©︎Oda Kaori

世界をリサーチする、記憶装置としての私 『セノーテ』小田香interview

縮こまっている私たちの感性を、今年最も強く刺激する映画の一本であろう、ドキュメンタリー映画『セノーテ』。巨匠タル・ベーラから薫陶を受け、審査員の坂本龍一・黒沢清による絶賛のもと第一回大島渚賞を受賞した気鋭に、ロードショー公開を控える新作について訊いた。

by Fumihisa Miyata
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14 September 2020, 12:00am

©︎Oda Kaori

メキシコ・ユカタン半島北部に散らばる、大小さまざまな洞窟内の泉──セノーテ。マヤ文明の時代から今に至る現地の人々の「記憶」が、暗がりの水中を漂う画面から溢れ出す。時に鮮烈な光が乱舞し、正体も知れぬ生き物の鳴き声が耳を突く。

サラエボの炭鉱で漆黒の闇と轟音を捉え、観客を驚かせた前作『鉱 ARAGANE』から3年、待望の新作だ。かねてより「将来は宇宙を撮影したい」と話す小田香、そのビジョンという小宇宙を、共に遊泳してみよう。

──2020年2月の恵比寿映像祭、『セノーテ』上映後のQ&Aで、スキューバダイビング好きの女性との質疑応答が盛り上がっていましたね。

小田香:そうでしたか(笑)。東京での初上映だったのでややアウェイ感もあって、あまり上手く質疑応答できなかったという、ぼんやりとした記憶だけはあるんですけれど……。

──私も映画としての『セノーテ』について質問したのですが、あまりピンとくる問いができなかったようで(笑)。ダイビングの名所としてのセノーテに惹かれて来た女性と楽しそうに話す小田さんを見て、もしかしたらご関心のありどころが違うのかな、と。

小田:映画を見て育ってきたわけではないんですよね。よく作家の人たちがおっしゃられるような、映画に対する憧れというものを、私は映画を撮り始めたときに持っていなかった。それはデカいと思います。ですから、自分にとって「映画って何なんだろう」、もしくは「映画制作って何なんだろう」と考えるところから、始めていったんです。

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──高校まで打ち込んでいたバスケットボールを怪我で断念し、大学からアメリカに。卒業制作として、一本の映像作品が課されました。

小田:自分が同性愛者であることを家族にカミングアウトした『ノイズが言うには』を、映画とは何かをわからないまま──もちろん今もわかってないんですけど、具体的なイメージがないままに撮っていきました。

──カミングアウトしたときのご家族の反応を、家族みんなで再演・追体験する作品ですね。なら国際映画祭2011 NARA-wave部門観客賞を受賞されました。

小田:カメラを使い、撮影するという手段を通じて、人とコミュニケーションしたり、あるいは物事をちょっとでも理解したりできたらいいな、という気持ちがあったんです。もしくは、知らないものを知れたらいいな、知っているものも本当は知らないと気づけたらいいなあ、と。でもいったん制作が終わると、憧れから始めたわけではないので、特に撮りたいものもなくポカンとしていました(笑)。

──そうなんですね(笑)。

小田:そうしたら、なら国際映画祭のスタッフの方が、タル・ベーラがサラエボで始めようとしていた学校「film.factory」のことを教えてくださって。『ノイズが言うには』を送って応募したら彼の目に留まり、参加できることになりました。でも、ゲイとしての自分をめぐる葛藤は既に解消されていましたし、何を撮っていいのかはわからないまま。そこで、ひとまず自分が興味のあるものを撮ることから始めて、「なぜ撮っているんだろう」「自分にとって映画制作とは何だろう」と考えていく──そのプロセスを撮り出したんです。

──ボスニアの炭鉱に潜った2015年の長編第一作『鉱 ARAGANE』(山形国際ドキュメンタリー映画祭2017アジア千波万波部門特別賞受賞)も、そうしたプロセス自体を捉えていたわけですか?

小田:撮影自体はそのときに惹かれたものを直感的に撮っていましたけど、編集では、「なぜ自分はこれを撮ったのだろう」という意味付けをずっと考えていました。

■撮影しているとき=生きているとき?

──炭鉱からセノーテと、捉える対象のサイズが大きいですよね。

小田:もちろん、他の短編などでは、身近なものも撮っているんです。でもそれと並行して、まったく知らないもの、自分にとっての異空間を探究したいという気持ちがあります。

──制作中、ご自身がグッとくる瞬間はありますか。『セノーテ』を見ている観客としてはたとえば、まるで花火のように炸裂するセノーテ水面の水しぶきを捉えたショットに、胸が高鳴るはずです。

小田:まさにそうした細部です。ただ、ああいう水しぶきのショットも、その場では実際に撮れているかわからないんですね。むしろ、セノーテに潜っていること自体が、ものすごく怖い(笑)。それでも毎回ではないですが、カメラがあることで、生きている、撮影している……という気持ちになることがある。その積み重ねが好きなんだと思います。そうした断片を集めていって、その断片が何だったのか、編集のときに考える。

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──泳げないのにダイビングを学んで、8mmフィルムカメラやiPhoneで撮影されたそうですね。それにしても、「生きている」と「撮影している」というふたつの実感が並び立つのですね。

小田:ものすごく集中して、耳を澄ませることができているときですね。たとえば『セノーテ』では現地の方のポートレイトも撮っていますが、しっかりと自分がその場にいて、人の話が聞けているな、という瞬間がときどきある。人に限らず、自然でもそうです。撮影していて、ちゃんと生きているな、と感じるときがあります。

──タル・ベーラは「人生を捉えろ」と繰り返し説きます。ベーラや小田さんの作品を見ていると、人間の人生を捉えることと、周囲の環境や自然、あるいは時代も隔てた時空間をも捉えることが、密接につながっていますね。

小田:「我々が映画をつくるのは、映画のためではない」と、常々彼はいっていました。人間の生活のため、世界がちょっとでも良くなるためだ、という希望がこめられていた言葉であるはずですし、それは自分も受け継いでいると思います。その上で私は、風景を撮る場合、人の気配を──たとえば、過去にそこに人がいたんだろうなあと感じることが好きなんです。そういう気配を感じたときに、カメラを回していると思います。

■自分の体に記憶を溜めたい

──『セノーテ』はまさに、気配の集合体のような映画ですね。「ありえない記憶」というフレーズが出てくるのが印象的です。

小田:ああ、その感覚は私の中にあります。集合的無意識というか、個人個人の物語の断片を合わせたら、何か集合的なものが浮かび上がるんじゃないか──浮かび上がってほしい、という気持ちがありますね。

──その過程で、まさに泳げなかったのにセノーテにダイブしていくように、ご自身の身も異空間に晒していきますよね。きっと、他のカメラマンが潜るのではダメなのですよね?

小田:私自身が撮影することによって、自分がひとつのメディアになれればいいな、と思っています。自分がひとつの、何かを記憶する装置であって、そうした私の体を通して、映画というものになっていけばいいな、と。この体に記憶を溜めたい、経験させたい、ということがあるかもしれません。

──カメラとはほぼ一心同体なのですか。

小田:そうなれたら一番です。でも、技術も要るし、運も要るから、必ずしもそうなれるわけではない。たとえカメラが回っていなくても、私という記憶装置が回っていたらいいですね(笑)。

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──ただ、そうした境地はかなりシビアですよね。たとえば村上春樹氏は、井戸の底に潜った人間が異なる時空間──たとえば見知らぬ過去の戦争の記憶へと接続していく「壁抜け」を小説に描きますが、それはかなり過酷な境地でもあるはずです。

小田:うーん、でも私個人という人間以上のことはできないですから。私のキャパシティー以上のレベルのものは抱えきれないですから、生き延びるためにうまく逃がしていると思います。そうでないと、つづけられませんから。

■なぜ映画を撮りつづけるのか?

──つづけるということでいうと、小田さんは『鉱 ARAGANE』の轟音をCDにして、ジャケットの絵も自ら手書きされているように表現手段は幅広いですが、その中でも映画はつづけていらっしゃいますよね。

小田:やり始めたから、今もまだやっています。絵はこれからもちょこちょこ描いていきたいなあと思っているんですが、映画を始めたからには、ある程度追究したいんですよね。つづけないと、自分が本当に何をやっているのか、わからないだろうな、と。その探究の途中、というか、まだスタートラインにいるんです(笑)。

──途中ということでいえば、将来宇宙を撮りたいと常々おっしゃっている小田さんが、隕石によって形成されたとされるセノーテを撮ったというのは、印象的な出来事ですよね。まずは宇宙の痕跡から、というか。

小田:いやあ、そうですよねえ。自分でも、なんて巡り合わせなんだろうと思いました。メキシコの友人がセノーテに誘ってくれたから行ってみたら、実は恐竜を絶滅させた隕石の跡だといわれているという……。他人事のようですが、なんだかロマンがあるなと思いました、ハハハハハ(笑)!

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──今後はどうされるのですか。

小田:「わからないものを撮る」ということはつづけていきたいんですが、『鉱 ARAGANE』から『セノーテ』と同じような方法で制作してきて、「このつくり方ならできるな」ということは確かめられました。だからこそ、「書くことでの探究」に挑戦してみたいな、とは思っているんです。これまで脚本を書いたこともないんですが。

──「書くことでの探究」ですか?

小田:今までは撮ることがすべてだったのですが、脚本とまではいかないまでも、書くことを通じて自分は物事を考えられるのか、ということですね。とはいえ、脚本をバーッと書いてから撮る、書くことが先行するというのは、ステップとしてデカすぎるので、ないと思います。たとえば、撮るということがリサーチになって、そのドキュメンタリーの部分を踏まえながら、自分が想像で書いたフィクショナルな部分が重なっていって……というような作品にできたら、次の挑戦としてはいいんじゃないかな、と。まあ、でもいろいろと映画を見るようになって、映画に憧れが出てきているので、そろそろ失敗する頃なんじゃないでしょうか(笑)。

──近々、痛い目に遭いそうだと(笑)。それにしても、撮ること=リサーチなんですね。

小田:これまでも、撮影するごとに編集しているんですよ。

──そうなんですか?

小田:『セノーテ』は3回リサーチに行っているんですが、一回目の撮影が終わったら編集してまとめ、小さな作品をつくって、それを見てから2回目に臨んで、またちょっとまとめて、それを見て3回目に臨んで、最後に総仕上げをする……という感じでした。

──お話を伺っていると、ワンステップずつ実験や調査の結果を積み上げていく、科学者のような手つきですね。そうして出来上がった作品は、ここ最近、それこそ感応する装置としての機能が弱ってしまった私たちを刺激するようなところがあります。

小田:どうなんでしょうか、皆さんがどんなふうに暮らしていらっしゃるのか、いまいち想像ができていないんですけれども……。でも、映画を見ていただいて、「違う世界に行ってきた」と感じてもらいたいのと、「あ、これ、何か知ってる」「自分にとってちょっと懐かしい景色だな」と思ってもらいたいという、ふたつの気持ちがあるんです。

──なるほど。「ありえない記憶」というのは、そうした境地かもしれませんね。

小田:まったく自分と異なる、刺激的な世界への冒険という部分。一方で、懐かしいと感じてもらえるような部分。その両方を味わってもらえたら、嬉しいですね。

『セノーテ』は9/19(土)から新宿K's cinemaにてロードショー、全国順次公開

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