Portrait by Kazumi Asamura Hayashi

「彼女に宛てた巨大な贈り物」ティノ・ラゾ interview

プールスケーティングのシーンを捉えた写真集『PARTY IN THE BACK』を刊行したプロスケーターのティノ・ラゾ。彼に最愛の家族や伝説のバー〈マックス・フィッシュ〉での日々、そして今作に込められた想いを訊いた。

by Tatsuya Yamaguchi; photos by tino razo
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14 February 2018, 7:22am

Portrait by Kazumi Asamura Hayashi

ティノ・ラゾの写真集『PARTY IN THE BACK』の出版を記念して原宿・BOOKMARCで開かれた写真展のレセプションパーティには多くのスケーターの姿があった。彼らはボードを脇に抱えながら、ふつふつと湧き上がる高揚感を押し殺すような真剣な面持ちで、展示された一枚一枚の写真をじっと眺めていた。それから数日が経った、東京では数年ぶりとなる大雪の日。「ここに座って話そうか」と、フィルムカメラを携えて傘もささずに現れたティノが言う。気さくなインタビューは、展示会場の床に座り込んで凍えた体が温まるのを待ってから始まった。そこで私たちは、彼を突き動かすいくつかの「愛」の存在を知った。

——スケートボードを始めて触った日のことを覚えていますか?
よく覚えているよ。俺はバーモント州出身なんだけど、祖父母がメリーランド州に住んでいて二人の兄とよく一緒に会いに行っていたんだ。そこでスケートボートをしている男の子たちを見て「かっこいいね」と話していたら、おじいちゃんが俺たちにトイザらスでボードを買ってくれたんだ。幼稚園くらいだね。そのときから今までノンストップでスケートボードをやっているよ。

——ご自身の家族を“最愛の存在”だと語っていましたね。
家族は、俺のすべての根本になっていると断言できる。スケートとの最初の出会いも兄たちが興奮しているのに感化されて惹かれたわけだし、あれ以来ずっと彼らを尊敬しているんだ。グラフィックデザイナーをやっている兄の作品がNYのあのアレッジド・ギャラリーで扱われるようになってからはスケートとアートの関係にも興味を持つようになったね。だから、俺のすべての原動力は、スケートはもちろん、兄への愛から生まれているんだ。

——18歳でニューヨークに移り住んだのもお兄さんの影響ですか?
そうだね。一番の理由は、兄の近くにいたかったから。それに俺は、スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツでグラフィックデザインを勉強し始めていて、雑誌『SLAM』や『XXL』でアシスタントデザイナーとして働いてもいた。一方でスケートへの愛も日に日に高まってきていて、スケーターとしてもスポンサーがついた頃だったんだ。グラフィックデザイナーの道を突き詰めるか、それともスケーターとして大会に参加したいのかと2年くらい自問自答した末に、やっぱり自分はスケートをしていきたいと思い至ったんだ。

——ニューヨークは地元とはまったく違う街でしたか?
文字通り“すべて”が違っていたね。世界中のものが目の前にあると、そのとき初めて感じたんだ。街のスピード感も違うから、森の静寂の中にいたバーモントでの生活とは真逆と言えるほどにね。それに、スケートって都市の風景の中を探検することが醍醐味だと思うんだ。バーモントにいると実家を出て少し遠出したとしても隣街があるくらいだけど、ニューヨークは18年間住んでいても“ネバーエンディング”だったね。どこまで行っても知らない場所があるし、きっと今でもそう。色々な人がやって来て、去っていく街。常に変化しているんだ。まるでイースターのエッグハントみたいにね。

——1990年代からのニューヨークのアンダーグラウンドなシーンを語る上で欠かせないバー<マックス・フィッシュ>で、12年ものあいだ働いていましたね。あなたにとってどういう場所ですか?
自分にとってはリビングルームみたいなところだね(笑)。兄も自分より先に働いていたし、あそこにいた人たちはまるで家族のような存在。それに「ハブ」のようなところでもあるね。ミュージシャンも俳優もいたし、アーティストやスケートボードに関わる人もいた。誰でもいるんだ。元々のロケーションがアレッジドギャラリーの隣だったから、憧れていたエスポやマーク・ゴンザレスたちもいて毎日が刺激的だったよ。店で開いたエリオット・スミスのライブをみられたのも貴重な体験だったね。話は尽きないけど、ここに来る人たちはそれぞれに情熱を持ってやっていることがあって、例えようのないクリエイティブのエナジーが渦巻いていたんだ。

——数えきれないほどの思い出があると思いますが、あなたにとって“宝物”だというエピソードを教えていただけますか?
一番は、妻との出会った場所だったことだね。俺は当時ドアマンをしていて、彼女はバーテンダーだった。お互いにパートナーがいたときも、シングルになる時期もあったんだけど、それでも長いあいだ仲のいい友達のままだった。でも、出会ってから数年が経ったある日、ふと彼女が頬っぺたにキスをしてきたんだ。そこから恋に落ちて、2006年に結婚したんだ。

——今回の作品は、2010年にLAに引っ越してから始めたというプールスケーティングがメインテーマですよね。プールを探し、門や壁を乗り越え、水を抜き、ブラシで掃除をするシーンもありました。その一連のドキュメントから、スケーターのDIYスピリットのようなものも垣間見えます。
その通りだね。今ではGoogleマップでプールを探すけど、60〜70年代、例えばz-boysの面々は足で探し回っていたわけだから。ストリートスケートをするにしても、でっかく割れている道があったらセメントで加工するし、自分たちがやりたいことのためなら何でもやる。プールの水を抜くと泥が出てきたり、動物の死骸が出てきたりもあるからね。これはプールスケートをやる自分たちのストーリーの一部なんだ。君がドキュメントと言うように、写真を通して自分たちの気持ちなんかも伝えることができているんじゃないかと思うよ。

——これまで本格的に写真を撮っていなかったそうですが、その転機はなんだったのでしょうか?
写真を取り始めたのは、2013年に妻と、離婚したわけではないんだけど別居し始めたとき。落ち込んでいる俺を友達がプールに連れ出してくれたんだ。そういう心の状況から自分を離したいと思っていたからすごく熱中して、写真を撮り始めたんだ。

——プロジェクトとして始まったわけではなく、何かに突き動かされるようにして写真を撮り始めたのですね。
まさにそうだね。初めは写真集にしようとは思っていなかった。ただ、プールの写真をたくさん撮って現像するうちに、どこか自分のスタイルのようなものが見えてきて、細かな要素を加えながらプロジェクトとして成立するんじゃないかと思ったんだ。精神的にボロボロだったから、写真という集中できることがあったことは自分を前進させるために必要だったんだ。

——特別なプロジェクトになったのですね。
(前妻で逝去された)彼女は自分にとってかけがえのない運命の人だったわけだけど、俺は、そのことに気づくのに時間がかかってしまった。離れてしまったこともあったけど、時間を経て、自分の人生にとって一番大切な「愛」を知ったんだ。このプロジェクトは、巨大な、彼女への贈り物なんだと思っている。今まで俺は、言葉で何かを綴ることをしてこなかったけれど、この機に彼女の名前、ディズリーについて書き留めて世界の人たちに自分の彼女への「愛」を知ってもらいたいんだ。

——このプロジェクトの後も写真は撮り続けているのですか?
自分のことをアーティストや写真家だとは思っていないんだ。でも、写真はずっと撮り続けていくよ。

——写真を撮るうえで影響を受けた人はいますか?
周りにいたすべての人たちから無意識に吸収しているものがあると思う。すべてのものからね。その中でも、ライアン・マッギンレーには影響を受けているね。IRAKというグラフィティのチームにいたんだけど、ライアンがIRAK、とくにリーダーのダッシュ・スノウをドキュメントしていてね。ライアンのプロジェクトが自分と似ていると思うのは、その写真のテイストというよりも、夢中になって撮っているうちに形作られたということかな。

——いま熱を注いでいる被写体はありますか?
うん。でもこれが作品につながっていくのか、それとも自分が笑うためのものになるかはわからないね(笑)。最近は街の中にある“不自然な”自然を撮りたいと思っているんだ。犬の飼い主が糞を拾ってサボテンの中に捨てている瞬間だとか、ビルの隙間や脇から木が生えていたりだとか、“都市の中に戻ってきた自然”なんかが気になるね。今回は京都や直島に行こうと思っているから、奇妙で、ものすごく馬鹿げたものを探してみようと思っているよ。

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