PJハーヴェイ、1995年の傑作インタビュー

好評を博してマーキュリー賞まで受賞した前作から5年後の2016年、最新アルバム『The Hope Six Demolition Project』で自身7度目となるグラミー賞ノミネートを受けたPJハーヴェイ。来日を記念して、1995年に彼女がi-Dのカバーを飾った際の傑作インタビューを再掲載。

by i-D Staff
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31 January 2017, 5:55am

ポリー・ジーン・ハーヴェイ(Polly Jean Harvey)は偶像破壊を象徴するようなひとだ。彼女は、その音楽性を評価されながらも、その存在感から多くの憶測を生んできた。ここまで公衆の興味をそそるアーティストが、現在のポップ・カルチャーにいるだろうか?そしてこんな状況を、彼女自身はどう思っているのだろうか?

実際の彼女は、とにかく美しい。現実離れした美しさと言っていいだろう。黒い瞳と黒い髪は、褐色を帯びたキメの細かい肌と絶妙なコントラストを生んでいる。そこに、大きくふくよかな唇が座る。そこに浮かぶ笑みに、見る者はまばたきすら忘れる。彼女の声に、聴く者は息を飲む。イングランド南西部訛りの唸りにはまっすぐな熱意が垣間見え、私たちはハッとさせられる。そしてあの笑い方——唇から歯が覗くと、ポリーの顔を真の喜びが支配する。もしその笑いに値段がついていたとすれば、ひとびとは「あの笑顔が見たい」と、多少の高額であっても喜んで財布の紐を緩めてしまうことだろう。

そんなポリーの笑い——ここ4年間に彼女が経験したことを知っている者にとっては、その笑みが今見られること自体が、いささか驚きとして映るかもしれない。1991年、荒削りなサウンドの音楽とともに音楽シーンへ突如登場し、消滅寸前かと思われていたロックの伝統を如何なく体現したポリー。いま目の前にいるポリーは、そんなデビュー当時のイメージとは裏腹に、冗談を飛ばしたり仲間にいたずらをしかけたりと天真爛漫だ。そこで初めて私は、ポリーがまだ人間として発展途上の25歳の、普通の女の子なのだと思い出す。「ずっと自分が嫌いだった。だから、こうして自分を受け入れられるというのはとても新鮮な感覚。2-3ヶ月ほど前、ようやく『まあ、これが自分なのね。これでもいいか』と思えるようになった。自分で自分の何が気に入っているかは——恥ずかしいけど……」と彼女は言った。「左のお尻が好き。冗談だと思うだろうけど本当に!」

ギャングの精神性がもてはやされる今の世の中にあって、ポリーが作る音楽は偶像破壊的な存在感を放っている。そして、彼女の振る舞いを見ていれば、彼女が自身で選んでそのようなあり方を貫いているのだとわかる。ポリーの音楽は、ただ私たちの青春時代を彩るポップソングとは本質が違う。そして、彼女自身も、波乱に満ちた人生を演出する報道によって音楽が霞んでしまうようなアーティストではない。週ごとにトップが入れ替わるヒット・チャートの結果に一喜一憂する同世代ポップスターたちとも一線を画し、ポリーの音楽は時代を超えて響くものがあるのだ。イギリスにおける"名声"とは、いかにゴシップのネタになり、いかに多くのパーティに顔を出し、いかに宣伝と引き換えの商品無料提供がなされるかで測られる。しかし、ポリーはそれらすべてと無縁だ。食べ物を前に、香りに満足して味を分かった気になってしまうひとと、味をとことん堪能しないことには食べた気がしないひと——人間は二種類に分類される。ポリーは後者なのだ。「私の周囲で、私ほど私自身に厳しい人間はいないと思う」とポリーは言う。「自分を追い込まずにいられないの。この頭と体から何を生むことができるんだろうと、いつでも自分の限界を押し広げるべくプッシュする。それが楽しくて。自分がどれだけのものを作り出せるかを、この目で確かめたいの」。そのキャリアを通して、これまで何度となくメインストリームへの移行を提案され、また渇望されてきたポリーだが、そのすべてを静かに、そして丁重に断り続けてきた。そうすることによってしか、強くなれなかったのだ。「自分の道から外れないことは、特にイギリスのような環境ではとても重要」とポリーは力説する。「どこにもカテゴライズされないクロスオーバーの存在であることを、私は誇りに思っているわ。そんな存在だからこそ、ミュージシャンとして、人間として真っ当に生きることができるんだから」

彼女が今、幸せであることは目に見えて分かる。しかし、約1年間の休暇を経て3月に最新アルバム『To Bring You My Love』を引っさげてシーンへと戻ってきた際、ポリーはなかなか本来の自分に戻ることができずにいるように見えた。情緒不安定にさえ見えた。かつては抑鬱状態に苦しんだことを知っているファンは、その様子に「再発してしまったのではないか」と気を揉んだものだ。今、彼女はそんな自分自身を客観的に見ることができるようだ。「ここ数年で客観的に物事を見ることができるようになって、だいぶ楽になった。もう『なぜ私ばっかり大変なの!』というような自分とは決別したの」

ポリーは、"もう当時のような精神状態には陥らない"と決めているそうだ。「あの頃はどれだけ視野が狭かったことか——考えるだけでも恥ずかしい。いつも世界が私の肩に重くのしかかっているような気がして、自分を可哀想な人間だと思っていたの」とポリーは当時を振り返る。「私はとても静かな環境で育った。子どもの頃は友達も少なくて、兄と兄の友達としか遊ばなかった。自分との対話ばかりで生きてきて、有名になってからもずっとそうだった。自分の解釈だけで世界が成り立っていたの。あの頃は、自分の人生を受け入れられなくて、抑鬱状態になって——でも今では、"ああいう精神状態に陥ったからこそ今の自分があるんだ"と思えるようになったわ」

3人組バンドでしか生み出せないサウンドを打ち出してきたポリーだったが、そんな心境の変化を経て、今回のアルバム『To Bring You My Love』ではベーシストのスティーヴ・ヴォーン(Steve Vaughn)とドラマーのロブ・エリス(Rob Ellis)以外とのセッションに挑戦した。ベテランのミュージシャンたちを迎えてレコーディングした今作では、『Dry』と『Rid Of Me』にあった痛々しいまでのセクシュアリティが影を潜め、代わりに最近のポリーの心を捉えてやまない「罪」「救済」、そして「死」といったテーマが扱われている。トム・ウェイツやニック・ケイヴなどポリーが尊敬してやまないアーティストたちの影響も見られ、彼らがたどった道を辿るポリーの姿が浮き彫りとなっている。「自分が向かうべき方向性がわかった」とポリーはあっけらかんと言う。「計画立って聞こえるかもしれないけど、作風として"自分がどんなものを好きか"というヴィジョンが明確にあるからには、自分もそんな風になるべきなんだと思うの。明確な方向性が見えるんだったら、そっちへ向かうべきでしょう?他の誰のためでもない。私は自分がなぜミュージシャンとして今生きているか、その理由に見合ったことをしている。例えばトム・ウェイツは、彼が何を作り、それがどんな意味を持ってこの世に存在していくかをよく理解している。それこそ計画立っているように見える。でも私はそういう人々こそ尊敬しているし、そういうアーティストたちに負けないだけの存在になりたいの」

シングル「Down By The Water」をはじめとする新曲の数々は、これまでのアルバムにも共通する特徴だった彼女の確固たる姿勢を引き続き打ち出している。新しく用いたオーケストラのサウンドと、それによって強まったクラシック音楽への傾倒により、ポリーがかねてから伝えたいと願ってきた感情の深みが際立つことになった。「このアルバムは、これまででもっとも難産の作品になった。音楽的にだけじゃなく、精神的にも肉体的にも、感情的にもね。すべてを注ぎ込んだからこそ、本当に疲れるアルバム制作だったの」。しかし、その結果できがったこのアルバムに、ポリーはとても満足しているようだ。「人々が喜ぶアルバムを作ることもできる中、今回は自分がやりたいことをやりきって、貫きたいだけ意固地な姿勢を貫いた」。口角の片側があがり、ポリーは意地悪に見えて実は温かい笑みを見せた。「このアルバムには、聴けば極めて不快にちがいない曲もたくさん含まれてるはずよ!」

また、このアルバムのリリースに際して、ポリーのイメージにも変化が見られる。ポリーはこれまで、その時々のサウンドに合わせるように自身の容姿を変えてきた。「売春婦みたいな身なりをしながら頭では政治家のような考え方をしている女性を演じてるのよ」と彼女は言って笑う。彼女は、シンディ・シャーマンやナン・ゴールディンといった写真家たちのように、ショッキングなイメージを打ち出すことで自身のヴィジョンを明確に伝えるという手法を好む。彼女の活動再開を心待ちにしていた人々に向け、彼女が今回打ち出したイメージは、赤いサテンのドレスをまとったポリーというキャラクターだった。それはまるで、若き栄光の日々の記憶を追うあまり気を病み、化粧を重ねて自分の容姿を客観視できないまでに落ちてしまう、映画『サンセット大通り』のノーマ・デズモンドのようだ。「強さと美と、傷つきやすい心が共存する存在にずっと惹かれてきたの——ドラァグ・クイーン的なあの世界観!大きなステージでパフォーマンスをするときには必然的に力強いイメージが必要になる。それはメイクで作り出すわけだけど、グラマラスな美しさには惹かれない。そういう世界観にはしたくないの。それは私が音楽で訴えているものに相反するから」とポリーは話す。

ハイヒールを履いた足でステージを歩きまわるその姿は圧倒的だ。しかし、それは見た目ほど楽ではないそうだ。「あれだけの高さのヒールを履いて動き回るには、それなりのトレーニングが必要なのよ!本当に!ああいう靴にああいう服を着て動き回ることは、それ自体がアートだと思う。トレーニングをして、太らないようにして、脚のエクササイズもして、つま先のエクササイズも足首のエクササイズも毎日して——そうしないと、あのヒールは履きこなせないの!」。ポリーがファッションに向ける意識は高い。ライザ・ブルースをはじめとするデザイナーたちにステージ用の衣装を依頼し、時間があるときには自らありとあらゆるショップを巡る。「私の感覚は少し一般からは外れているのかもしれないけど、でも私には今の私のイメージはとても美しく思える」とポリーは言う。「まつ毛や爪は長すぎるかもしれないし、アイシャドウの緑色はけばけばしすぎるかもしれないけれど、でもこれが私の惹かれる世界観だから——ちょっと中心からズレている世界観がね」

しかし、最新アルバムのリリースとともに打ち出したこうしたイメージは、「グロテスク」で「やせすぎ」と不評を買うことになった。光沢ある生地で作られた服は、メイクも相まって大きな目を強調している。その姿は、まるで未発達のまま巣から落ちてしまった小鳥のように見える。公表を前にこの写真を見た者たちは、彼女にポジティブな評価をもたらさないであろうこのイメージに不安を隠しきれなかった。しかし、当のポリーは幸せそうで、頰には若々しい血の気が見られ、歩く姿にも力がみなぎっている。「以前は自分を深刻に捉えすぎていたときもあった」と彼女は言う。「精神的にも肉体的にも自分をすり減らしているような気分だった。でも今は、これまで感じたことがないほどの強さと健全さを感じる。今は外に出て色んなことを経験して、徹底的に人生を楽しんでいるわ」

ポリーの今の幸せは、彼女が自身のケアをするようになったことによるところが大きい。年間を通してほとんどの時間を曲制作と歌とパフォーマンスに捧げる——いかなるアーティストであっても、並大抵の体力と精神力ではそのようなライフスタイルを保持することはできない。「パフォーマンスでは、ただエネルギーとスピリットをその瞬間瞬間に注ぎ込んでいるだけ」と彼女は真面目な表情で話す。「決して自己満足的な意味じゃなく、パフォーマンスは"与える"という精神で成立するもの。そこにいる人々に気に入ってもらいたいし、そこに何かを感じ取ってもらいたい。何かを感じてもらうには、それだけのものを与えなきゃならない。だからそこに全力を注ぐの。そして、パフォーマンス以外の時間は、自分の中にエネルギーを貯めておかなきゃならないのよ」。よほど気をつけなければ、このライフスタイルは彼女から多くを奪ってしまうことになる。「少し自分のことを考えてあげるだけでずいぶんと違うのよ。瞑想や、体を使うエクササイズを学んで、自分の健康に気をかけることの重要性に気づくということ——そういうことを考えると、毎晩お酒を飲んだり、タバコを吸いすぎたりということも必然的に減ってくる。夜更かしもしなくなるわ」。自分がそんなライフスタイルを取り入れるなど予想だにしなかったことだとポリーは認める。「ポップスターがヨガにハマったり、エルヴィスがステージ出る前に必ず空手の型をやっていたとか、そういうことを以前は笑い飛ばしてたのよ。でも、やっぱりそういうものが必要になってくるのよ。私も年を重ねるごとにどんどんヒッピーになっていってるのね。"自分のセンターを見つける"っていう意味が、この歳になってわかってきた。それがあるからこそ、今わたしは生きることを楽しめているのよ」

今のポリーはとても落ち着いてみえる。曲について質問をしても、不快な表情さえ見せない。彼女は、歌詞の意味について訊かれるのを嫌がることで有名だったのだ。その彼女が、今では曲作りのプロセスについて喜んで話してくれる。「曲を書くとき、1曲にかけられる時間はとても短い。だから一気に4-5曲を書くようにしてるの。1曲には30分ほどしかかけないのよ。すぐに、『もうこれ以上は書けない』となってしまう。苦しいからじゃないの。やりすぎてしまうのが怖くて」。そう、彼女が書く歌詞は難解だ。そこにポリーが打ち出すイメージも相まって、ファンはこれまで随分と彼女の音楽の解釈に悩まされてきた。「自分の内面を探って、えぐっていくのは、ともすれば精神を病むような自虐的行為よ。自分の外へと意識を向けて、違った視点からものを見る。ガーデニングをするとか、テレビを観るとかね。そういう時間を作って、後でまた曲に戻れば、その曲を客観的に見ることができる」

この客観性こそが、今のポリー最大の特徴だ。「力強くアートを打ち出すためにもっとも必要な要素は、"自分をよく知る"ということ。そして、めいっぱい自分のアートを強く打ち出していくということ。例えば、酔っ払って取り乱した女性を描きたい場合でも、アーティストとしての自分はそれを客観的に見て完全にコントロールできていなければならない。本当に酔っ払って取り乱していたら、それは作品として成立しない」。このポリーの理論はいたって現代的といえるだろう。すべてが「リアリティ」であることが求められる現代、自伝的な作品をリリースすることでキャリアを向上させようとする者ばかりがもてはやされる——コートニー・ラブやアントナン・アルトー、フリーダ・カーロのような人生を演出しようとする者が後を絶たないご時世なのだ。要は、過酷な人生に健全な精神のバランスを崩してしまった者ばかりが取りざたされる世の中なのだ。「ひとは、自分よりも少しだけ苦難が多い人生を歩んでいるひとを見ることで安心する——だから狂気というのはひとを惹きつけるんだと思う。私は、いわゆる"ノーマルじゃない"ものから、より高いレベルでの人間理解というものを学びたい」とポリーは言う。「でもそれは、今まで私がただ突き詰めてきたことがなかっただけで、自分の中にもあるものなのかもしれないわよね。自分がやったことのないことを実際にやっている人たちがいる——それを見るというのは学びにつながるし、そこにこそインスピレーションがある」。キャラクターを演じ、仮面をして、プライベートな生活はとことんプライベートにしようと努めてきたポリーのようなアーティストから、私たちは一体何を学べるのだろうか?

「これまでありもしないことを散々書かれてきた。どれも嘘ばっかりだから、もうそれに惑わされることもないわ」と、ポリーは皮肉な笑みを浮かべて言う。「ある意味で、それは喜ばしいことだとさえ思ってる。そういうゴシップがあるからこそ自分というものを守れているような気もするのよね。嘘の情報に溢れているからこそ、自分が世界と共有したいことや本当のことは、誰かに書いてもらえばきちんと伝わる。そうやってプライベートな部分を守っていける」 そうやって彼女は自分のイメージを築いている。ポリーはほとんど音楽を聴かないそうだが、ツアーをともにしたことでトリッキー(Tricky)の音楽は認めるにいたったそうだ。「素晴らしいひとなの」とポリーは珍しく絶賛する。「彼を"変わってる"と言うひとも多いけど、私が知るかぎり彼はごく普通のひとよ」。そういう彼女、ツアー中も私生活でも、オートミールを主食とした食生活を送っているそうだ。そしてベーグルには目がない。住まいは、彼女が生まれ育った牧場近くのドーセット州——ベーグルなどなかなか手に入らなさそうなエリアだ。「コミックの『Viz』に出てきた農夫ジャイルズみたいに、これからもずっとトラックと羊に囲まれた環境から抜け出せずに人生を終えるんだわ」と言ってポリーは笑う。

かつて都市部で生活するストレスから自らを解放し、風に乗って花粉が飛散するようにイギリスの各地へと散ったヒッピーたち——ポリーの両親もそんなヒッピーだったそうだ。現在、ポリーは一人暮らしをしているものの、彫刻家の母と石工の父が持つ友達の輪の中で生活している。彼女の両親は音楽好きで、ポリーが「セントラル・セント・マーチンズで音楽を学び、音楽の道を志す」と打ち明けた際には父親がとにかく喜んだのだそうだ。「父をとても尊敬しているし、大好きなの。父はとにかく道徳心の強いひとで、そんな父の期待に見合うだけの成果を収めなきゃいけなかった。他の誰よりも、私は父に認めてもらいたいと思ってた。父は素晴らしいひと。とても真面目なひと。母も父も、とても勤勉でよく働く人たちよ」。ポリーの両親は、ジェネレーション・ギャップなどというものを概念としても知らない人たちのようだ。「今でもよく両親と一緒に時間を過ごすの。一緒にいて楽しくて、私なんかよりもずっとロックな人たちなのよ。ぶっ飛んでる。飲み始めたら楽しくなってしまって、時間の感覚も忘れて飲み続けてしまうような人たちだから。夜中の3時に、"そろそろ帰らない?"ってふたりを止めて、私が運転して帰るのよ」

パーティ・アニマルではあるが、ポリーの仕事熱心な姿勢は両親譲りなのだという。「両親は私にとても期待してくれているのよ。何をするにしても一生懸命取り組むのは当たり前で、さらに良いものを作らなきゃ意味がないと考える人たち。ひとが認めてくれるような"作品"を生み出すんだと肝に命じてやってきたわ」。学校でのポリーはずいぶんと偉ぶっていたらしい。彼女は課題の期限に遅れたことなどなかったという。「いつでも同級生たちを小突き回して、『私がこれをやるから、あなたはこれを、あなたはあれをやって』って指図してた」。子どもの頃から、まずは優先順位をつけて物事を片付けるという思考回路を持っていたらしい。「私が知るクリエイティブな人々はみんな素晴らしい作品を作る。でも、クリエイティブなだけじゃ良いものは作れない。みんな順序立ててプロセスを決めることができる人たちなの。その良いバランスを見出せたひとだけがそれ相当の評価を得る」

ポリーとの会話には、「責任」「個人」「自信」という言葉が頻繁に出てくる。「自信を保っていかなきゃならないし、"自分の深いところにある何かを満たしたいんだ"という初心をいつでも忘れずにいなきゃならない」と彼女は説明する。「どんなことが起こっても、そして人からどれだけ『俺たちが言うように作り変えたほうがいい』って言われても、そこで自分を忘れない。自分の奥底にある部分を満たしてあげるには、『いや、これが私の思う最善の状態』って言えるだけの自信を持つしかない。必要とあらば、契約を切られる覚悟で挑まなきゃならないのよ。自分自身に忠実であることが大切なの」。人生に対する姿勢において、彼女から学ぶことは多い。まず彼女は、いかなる可能性に対しても完全にオープンな心を忘れない。「何に対しても心を閉じたりはしない。どんなひとに対しても、どんなものに対しても、私は時間ぐらい作る」と彼女は言い切る。「それに関してはずっと努力を重ねてきた。努力して、オープンな心を保ち、客観的に物事を見れるだけの、物事をポジティブに捉えられるだけの心の余裕を持とうとしてきた。そうやって、何か困難にぶち当たればそれをネガティブなものとは捉えず、あくまでもチャレンジなんだと思えるまでには成長したわ」

ポリー・ハーヴェイは、自身のキャリアと仕事をとても気に入っている。しかし同時に、彼女は自分が何を最優先にすべきかもきちんと理解している。「結局のところ、世界が終わるとなれば、もっとも大切なのは友達や愛する人々の存在。ここまでのキャリアにおいてもっとも辛かったのは、友達を失うこと、そして友達が私に対する態度を変えてしまったこと。私は変わってないのに。頭でっかちなポップスターにもなってないし、これからもそうなるつもりなんかない!」。そう言うポリーの笑顔は誇らしげだ。彼女は自分の態度や姿勢が変わる日が来るなどとは絶対に認めない。しかしながら同時に、自分の何かが変わる日を楽しみにもしているようだ。「今はとにかくハッピーだと実感しているし、自分がいかにラッキーかを痛感してる」と言って、ポリーはため息をつく。「でも、だからこそこれからはもう少し自分の傷つきやすい一面に直面していくべきなんだとも思う。ステージで演奏しているときはとても感じやすくはなるけれど、でも感じたものをそのまま外に出すということには慣れていない。まだ守っていなきゃ不安な年頃なのかもしれないわね。でもきっといつか、そういう自分をも出せる日がくると信じてる」

Credits


Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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