© Eiki Mori Courtesy of KEN NAKAHASHI

違和感は背後にある常識を暴くシグナルにもなる:中橋健一 × 森栄喜 対談

今なお世界にはジェンダーにおける認識の断絶が横たわる。ここ東京も同じだ。街の片隅で埋もれそうな小さな声に耳を傾けるための姿勢について、作家・森栄喜とギャラリスト・中橋健一に話を聞いた。

by Hiroyoshi Tomite
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01 July 2020, 6:00am

© Eiki Mori Courtesy of KEN NAKAHASHI

第39回木村伊兵衛賞を写真集『intimacy』で受賞して以降、40組にわたる多様な家族のあり方を捉えた『Family Regained』を筆頭に、自身の視点から映る世界を写真に投影し続けてきた森栄喜。一方、新宿二丁目という東京のクイアカルチャーを語る上では欠かすことのできない場所に居を構え、ギャラリー「KEN NAKAHASHI」として、現代のジェンダー、マイノリティといった社会の隙間で生きる者たちが抱える「違和感」に焦点を当ててきた中橋健一。声なき人たちの声に耳を傾けてきた二人の目の前に横たわる未だ拭えきれない差別や偏見に対する捉え方、意識について、長年の親交も深いふたりに話を聞いた。

──まずは、森さんへの質問です。ご自身がアーティストとして、世に作品を提示することはすなわち世間、常識に対する問いでもあるのでしょうか?

M:結果的にこれまでの作品は、問題意識を問う形になっているかもしれません。けれども、根本的な部分としては、他者との関わりの尊さ、愛しさ、美しさを唱っていて、そこを立ち上がらせたいんです。でも、僕が少数派であることに変わりはなくて、多数派と同じように訴えていても、なかなか声が届かないという前提があります。だからこそ、作品の発表の過程では、協力してくれた人たちとのパーソナルな関係性を傷つけないための細心の注意を払うと同時に、作品に込めた小さな声を埋もれさせてしまわないために、時にはラジカルで大胆な装置も必要だと考えています。

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© Eiki Mori Courtesy of KEN NAKAHASHI

──クイアとして拭えぬ生きづらさを掲げるということでしょうか?

M;そうですね。極端な言い方になってしまうのですが、声を上げ続けないと“排除されてしまう”かのような感覚があって。それはコロナショック以前から強く感じています。

── 次は中橋さん。「KEN NAKAHASHI」ギャラリーの役割について教えてください。

K:森さんが仰ったような、生きていく上で感じる理不尽さを和らげたいんですよね。私自身としては、ギャラリーで作品を展示する行為は、生きやすい世の中をつくるためにささやかながらも波紋を起こす行為だと捉えているところがあります。“生きづらさ”って生存に関わる普遍的な問題ですよね。個人的な話でいえば、自分自身も幼少期から同性愛を認識して、それをうまく誤魔化せずにいたため、攻撃を受けてきた人生だったんです。それでも世の中と折り合いをつけるために、カモフラージュしながら生きてきた。そういう理不尽さをギャラリーを通じて少しでも和らげる提案をしたいんです。

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© Eiki Mori Courtesy of KEN NAKAHASHI

── 境界を再定義し直すということでしょうか?

K:そうですね。クイア、ジェンダーに関する話は、マジョリティの間では見て見ぬふりをされてしまう話題のひとつ。そういう人たちの”生きづらさ”が解消されていけばいくほど、皆にとって生きやすい世の中になることは間違いないと信じているので。そうした対話の機会をギャラリーを通じて生み出していくというのは、コロナ以前から続けてきて、そしてこれからも一貫して変わりません。

── クイアでマイノリティという立場を自認してこそ伝えることができる、対人や対社会との関わり合いで大切なことについて教えてください。

M:自分自身も含めてですが、人の背後には、個人の思想の根幹というか、影響をどっぷりと受け続けている、手に負えないような大きな社会構造があると思うんです。社会が持っている偏見やジェンダーロールが生み出す息苦しさ。日々の中でふと「これ違うんじゃないか」と違和感を感じたら、友人との会話の中や、SNS、作品を通して、とりあえず声に出していく。家族や恋人、友人などの身近な人へ、自分が所属する組織の中で、匿名の不特定多数、社会へ向けて、自分の違和感を見逃さないで、流さないで、その都度、1つ1つに対して声を発し続けることがとても大切だと感じています。

K:生活に追われて忙しいと他の何かに関心を向けるエネルギーの余裕すらなくなってしまう。でも今回のコロナ禍では、社会と離れて生活せざるをえなかった。すると、余暇ができて今までにない時間を確保することができた。そうすると人は、無意識のうちに日々を気持ちよく過ごすために花を家に飾ろうとしたり、映画を観たり、生活に彩りを見つけようとする。一見、自身の仕事や目的と関わりのない行為とは、実は見えない部分で自分自身を殺しにかかってくる社会のシステムに抵抗しうる手段にもなると思うんです。コロナの期間はより謙虚に、より多くのいろいろな人の声に耳を傾けるチャンスになったという人も多い気がします。人の話に耳を傾けると、自然と自分の中からまた声が出てくるという、その反復作業こそが何より重要だと伝えたい。

M:中橋さんが仰ったように、声を出すことによって、初めて他者との対話が生まれて、時間はかかるかもしれませんが、少しずつ意識が変わっていくはず。また、自分自身の声を持ち、発することで、自分よりもさらに深刻な状況に直面している他者の声の存在にも気づき、眼差しを向けられるようになると思います。

── 今回、森栄喜さんの個展「シボレス | 破れたカーディガンの穴から海原を覗く」では、写真ではなくサウンドと言葉を使った背景について教えてください。

M:数年前に「フェスティバル/トーキョー」という演劇祭に参加させていただく機会があって。そこでポエトリーリーディングのパフォーマンスをして、小さな声をどう届けることができるのか、社会の中でどう存在させられるのか。観客の反応を直に体感して、抱いた思いがきっかけになりました。今回の作品は多言語で対話のようにやり取りされる合言葉(シボレス)を発している、たくさんの声で構成しようと考えていました。昨年からずっとリモートで各国各都市に住んでいる友人たちにスマートフォンで録音してもらい、制作を進めました。この作品に一番適したメディアは何かと自問して、サウンドインスタレーションとしました。表現手段を転換させることは、作家として少し怖いことでもあるんですが、普段、枠組を認識して飛び出す自由があることを気づいてもらうために作品を作っているのに、僕自身が「写真家」というラベルに囚われて不自由になってしまうのは、元も子もないなと思って。

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© Eiki Mori Courtesy of KEN NAKAHASHI

── 境界線を壊していく行為は、クイアネーションにもつながっていきそうですね。

K:関連してますね。森さんの作品は、自分の境界には入れたくないな、というような境目に生じる違和感を、誰もが吸ったり飲んだりできる空気や水のようなものに変えてしまうようなところがあるなと思うんですよね。だから知らず知らずのうちにその違和感を吸い込んでいる。でも一方で境界を超えるということは、具体的には異なるコミュニティ間を横断したり、敷かれた枠組みを逸脱することでもあります。そこには常にリスクが伴うわけです。タイトルの「シボレス」も、士師記12章にある「シボレテの悲劇」によると、紀元前1370年~1070年頃、キレアドの住民がエフライム族との戦いに勝利した際に生き延びてヨルダン川を渡り故郷に帰ろうとしたエフライム族を見分けるために使われた言葉なんです。その言葉を正しく発音できないと殺されてしまう。生死を分けるような言葉を発生させるリスクを取りながらも、そのリスクを和らげているという印象を森さんの作品から受けました。

── 境界線を和らげる=空気または水のようなもの、という表現を具体的にどのような意味に置き換えられるでしょうか?

K: 『Family Regained』シリーズでは、家族という普遍的な関係性を多様なジェンダーで構成している一方で、全体としては被写体をすべて赤い色の世界に溶け込ませていました。数年前の「フェスティバル/トーキョー」で発表されたパフォーマンスでは、意図的に過剰な音が出されていました。そうすると森さん自身の声はかき消され、街の中(騒音)に溶け込んでいくんです。それは反作用的に森さん自身の声が声としては届かないまま、音として存在感を増しているようでした。まさに空気とか水、そして音といったもののように遮ることができず、すっと境界の間に入り込んでしまうものに似ていると感じたんです。

M:確かに、そうした表現方法は一貫しているかもしれません。僕が捉えた日常のささやかな事象を作品を通して、みんなの前にあらためて並べて見せることによって、違和感を沸き立たせるというか。並列された中から何かが突出して感じるのは、実はその人の意識や社会の常識が追いついてなかったもの。つまり、鑑賞者がなんとなく持っているイメージや世論のような曖昧なもので判断している、ということでもあると思うんです。

── 違和感を感じるのは鑑賞者の置かれている社会や背景にある価値観のあらわれだと。

M:そうですね。無意識に拠り所にしていた価値観や判断基準のようなものが如実に暴かれる感覚。だからこそ僕の作家としての仕事は、僕にとっての、ささやかでとても「普通」のことを、丁寧に並べて、見てもらうことだと思うんです。

── そういう意味では、表現するスタンスは過去も現在も一貫していると。

M:はい。でも、声を発する、声が届くよりも速く、世界がどんどん変容していくような時代の中で、「今これを伝えなくては」という切迫感は強くなっています。

K:私も一貫してますね。ギャラリーでは作家の根本にあるテーマを貨幣的な価値やラベルに囚われずに、社会との関係性を自分の言葉で紡ぎ直している感覚です。そもそも常識とされてきた解釈の書き換え、読み替え作業をしているような場なんです。そして自分自身の拠り所でもあります。だからこそ、こうした作品を通じ、対話を弛まなく反復させることで、目の前に横たわる差異についての理解を深めていく機会を作りたいと思います。

森栄喜「シボレス | 破れたカーディガンの穴から海原を覗く」
Eiki Mori Shibboleth—I peep the ocean through a hole of the torn cardigan
期間:2020年6月24日(水)から8月2日(日)まで
場所:KEN NAKAHASHI
住所:160-0022 東京都新宿区新宿3-1-32 新宿ビル2号館5階
事前予約:https://airrsv.net/kennakahashi
開廊時間: 水・木・金 11:00 - 19:00、土・日 11:00 - 17:00
休廊: 月・火

https://kennakahashi.net/ja/exhibitions/


Photography © Eiki Mori Courtesy of KEN NAKAHASHI
Interview and Text Hiroyoshi Tomite

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