個人主義から集団主義へ:コロナが終わったら取り組むべきたった1つのこと

遅かれ早かれ私たちはワクチンを手にするだろう。そのとき考える時間は終わり、行動が始まる。コロナと共にネオリベラリズムも葬り去ろう。

by Nathalie Olah; translated by Ai Nakayama
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02 July 2020, 8:44am

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世界が近年稀に見る災禍に襲われ、ひとびとが家にこもっている今、私たちは社会の重要性や他者との協働について、そして何より、私たちの生活に安全や尊厳を与えてくれている、最前線で懸命に働くひとびとへの大きな恩義について考える機会を得ている。

新型コロナウイルスは世界中で感染拡大し、数百万人ものひとびとを苦しませ、悲しませているが、遅かれ早かれ私たちはワクチンを手にするだろう。そのときこの〈考える時間〉は終わり、行動が始まる。このままいけば、私が暮らす英国の新型コロナによる死者は、イタリアの死者を超える可能性すらある。それは本来、避けることができたはずだった。こうなってしまったのも、人間の命を軽視する政策を進めてきた政府の怠慢のせいだ。

コロナ禍終息後の経済の立て直しが検討されているが、今のリーダーたちは〈従来どおり〉を主張するだろう。デヴィッド・キャメロンが推進していた〈大きな社会〉構想が再始動する可能性もある。〈大きな社会〉構想とは、教育機関を含む公共サービスへの歳出削減を進め、そのぶんの隙間を埋めるために、民間ビジネスを立ち上げやすくしてより多くのひとに市場に参入してもらおうという考え方だ。

しかし今や多くの民間企業が、倒産の危機に瀕している。〈従来どおりの政策〉は、この状況でひたすら空虚に響くだけでない。実際に、新型コロナで命を落とした1万2000人以上の英国人、そして私たちの命を守るために自分の命を危険に晒し続けている数十万人の医療スタッフに危害を加えている事実がある。国民も〈従来どおり〉に疑問を抱き始めている。

彼らのためにも絶対に変革が必要だ。もちろん、それは容易ではないだろう。今、職場に足を踏み入れること自体が恐ろしい、と思うひとも多いはずだ。世界の様相はかつて想像した姿とは程遠いし、仕事の機会も限られている。

しかし他者と協働し、クリエイティビティを発揮することにより、あなたは歴史の一部となり、いうべきことをしっかり述べ、現在の社会の混乱の原因であるネオリベラル(新自由主義)的な政策にノーを突きつけた世代の一員となれる可能性だってある。英国と米国という、国家による市場への介入を極限まで減らしたふたつの国が、新型コロナウイルスの感染拡大の抑え込みに特に苦慮していることは、決して偶然ではない。

恐ろしい悲劇にも、私たちが学びを得て進歩するチャンスが、そして医療スタッフへの配慮がなされ、弱い者が守られ、人間の命が経済的利益よりも優先される世界を構築するためのチャンスが潜んでいる。ある意味では、この変革への種はすでに撒かれているといえよう。

これまでに、2017年、2019年の労働党のマニフェストを下敷きにした、保守党政権下では考えられないような短期政策が実施されてきた。ホームレスのためのシェルター設置、失業者への生活資金の保障、国民保健サービス(NHS)の政府からの借入の帳消しなどの尽力がなされ、これらの決断は行政がなすべきもので、決して不可能ではない、という、これまで頻繁に主張されていた言説が証明された。

ただでさえ感染による被害が留まるところを知らず、社会が大きな悲しみに包まれているなかで、経済は縮小し続け、企業の未来は不明瞭となり、数百万人が経済的な不安を抱えて生きている。上述のような政策がいつまで継続される必要があるのか、その終わりは見えない。

悲観主義は不要だが、経済が打撃を被り、これほどの悪影響を及ぼしているとなると、現状維持は愚策だろう。気候変動に関連する異常気象も頻繁に起きている。この先まだまだ、新型コロナ以外の数多くの打撃が、私たちを待ち構えている。

経済学者、あるいは政治専門家でなくても、代替策を見い出すことはできる。新型コロナウイルスは、人間がいかに強く結びついていたかを教えてくれた。私たち個人の健康や安全は、コミュニティ全体の健康と安全にかかっている。リソースは無限ではないので、私たちは共に協力し合い、社会が崩壊しないように用心しなくてはならない。このプロセスを通して、私利私欲や出世主義とは対極に位置する直観やモチベーションが培われるだろう。

単刀直入にいうと、私たちは、社会の重要性というものを改めて強く主張する必要があることに気づくはず、ということだ。

それは左派がこれまでずっと主張していたことだ。左派は長いあいだ、個人主義に傾く主流メディアや労働文化、政情に反抗しながら、今の経済をより集団主義的なかたちで構築することで得られる利益を必死にひとびとに説いてきた。

貧困層には〈必死で働く〉ことによりいつか大きな富を手に入れる、という夢を抱くひとが多いが、この夢は、誤った根拠に基づいている。富が子孫へと相続されていく社会、縁故や私立学校の同窓生びいきが横行する社会、地域に必要不可欠な公共サービス従事者や医療スタッフがその日暮らしを強いられている社会、投資銀行家や法人顧問弁護士がいとも簡単に利益を得られる社会に、実力主義など存在しない。

2008年の世界金融危機後に発足した保守党・自由民主党の連立政権は、英国全土で緊縮財政政策を推し進めた。その政策は富裕層を守り、数百万の低所得世帯を絶望の淵に立たせることになる。横暴な銀行への支払いのために、高等教育を受けたいという夢が潰えた若者たちも多い。

左派への支持は、それを受けて高まった。リーマン・ショック以前、左派の支持率は落ち込んでいたものの、それ以来何年もかけて、着実に勢いを強めてきた。今や何百万人もの英国人が、新しい可能性への期待を高めている。

金融危機への対応は、闘う相手が金融化(financialisation)、国と民間企業の癒着、人間の貪欲さなど実体のないものであったため、かなり苦しいものとなり、その結果、現在医療システムがパンデミックの影響で持続困難になってしまっている。緊縮財政のもとで、人命のためにかかる費用は往々にして隠匿され、測定が困難だった。

しかし今、毎日発表されるデータにより、NHSに充分な予算を割いてこなかったこと、そして最前線で闘う医療スタッフの訴えに耳を傾けてこなかったことで、壊滅的な、そして自らの命が危ぶまれるような結果が出ていることがわかっている。保守党が進めてきた経済政策にある根本的な欠陥を避けることは、もう不可能だ。

この先何が起こるのか。それは、コロナ禍の最悪な時期を乗り越えたあとで、私たちひとりひとりがどう決断するかにかかっている。

私は、今は休息しようとか、クリエイティブな活動に熱中しようとか、そんなことをいうつもりは毛頭ない。もし参考になる文献を探しているなら、スチュアート・ホール、マーク・フィッシャー、デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ハーヴェイ、アン・ペティファー、ナオミ・クラインの著書がおすすめだ。『Tribune』『Jacobin』などの雑誌の購読や、『Guardian』のいくつかのコーナーに目を通すのもいいだろう。

それらの手助けを得ながら自分の考えを鍛えていき、それを友人にシェアしよう。より良い未来のために、全力で準備を整えていきたい。

This article originally appeared on i-D UK.

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