Knock Down The House

『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』が示す、政治における〈感情〉の重要性

アメリカ史上最年少で下院議員に当選したアレクサンドリア・オカシオ=コルテスを追ったNetflixの新作ドキュメンタリー『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』。リベラルが喜ぶだけの作品、との批判もあるが、本作が示しているのは、希望、そして今の社会における〈感情〉の重要性だ。

by Marie Le Conte; translated by Ai Nakayama
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05 June 2019, 8:19am

Knock Down The House

2018年の中間選挙に、米国議会議員候補として出馬した女性の新人民主党員4人を追ったNetflixの新作オリジナルドキュメンタリー『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』は、彼女たちの勝利を華々しく切り取った作品ではない。4人のうち、当選したのはたったひとりだった。

落選した3人のうちのひとりは、自分の結果を知って涙を流す。お世辞にも凛とした泣きかたではない。彼女は、身体を震わせ、大声でわんわん泣く。彼女はこの選挙にすべてを賭けていたが、それでも足りなかった。ただ、ドキュメンタリー監督のレイチェル・リアーズにとっては想定内だった。監督はこのプロジェクトに着手し始めたとき、当選確実であろう新人候補者にカメラを向けるのではなく、ひとびとに勇気を与える女性が、自身の体験を原動力に政界を目指す姿にフォーカスしようと決めていた。

レイチェルと彼女の夫が密着することにしたのは、ネバダ州4区候補のエイミー・ヴィレラ、ミズーリ州1区候補のコーリ・ブッシュ、ウェストバージニア州上院議員候補のポーラ・ジーン・スウェアレンジン、そしてニューヨーク14区候補のアレクサンドリア・オカシオ=コルテス(AOC)。この4人全員が落選した場合の作品の道筋も、ふたりは明確に考えていたという。しかし結果は、オカシオ=コルテスが民主党予備選に勝利し、下院選で当確。29歳、米国史上最年少の女性下院議員が誕生した。

しかし、『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』は、選挙の結果を主要テーマには据えておらず、だからこそすばらしい。本作が提示するのは、いたって普通の4人(そのうち2名は有色人種)の女性の姿。彼女たちが、自分の信念のために選挙を闘う姿だ。

本作には、ストレス、幸福感、よろこびの涙、悲しみの涙、怒り、プライド、その他すべての感情が詰まっている。いわば、1時間半の〈感情〉の記録だ。候補者の人間らしい側面を、包み隠さず映し出している。一般的に、政治において感情は忌避されている。感情は、脆くてヒステリックな女性特有のもの。すべてにおいてオーバーな黒人女性がみせるもの。教養がなく粗野な労働者階級の女性がみせるもの。そう思われている。

アイデンティティ・ポリティクスも、社会を分断し、自分たちが受けている抑圧を競い合っている、都合の悪い考えかたを突っぱねるための言い訳として使われている、と批判の的になっている。政治、特に国レベルでの政治は、実利を重んじ、冷静な理性をもって、確かな判断をしていってこそ成功といえる。そういわれてきた。

しかし、米国ではドナルド・トランプが大統領に選ばれ、英国ではブレグジットが可決。怒りと敵意が物事を動かす、新時代が到来した。それを実現しているのが、自分の好き勝手な欲望で変革を起こしてしまっているひとびとだ。コミュニティは分断され、自分と異なる者とは話し合おうともしない。極右のポピュリズムが台頭し、悠長にもしていられない状況だ。こんな時代に終わりが来るのかも定かではない。少なからぬ数の専門家が、1年半後に迫った次の大統領選でのトランプの再選を予想している。

『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』は、現状への明確な答えや、今とるべき行動を具体的に提示してくれるわけではない。しかし、これまでになかった視点を与えてくれる作品だ。

本作に出演する候補者たちにとって、政治は本質的にパーソナルなものだ。スウェアレンジンは炭鉱夫の父を持つ娘で、炭鉱で働くひとびとが次々とがんに倒れていくのをみてきた。マイケル・ブラウン射殺事件後に起こった抗議運動の現場から数分の場所に自宅があるコーリ・ブッシュは看護師で、抗議運動で負傷した参加者たちの手当に従事した。エイミー・ヴィレラは、22歳の娘を亡くしている。彼女の娘は保険に加入していなかったため、搬送された病院で医師に検査を拒否され、肺塞栓症を発症して亡くなった。

彼女たちにとって政治は、政党や議会で起こっていることがすべてではない。自分の周りにいるひとびと、自分のコミュニティ、自分が愛するひとたちの生活に関わるものだ。4人の候補者たちは、共和党候補者と選挙を闘おうとしているのではない。彼女たちがいうところの〈座ってばかりの〉民主党議員たちが何もしていないから闘う。だからこそ興味深い。

本作では、現在の民主党が、大口の寄付者とばかりつながり、大局的に考えようとしていない、として非難されている。4人の候補者は、政治行動委員会(PAC: 米国における政治資金管理団体)を使っての選挙運動を批判し、〈Medicare For All(国民皆保険)〉を支持している。彼女たちが糾弾する〈座ってばかりの〉議員たちは、討論の場にはほとんど姿をみせなかった。

オカシオ=コルテスの対立候補者で、民主党の重鎮ジョー・クロウリーは、地元の公民館で行われた討論会に、自身の代わりに代理人を送りこんだ。対立候補者が討論の場に現れなかったからといって、彼らが本作でスルーされたわけではない。彼らは、冷笑的で、民衆に無関心で、怠惰なベテラン政治家の姿を代表していた。そういう意味で、存在感を発揮していた。

4人が現職候補者たちに挑むのは、必ずしも何か強い主張があったり、より広範な討論に持ち込みたいからというわけではない。オカシオ=コルテスは、自分たちが出馬したのは、勝ちたいからに他ならない、と発言し、本作のなかでも印象的なシーンとなった。
結局当選したのは彼女ひとりだったが、結果は重要ではない。ヴィレラの落選の報せが入ってからすぐにオカシオ=コルテスは彼女に電話をかけ、「私たちのうち誰かひとりが当選するためには、100人が挑戦する必要がある」と語りかけた。強く心に訴えかけるシーンだ。

本作については、リベラルや進歩主義者たちが喜ぶだけの作品、との批判もあるが、本作が示しているのは、当選の難しさ、そしてそれは一夜にして実現するものではないということだ。結局、勝つのはいつだって〈システム〉だ。
しかしそれでも、本作は希望や情熱を提示し、そして今の社会における〈感情〉の重要性に気づかせてくれる。現在の政治は、たった数年前の政治と比べても大きく様変わりした。進歩主義者たちが再び勝利を手にしようとするなら、古いやりかたを改めなければならない。

そのための最高の第一歩となるのは、政治は人間のためのものだと思い出すことなのだろう。

This article originally appeared on i-D UK.