてキムが選出された。早くからテクノロジーを積極的に取り入れていた彼は、10分の短編映像というかたちで自らの新ブランドを披露した。彼の世界にファッションエディターたちも夢中になり、『Arena Homme +』やi-Dなどのファッション誌におけるエディトリアルのスタイリングも手がけた。彼がタッグを組むことが多かったのは、気鋭のフォトグラファー、アラスデア・マクレラン。「雑誌や出版に関わるのは好きだね。歴史的資料として未来に残るものだから」

キムはこれまで、様々なブランドで働いてきた。英国の老舗スポーツブランドUmbroのデザイナー、英国のラグジュアリーブランドdunhillのクリエイティブディレクター、その後はLVMHに移籍し、スタイル ディレクターとしてLouis Vuittonのメンズウェア部門を手がけ、絶賛された。Louis Vuittonでの経験は、キムにとっても夢のような時間だったという。Jake & Dinos Chapman(チャップマン・ブラザーズ)やクリストファー・ネメスとのコラボ、さらにジェームス・ジェビアとともに、ファッション史上最大の大旋風を巻き起こしたSupremeとのコラボを実現した。このコラボは、アイテムの種類の面でも、話題性の面でも、世界的な売り上げの面でもいまだに業界史上最大規模を誇っている。キムは現代における〈ラグジュアリー〉の意味を文字どおり押し広げ、それによりシェイン・オリヴァー、カニエ・ウェスト、ヴァージル・アブローなどの新進デザイナーが輝く土壌をつくったのだ。

彼のディレクションのもとで、Louis Vuittonのメンズウェア部門は収益を4倍にも伸ばしたとされている。しかし7年ものあいだLouis Vuittonのトップにいたキムは、新たな挑戦を求めていた。様々なブランドからのオファーがあったが、最終的にLVMH傘下のDiorと契約を交わす。彼が描くDiorらしい男性像とは、創業者のム ッシュ・ディオールその人がつくり上げたスタイルが、DNAに染み込んでいる男性だ。「インスピレーションはDiorのアーカイブから、それを今に合う形にデザインした」。そしてキムは、Dior Hommeの前任デザイナーたちではなく、さらに歴史を掘り下げ、 Diorというブランドのスタイルを3つのセクションに分けた。〈クリスチャン・ディオール〉〈イヴ・サンローラン〉〈ジョン・ガリアーノ〉だ。

「この3人は、自分にもっともインスピレーションを与えてくれたデザイナーたち」とキム。「エディ・スリマンやクリス・ヴァン・アッシュに最大限の敬意を払いつつ、本当の始まりまで遡ろうと思った。誰かが再解釈したDiorではなく、オリジナルのDiorを理解したかったから。そうじゃないと混乱してしまう。現在の市場で失われているものは何か、それを見極めるんだ」。2019年春夏コレクションの準備期間の半分を過ぎてから始動したキムは、直観に従わざるを得なかった。「ショーの時期に間に合わせるためには、着任3日目にはもうデザインを完成させている必要があった」。そして着任5日目、シーズンの目玉となるバッグの案が出た。メンズライン初のサドルバッグだ。「これまでDiorメンズウェアでは、レザーグッズがあまりなかったのでとにかく自分が好きなモノを参考にし、様々な時代のアイテムを再解釈し、それらをすべてひとつのコレクションに盛り込んだ。レザージャケットやバックパックに、ホルスターやウエストバッグを付けるって良いかも、と。個人的にサドルバッグは好きでよく使っていて、結構みんなに褒められるんだよ。売れ行きが楽しみだね」

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2014年の傑作ドキュメンタリー映画『ディオールと私』で描かれていたように、 Diorのアトリエは業界最高峰だ。Diorのお針子たちが針と糸を操れば、つくれないものなど何もない。「彼らは経験豊富で、素晴らしいものをもたらしてくれる」とキムも証言する。「彼らとは常にコミュニケーションを取っている。彼らの目に映るのはまさに〈夢〉。どんな挑戦も恐れないし、どんな困難にも解決策を見つけてくれる。デザイナーとして、こんなすばらしい仕事環境はないね。Diorのチームはまるで家族のようで、マリア・グラツィア・キウリ(ウィメンズウェア部門のアーティスティック ディレクター)や、ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌ(ファイン ジュエリー部門のアーティスティック ディレクター)ともよく話すよ。アイデアを共有し、ああでもないこうでもないと話し合うのが好きなんだ。Diorは、揺るぎなくDior。ファッションブランドの頂点に立つブランドだ」

Diorデビューコレクションのショー会場でも、キムはムッシュ・ディオールにオマージ ュを捧げようと計画しており、それに花を使うと決めていた。2018年2月から6月にかけて、英国の緑豊かな田園地方にあるヨークシャー・スカルプチャー・パークで、アーティストKAWSの英国初の美術館展が開催された。そこで展示されていた、ミ ッキーマウスにインスパイアされたKAWSの定番キャラクター〈BFF〉の高さ約10メートルの巨大フィギュアがキムのひらめきにつながった。「ずっとKAWSのファンだったんだ」とキム。「そんな尊敬するアーティストに、コラボの話を持ちかけた。彼と話していたら、KAWSのBFFをムッシュ・ディオールに変身させて、ムッシュの愛犬ボビーを抱かせよう、っていうアイデアが出て。そうして生まれたんだ」。KAWSとのコラボレーションは会場の真ん中のフィギュアだけではなく、アクセサリー、デニム、ニットウェア、限定品のテディベアにも展開。「Baby Diorが大好きなんだ。だからテディベアは良いアイデアだと思ったし、Diorのストーリーを融合するのにもふさわしいアイテムだと思ったんだ」

キムがDiorデビューを果たすその日、パリはうだるような暑さだった。会場であるパリ4区のフランス共和国親衛隊兵舎前の道路には人があふれていた。かつて、キムがi-Dでその名を暗記していた人びとは今や友人として、キムをサポートするためにシ ョー会場に姿を現している。マイケル・コスティフ、ハニー・ディジョン、アンドレ・ウォーカーなどのレジェンドたちが、エイサップ・ロッキー、ルカ・グァダニーノ、ジョー・ジョナス、ヴィクトリアとブルックリンのベッカム親子など、比較的新しい友人たちと同じベンチに並んでいるさまは壮観だ。しかし、「フロントロウにいるのは大好きな友人たち」とキムは何てことないかのように答える。ディプロがDJブースへと入ると、観客のざわめきが静まっていく。UNDERWORLDの「Born Slippy」が大音量でスピーカーから鳴り始めると、ファーストルックが登場した。モデルはデンマークのニコライ王子。「シ ョーのファーストルックにデンマークの王子を起用するなんて夢のようだよ。僕には半分デンマークの血が流れているんだ。だから名前が〈キム〉なんだ」と彼は笑う。

シ ョーはあっという間に終わり、観客は喝采した。ショーのフィナーレで挨拶に出てきたキムは、会場を走って一周すると、彼の仲間でDiorのジュエリーデザイナーを務めるAMBUSH ®のYOONの手をとって、バックステージへ消えていった。友人、家族、エディター、セレブたちがこぞってキムのもとへ駆け寄り、見事な仕事ぶりを称えた。ロバート・バティンソン、THE XX、村上隆、『ル・ポールのドラァグ・レース』に出演したデトックスなどの大物たちが、ランウェイからそのまま出てきたDiorモノグラムのフルルックを身にまとい、お祝いを述べるために並んで待っていた。私たちも列に並び、キスと抱擁でキムを祝した。「夢にも思ってなかったことが現実になった」とキム。「ときどき、いまの状況についてふと考えるんです。今、自分は何をしてるんだ?って。世界有数のブランドを率いているなんて。本当、信じられない」

Credits


Photography Alasdair McLellan
Styling Ben Reardon

Grooming Mike Harding at D&V using R+CO. Photography Assistance Simon Mackinlay and Peter Smith. Models Finley Richards, Rafferty Richards. Special Thanks to Adrian, Jodie and Ava Richards.

Models wear all clothing and accessories Dior spring/summer 19

This article originally appeared on i-D UK.

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