『Ryuichi Sakamoto: CODA』坂本龍一 インタビュー

世界的音楽家、坂本龍一。2012年から5年間にわたる本人への密着取材を収めた劇場版初のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が現在全国で公開されている。i-Dは音楽ライターの柳樂光隆を迎えインタビューを敢行。坂本が、ポリフォニーの魅力やタルコフスキーの映画音楽、「バッハ=琵琶法師」論、そして人間が抱える矛盾について語る。

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nov 21 2017, 8:41am

——坂本さんは映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』の中でピアノの話をかなりされています。津波に流されたピアノが出てきたり、実際にピアノを演奏しているシーンもある。そこで、いわゆるピアノが持っているイメージとか可能性とか、可能性を狭めているものとか、いろいろ語られていると思うんですけど、割とネガティブにピアノのことを語っているところが多くて、そこが面白いなと思ったんです。ご自身とピアノの距離みたいなものはどう感じているんですか?

自分にとっては一番近い楽器で、人生の中でも一番長く付き合っているし、今でも毎日弾いていますし、身近であることは変わらないんですけど、そのネガティブな部分というのは、思い出すと、最近始まった話ではないんです。18,19歳の大学に入るころにはピアノという近代的な楽器に対する疑いはもう持っていました。今、あなたの話を聞いて思い出したことなんですけど、ピアノという実際の楽器に対してのネガティブな考えというよりは、ピアノが象徴している近代的な音楽の体系やシステムに対してですね。それに対する疑いというか、反発というか、物足りなさというか、そういうものは感じてました。今になってはっきり思い出すんですけれど、大学に入ったときに、88鍵をいっぺんに押さえて不協和音を出しても、大して不協和音に聴こえないと思ったんですね。すでにその当時から不協和音に聞こえなかった。12音技法だ、セリー(主義)だ、ミニマリズムだと言って、現代音楽では、新しい技法や新しい表現を追及したりするわけですけど、使える音を全部同時に押さえても大したことないんだったら、それ以上何も追及できないじゃんと思って、音楽の可能性としては、こっちの方向性はもうないなと思いました、その頃。

——なるほど。

そういうところから決別するために、民族音楽に強く興味を持ったり、それから当時ですと、クセナキスがいち早くやっていたコンピューターによる作曲などに興味を持ったんです。それはコンピューターが新しい道具だからというわけではなく、それまで長くベースになっていた音楽のさまざまな文法ですよね、和音だとか、リズムだとか、小節だとか、形式とか、それらをすべてをやめて、全く新しい考え方で音楽を作るというコンピューターの使い方に強く興味をもったんです。それでクセナキスをアシストしていたことのある高橋悠治さんに会いに行ったり。それが大学に入ったころなんですよ。だから今、そこに戻っちゃった感じがします。3月に『async』を出したときにもインタビューなどで話していると、どうも『async』を作りながらその頃の自分に戻った感じがあって、何も進歩してないじゃないかと。その一方で、45年くらいかけて1周したという感覚も両方あるんですけど、それを今思い出しました。ピアノはそういうことの象徴ということですね。

©2017 SKMTDOC, LLC

——ピアノが象徴するものへの反発は昔からありながらも、昔からバッハがお好きですよね。しかも、ある時期からの坂本さんはもう一度バッハに戻っているみたいな部分もあるじゃないですか。バッハってむしろさっきから仰っているピアノ的な音楽家ですよね。その相反する部分が『CODA』には両方出ていて、そこがすごく面白かったです。

そう思います。ひとつにはまとまらない。いつも引き裂かれているものでしょ、人間っていうのは。

——『CODA』を見ていると同時に引き裂かれている部分もあるし、前はこうだったけど、今は反対のことを考えているっていうのとか、いろんなものが映像に入ってますよね。

矛盾してるから、面白いというか、矛盾していることはとりつくろわない方がいいと思います。だから、矛盾点を突かれたりしますよね。でも、矛盾点を批判したり、突くのはね、割と簡単なんですよ、人は矛盾だらけなんですから。愛と言いながら戦ったり、神と言いながら人殺しをしたり、みんなしているんです、それが人間の歴史でしょ。自然が好きとか言いながら人工的な生活をしている。これは自分もそうだしね。ピアノが嫌いだとか言いながら、毎日弾いてるわけです(笑)。

——ピアノに対して否定的なことを言えば言うほど、この人はピアノが好きなんだなってわかるっていうのもこの映画のいいところのひとつですよね(笑)。

そうかもしれない。

——さっきも民族音楽のことを仰ってましたけど、ある時期には沖縄だったり、アフリカだったり、ブラジルだったり、いろいろやられてましたけど、そこから今はかなりバッハにはまってますよね。そのバッハの音楽を語る部分って映画の中でも重要なところかなって思ったんです。昔からお好きだったバッハの音楽にまた戻ってきた理由ってあるんですか。

特にないんです。自分ではわからないですよ、戻ったって感覚もないですし。バッハはずっと好きなんで、アメリカにおけるカントリー&ウエスタンみたいなものかもしれない。カントリー&ウエスタンが好きで聴いてる層って、変わらずずーっと何千万人かいるわけですよね。ヒップホップが流行ると陰に隠れちゃうけど、なにもトレンドがないと上に出てくる。僕にとってのバッハはアメリカ人にとってのカントリー&ウエスタンかな。ずっと自分の中に同じようにある気がします。

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——『async』って「同期しない」「非同期」っていう意味で、それがそのままコンセプトとしてありました。最初は、それってリズムがずれてる、もしくはリズムをずらしてるって意味なのかなって思ったんですけど、一方で、ポリフォニー的な考え方があるんじゃないかなと思ったんですが、どうですか?

ポリフォニーもズレですよね。ポリフォニーというと、対位法ですね。ソプラノとアルトの二人が歌ってますっていうようなことを、最初に習ったのは小学校の5年なんだけど、そのときに面白いなって思ったのは、上のラインが上がったら、下のラインは下がれっていうんですよ、先生が。上がシ・ドっていったら、下はファ・ミと下がれって。反行しろって、それが基本だって怖い作曲の先生が言うんです。11歳の子どもだったんだけど、それがいまだに印象に残っていますね。ポリフォニーって面白いんですよね。

——ポリフォニーや対位法と言ったら、代表的なのはバッハですよね。主従関係のない複数のラインが同時に走っている音楽っていう意味では、民族音楽とも通じる部分もありますよね。で、そのいろんな平等なものが同時に走っているっていうのはすごく民主的っていうか。

そうですね。

——リベラルっていうか。

そういう部分もありますね。

——ポリフォニーが持つそんな部分に惹かれたのもあるのかなって思ったんですけど、それはどうですか?

そこまで社会的、観念的にバッハに惹かれるということではありません。もちろん、そういう部分にも惹かれますよ。でも、そういう観念的な解釈ではなく、音楽として好きなんですよ。ものすごく尊敬しているし、毎日弾きたくなっちゃうくらい好きなんです。とはいえ、よく考えればそういう部分は当然あります。バッハって、今だと音楽の父みたいに言われてますけど、実はバッハが生きていた時代というのは、宗教戦争や宗教改革からそんなに経っていないんです。中世の永い間、聖書というのはラテン語が読める人しか接することができなかったのが、マルティン・ルターの改革があって、それはヨーロッパにおける大変革ですよ、10世紀に一度の変革ですね。それでドイツ語で聖書を読めるようになったんです。だから、バッハだけではないですけど、バッハもドイツ語で聖書を扱った合唱曲をたくさん書いて、民衆がそれを聴き聖書の内容に接したんです。だからすごい革命的な音楽です。ジョン・レノンみたいな感じかな。ドイツ語で教会で歌われる音楽を書くっていうこと自体が革命的なことだったわけですから。例えば、フランスやイタリアでは現代でも教会ではラテン語で歌っています。聖書の内容はフランス語やイタリア語では歌っていないんです。ドイツ語でやるっていう事はそのくらい大変なことなんです。しかも、バッハは民衆の音楽、いわゆる民謡を使ったりもしている。そこに聖書の言葉を乗せて合唱曲にしている。そうやって、民衆にわかりやすくしているという意味では、ポップソングでもあるんですね--と、これは今、思い付きで言っていて、以前に考えたことはなかったんだけれど、バッハってそうだったんじゃないかな。間違ってたら誰か教えてほしいんですけど、そういう気がしますね。

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——それすごく面白いですね。

あとね、ポリフォニーと言えば、バッハというんですけど、バッハの時代にああいう音楽を書くのはかなり時代遅れだったんですよ、時代は対位法から和声音楽の方に変わりつつあって、あの時代の人たちの多くはバッハの音楽を古臭いやり方で書いているヘンなおじさんだと思っていたようなんです、どうやら。それも面白いなって思ってます。

——そのイメージはないですね。

ないでしょ。

——最先端って印象があります。

結構レトロな人だったんです、音楽的にはね。

——ポップソングだったかもしれないっていうのは何となくわかりますね。バッハが書いてるコラールでも同じメロディーが何度も出てくるんだけど、それぞれ違うフィーリングで歌わせていたり。言われていれば、ポップな感覚がありますね。

他に、同じメロディーに、ちょっとコードが変わっていて、歌詞も変わっている曲がたくさんある。それもポップソングっぽいでしょ。つまり、バージョン違いみたいな曲がたくさんあるんです。民衆が聴いてもわかる言葉で宗教的内容を音楽で伝えるっていうのは正に琵琶法師ですね。鎌倉時代に仏教が民衆の方に降りていったでしょ。それまでは貴族とか偉い人だけがお寺の難しい話を聞いていたんだけど、鎌倉時代になって日本全国に広がったのはああいう琵琶法師みたいな人が仏教の内容を旅しながら音楽を通して伝えて歩くっていうことで広まったんです。バッハはそれに近いなって。

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——『CODA』を見て、坂本さんがやりたいこととバッハがやったことを照らし合わせて見てみると面白いんじゃないかなって思ったんですよ。ポリフォニーとか対位法にしても、たとえば、タルコフスキーの映画における映像と音楽の関係も、映像に音が付いてるんじゃなくて、全てが等価で流れているポリフォニー的な瞬間があったりしますよね。坂本さんが映像的に音楽を作っている話をしてましたけど、『async』を聴いてみると、音のラインがいくつか同時に流れてるんだけど、そこに映像的なラインも同時に流れているようなイメージで作ったのかなって思えたりするんですよ。

その通りって言ったら変ですけど、タルコフスキーがすごいなって思うのは、本人も自覚的で、著書にもはっきり書いてあるんですけど、音楽を作るように映画を作っているし、撮っている。すごく音楽的だなと思うんです、いろんなことが。例えば、向こうから男の人が歩いてくる、サーっと風が吹いて、草がなびいて、近くの木の枝がばさばさばさと鳴る。それは音のつながりが音楽的というのではなく、映像の運動というんですかね、ある時間の中の運動の重なりというか、そのポリフォニーがとても音楽的だなと思います。僕はタルコフスキーはバッハから、音楽から学んでいると思うんです。音楽と重なりながら、音楽を作るようにイメージしながらタルコフスキーの作品を見ると、そのような音楽的な映像というのは随所にある。そういう風に作りたかったんじゃないかなと思うんです。

——タルコフスキーと言えば、彼が先にバッハのいい曲を使ってるのが、すごく悔しかったっておっしゃってるのがすごく面白くて。

そうそう。いい曲をチョイスしているんです、さすがに。やられたって感じです。『async』をこれから作り始めようと、8ヶ月くらいポンっと時間をとって、始めようとしたんですけど、とりあえず事前に考えていたスケッチや、コンセプトのメモなんかは全部捨てて、ほんとのゼロから作ろうと思い立ったんです。でも、何も出てこないわけ。どうしたらいいんだろと、ずいぶん何日もぼーっとして、何から始めようかなって。そこで最初にやったのは、とりあえず自分が好きなバッハの曲を編曲しようと。5曲くらい編曲したんです、シンセサイザーで。タルコフスキーの『ソラリス』で使われていたバッハの曲がシンセサイザーで編曲されているでしょ、全くそっくりではないんだけど、ああいう気持ちでアナログシンセでバッハの曲をやってみたわけ。それがすごく良くて。ソロアルバムだけど、これでもういいじゃんみたいな(笑)。でも、それだとカヴァーアルバムだよね、ちょっと悔しいよな、みたいな感じで。じゃあ、仕方ないから、そういう曲を自分で作ろうと。それで、作り始めたという感じ。だから、一回自分でバッハのカヴァーをやってみて、その感じで作いったようなところがあります。

——「自分が聴きたいものを作った」みたいなことをいろんな場所で仰ってたじゃないですか。ほんとにそれだったんですね。

そうですよね。ほんとにそう。バッハの編曲と同時に聴きたい音のことを考えたりしてました。自分はどういう音が好きかなって考えたり、探したりするわけです。僕は雨の音が大好きなんです。雨が降ると必ず窓を開けて録音します。同じ雨でも毎回違うんです。毎回違うし、一分経てば音も変わってくるし、風が吹いても変わるし、どこで録っているかで変わる。同じ雨でも家の中で録っているのと、庭で録るのも違う。それに結局、雨の音っていうけど、雨の音は聞こえないんですよ、僕らには。空気中を水が通過しているわけだから、それは聴いていない。雨が何かに当たっている音を聴いているわけでしょ。だから、雨がどこに当たるかで全く音は変わるわけ。土に当たれば土の音がするし、硬いものに当たれば硬い音がするし、全く違います。しかも、自然現象だからどんどん変化する。水の量も変化するし、風によっても変化するし、非常に複雑なんです。人間はザーザーとかぴちゃぴちゃとか簡単に言っているけど。よく聴くと本当に複雑で、だから、雨が降ると毎回録音しちゃいます。

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——映画でも雨を録ってましたよね。と考えるとNYで録れば、人工的なものにぶつかっているし、自然ではなくて都市の音ってことですよね。

自然ではないですね。もちろん林の中に行けば、それは自然の音なんだけど、100%自然ではないですよね、しかもそれをデジタルで録音しデジタル再生しているわけだから。

——自然の話とテクノロジーの話も映画の中に出てくるんですけど、それもアンビバレンツで。

もちろん。

——そこの矛盾も面白かったです。YMOのころにシンセの話をしているところと、今、アナログシンセを触っているところとでは機械に対する考え方も全く違ったりして。

あれは面白いと思いますね。今、自分で見ても。あれって1980年とかそのくらいなんですよね、オリジナルの『ブレードランナー』のころですね。それなりにディストピア的な未来へのイメージをすでに持っていたはずなのに、まだ自分はあんなにテクノロジーをナイーブに信じているというのは、自分でも面白いなって。

——意外に素直で。

ですね。

——昔の坂本さんって、もっとシニカルなのかと思ってましたけど。

でも、あれは『ブレードランナー』にものすごくはまってた頃ですよ。それでもあんなものだったんですね。

——その後にはテクノロジーの進化の中のひずみみたいなことを話していたり、同じような時期でもいろんな矛盾した考えが頭の中にあったんだなって思いましたよ。

あの頃よく言ってたのが、尺八でちゃんと音を出そうと思ったら3年もかかる。まともに一音を出すだけで3年かかるっていうんです。まともに吹けるようになるには10年とか、あるいは一生かかるかもしれない。そんなことやってられないと。だったら、シンセサイザーで尺八っぽい音を出せばいいじゃんって。当時は、そうやってシンセサイザーを使っていたんだけど、そこで矛盾しているのは、一つにはテクノロジーっていうのは使えばいいじゃないって思ってるんだけど、もう一方でテクノロジーをあまり信じていない。やっぱり尺八が本物なんだと自分でも分かっているわけ。そういう矛盾というのは今も変わらないかな。ぼくたちはテクノロジーとか、現代文明の中でしか生きられないことははっきりしているわけですよね、それ以外の選択は難しい。だからと言ってテクノロジーを礼賛し、信じているかというとそうでもない。みんなそうじゃないかな、多かれ少なかれ。

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——なるほど。では、最後に「戦場のメリークリスマス」の話をしたいんです。映画でも「Merry Christmas, Mr. Lawrence」は印象的に出てきていて、大島渚監督が撮った映画そのもののエピソードも含めて『CODA』の中で重要だなって思ったんです。

はい。

——それにかこつけての質問なんですけど、僕はあの曲ってすごく坂本龍一的な曲だなって思ってるんです。それって長調と短調が混ざっているところなんです。最近フランク・オーシャンを聴いてて、彼の音楽って、今まで僕らがイメージしていたような白人的なフォークソングだったりポップミュージックだったり、黒人的なブラックミュージックだったりの感じが両方入っているというよりは、最初からその中間というか、さらに言うと中間っていうよりは混ざりものではなくて元々そういうものとして最初からあったものみたいな気になるんです。すごく曖昧なちょうど間みたいなものを完璧に生み出したところの新しさかなって思ったんですよ。そのときに頭に浮かんだのが「戦場のメリークリスマス」だったんです。坂本さんって、混ぜるとか組み合わせるとかもやられてますけど、一方で、かなり原理的な最小単位に近いところまで戻ってちょうど間にある曖昧な何かみたいなものを作ってきた人でもあると思うんです。しかも、普通に聴いてたら何の違和感もないし、そんな変な曲だって気づかれないようなやり方で。それの象徴的な曲が「戦場のメリークリスマス」なのかなって思ったんです。

そんなに考えて作っているわけではないけどね(笑)。

——でも、自分で作ってて混ざってるのはわかるし、違和感もわかってるわけですよね。

そういう違和感は子どものころから好きだったんですよ。むしろそっちの方が好きだった。結局、和音のことが少しわかるから、5度から1度って、ソ・シ・レからド・ミ・ソに行く、つまり属和音から主和音に行って、ハイ終わりですって言うような音楽は嫌いなんですよ。子どものころから嫌いで、むしろはっきりしないもの、ドビュッシーなんかは典型ですけど、ソ・シ・レが出てこないもの、その前身はショパンなどにもあるんですけど、はっきりしないものが出てくるそういう部分が特に好きだったりするのね。まだ音楽理論のことなんかはわからないで、適当に弾いているときにここのつながりが面白いなと思うと、そういうものだったりするんです。理論がわかってからは、調性とかがはっきりしないものなんだということがわかりましたけど、当時は、なんだろこれ、って思ってましたね。そういうのができるとうれしくなっちゃう。それは昔からそうです。

——「戦場のメリークリスマス」はそういうことを考えながら書いたんですか。

でも、あの時点では自分の中では当たり前っていうか。

——さらっと自然に出てくるものなんですね。

そうですね。そういう曲です。


Ryuichi Sakamoto: CODA
11月4日(土)角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
出演:坂本龍一
監督:スティーブン・ノムラ・シブル

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