「書くのめんどくさいんで、とにかく歌う」KOHH インタビュー

KOHHはヒーロー不在の時代の、名もなきヒーローだ。世界からも熱い視線が注がれる稀代のヒップポップアーティストは、今その目で何を見つめているのか。「3〜4日で15曲くらい作る」という彼が、自身の創作論、最新作『UNTITLED』、一番好きなヒーローを語る。

by Masashi Yoshida; photos by Toki
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08 May 2019, 3:00am

ヒーローが不在の時代と言われる。そんな時代にKOHHというアーティストが求められているとすれば、それは僕たちが、こんな時代にもはやヒーローなど存在しない、とわかった顔をしながらも、内心どこかでヒーロー的存在を求めているからだろうか。もしそうだとしても、いわゆる善を貫く古色蒼然としたヒーロー像の輪郭が、KOHHと重り合うことはないだろう。だがKOHHには、そんなふうにヒーローの輪郭を求めて移ろいゆく僕たちの視線が、結果的に注がれている。いや、よく考えてみれば、むしろ視線を注がれているのは、僕たちのほうではないだろうか。

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COAT AND JACKET, SHORTS, WEST BAG, SUNGLASSES RICK OWENS. JUMPER AND BOOTS FROM VELVET.

アメリカではラッパーがヒーローというよりも、ロールモデルとして、ときにはバスケの選手やハリウッドスターよりも憧れの存在として語られることが多々ある。単純に善を代表するようなヒーローではないが、だからこそ逆に地元の子供たちにとっては憧れたりうる、ダークヒーロー的な存在と言えるかもしれない。同時に彼らのなかには身近に感じられることが魅力のラッパーたちも多いなかで、KOHHはどこかアンタッチャブルで、寡黙なまなざしでこちらを睥睨(へいげい)している。やはり視線を注がれているのは、僕たちのほうなのかもしれない。

そんなKOHHにとってのヒーローは誰だったのか。たとえば幼少期にテレビで見ていた、仮面ライダーや戦隊モノでいえばどうだろう。「そのときリアルタイムだったライダーも見てましたけど、いちばん好きなのはライダーマンですね。逆にかっこ悪いところが好きで。実際は人間だから、弱いんですよ(笑)。ヒーローとか憧れというのとは違いますけど」。集計を取ったわけではないが、いわゆる初期の仮面ライダーの面々のなかでライダーマンを推すのは少数派に違いない。超人的な強さの仮面ライダーとは違って、ライダーマンは簡単に力で負けてしまう。なにしろ彼の顔の下半分は仮面を被っておらず人間なのだ。両者の違いは顔の下半分が剥き出しになっているかどうかだけなのだが、ライダーマンの存在は、実は仮面ライダーの中身も人間である、という当たり前のことを否応なしに示してしまっている。これをラッパーに当てはめてみれば、マチスモに律されリアルであることを主義とするようなラッパーに対して、KOHHの存在とは正にライダーマンのようなものではないだろうか。つまり、どのようなラッパーの立ち位置をも相対化してしまうような存在感。さらに言うなら、ライダーマンは仮面ライダー側と秘密結社デストロンの双方に挟まれながら苦悩するのだが、KOHHは善悪のはざまに立つ。あるいは、善悪を測る物差しの上に立ってさえいないと、言うべきだろうか。

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ALL CLOTHING RICK OWENS.

自分がヒーローだとして、何かひとつだけ倒すのだとしたら、何を倒す? という質問には、しばらく考えた末「自分。自分ですね」という答えが返ってきた。最新作『UNTITLED』の「Imma Do It」の〈ここまで来たとこだけどまだまだ/さぼらずにやるだけ〉というラインに顕著なように、ストイックに創作活動に向き合う姿勢はこれまでも繰り返し描かれているが、最新作には特に、これまでの自分を打倒すべく試行錯誤が刻まれている。一方で「まーしょうがない」では〈全部オートマチックのこの人生テスラ〉と言い放つ。創作に心血を注ぎつつ、一方では達観とも諦念とも取れる人生観をも提示する。「超矛盾してることもあると思います。あのときはこう言ってるのに、ここでは全然違うことを言ってるって」。そうだ。なによりもKOHHは、作品ですべてを語っている。だから、とにかくこの新作について話を聞いてみたかった。

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JACKET AND T-SHIRT RICK OWENS. JUMP SUIT ( WORN AS TROUSERS) FROM VELVET.

2019年の2月に突如としてリリースされた『UNTITLED』は、驚くべき幕開けで僕たちを迎える。なにしろ一曲目の「ひとつ」は、アンビエントの効いたピアノから始まり重厚なストリングスが並走する、ドラマティックな「歌モノ」といっても差し支えのない楽曲だ。部分的にアトモスフェリックな電子音がリズムを刻むだけで、従来のキックやスネアすら、そこにはない。これはメタリックな歪んだギターに応戦するようにあらん限り声を荒げた前作『DIRT II』(2016年)のオープニングとは対極にある。これを冒頭に持ってくるのもKOHHのアイディアだったのだろうか。「「ひとつ」はいちばん気に入ってる曲。でもだからといって先頭に持ってきたわけではなくて、曲順は基本的にプロデューサーの318と考えるようにしてます」。そう、優れたラッパーたちの背後には、冷静沈着に先を見通し、ときにはリスナーの固定観念を相対化するようなプロデューサーが控えてきた。ドレやカニエ、RZAのことを思い出したい。318は言う。「毎回リスナーが予想できない動きをしていきたいんです。だから『DIRT II』の後にどれだけロックなものが来るかと身構えているリスナーの裏をかくように「ひとつ」で幕を開けるという展開にして、でもまったく別のところに行ったわけじゃないよと「Imma Do It」を二曲目に持ってきたり、わかりやすい「Okachimachi」を収録したり。次回作のプランもすでに頭の中にはあって。もっと言うと、今後10枚目までアルバムが出たときに、その10枚の並びもひとつの大きなアルバムのようなものだと思ってます。だからこそファーストの『梔子』(2015年)の前にセカンドの『Monochrome』(2014年)をリリースしたりしてるわけです」

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ALL CLOTHING RICK OWENS.

このようなプランに裏打ちされた本作において、驚くべきはそのサウンド面だけではない。そのリリック面でもこれまでに聞いたことのない表情を見せる。シンプルな語彙だからこそこちら側に軽々とリーチしてくる言葉は健在だが、今回はフックのメロディやフレージングの妙と相まってより一層耳に残る楽曲が目立つ。注目すべきはその内容だ。〈泣いている地球/俺らはその一部/みんなでひとつ/喜びの水〉〈俺たちが選ばれた/ありがたや ありがたや〉と歌うKOHHの伸びやかな歌声は必要以上のエモーションを表出せずフラットに聞こえるが、その分静かにうねる熱を宿しているようだ。これまでのKOHHのリリックの特異性のひとつは、自分の半径3メートル、目の前にあるもの──それはゴールドチェーンであったり、仲間たちであったり、ダメージデニムであったりする──をシンプルな語彙で次々と歌っていくことだった。 声のライムが乗るかと思えば、「まーしょうがない」ではどこかコミカルなビートに癖のそのときのKOHHが向けるのは、記録映画のカメラのようなまなざしだ。そのようなまなざしで捉えられたリリックは、逆に個人の物語から抜け出し普遍性を獲得するような──〈私性〉を失うような──結果をもたらしてもいた。しかし「ひとつ」や「ロープ」においては、それとは異なりメッセージ性の色濃いリリックに辿りついている。そこに私性が灯っているのは、なにかしらの変化によるものなのだろうか。あるいはフランク・オーシャンや宇多田ヒカルのようなアーティストたちとの共演といった経験が影響しているのではないかと、そう考えたくもなる。しかしKOHHの答えは、そのような紋切り型の予想を裏切ってくれる。「特に自分で感じる変化はないですね。ただそのときの気分で作ってるだけです」。「ひとつ」や「ロープ」のような曲さえも、「そのときの気分で作った」というのは、つまり自分が「一時的に」そのような曲を書くモードの中──時間が経てば消えてしまう蜃気楼のようにテンポラリーな──に存在していたことを、今の自分の位置から、距離を置いて──どこか醒めた視線で──眺めているようだ。KOHHはそのような意味で、徹底的なリアリストだ。彼の制作のモードは移ろい続ける。それは決してひとつの何かに回収されることはないだろう。その場その場の自分自身が「one of them」であり、相対化されている。言い換えれば距離を置いたカメラからのメタ視点で、瞬間瞬間の自己をもまなざし、記録しているのだ。

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JACKET AND MASK RICK OWENS. TROUSERS FROM VELVET.

さらにこの「そのとき」というのは、文字どおりリアルタイムであることも示している。「今回は本当に歌詞を書かずにフリースタイルで録った曲も多いんですよ。完全にビートが終わるまで何も考えずに歌い続けて、あ、終わった、みたいな。書くのめんどくさいんで、とにかく歌ってみる。そうすると自分でも想像してなかった何かが生まれてくる。後から、俺こんなこと歌ってたんだ、こんなフロウしてたんだ、って思うくらいに遊んでます。「まーしょうがない」とか、あとはなんだっけ……忘れちゃいました(笑)」。この言葉どおり「いつでも」では〈遊びながら/これも仕事〉〈とりあえず曲作り/それだけやりたい〉と創作活動への思いを綴っているが、フリースタイルで次々と曲を作ってしまうとなれば、一体どんなペースで曲作りに向かっているのだろうか。「たまに止まらなくなっちゃうときがあって、このあいだも3〜4日で15曲くらい作りました。ベッドに入ってもどんどん浮かんできちゃって眠れないんです。〈無敵状態〉って言ってるんですけど。ビートをガンガン変えながら、一曲録ったら次、また終わったら次、っていう感じで。椅子に座って、半分寝ながらレコーディングしてることもあるくらいで」。確かに以前と比較し自前のレコーディング環境がずっと身近になった現代のアーティストたちにとって、ワーカホリックであることもひとつの才能かもしれない。「『UNTITLED』に入っているのは結構昔の曲も多くて、正直「古っ」って思います。今はまた全然違う感じの曲をやってます」

そう聞くと早くも次回作への期待が膨らんでしまうが、今作の魅力はまだまだある。全10曲の収録曲は、それぞれ異なった表情を持っている。似たような曲調や、リリックの内容や、ラップ/歌の表現が続くことは決してない。たとえば中盤の流れを見ても、「Fame」ではダークでトラップライクなビートにディストーションがかった地声のライムが乗るかと思えば、「まーしょうがない」ではどこかコミカルなビートに癖のあるフロウが披露され、「いつでも」ではメロウなピアノベースのビートにオートチューンがかったファルセットがアドリブらしいメロディを追う。次の「Okachimachi」でも鼻にかかったフロウが特徴的だし、続く「Leave Me Alone」はエレクトリックピアノが牽引するこれまでにないほどメロディアスなメロウチューンだ。これらの声やフロウの多様性は意識的なものだろうか。「『DIRT』のとき、特に「Living Legend」や「Now」を録ったあたりはとにかく喉を壊すことにハマって、追求したんです。何回も何回も歌って、喉がぶっ壊れたタイミングで、よっしゃ、録ろうって」。KOHHがそう答えると、318が「忌野清四郎さんもきれいな自分の声にコンプレックスがあって、それを壊すために、とにかく叫びまくったそうですが、そんな感じです」と補足する。確かに今作ではそのような「叫び」は限りなく控えめだ。「今回は、その頃とはまた違って。「Okachimachi」をレコーディングしたときは蓄膿症でメチャクチャ鼻が詰まってたんで、鼻声になってますね(笑)」。フロウが多様なのは、先述のようにフリースタイルが積極的に取り入れられている結果でもあるだろう。

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VEST AND TROUSERS, BRACELET (WORN AS A HEADPIECE) RICK OWENS. T-SHIRT STYLIST’S OWN. SHOES MODEL’S OWN.

そのような多様な表現に彩られた本作の中でもさらに異彩を放つのが、アルバムのラストから2曲目に位置する「I’m Gone」だ。遠くから響いてくるような深いリバーブがかかった声による〈I’m gone/今でも覚えている昔のこと〉と言葉数少なめな語り口が印象的なこの曲は、後半ではオクターブを下げたゴーストのような低音が顔を出し、〈何も見ることはない/I’m gone/何も言うことはない/I’m gone〉と耳元で囁く。逆にKOHHからこの曲の印象を問われたので、ダークなビートと声のエフェクトが入り混じって目を閉じて聞くと恐ろしいくらいだと答えると、「これは死者の目線で書いた曲なんですよね」と教えてくれた。このようにリリックの人称を様々に移ろうことも、無意識に凝り固まりそうになる自分自身の表現を醒めた視線でまなざし、オルタナティブを選択することにほかならない。

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VEST RICK OWENS. T-SHIRT STYLIST’S OWN.

これだけ多彩な表現の器としてのビートのカラーも、本作においては様々だ。良いビートを選択するのもラッパーの才能と言えるなら、KOHHがビートを選ぶ基準はあるのだろうか。「逆にラップを乗せる側次第で、勝手にヤバいビートになるんだと思います」。プロデューサーの318の元にも様々なビートメイカーによるビートが集まるというが、KOHH自らYouTubeやSoundCloudでビートを探すことも多いという。 一方で本作には、KOHHの表現の向き先に忠実に、時間をかけて用意されたビートも存在する。「実は「ひとつ」と「ロープ」のトラックは、24人編成のストリングスを生でレコーディングして作りました。だから最初と最後に置きたかったんですよね」。318はアルバム構成の意図をそう語る。確かにこの2曲は本作の中でも表裏一体の存在だ。最も強いメッセージ性を持ち、過去のKOHH像からは遠く思える楽曲。アルバムの最後の曲まで聞き終えたらまた最初の曲に戻るループ設定で本作を聞いてみると、実は「ロープ」の後に「ひとつ」が来るのもまた非常に自然な展開であることに気づかされる。丸い地球と命の連鎖を歌う「ひとつ」こそが、このアルバ ムの円環構造を成立させているのかもしれない。しかし延々とこの円環をたゆたうこともまた、KOHHが体現する移ろいとは相反するのだ。なぜなら、この「ひとつ」を成立させているのは、KOHHの徹底的にリアリスティックな醒めた視線だったからだ。その視線によって切り取られた楽曲は、僕たちの五感の普段使っていない部分に働きかけてくる。「ひとつ」のリリックの内容とは裏腹に、永続するもの、ベタに何かに「なる」ことはないことに気づかされる。いや、薄々そのことに気づいている、ヒーロー不在の時代を生きる僕たちに、その事実を確認させる。テンポラリーに、何かで「ある」こと。そして次の瞬間には、移ろうこと。僕たちは、KOHHが移ろうその軌跡から、目を離せないでいる。

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Credit


Text Masashi Yasuda
Photography Toki
Styling Ryota Yamada