音楽家としてのヴォルフガング・ティルマンス

現代写真の巨匠ヴォルフガング・ティルマンス。ティーンの頃から音楽への情熱を持ち続けてきた彼は、今年、自身3作目となる音源のリリースでミュージシャンとしても評価を上げた。本人に、本格的な音楽活動の裏にあったインスピレーションやモチベーションについて聞いた。

by Felix Petty
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22 December 2016, 3:20am

誰もが政治への敗北感に打ちのめされ、政治の混乱に無力感を覚えた今年、ヴォルフガング・ティルマンスは、世界平和から遠ざかるような政治的動きには積極的に異議の姿勢を示してきた。政治不信が世界を包む中、彼がサプライズで見せてくれたミュージシャンとしての才能は、希望の光のように感じられた。

ティルマンスは、i-Dでも写真を撮っていたキャリア初期から、音楽に並々ならぬ情熱を注いでいたが、今夏、念願のEP『Make It Up As You Go Along』のリリースで本格的な評価を得た。タイトル・トラックは、4/4ビートのハウスが温かい名曲だ。

彼はミュージシャンとしての自身を「打ち出した」のではない。ミュージシャンとしてのティルマンスは「復活した」と言うのが正しいのかもしれない。EPのBサイドでは、彼がまだティーンの頃、ドイツで親友のBert Leßmannとともに組んでいたニューウェーブのバンドの作品を扱っている。振り返りながら前を見る——レコードの表と裏で30年ものときを繋ぐ、その手法がなんともティルマンスらしい。18世紀の詩人ウィリアム・ブレイクの『無垢と経験の歌』というタイトルが脳裏をかすめる——ミュージシャンとしてのティルマンスには、ティーンの無垢と活気が今も昔も生き続けている。

ティルマンスが持つ音楽の才能を次に世に広く知らしめたのは、7分間のテクノ作品だった。世界が待ちに待ったフランク・オーシャンのヴィジュアル・アルバム『Endless』に収録されるという形で私たちに届けられた。

そして先週、ティルマンスは自身のバンドFragileのヴィジュアル・アルバムを、YouTubeとギャラリーMaureen Paleyで発表した。この30分作品は、今夏、イギリスがEU離脱を決め、アメリカがトランプを次期大統領に選ぶ前のニューヨーク州ファイヤー・アイランドで作られたものだという。彼がこれまでに作り、発表してきた作品の中でも群を抜いて完成された内容で、ミュージシャンとしての存在感はこれで確立したと言っても過言ではない。

エレクトロの要素をちりばめたオープニングの「That's Desire」(なんとニュージャージー出身のラッパーAsh Bがカメオ出演しており、存在感を放っている)から、ティルマンスが17歳のときに東西冷戦を題材に書いたというポゴ/ダンス/パンク曲「Fast Lane」の再解釈作品、同じく再レコーディングでキリスト教的自由主義政治思想を歌った60年代プロテスト・ソング「Anderes Osterlied」、オーケストラが多用されてなんとも美しいラブソング「Here We Are」、今年の世界情勢を嘆く「Naïve Me」、そしてイギリスのEU離脱に反対する政治的メッセージを織り交ぜたラブソング「Warm Star」など、この作品にはティルマンスの音楽的、そして人間的深みが溢れている。

作品のローンチ・パーティを終えてベルリンにいた彼に、i-Dは今年一年の音楽活動について聞いた。

ティルマンス、調子はどう?
元気だよ。ロンドンで新しい音楽と映像のローンチを終えてベルリンに戻ってきたところ。いろんな場所を飛び回る生活が続いてるよ。

ローンチはどうだった?
いい感じだったね。ああいうイベントではいつも「みんな来てくれるかな」って心配になるけど、今回は会場がひとで埋まるほどの盛況だった。会場の雰囲気も良くて、作品への反応もよかったように思う。会場の雰囲気はとてもサポーティブだったね。

バンドでフロントをつとめるというのは楽しい? 人前でパフォーマンスをするというのはどういう気分?
この夏、ファイヤー・アイランドのフェスティバルではパフォーマンスをいくつかやって、ブルックリンのUnion Poolでも演奏をやったんだ。Union Poolは小さな会場だけど最高な場所だった。当初はライブ演奏なんて考えてなかったんだ。この夏に最初のEPを出した時点でライブを依頼されていたら、「絶対にやらない」って答えてたはず。

今は楽しめているの?
「人前で演奏するのが自然に感じた」なんて口が裂けても言えないけど、恐れていたような不自然さはなかったね。レクチャーと、特にパフォーマティブにやるレクチャーとそれほど変わらないんだなと思った。もちろん、バンドと一緒にやっているというのが、大きく違うところだけどね。

ミュージシャンとしての活動を始めたあなたへの周囲の反応は?
アーティストが領域を超えて新しいことを始めようとすると、批判的な反応が出てくるのはしょうがない。僕自身、他のアーティストが元の領域を超えて活動し始めたりすると、厳しい目になりがちだからね。でも僕が嬉しかったのは、誰一人として僕が音楽をやる正統性を疑っていなかったということ。「自然」なことだと感じてもらえたんだ。みんな僕が長年にわたって音楽をやってきたのを知ってくれていたんだよね。

音楽自体に関しては何と?
酷評されなかったのは嬉しかったね!まあ誰も僕を前に酷評なんかしないのはわかってる。批判的な意見ばかり探してしまうんだけど、それでも酷評が見受けられなかった。それは本当に嬉しかった。もらった批判的な意見はどれも建設的なもので、ただけなされるようなことはなかったよ。

EPをリリースしたときは、どう受け止められるかと不安になった?
音楽への情熱や、EPを出そうという勢いは「本物だ」と僕は信じていたし、単なるプロジェクトとしてやっているのではなく、僕の中の何かが渇望して生まれた作品だと信じてたからね。10代後半の頃の自分に戻って、もう一度音楽がやりたかったんだ。ライブの部分は、考えるたびに緊張したし、たしかにこのリリースまでの期間は不安だったかな。
30年間も寝かしておいたトラックも含め、完全なエレクトロニック音源の最初の2枚は、それほど気負いせずにリリースできたんだ。安全牌というかね。僕がすでによく知った世界観というか、作り慣れたもののような気がしてね。でも今回のレコードに関しては、バンドと一緒だし、ビデオも作って、僕がパフォーマンスをしているんだというのが明確になる作品だったから、超えちゃいけないラインを超えているんじゃないかという気持ちもあった。

最初のEPを作ったとき、その後も音楽を続けていこうと思っていたの? それとも、リリースしてみたら続けるのが自然に感じて、あとは流れに任せて現在に至るのかしら?
ひとつだけ作って終わりとは全く考えていなかったよ。ずっと温めていた音楽的アイデアがたくさんあったからね。特に歌詞はたくさん考えていたんだ。例えば、今回のアルバムに収録されている「Warm Star」には「What is lost is lost forever(失われてしまったものは永遠に戻ってこない)」という歌詞があって、2年ほど前に書いたものなんだけど、今年1月にようやくメロディが書けたんだ。そしてその後、イギリスEU離脱案に反対するスローガン・ソングとしての意味を持つようになった。

インスピレーションはどこから生まれるの?
言語そのものが持つ何か、そして言葉を使うこと、言葉を話すことで生まれるものへの好奇心からかな。言葉の宇宙をもっと模索していきたいね。

このレコードでは初めてドイツ語でも歌っているの?
今でこそドイツ語がクールな言語だと考えるひとが増えているけど、僕が育った頃のドイツでは、ドイツ語の音楽はダサいと思われてたんだ。ドイツ語で作られたパンクやニューウェーブのムーブメント<ノイエ・ドイチェ・ヴェレ>が起こって初めて、ドイツ人はドイツ語を音楽と結びつけて考えるようになったんだよ。それ以前は話す言語としてすら「恥」とされている気風はあった。でも今、母国の言語は否定されるべきじゃないと僕は思ってる。ドイツ語にはドイツ語の美しさがあって、もう25年もの間バイリンガルとして生きている僕にとっても、とても直接的に訴えかけてくるもの、感じるものがある。このEPで特にドイツ語の部分が好きと言ってくれるひとも多いんだ。ドイツ語で話したり歌ったりすると、そこにこれまで見えなかった僕が見えるんだろうね。ドイツ語のほうが合ってるのかな?

あの曲は何に関して歌っているの?
あれは60年代の歌で、キリスト教のプロテスト・ソングなんだ。平等について歌っているんだ。いま起こってる酷い現実にも当てはまる、力強い反撃の力を感じさせる曲だよ。

あの曲の歌詞を教えて。
「魂の平穏が死の後にのみ認められ、ひとの上下がまかりとおり、人が人を買い、人が人を売るなんてことが永遠に認められる世の中が続くかぎり——この地球上のすべてが変化しないこと、それが世界の領主や奴隷主が望むこと」といった感じかな。

80年代に作った曲を、最近の曲と一緒に発表した経緯について教えて。
80年代に録音したきり、その後25年聴きもしなかったカセットがあったんだ。Bertとの活動が終わってしまったら、音楽への自信を失くしてしまってね。Bertがいなくなってしまったことで、打ちのめされてしまったんだ。悲しくて——そこでアートへのめり込んだんだ。
理由や過去の出来事との関連というものに、常に興味があった。何かを感じると「これは僕の過去にどう関連していて、心を動かしたんだろう?なぜこれまでは感じなかったんだろう?」ってね。必ずそこに理由や関連があるものだと僕は信じてる。そしてティーンの心というものを純粋に信じているところがあってね。怒涛の混乱が襲ってくる年頃だけど、そこには完全な感情とエネルギーがある。不思議だけど、あの頃に録音したものを聴いていたら、いくつかの曲が持つエネルギーがとても響いてね。1986年、僕がノートに書き留めていた歌詞があるんだけど、そのノートも引っ張り出してきて、今でもそこから歌詞のインスピレーションを得たりしてるんだ。今の自分と違う自分をそうやって垣間見れるものを持っているって、すごいことだよ。

今年になって音楽づくりを再開したのはなぜ?
2年ほど前に突然、また音楽とDJをやりたくなったんだ。音楽に力強いものを感じて、自分に響いたんだ。そこでDJとしての準備をして、あの年のうちにベルリンのクラブPanorama BarでDJをやった。軽い気持ちでやったわけじゃない。軽い気持ちでやったりなんかしちゃいけないものだと僕は思ってる。DJをやる前には入念に準備をして——どれだけ自分が音楽を愛しているかをあのときに悟ったんだ。
「物として存在しない」音楽の特性、提供の仕方の違いに惹かれる。ヴィジュアル・アートは、いつでも "物"とギャラリーがついて回る。物質的なんだよね。音楽はもっと——パフォーマンスにしても、言葉にしても、"そこでしか起こり得ない"もの。それこそが自分を表現するのに適した手法だって感じたんだ。

「提供の仕方」といえば、ヴィジュアル・アルバムという形態はとても2016年的な手法ね。
今年はたくさんの有名アーティストがヴィジュアル・アルバムをリリースしたけど、僕はその流れに便乗したわけではないよ!僕はただ、タイトル・トラック2曲のためのビデオをと考えて作り始めたのが、最終的にEP全体のビデオを作るアイデアに辿り着いたというだけ!そのとき、「EPはひとつの作品なんだ」って感じたんだ。編集の段階で「これは一本の映像だね」ってね。YouTubeでこれを公開するのはとても直接的で、だからこそ訴えかける力も強くなるね。

バンドとコラボレーションをするというのはどうだった?
他ジャンルのアーティストとのコラボは以前から強く惹かれるものがあってね。見ず知らずの人たちの前でマイクに向かうのがとても自然に感じられた理由もそこにあると思う。ギター担当で、僕のアート制作のアシスタントでもあるホアン・パブロと僕は、海外でエキシビションの準備を進めながら、リハーサル・スペースや地元ミュージシャンを探したりしてるんだよ。ブラインド・デートみたいで楽しいよ。
周囲の激励と期待、そしてコラボがあったからこそ、僕はここまで成し遂げるだけの勇気を持てたんだ。ホアン・バブロ・エケヴェッリ(Joan Pablo Echeverri)、ジェイ・プラック(Jay Pluck)、カイル・コームズ(Kyle Combs)、他にもトム・ローチ(Tom Roach)、ダニエル・ピアース(Daniel Pearce)、それと僕たちがレコーディングをしてるスタジオのオーナー、ティム・ナップ(Tim Knapp)とクラウス・ナップ(Klaus Knapp)——そういった人たちがいてくれたからこそ、僕は恐怖心を捨てて、自分のアイデアを形にしようと腰を上げることができたんだ。あのコラボレーションのプロセスは、僕にとって大きな発見だった。僕がこれまで作ってきたアートは、ひとりで黙々と生み出すプロセスだった。でも音楽づくりはみんなが頼り合って初めてできる。そういった意味で、音楽は僕を解放してくれたものになったね。

このEPは、バンドであるということに重きを置いている作品ね。曲のほとんどはファイヤー・アイランドで書かれたんでしょう?
6曲中4曲は、ファイヤー・アイランドにいた3ヶ月のうちに書いて、リハーサルをしてできあがったものだね。そして、ギグをやってみてからマンハッタンに戻ってレコーディングしたんだ。バイオリニストとサックス奏者を加えて、「正真正銘のレコーディングだ!」と思ったよ。でもドイツ語の曲はファイヤー・アイランドでレコーディングしたんだ。ライブ音源をそのまま採用した。そういうところに、やっぱり僕の写真でのアプローチと音楽でのアプローチの共通点が見られるよね。
音楽も写真と同じく、ときに再現不可能なものだったりすると思うんだ。ミュージシャンは同じものを二度三度演奏できると思いがちのような気がする。でも写真をずっとやってきた経験から、「この瞬間はもう二度とない」っていうのを僕はよく知ってるんだ。少なくとも僕が「これ」と思う瞬間に、二度目はない。写真というものは、決して触れられない何かで出来ているもので、それは再現しようとしても絶対にできないものだと思う。すべてが偶然でできているわけじゃないから、似たものを作り出すことはできるけどね。"コントロール"と"偶然性"を共存させるのが僕のやり方なんだ。それが"生きる"ことの本質でもあると思うしね。だから、誰かと音楽をプレイするとき、僕は必ず録音してるんだ。なんとなく歌うだけのときですらね。例えば「Device Control」なんかも、ある朝歌詞を思いついてiPhoneに向かって歌ってみたんだけど、そのときの音源を使ってるんだ。スタジオに行ってまた歌ってみて、というのはしたくなかった。思いついたときの状態のアイデアを大切にして、荒削りでもその質感を残したかったんだ。質感こそが全て——それがそのモノの本質を伝えるからね。

今後の音楽活動の予定は? どんな活躍を思い描いているの?
まずは「プレイバック・ルーム(Playback Room)」というプロジェクトだね。ミュージシャンとしての活動と分けては考えられないプロジェクト。ベルリンのBetween Bridgesで6ヶ月間、"音体験空間"を作って開放してるんだ。「ポップ・ミュージックをアートとして体験してもらうためのスペース」という趣旨のプロジェクト。
来年テート・モダンで展示する間は、Playback Roomでロンドンのカラーボックス(Colourbox)の音楽作品を公開する予定。こうやって面白い音楽を作ってるひとたちの作品をアートとして体験できるプロジェクトをもっと進めていきたいね。来年3月にはテート・モダンの南棟で9日間の展示をやるよ。新しいサウンド/音楽/インスタレーションの作品を展示するんだ。今、作品を作っているよ。ずっと何年間も録りためてきたフィールド・レコーディングの音源があって、それを中心にした展示になる予定。
この年末、12月30日には初めてベルクハインでDJをやるんだ。2時間半のDJセットで、今から緊張してるよ。

死ぬまでにやっておきたいことリストから、いよいよそれが外されるときがきたのね!
そうだね。特別な体験になるね。

Credits


Text Felix Petty
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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