ジム・ジャームッシュ:不朽のカウンターカルチャー

最新作『パターソン』で、名匠ジム・ジャームッシュが、アメリカン・ドリームの陰に生きるアウトサイダーたちを描く。

by Colin Crummy
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27 December 2016, 9:02am

Still from 'Stranger Than Paradise'

自身2作目の長編映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を発表した後のある日、ジム・ジャームッシュはいつの間にかハリウッドから熱望される存在となっている自分に気づいた。1985年のことだから、オファーは郵便で届いた。なかには、ティーンのセックスを題材に書かれ、『卒業白書』と『卒業』を足して二で割ったようなコメディ作品の企画もあったという。

ジム・ジャームッシュがティーンのセックスといたずらをドタバタに描く『ポーキーズ』のような映画を監督するなど、今も当時もありえないことだ――『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観たことがあるひとなら、私の言わんとしていることが解るだろう。当時のジャームッシュも、そこに戸惑いを覚えていたようで、25万ドルのオファーを蹴った経緯について、「やめてくれよって感じだよ。ハリウッドは必ず余計な要素をねじ込もうとする。シンプルに作ればいいのに」と、当時のインディペンデント系映画雑誌として映画界で突出した方向性を打ち出していた『Independent Film Bulletin』誌に語っている。

ジャームッシュはすでに『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で1984年カンヌ国際映画祭のカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞し、商業的な成功も収めていた。しかし、ジャームッシュがその頃に抱いていた野心――いや、世界が掲げていた夢は、現在もなお叶うことなく、むしろ色褪せて見える。ジャームッシュにとっては、野心自体が扱いづらい問題なのだそうだ。1984年、ジャームッシュは『Film Comment』誌に「金には興味をそそられない」と語っている。「野心を持って猛進するキャラクターというものにそれほど興味が持てないんだ。アメリカン・ドリームに魅力を感じない」

Permanent Vacation

ジャームッシュが惹かれたのは、アウトサイダーや矮小化された人々だった。そして、そう言った陰の視点から見たアメリカン・ドリームだった。彼自身も、そんな存在だった。14歳にして髪が白くなり、オハイオ州アクロンというアメリカ小都市の土地柄も相まって、彼は大きな疎外感を抱くようになった。後に生涯のコラボレーターとなったトム・ウェイツは、「ジムは(その出来事をきっかけに)ティーン世界の移民になった」と『The New York Times』とのインタビューで語っている。ジャームッシュの初期作品には、外的要素の影響が多く見られる。ニューヨークのコロンビア大学に在学していたジャームッシュは、あるとき思い立ってパリへと渡り、世界最大の映画遺産を持つシネマテーク・フランセーズ(La Cinémathèque Française)で映画教育を受けた。1学期分の期間をパリで過ごし、ニューヨークへと戻ったジャームッシュだったが、復学はせず、助成金制度を使って、自身初作品『パーマネント・バケーション』を作った。1979年のことだった。後に「映画監督としての自分のポジションを地理的な場所にたとえると?」という問いに対し、彼は「大西洋のどこかに漂流する小さなボートの上」と答えている。

ジャームッシュの手にかかれば、例えば日本的な魅惑の世界観からヨーロッパ的感性、古き良きアメリカーナの世界観まで、あらゆる文化的要素はミックスされ、息をのむほど新しい何かを生み出す。予測がつくものは、絶対に予測できなかった側面を見せる。アメリカを離れることは決してないが、ジャームッシュは常にアメリカを外から見つめている。外から内を暴き出すのだ。

ジャームッシュの最新作『Paterson』は、ニュージャージー州パターソンを舞台に、町と同じ「パターソン」という名を持つ主人公が織りなす物語だ。アダム・ドライバー演じるパターソンは元兵士で、現在は労働者階級のバス運転手、そして隠れた詩人である――パターソンは、アメリカン・ドリームを手にするべき男だ。月曜から金曜まで毎日同じルートをめぐり、昼休みには詩を書き、仕事帰りにはさびれたバーでビールを一本飲む――そして、「詩人として、広い世界に」と、恋人から背中を押される。

『Paterson』を観ながら、私はドラマチックな展開を心のうちに期待している自分に気づいた。事故や、バスでの客同士の口論、パターソンの人生が劇的に変化するような出来事を――しかし、そんなことは一切起こらない。パターソンのアートも同様だ。彼は決して世界に作品を認めてもらうことなど求めていないのだ。彼が付き合っているローラもまた、カントリー・ミュージックのスターになるという思いつきよりも、地元で開かれるファーマーズ・マーケットで自作のパンが人気を博す未来を重視している。

しかしながら、『Paterson』に野心を見出そうとすることは、ジャームッシュの過去の作品に普通のストーリーを求めるのと同じだけ間違いなのだろう。ジャームッシュは「機微」を見つめる監督であり、今作でもやはり壮大な人生の目標に違和感を感じるキャラクターたちを描いている。ゴルシフテ・ファラハニ演じるローラは、突如「すべてを白と黒にしたい」という衝動に駆られて、カーテンからドレス、自作のカップケーキまでを大胆なモノトーンで作り直すという、いかにもジャームッシュ的で、他のジャームッシュ作品にも出てきそうな人物だ。しかし、ジャームッシュはそんなキャラクターを、斜に構えて皮肉な視点から見つめたりはしない。彼は今作『Paterson』でも引き続き、私たちの中に巣食うシニカルな視点を宥めてくれる温かい姿勢を貫いている。

「金やライフスタイルを人生のベースにしたくない」とジャームッシュは1984年のインタビューで語っている。「そんなんじゃ生きていても面白くない。生き方にはもっと可能性がある」と。アメリカン・ドリームの概念が根底から崩れ落ちた感のある今、従来の意味での「野心」ではない野心を内に秘め、『Paterson』はジャームッシュならではの世界観で、ひとつの素敵な人生観を見せてくれる。

Credits


Text Colin Crummy
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.