Photographer Nadya Tolokonnikova

プッシー・ライオットのナージャが語る、反プーチン抗議デモ

2018年5月5日に行われた反プーチンの抗議活動で、子どもを含む1600人以上が逮捕された。モスクワのプーシキン広場での一連の目撃談を、プッシー・ライオットのナジェージダ・トロコンニコワがi-Dに語る。

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21 May 2018, 9:08am

Photographer Nadya Tolokonnikova

「プーチンは私たちの敵だ」ロシアの24以上の都市で、抗議者たちが声をあげた。「おまえは皇帝なんかじゃない!」私たちの真上では警察のヘリが旋回し、大勢の機動隊は警棒やガスを使いながら、拡声器でがなり立てた。「おまえたちの行為は違法だ。拘束措置に出るぞ」
私たちの望みはシンプルだ。民主主義、公正な選挙、ネットの自由、アートをする自由、声をあげ羽目を外すこと、今までと違う自分でいること。そして投票で選んだ人が私たちに敬意を払い、説明責任を果たしてほしい。そう、単純なことだ。

この6年間、私は就任式前の抗議活動に参加するのを夢みていた。しかし、くだらない障害によってそれは拒まれてしまった。「くだらない障害」というのは、逮捕され、収監されたこと。2012年の5月6日にはその場所にいたかったのに、その日私がいたのは、ペチャトニキにある第6女子刑務所の309房だった。プーチンが再選したのは翌日、5月7日だった。

公共の広場での抗議活動はいいものだ。長年の知り合いにも会える。私がいるのは、モスクワのプーシキン広場。そこにいる人たちからは、様々な物語、トラウマになりそうな経験に希望がむすびついた物語が聞こえてくる。終わりがないように見える困難の物語だ。だが今も続くその困難は、人間が持っている献身や傾倒、強さに関するものでもある。現代における勝ち負け以上に素晴らしく、永続的だと感じられるものがそこにはある。

エドワルド・ルディク(Eduard Rudyk)も広場にいる。彼はモスクワの公共管理委員会のメンバーで、収監者の生活を向上させるために動く勇猛な人物として、人権団体にもその名を知られている。収監者にも自由が必要だということを私たちは忘れがちだが、エドワルドは違う。何年ものあいだ刑務所に通い、収監者がどれくらいジャガイモを食べなければいけないか、毛布にはどのくらいの厚みが必要か、ひとつの房に何人入れるのが適切か(45人か、90人か)について刑務官たちと議論を重ねてきた。裁判前に拘留されているときには、多くの場合、近親者に会うことはできない。検察側がそれを望まないからだ。そんなとき、公共管理委員会のメンバーが家族の代わりになってくれる。エドワルドを広場で見つけて、私は彼に飛びつき、ギュッと抱きしめてしまった。収監されたことのないひとには、刑務所時代に手を差し伸べてくれた人に再会するのがどんなに嬉しいことかわからないだろう。

ジャーナリストのターニャ・フェルゲンハウアー(Tanya Felgenhauer)も目にしたが、声をかける勇気が出なかったことを彼女が許してくれればと思う。私はただ、蘇ってすぐに抗議活動に参加している、ラザロのような人に対して、どう接すればいいのかわからなかったのだ。ターニャは2017年に喉を刺されている。「刺されたとは感じませんでした。誰かが喉を切り裂いているように感じていました」。事件後、自分を殺しかけた男に対する裁判のなかで彼女はそう話した。ターニャは独立系のラジオ局〈Echo of Moscow〉で働いていて、政府を声高に非難している。

彼女への暴行がクレムリン(ロシア政府)と関係しているという証拠はない。でも〈Echo of Moscow〉のスタッフが、政府支持派から国家の敵として何度も狙われたことは記しておくべきだろう。この国のエリートたちは、反対勢力を脅し、根絶するために自警団を使うことがままあるのだ。暴虐的な国家に好まれる組織と言える。親しい友人や私も、そうした自警団に襲われたことが何度もあり、何か行動を起こそうとしているときは、常に彼らに監視されているように感じる。彼らの雇い人は政府だと言われているため、ほとんどの場合彼らが襲撃に関して責任を負うことはない。だから危険なのだ。ターニャの首には傷跡があった。つまりあれは単なる悪夢ではなかったのだ。

自警団はデモの日も姿を現した。騎兵団が抗議者たちを煽る。ジャージ姿の暴力的な一団が、抗議活動のシンボルであるアヒルのおもちゃ(メドヴェージェフの豪邸にいるアヒルを政府反対派リーダーのアレクセイ・ナワリヌイが警告文で取り上げたことがきっかけ)をつけたポスターを持つおとなしい抗議者たちを攻撃する。みんな、傷ついたアヒルを抱えてこう叫んだ。「プーチンのいないロシアを!」

最近は、統制も激しさを増している。プロテスト活動で逮捕されれば、ひと晩以上を警察署で過ごす羽目になる。ひとたび法的措置が行われれば、たちまちブラックリストに入る。それは、国家が人生に介入しはじめる分岐点だ。家族と休暇に出かけようとすれば、空港で連邦保安庁に拘束される。職も失うだろうし、大学での籍もなくなるかもしれない。2012年以降、政府は抗議者を特定し続けているので、プロテスト活動への参加は高い代償をともなうものになってきている。

モスクワやサラトフ、チェラビンスクでは、12-14歳の子どもも逮捕されており、いくつかのケースでは暴力も見られた。2017年、学齢期の子どもたちが通りに出て、プーチンはもううんざりだと言い始めたのだ。「ずっとプーチン政権下で生きてきて、もううんざりなんだ。正義がほしい」と彼らは叫ぶ。彼らの動機は明白だ。クレムリンに支配された教育機関はその主張を認めず、子たちと親の双方に脅しをかけた。「恥を知れ! おまえたちは国家の敵を育てているのだ」。まるでソ連時代に戻ったかのように、そう言われたという。

プーシキン広場に立ち、私は1965年にこの場所で行われたもうひとつの抗議活動に想いを馳せた。当時は200人の抗議者が集まったのだが、その要求は公平で明白だった。憲法(集会の自由を保障している)に敬意を払い、法を遵守し、政治犯罪者を自由にすること。その参加者たちは逮捕され、何人かは大学から除籍された。数学者のアレクサンドル・エセーニン=ヴォーリピンもその日、ここにいた。作家ヴァルラーム・シャラーモフも、詩人のユーリ・ガランスコフも。ユーリは1973年にモルドヴィアにあるバラシェヴォ囚人作業キャンプで死んだ――私が奉仕活動に従事し、2013年の秋にハンガーストライキをしたその場所で。私は結論を出すのが好きではないけれど、彼らが姿を現すとき、そこに現在との類似が見えてくるような気がしてならない。私たちが耳を傾けさえすれば、彼らは言葉をかけてくれるのだ。

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This article originally appeared on i-D UK.