小説で問う、日本社会の生きづらさとフェミニズム:松田青子 interview

異色のフェミニズム幽霊譚『おばちゃんたちのいるところ』が英米で翻訳され話題を呼んでいる小説家・松田青子。アイドルと推しカルチャーと資本主義の三つ巴を描いた初長篇『持続可能な魂の利用』連載時のインタビューを全文再掲載。

by ASAYO TAKII; photos by Fumi Nagasaka
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02 February 2021, 10:12am

この記事は『i-D Japan No.6』フィメール・ゲイズ号から転載しました。

積み重ねできたり、できなかったりする現代人の姿を浮き彫りにする表題作を収めた『スタッキング可能』でデビューし注目を浴びた作家、松田青子。実は当時、そこまで社会風刺を小説に込めようという意識が強かったわけではない。

「『スタッキング可能』に収録されている作品を書いているときは、こうしようと意識していたわけではないのですが、書いているうちに自然にそうなりました。「スタッキング可能」は、ひとつの会社のビルを日本社会の縮図にしようと途中から決めました。今はもっと自覚的になっています。ここ数年で日本の社会が様々な面で後退していると感じることが増え、多くの人にとって生きやすい社会でもないですし、もう気づいていないふりをしている段階ではないと思っています」

昨今では「自分にとっていちばん切実で、興味のある問題について書くと、どうしてもジェンダーについて考えることになります」と言う。たとえば歌舞伎や落語、怪談の古典名作を現代に置き換え換骨奪胎した連作短篇集『おばちゃんたちのいるところ』は、「昔から日本の怪談や民話に出てくる女性の幽霊や化け物が大好きだったのですが、物語のなかで女性がとにかくひどい目に遭うことが当たり前のように語られることがずっと胸にひっかかっていました」

「こういった作品の作者がほとんどの場合男性だったこと、女性は男性に語られる存在でしかなかったこと、とても残酷な非対称性だと思います。どういう物語なら私は納得がいくのかという観点で書き直したかったのが動機でした。なので、この作品集は、私にとっては、過去の作品に対するジェンダー批評でもありました。そして、男性が創造した物語のなかで生きられなかった女性たちが自由になれる場所をつくりたかった」

翻訳家でもある松田。今年邦訳したジャッキー・フレミング『問題だらけの女性たち』は、19世紀の女性蔑視のありようを、可愛らしいイラストとともに紹介する一冊で、昨年イギリスに滞在した際に原書と出会ったという。

「実際読んでみると、非科学的な偏見の数々に苦しんだ19世紀のイギリスの女性たちの境遇が、今の日本女性が直面している状況に通じるところもあって、日本でも出さなくてはいけない本だと思いました。フレミングのユーモアと皮肉が素晴らしいと思いましたし、この本やフランシス・ハーディングのファンタジー小説『嘘の木』のように、過去の差別や偏見に21世紀の女性作家たちが徹底的にNO!の烙印を押した作品に出会えたことにとても感激しました」

『問題だらけの女性たち』同様、松田の『おばちゃんたちのいるところ』も、手厳しい言葉で古い価値観を糾弾するのでなく、ユーモアでくるんで読み物として楽しませるのが特徴であり魅力。

「私自身が、小説を読んだり海外の映画やドラマなどを観たりすることで、楽しさや喜びのなかで今のフェミニズムやジェンダー感覚に触れてきたと思える瞬間がたくさんあります。私は素晴らしい作品、特に女性作家のものに出会えたときの喜びや楽しさの感覚が自分のなかでとても大切なものとして記憶されていて、自分自身が明るい作品を書いていないときでも、意識しているのは楽しさや喜びだったりします。出会えたことを喜んでもらえるような作品を書きたいという気持ちもありますし」

一方、よく耳にする言い回しを揶揄した「男性ならではの感性」というタイトルの短篇を執筆するなど(『ワイルドフラワーの見えない一年』収録)、アイロニー感覚も抜群だ。

「定型句のようによく使われる言葉は気になりすぎて、ニュース記事を読んで日々もやもやしています。ずっと気になっていることをひとつ挙げると、女性が犯罪に巻き込まれた際のニュース記事で、「キャー」という叫び声が聞こえたという目撃証言をたまに目にするのですが、文字通り本当に「キャー」と叫んだのだろうか、ジェンダー・バイアスじゃないのかと疑問なのと、「キャー」という表現が状況の説明を軽くしてしまっているように感じます。実際の叫び声は、簡単に書き起こせるようなものじゃないはず。定型句が使われることで、消えてしまうものが絶対にあると思います」

「「男性ならではの感性」という短編は、執筆やトークイベントの依頼をいただく際に、時々、“女性ならではの感性でお話ください”“女性ならではの視点でお書きください”と言われることがあって、強烈な違和感を覚え、女性も一人ひとり違う個人なのに“女性ならでは”でまとめるのがいかに雑なことか、逆にしてみたら伝わるのではないかと思い、書きました」

「気になることは毎日ありすぎますが、最近よく思うのは、日本社会は、個人の体は個人のものだと認識できていない人がたくさんいるんじゃないかということです。その意識の欠如が痴漢や性犯罪に結びついているし、タトゥーをいれたタレントさんを批判したり、派手な格好をしている女性が事件に巻き込まれると、そんな格好をしているから自業自得だという一言を多くの人が当たり前のように口にしたりする。その“視線”は本当にあなた自身のものなのか、日本社会を生きるうえで刷り込まれたものじゃないのか、と息苦しくなります」

では、彼女自身の公正で客観的なまなざしはどこで培われたものなのだろうか。とりわけ価値観に影響を与えた出来事はあったかと訊くと、「今思うと、自分は両親に“女の子らしく”するよう一度も言われておらず、性差による役割分担を担う存在として自分のことを一度も考えたことがないまま十代を過ごしたので、それはとてもありがたいことだったと感じています」

日本のジェンダー意識が海外の現状から遅れをとっていることも深刻に受け止めている。雑誌「アンデル」に連載中の長篇『持続可能な魂の利用』は、少女や女性を消費し続ける日本社会を反映した作品だという。

「男性社会を象徴する「おじさん」からの視線から解放されれば、女性はどれだけ自由になれるだろうか、解放されるためにはどうすればいいだろうかと想像しながら、書き進めています。これまで“生きづらい”とされてきた人たちが生きやすい社会、家父長制が解体された後の社会を見たいです。これだけ生きにくい人たちが存在している社会形態が正解だとはとても思えません。この世界がもっといい場所になることを信じて、そのために書いていきたいという気持ちがあります」

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松田青子 Twitter Instagaram

Credit


Photography Fumi Nagasaka
Styling Masako Ogura
Hair and Make-up Hisano Komine
Styling assistance Chisaki Goya, Kana Hashimoto

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