Fotografia di Mitchell Sams per Marc Jacobs

Marc Jacobs 2018SS:行き先のない退廃の休暇

フェイクフェザーのボアと、ティンセルいっぱいのビーチサンダルで着飾るバケーション。

|
sep 19 2017, 5:05am

Fotografia di Mitchell Sams per Marc Jacobs

チャールズ・ディケンズの『大いなる遺産』に登場するミス・ハヴィシャムや、メイスルズ兄弟がドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』で題材にしたニューヨーク社交界の名士イディス・ビール、そして映画『赤い風車』などで知られる女優ザ・ザ・ガボールなど、マーク・ジェイコブスは、敬愛するひとびとをイメージしてデザインすると魔法を生みだす。そこにはエキセントリックで、どこか物悲しげ、ときには悲劇的な雰囲気をまとった女性像ができあがる。輝くシークインに埋もれて悲しみに暮れる女性。閉館したジーグフェルド劇場で行なわれたMarc Jacobs 2016年春夏コレクションにも、そんな女性が溢れていた。華やかなバケージョンのうちに永遠に閉じ込められてしまったような女性——今季Marc Jacobsのヒロインは、そんな女性だった。

がらんどうのパーク・アヴェニュー・アーモリーを、モデルたちは距離を保ったまま静かに歩いた。着飾った女性たちがいる場所——それがどこなのかを示唆するエキゾチックな音もない。そもそも音楽がないのだ。このバケーション自体が、彼女たちの頭のなかで作り出されているものなのかもしれない。

ショーの冒頭に登場したルックは、山中での休暇を想定したファンタジーだった。レモン色のナイロンや半透明のポリ塩化ビニル、ゴムのような質感の合成繊維で作られたパーカは機能性を追求しているように見えるものの、シルエットはオーバーサイズでボトムにはシルクのハーレムパンツやシークインが散りばめられたスカートが合わせられていた。バッグもまたスポーティなマルチカラーのウエストポーチから運ぶのに手伝いが必要なほど大きな革のフライトバッグまで、実用性と誇張の間を行き来するような世界観だった。シューズはティンセルでできたフリンジがつま先部分にあしらわれていた。キラキラと輝くフェイクファーやフェイクフェザーでできたボアをバッグから下げたモデルたちが木のフロアを歩くたびフリンジがカサカサと音を立てた。

ショーの第2部は、パームスプリングスかカプリを舞台としていたにに違いない。そこには60年代のPucciの雰囲気があった。ドイツ人モデル、ヴェルーシュカのごとく半透明のタイツを履いたモデルたちが珊瑚色のうずまき紋様のプリントをまとって現れた。スリム・アーロンズの写真のような夢見心地の世界にプラスチックのビーチサンダル(ジュエリーで飾られていた)やナイロンのダッフルバッグ、サテンのレーサーストライプ・トラックパンツなど、モダンな要素が添えられていた。

キャッツアイのアイライン頭にはターバン、そして体はスノースーツに包まれたベラ・ハディッド。はじめてのスキー旅行に何を持って行けばいいか分からず必要になるかもしれないものをバッグに詰め込んできた——ベラはそんなお姫様のように見えた。フィナーレではターバンがすべてのルックにアクセントを与えていた。帽子デザイナーのスティーブン・ジョーンズによるターバンは、すべてがスカーフから造形され、なかにはクリスタルのピンがあしらわれたものもあった。ショーノートにはそれらのターバンが、「メット・ボールでケイト・モスが見せたルック」に着想を得て作ったものだと書かれていた。また、映画監督ソフィア・コッポラがターバンを頭に巻いているポートレイト作品も重要なインスピレーションとなっているという。たしかに2009年のメット・ボールでゼブラ柄の階段をマーク・ジェイコブスと手をつないで上がる全身ゴールドのケイトを彷彿とさせるルックではあるが、そこには『グレイ・ガーデンズ』でアメリカ国旗を持って踊るイディス・ビールのヘッドスカーフや、『サンセット大通り』でグロリア・スワンソンが頭に巻いているヘッドラップなど、幻想の危うさが香っていた。

このコレクションには、「Somewhere(どこか)」という曖昧なタイトルが付けられていた。幻想と現実の境界線は意図的に不明瞭なままにされている。しかし服自体はわたしたちをどこかへと連れて行ってくれる力を持っていた。静寂のなか、最後に登場した2ルックが舞台袖へと姿を消すとガラスのビーズがぶつかり合うる音が遠ざかっていった。

Credits


Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.