Still from Pussy Is God

キング・プリンセスと紐解く、レズビアンカルチャーの密やかな歴史

限られた者しか入れないクィアの空間における恋愛を、新世代に提示するキング・プリンセス。彼女の書く歌詞やMVに散りばめられた無数のヒントから、レズビアン文化の秘められた歴史に迫る。

by Brian O'Flynn; translated by Ai Nakayama
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17 april 2019, 7:08am

Still from Pussy Is God

1981年に刊行された小冊子『New York in 1979』のなかで、カルト作家のキャシー・アッカーはこう述べている。「レズビアンとは、男のやりかたよりも自分自身のやりかたを好む女のこと。(中略)レズビアンは世界の深部に在りながらこの世界からはかけ離れた小世界を創りあげてきた」。当時、アッカー自身はレズビアンと自称せず、〈倒錯(perverse)〉という単語を使っていた。今でいう〈クィア〉に近いニュアンスだろう。そのようにレズビアンカルチャーの周縁にいた彼女は、レズビアンによるレズビアンのための美しいサブカルチャーを冷静に眺めていた。

排他的で、秘密の世界。これこそが20世紀におけるクィアの恋愛だ。20世紀なかごろの米国で、どうしても自分たちの関係を隠す必要があった同性カップルたちは、サインや特別な知識を介した、愛を伝えるための言語(それが密やかなものになるのは必然だった)を習得していった。

たとえば1970年代のニューヨークでは、ゲイの男性コミュニティにおいてハンカチを用いたサインが登場。ゲイの男性たちは、公共の場で特定の色のバンダナをまとい、自分の性的嗜好を表していた。こうして彼らは異性愛者の目をかいくぐり、密かにメッセージをやりとりしていたのだ。英国でゲイ男性たちの秘密のサインが使用されていたのは20世紀前半、同性愛が合法化される1960年代以前のこと。サインのおかげで、ゲイ男性は異性愛的な世間の目に触れることなく恋愛ができた。

レズビアンカルチャーにも同じような秘密の言語がある。ただし、ゲイカルチャーほどあけすけではなく、記録も少ない。1965年、同性愛に強い嫌悪感を抱いていたジャーナリスト、ジェス・スターン(Jess Stearn)は『The Grapevine: A Report on the Secret World of the Lesbian』という著書を上梓。同書には「独自の秘められたサインで、長く無秩序に伸びたブドウのつる」に加担している当時のレズビアンたちの姿、そして彼女たちの「まるでレーダーのようなコミュニケーション」が記録されている。彼の分析は炎上狙いで悪意があるものの、クィアの生きかた・恋愛については事実を述べていた。スターンの軽蔑的なコメントからも、ニューヨークにおけるキャシー・アッカーの愛のある観察からも、不思議なことに同じ結論を導き出せる。レズビアンの秘密の世界は、実在するということだ。

そのレズビアンの世界の深部を私たちに見せてくれるのが、キング・プリンセスのMVだ。都会のなかの孤独感、20世紀半ばのレズビアンカルチャーへの巧みな目配せを表現したビジュアルで、キング・プリンセスは米国の同性愛者解放以前の時代を再現する。彼女は限られた者しか入れないクィアの世界での恋愛を、当時に比べればオープンではありながら、隠すのが当然だった歴史から脱却できてはいない、新世代のクィアたちに提示しているのだ。

キング・プリンセスはレズビアン文学を元ネタにして、〈ラベンダー色の脅威(Lavender Scare)〉の時代へと聴く者をいざなう。〈ラベンダー色の脅威〉とはアイゼンハワー政権による同性愛者の取り締まりのことで、当時、同性愛は秘匿するほかなかった。キング・プリンセスはパトリシア・ハイスミスの『The Price of Salt』(のちに映画『キャロル』の原作となった小説)にインスパイアされ「1950」を書いたという。この曲で彼女は、共通の記憶のなかにあるプライベートな空間に、彼女自身と彼女のファンであるクィアたちと閉じこもりたい、という願望を明確に述べている。

「1950年代のレズビアンは、ゲイ男性同様、自らの生活を隠し通すしかありませんでした」と説明するのは作家のロビン・タリー(Robin Talley)。1955年を舞台にしたレズビアン恋愛小説『Pulp』の著者だ。「大都市ではレズビアンのコミュニティが形成されていました。メンバーはクローゼットのレズビアンやバイセクシュアルの女性たち。彼女たちは主に、同性愛者に好意的な経営者がいるバーに集まっていました。しかし、米国の大半の州ではLGBTの人びとへのアルコール提供が違法と定められていたため、そういった店には警察の強制捜査が頻繁にあり、営業許可が剥奪される恐れもあったんです。また当時は〈ラベンダー色の脅威〉の最盛期でもあり、米国政府はゲイ、レズビアン、バイセクシュアルの政府職員を見つけてクビにすることに精魂を傾けていました。連邦政府は当時、国内最多の職員を抱えていましたから」

「1950年ごっこをするのが大好き」とささやくように歌うキング・プリンセス。一聴すると、彼女が歌っているのは、郊外の一軒家で、愛する女性と子どもたちに囲まれる夢のような日々、すなわち、50年代に米国で理想とされた核家族を覆した姿なのでは、と感じる。しかし、彼女がここで本当に伝えたいのは、〈私たちだけの秘密の世界で遊ぶのが大好き〉ということ。つまり、これはもっとラディカルなメッセージなのだ。クィアの女性たちが残虐な暴力からわが身を守るためにひたすら本来の姿を隠し通すしかなかった時代に彼女が憧れている、と考えるとショッキングだが、もちろん彼女が望んでいるのは抑圧の時代に戻ることではない。彼女は単純に、濃密なプライバシー、排他的な空間、そしてクィアの愛がベッドルームの閉じたドアの向こうで、または公共の場で熱い視線を絡ませることで交わされていた世界、秘密のサインに依拠していた世界を、アートとして表現しただけだ。彼女はレズビアンの歴史を踏まえて、絶対的な信頼、ふたりだけの世界を歌っている。レズビアンが集うバーでしか秘密を明かせなかったあの時代、〈ブッチ/フェム〉カルチャーが、レズビアン・バーに集っていた労働者階級の女性たちに浸透していたあの時代だ。

「「1950」は、間違いなくレズビアン・バー文化の最盛期を歌っています」と語るのは、ダブリン在住の21歳のレズビアン、ジェーン・ダルトゥイン(Jane D’Altuin)。「この曲のキング・プリンセスは、誰かに追われるのが好きなひと。それは昔から、フェムの特性です。フェムの女性はブッチの女性よりも、男性からの無駄なアプローチの対象になることが多いんです。「男に追われるのは最悪」って歌詞があるでしょう。それに曲中で、恋人を「ストーン・コールド(stone cold)」と呼んでいますが、これはたぶん〈ストーン・ブッチ〉を指しています。ストーン・ブッチとは、外では攻撃的でいかつい見た目ですが、自分の恋人であるフェムにはとても優しく、溺愛するブッチのことです。それは〈でもあなたが私を守ってくれるのは大好き/だって私 レディだから〉という歌詞に表れています」

レズビアン史の権威として世界的に有名なリリアン・フェダマン博士は、キング・プリンセスが歌う〈ブッチ/フェム〉は、文学史を踏襲しつつも役割がアップデートされている、と指摘する。「彼女の活動は実に現代的で、まさにジェンダークィアです。手描きの口ひげをまとったと思ったら、フェミニンで蠱惑的な姿もみせる。彼女はずっとブッチでいるわけじゃない。〈あなたが私を守ってくれるのは大好き/だって私 レディだから〉はまさにフェム的です」

キング・プリンセスはファンのクィアたちに向けて、ヘテロセクシュアルのリスナーは気づかないような、意味ありげなウィンクを送っている。「Holy」には、〈ハニー 跪いて〉〈「お願い」っていって〉と誘惑するような歌詞がある。YouTubeのコメント欄には「なるほど、タチなのね」とジョークで返すリスナーがいたが、ヘテロのリスナーは、クィアのセックスにおける〈タチ〉と〈ネコ〉の役割を彼女がかわるがわる演じているという事実を見落としがちだ。彼女の曲において、歌詞とビジュアルはある種の〈サイン〉として機能している。「Pussy Is God」のMVでは、オールバックの髪型にスーツで男性らしさを想起させつつ、〈何時間もお祈りしてる〉とクンニについて歌っている。

「いつか彼女が、鍵のたくさんついたキーリングをもっていたこともありました。おそらくアリソン・ベクデルのミュージカル作品『ファン・ホーム』に着想を得たのでしょう」とフェダマン博士。「これはアリソンの幼年時代を描いた自伝コミックを下敷きにした作品で、1960年代、12歳頃のアリソンの憧れだった、自立し大胆な超ブッチの女性を目にしたときのエピソードが出てきます。そのブッチの女性が、鍵のついたキーリングをもっていたんです」

キング・プリンセスは自身のMVにおいて、数々のヒントを散りばめ、観る者を過去へ、アンダーグラウンドのクィア・ユートピアへと導く。「Upper West Side」のMVでタバコを吸っているのは、『キャロル』への比較的わかりやすい言及だし、〈レズビアンのベストフレンド〉と呼ばれる犬たちが、ニューヨークのストリートを歩く姿をカメラが捉えているのにも意味があるはずだ。ここで重要なのは、彼女が歴史的事実をぼかしていることを認識すること、とフェダマン博士。たとえば『キャロル』の主人公であるキャロルは生粋の中産階級キャラクターであり、労働階級のブッチ/フェムたちのバーカルチャーの一員では決してなかった。しかし彼女のリファレンスがいかに曖昧であろうと、リスナーは彼女が伝えようとしている濃厚な空気をはっきりと感じとれる。「Holy」のMVで彼女が水に潜るとき、私たちは彼女と共に、音のない底のほうへと私たちを押し込もうとする歴史の重みを感じる。

「彼女は、レズビアン・パフォーマンスの系譜をなぞっています」と指摘するのは、ハーバード大学でジェンダー・セクシュアリティ研究を行うマイケル・ブロンスキ(Michael Bronski)教授。「服装、未処理の脇毛、喫煙(非常に1950年代的)もすべてそうです」

「彼女のMVのなかで私がもっともレズビアン的だと思うのは、彼女のキャラクターが醸し出す孤独感です」と教授は述べる。「「Pussy Is God」でも明確ですが、「Upper West Side」ではさらにそうですね。都会のストリートでひとりぼっち。このMVを観ていると、アン・バンノン(Ann Bannon)やヴィン・パッカー(Vin Packer)によるレズビアン小説のシーンを思い出します」。アン・バンノンは50年代に活躍した作家で、ニューヨークを舞台にレズビアンの恋を描いた『I am a Woman』という作品もある。都会の景色は、息の詰まるような孤独と欲望を表現するのに最適な舞台だ。 「都会はゲイの人びとにとって、孤独な場所でありながら、コミュニティが生まれる場所でもあるんです」と教授は総括する。

街の〈レズビアンシーン〉に属すクィアの秘密の駆け引きや社会的な矛盾が「Upper West Side」には表れている。〈あなたのふるまいすべてを値踏みし続けてる/それでもあなたがもっと欲しい〉。自分が暮らす街のクラブやクィアの集まる場によく行く人は、この耐え難いほどに具体的な光景にリアリティを覚えるだろう。閉ざされた狭い世界のなかでもがくクィアたち。みんなが同じような経験をしてきて、みんなが憎悪や情欲の対象である世界。知った顔ばかりが集まり、身体の関係をもったことのない相手を数えるほうが早いであろうダンスフロア。含みのある眼差しの交わしあい。キング・プリンセスが表現するのは、クィアの人びとだけが知る空間に漂う、独特の息苦しさと孤独な関係性だ。その空間の空気は、そこしか行き場がない時代ならより濃厚であったことだろう。すなわちキング・プリンセスは「1950」において、強烈な感情を伝えるための導管、増幅器として歴史を使用しているのだ。

「女性に惹かれる女性(WIW: women-loving-women)は何百年も疎外されてきて、自分たちの欲望は〈クラシック映画〉のようなかたちとして残ったり、ロマンティックなものとみなされることはない、と思うしかなかったんです」とロンドン在住の22歳のレズビアン、イサン・バクスター(Ysanne Baxter)は述べる。「だから、そういう文脈で、私たちの想いを否定せずに表現してくれるひとにはどうしても注目してしまいます。「Pussy Is God」のスーツやオールバックの髪型、「Talia」でのジェームス・ディーンが体現したような米国感、「1950」の手描きの口ひげ、そういうMVを観ていると、アイドルに熱狂するっていう気持ちがわかります。キング・プリンセスは、男性らしさの構成要素としての自信満々な態度やひとの心を惹きつける引力みたいなものを、本来のマッチョな文脈から切り離し、その代わりに女性について歌う女性をその真ん中に置いたんです」

「キング・プリンセスといっしょに、よりフェム要素の強い彼女の恋人が出演する「1950」のMVは、明らかにWIWカルチャーを回顧する内容です。レズビアンの記録はこれまで、抑圧され、抹消されてきました。1950年代以前、WIWには自分たちのコミュニティすらほとんどなかった。だから、こうやって彼女たちがポップカルチャーの最前線で言及されることが、私にとっては意義深いですね」とイサンは明言する。

クィアの恋愛は、これまで包み隠されるほかなかった。キング・プリンセスは数十年の重い歴史をごっそりともちあげて、レズビアンのサブカルチャーにおけるサインで自由に遊び、クィア女性の恋愛・コミュニケーションを定義づける、閉じられた秘密の世界へと、同時代のリスナーたちをいざなっている。彼女はかつてのクィアの恋愛事情を、恐怖にひもづいたものではなく、うっとりするほど密やかで特別なものとして再提示している。クィアがオープンに過ごせる場所が増えたこの時代に、キング・プリンセスは、レズビアンを、かつてレズビアンがいた世界を、そして今なお私たちの手中にある歓びに溢れた聖なる秘密の世界を、私たちに思い出させてくれる。

This article originally appeared on i-D UK.