グライムの父、この世を去る

2016年、グライムはメインストリームを席巻した。グライム・コミュニティが喜びに沸く中、グライムを育てたテレビ局Channel Uの創始者ダレン・プラットがひっそりとこの世を去った。名もなき英雄と彼の功績を、ここに讃える。

by Jack Needham
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28 December 2016, 7:40am

2016年は、グライムがもっとも躍進を遂げた年となった。トッテナムが生んだグライムのゴールデンボーイ、マーキュリー賞受賞アーティストのスケプタがアルバム『Konnichiwa』をリリースし、グライムの快進撃は第2波を生んだ。そしてi-Dでも表紙を飾ったストームジー(Stormzy)がサッカー・チームのマンチェスター・ユナイテッドとadidasの広告に起用されるなど、グライムは世界規模での人気を確固たるものにした。ヨーロッパ各地のフェスでは、グライム・アーティストたちが熱狂をもって迎えられた。2016年、グライムは改めてメインストリームで認められたのだ——しかし第1波のときとは明らかに違い、グライムは迎合することなくありのままの姿でメインストリームに認められた。グライムがここまで来るには、長い時間がかかった。まだグライムが「グライム」と名付けられる前、誰もこの新しい音楽シーンに耳を傾けようとしなかった13年前、衛星テレビ放送Channel Uが初めてこれを「シーン」として世界に発信した。そのChannel Uの創始者であるダレン・プラット(Darren Platt)が、今年7月に亡くなった。今年に入ってようやく世界的な人気と認知を獲得したグライム——プラットは「グライム史に名を残す偉大なパイオニア」として、今後ずっと語り継がれることだろう。

「誰もグライム・シーンに賭けてくれるひとなんていなかったし、誰もグライムのことを知ろうともしなかった。もちろん広告価値を認めてくれるひとなんていなかった」とChannel Uの元放送部長キャット・パーク(Cat Park)は最近のインタビューで答えている。2000年代初期にグライム・シーンが生まれると、人々はこのジャンルを「現実にうんざりしたUKユースの怒れる声」と解釈し、受け流した。グライムに可能性を見出す者は依然として少なかったが、グライムに未来を見た者たちはディジー(Dizzee)の「Holiday」やワイリー(Wiley)の「Wearing My Rolex」を夏のホリデー・シーズンに好んでプレイした。グライムは、常にメインストリームからの注目を浴びてはいた。しかし、メインストリームから見ると、グライムというジャンルにはどうしても近寄りがたいイメージが付きまとっていた。これはChannel Uが打ち出していた「コミュニティをベースにしたシーン」というイメージの対極をなしていた。Channel Uは常にグライムを「ストリートの生の声と息吹」というイメージで世界に打ち出していたのだ。

グライムがメインストリームの目に留まるよりもずっと前、Channel Uはグライムというジャンルをそのままの姿で後押しし、今日あるグライムの成功の礎を築いていた。元は2003年に「ジャンルを問わず黒人アーティストのためのプラットフォームを」として作られたChannel U。ダレン・プラットの功績はグライムの成功にもっとも色濃く見られる。世界がまだ、今日活躍するグライムのアイコンたちに機会を与えようとしなかったとき、プラットだけが彼らにプラットフォームを与えたのだ。Channel Uより2年前に創設された1Xtraなどとともに、プラットは、まだキッズが一生懸命に自宅のリビングで作り出していたグライムという新たな音楽に、大きな可能性をみとめた。「これはイギリスが聴くべき音楽だ」「イギリスはいつか、彼らが今作っているものを誇りに思うようになる」と、彼は信じて止まなかった。

シーンが活発化するに従って、マスメディアはグライムを偏向したイメージで捉えるようになった。そのため、グライムの作品が一般ラジオでプレイされることはほとんどなかった。そんな風潮の中でも、プラットはディジー・ラスカルの「I Luv U」やテンプズ(Tempz)の「Next Hype」、タイニー・テンパー(Tinie Tempah)の「Wifey」、ビッグ・ナースティ(Big Narstie)の「Hold It Down」、レッチ32(Wretch 32)の「Ina Di Ghetto」などを積極的にプレイした。また、女性MCたちにも男性MC同様の敬意を払ったのは、Channel Uを除いて他にはなかった。レディ・ソブリン(Lady Sovereign)やノー・レイ(No Lay)、シャイスティ(Shystie)といった女性アーティストたちは、レーベルの力を借りずとも、Channel Uの後押しでグライム・シーンにその名を轟かせた。Channel Uに扱いの上下は存在しなかった。しかしながら、クオリティ・コントロールもまたほとんど存在しなかった。そして、クオリティ・コントロールがなかったからこそ、グライムの本質は損なわれることなくリスナーの元に届けられた。こんなベースラインに続いてアーリー・B(Early B)の"破局のテーマソング"の傑作「Butterflys」が流れ、チューング・ファミリー(Choong Family)の「Adrenaline」が続くなど、早朝から居ても立っても居られないような興奮を与えるセレクションが可能だったのは、Channel Uにクオリティ・コントロールがなかったからなのだ。ブラックアウト・クルー(Blackout Crew)の「Put A Donk On It」のような曲が、バッシー(Bashy)の「Black Boys」や、UKヒップホップに社会的リリシズムを織り交ぜたアカラ(Akala)の「War」などと同じプレイリストに並ぶなど、Channel Uにしかできないことだった。

しかし、Channel Uが果たした最大の貢献はなんといっても「グライムをカルチャーとして世に輩出した」点にある。「グライムにプラットフォームを与えたい」という純粋な思いからの偶然の賜物だったのだろうが、Channel Uは「皆が自由に作るテレビ局」という方針から、プロデューサーやMCたちが作った低解像度の映像を検閲などせずそのまま流していた。Nokiaのカメラ付き携帯電話やデジタル・カメラなどで撮影されたアマチュア感溢れるビデオには「レーベルなんか糞食らえ」という姿勢が伺えた。その手法は今でもストームジーやセクション・ボーイズ(Section Boyz)、ノヴェリスト(Novelist)などがひとつのスタイルとして受け継いでいる。なんとかして自分たちの音楽を聴いてもらおうと作ったビデオの数々——世に認めてもらうために、グライムはDIYにならざるを得なかったわけだが、それこそが今やグライムというジャンルのイメージの基盤を作り、同時にグライム最大の資産にもなっている。必要なのはアイデアと、学校で借りられる程度のレコーディング機材のみ——あとはChannel Uがすべてやってくれた。

私が初めてChannel Uに出会ったのは、私の故郷でのことだった。シェフィールドを少し南下したあたりに位置するチェスターフィールドという小さな町だ。美しい町だし、子どもとして育つには申し分ない環境だったが、ナイトライフは皆無だった。楽しい時間を作り出すにも、楽しめる要素をクリエイティブに探さねばならない。そこにイギリス中部特有の陰鬱な天候も手伝い、私は友達とともにいつもSky TVで音楽チャンネルを見漁っていた。

私の自宅テレビで、Channel Uは385チャンネルだった。MTV、The Box、Kerrangをかすめ、クイーンやダイアー・ストレイツなどが流れる80年代ロックのチャンネルを過ぎたところにChannel Uはあった。Channel Uは、ロンドン自治区の外に育つ人間にとって唯一の「ロンドンの海賊テレビ局」的存在だった。そしてそこで私は初めてロンドンのサウンドというものに出会った。

Channel Uが見せていた世界は、それまで私が体験していたユースの世界とは全く違う、全く新しい時空だった。私の地元から電車で2時間半という距離で、私とそれほど歳もかわらないキッズが、ユースという退屈な過渡期をクリエイティブに生きているのを、まざまざと見せつけられたのだ。海賊ラジオ局の存在もグライムを大きく助けたが、郊外に暮らす私のようなキッズにいきいきとしたグライムを届けてくれたのはなんといってもChannel Uだった。

ダレン・プラットの死を受け、MCでもあり局で番組も持っていたポエット(Poet)は、「Channel Uは地元のしがないキッズをセレブリティへと変えた」とプラットを讃え、それこそが彼が残した最大の貢献だったと彼の死を惜しんだ。Channel Uはイギリスのキッズに声を与え、彼らを一夜にしてアイコンにしてみせた。「何か大きな力の一部なのかもしれない」とキッズに思わせてくれたのは、他でもないChannel Uの存在があったからこそ。ひとりでは作り得ない、なにか大きなおおきな力——それはコミュニティであり、ダレン・プラットは2016年を超えて今後も勢いを増し続けて拡大していくであろうこのコミュニティを築いた主力だった。名匠アーティストたちが次々にこの世を去り、政治の世界が未曾有の地獄絵図と化した2016年、プラット存在と彼の功績がなければ、きっと世界はもっと無力感に満ち、陰鬱な場所になっていたに違いない。ダレン・プラットの功績を、皆で讃えようではないか。

Credits


Text Jack Needham
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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