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クールな1%とそれ以外

テイラー・スウィフトはどうしてライブで腰をくねらせて踊るのか。それを見て居心地が悪くなるのはなぜだろう。コンテンツ・レーベル〈blkswn〉主宰の若林恵が『テイラー・スウィフト:レピュテーション・スタジアム・ツアー』を見て覚えた違和感から、アメリカにおける彼女の立ち位置、そこにある思想をひも解く。

by Kei Wakabayashi
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12 March 2019, 11:00pm

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テイラー・スウィフトが、レオタードみたいなのを着て腰をくねくねさせながら踊っているのを見ていると、どうにも落ち着かない気持ちになる。

テイラー・スウィフトは、おそらく一度だって、そういう意味でセクシュアルな存在であったことはなかったし、いまもってくねくね踊る彼女をセクシーだなと感じることは少ないはずだ。おそらく彼女のくねくねの居心地の悪さは、急に派手好みになった幼馴染みを見るに似た気恥ずかしさのようなものなのかもしれない。

昨年の暮れにNetfixで配信が始まった彼女のライブ映画『テイラー・スウィフト:レピュテーション・スタジアム・ツアー』は、さりとて、そのくねくねも含めて観ていて面白いものではあった。テイラー・スウィフトがゆれるアメリカにおいて、どういう政治的な立ち位置にあるのか、なんとはなしに垣間見れた気がする。腰をくねくねさせることと、民主党を支持することには、彼女のなかにおいて、何らかの一貫性があるはずだ。

映画などで見るにつけ、アメリカのハイスクールというものは、明確に厳格な階級社会で、そのハイスクールを舞台にした映画の多くでは、フットボール部とチアリーディング部がAチームとしてヒエラルキーの頂点を成し、その他の残りの男女は、そのAチームに憧れを抱きつつも、イジメの対象となる恐れを抱きながら暮らしている。そして、ある女の子が、ひょんなことから、Aチームと関わりをもつようになることから、大抵人間関係に亀裂が入り、みなが本当の自分というようなものを見つめざるを得なくなる、という構成を取る。『プリティ・イン・ピンク』『ミーン・ガールズ』『シーズ・オール・ザット』といった、80年代から続いてきた名作(?)ティーンムービーの系譜は、多かれ少なかれこうした流れに沿って展開されてきた。ついでに言うと、イケてないことになってる女主人公の本当の魅力を最初から悟っている男友達がゲイだったりするのも、ありがちな配役だ。

テイラー・スウィフトは、まさにこうしたティーンムービーの主人公を地で生きてきたような存在だ。そもそも、ヒップホップ全盛のこの2000年代に、あえてカントリーシンガーを志した女の子というのは、どう考えても相当にイケてない存在だ。ティーンムービーの定石に照らせば、冒頭の20分で、彼女はさんざんAチームに小突かれ、恥をかかされることになるはずだ。メガネでもかければ、ぴったりのハマり役で、実際彼女は、初期のアルバムでそんな歌を歌っていた。

ハイスクールに入りたての女の子の心情を歌った名曲「Fifteen」で、テイラーは、アビゲイルという、いかにもリベラルぽい名前の赤毛の女の子と意気投合をし、自分をクールだと思ってる女の子たちを嘲笑しながらも、クルマをもった男の子が現れるとすっかりのぼせてはあっさり捨てられるアビゲイルのために泣いて夜を過ごしたりする。そして、テイラーはこう歌う。

「人生にはフットボール部の男子とデートするよりも大事なことがたくさんある/でもそんなことは知るよしもない/15歳の頃には」

テイラーは、そうやって、常にイケていない側に身を置いて、自分はつまらないその他大勢、有象無象でしかないと日々思わされて生きる若い心の痛みを歌ってきた。ヒップホップ全盛の時代であれば自分をクールだと思ってる女の子たちはビヨンセやカーダシアンやアリアナを気取るだろう。とすればクールからはみ出したその他大勢の心情を歌うのに、時代遅れなカントリーポップほど適切なものもない。それは、完全に時代から取り残された音楽だったからだ。カントリーポップはそこでは声なきマイノリティのための内なる抵抗の依り代となる。どうしようもなく反時代的な音楽を通して、テイラーは、声なき者たちに声を与え、そのことによって愛され、おそらく誰もが驚いたであろうほどのスターになった。

アメリカのハイスクール映画は、おそらくすべてが一種の復讐譚となっていて、イケてないBチームは、映画の終局にいたって邪悪なAチームを屈服させるか、改心させるか、あるいは『キャリー』のように彼らを皆殺しにするかをすることで、最後に必ず報われる。

ミーナ・スヴァーリ主演の『恋は負けない』という映画のメイキング映像のなかだったと思うのだが、青春映画の実力者として知られる女性監督のエイミー・ヘッカリングは、その映画が自分の学生時代をモチーフにしたもので、だからこそ「不器用な主人公を、映画の最後では必ず幸せにしてあげたかった」と語っていた。

言われてみれば、のちに映画監督になるような生徒・学生が、アメリカの学校社会でAチームのメンバーだったはずがない。多くの青春映画が復讐譚であるのは、それをつくる側がどういう学生時代を送ったような人たちであるかを想像してみれば納得がいく。

Aチームの子がAチームの存在を正当化するような映画が存在しないのは、そんな映画になんか誰も共感しないだろうという以前に、Aチームにいる子は、そもそも映画監督なんか目指しはしないというところにひとつ大きな理由がある。映画監督を含めた、いわゆるカルチャー寄りの仕事に従事する人が少なからぬ割合で、どちらかと言えばリベラルに傾く傾向があるのは、そう考えてみれば当たり前のことだ。それは過去にそういうものによって救われたり希望をもらった経験をもつ負け犬が目指す仕事であるがゆえに、負け犬と思わされて生きる誰かに勇気や希望を与えたいという願いが、そうした文化の仕事のなかでは引き継がれていくこととなる。

長じて映画監督となった「かつてのその他大勢」は、だから、当たり前のように、それを観るであろうティーンエイジャーたちに向けて「人生にはフットボール部の男子とデートするよりも大事なことがたくさんある」というメッセージを発し続ける。

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アメリカの音楽史上最高の興行収益を叩きだしたテイラー・スウィフトの「レピュテーション・ツアー」のダラスでの最終公演を収めたライブ映画において目を惹くのは、その客席の様子だ。お気に入りの曲のイントロがかかるたびに半狂乱になり、涙を流してはサビを合唱するお客さんたちは、大変失礼だが、かつてのAチームではなかっただろうと推察されるような方ばかりだ。そして、一見してゲイだろうとわかる男性客の姿も、カメラクルーは頻繁に抜いている。会場を埋め尽くした、無数のアビゲイルたちは、テイラーの成功のうちに、おそらくハイスクール映画のラストにも似た、復讐をカタルシスを感じているに違いない。

以前、全米最大の音楽フェスであるコーチェラに行ったときに印象に残ったのは、結局のところ、その会場が、そのままスクールカーストを反映したかのような空間になっていたことだ。イケメン美女揃いのAチームは、フェスの3日目にようやくお出ましになって、そこのけそこのけの体で、ギークやドークやカラードの一群を圧してゆく。学校では起こらないなにかを期待してカリフォルニアの砂漠へと出向いてきた、いかにも奥手そうな男子の5人組や、女の子の3人組が、そこここで言葉少なげにちんまりと座っている。彼ら、彼女らは、学校のカフェテリアと同じ景色のなかで、同じ役回りを演じるハメになっていたのではなかったか。

それと比べたらテイラーのコンサートは、ずっと居心地のよさそうなものに見える。なにかと自分たちのクールさをひけらかしたがるAチームは、ここにはきっとこない。Bチーム以下のみんなは、生態系の頂点を成す、恐るべき捕食動物たちのいない場所でのびのびと羽根を休ませることができる。そうなのだ。Aチームはここにはこない。なぜなら、テイラーは、やっぱり、根っこのところでどうしたってクールじゃないからだ。

テイラーが時を経るに従ってカントリーポップから徐々に離れ、時代に即したサウンドを巧みに取り入れながら自らをアップデートしては、アメリカンポップのど真ん中に自らを置くようになったことを快く思わず、テイラーは大衆に身売りしたのだ、魂を売ったのだと見なす保守層が少なからずいることは、映画のなかでのテイラーのMCからも伺いしることができる。

それでも彼女はあえてビヨンセばりに腰をふり、果敢に時代のメインストリームに挑み続ける。それは、必ずしも、彼女の得意なことと比べたらしっくりとこないし、無理してるような感じがどうにも漂う。テイラー・スウィフトはギターの弾き語りで歌っているとき、最も心地よくステージに立っているように見える。そして、そのことを、テイラー・スウィフト自身よくわかっているはずだが、それでもあえて、彼女は必ずしも自分がクールに見えない領域に身をさらそうとしていく。観客がそこに見て、共感をするのは、Bチーム以下の誰かがAチームをテイクオーバーする夢であり、絶えずそれに挑む彼女の果敢さなのだ。

なんといっても彼女は最初からクールではない音楽家だった。そして、彼女は半ば転倒したやり方で、自分がいまなおイケてない、その他大勢であることをファンに向けて証明しつづける。時代のなかでクールとされるサウンドプロダクションやダンスを取り入れ、それを無理にでも実行することで、彼女は、逆説的に自分のクールでなさを明かす。そして、おそらく、彼女の姿に熱狂するファンにとっては、それこそが一番見たいテイラー・スウィフトなのだ。垢抜けせず、どこかいつも野暮ったい、のっぽで姿勢の悪い、われらがテイラーは、いまなお本当はなれるわけもないのに心のうちで密かにポップスターを憧れるイケてないその他大勢のひとりなのだ。

テイラー・スウィフトは、そうやって、自分たちの陣地において彼女を我がものにしたがるカントリー保守層を切り離し、同時にクールなものならなんでも飛びつきたがる尻軽なAチームからも等しく距離をとる。クールさを競いあうゲームがSNSの登場によって加速していくなかで、テイラーはそのゲームにうまく乗れない人たちの受け皿となってきた。テイラーが、ごく初期から、「レピュテーション(評判)」という問題を扱ってきたことともそれは符号する。自分は何者でもない、と子どもの頃から否が応でも感じながら育った大多数、がテイラーの支持基盤だ。彼女は、ダサい彼女をダサいまま応援してくれる人たちを、常に選びとってきた。

テイラー・スウィフトがそのリスナーと生きる世界もまたあからさまな格差社会だ。けれどもそれは表向きには、経済格差によって階層化された社会ではない。クールな1%と、それ以外。そこでは評判によってすべての選別がなされる。そのゲームにおいて、負け犬とされた人びとの側に立って歌いつづけること。それが、彼女が自身に課したミッションであり、彼女なりのリベラリズムの発露なのだろう。


テイラーに興味が湧いてきた人に朗報! 本稿を執筆した若林恵が、NY在住ジャーナリストの佐久間裕美子とふたりでテイラー・スウィフトを語るポッドキャストが公開。Spotify、Apple Podcastからも視聴可能です。

「こんにちは未来 〜テックはいいから」
NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子(ゆみちゃん)と『WIRED』日本版の前編集長でコンテンツ・メーカー「黒鳥社」の若林恵(わかさん)の盟友2人が、音楽、アート、政治、ビジネス、ライフスタイル、メディアまでカテゴリーにとらわれず縦横無尽に語りつくすトークセッション。月2回配信予定(毎月二週目と四週目の水曜日を予定)。

Netflixオリジナル作品
『テイラー・スウィフト: レピュテーション・スタジアム・ツアー』独占配信中