アイコンに何が起こったか?

かつて、完璧でなければならなかった「憧れの存在」も、今では“弱み”があることを求められている。共感できない「憧れの存在」に果たして意味はあるのだろうか?

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07 April 2016, 5:35am

© gabriele cardu

今もむかしも、人々は憧れを抱くことのできる存在を求めてきた。溢れる才能や若さ、反抗心やそのルックスにより、有名人が最初の対象となった。

今日でも彼らの名前には神聖な響きがある。エルビス・プレスリー、ジェームズ・ディーン、マリリン・モンロー、ジョン・レノン、ジョン・ウェイン、グレタ・ガルボ、デヴィッド・ボウイ、オードリー・ヘプバーン。彼らは雑誌の表紙を飾り、ティーンエイジャーの部屋の壁に貼られ、いつの間にか、私たちの崇拝の対象となっているのだ。

その抗いがたい魅力は、彼らが神秘のベールに包まれていたからこそであった。映画での素敵なセリフや3分間の完璧なポップソング、演出されたインタビュー映像。そしてメディアによって世界中に配信される、非の打ちどころのない数点の写真。彼らはまっさらな美のキャンバスで、世界中の人間が憧れを投影することのできる対象なのだ。

フランスの哲学者ロラン・バルトがガルボについてかつて述べたように、彼女の顔は「深く没頭したときに、ただちに完璧になり、刹那に」聴衆を「深いエクスタシーに引き込む。ガルボは、"人間のイデア(観念)"を提示するのだ」

この時代のセレブたちは、当時、極めて神聖な存在だった。排泄もすれば、セックスもする彼らが神のように崇められていたのだ。しかしそのような状況は長くは続かなかった。彼らも実際には人間であり、その神聖な像を汚すような行動しているのが露呈していったのだ。モリソンもモンローもクスリのやり過ぎで死んだ。オードリー・ヘプバーンは二度自殺を図った。エルビスは薬の中毒で現実との接点を失い、肥満で死んだ。ベベ・ビュエルやその他の伝説的なミュージシャンとのインタビューから、ロックヒーローの多くも、依存的と言えるほどセックスに溺れていたことが分かっている。

「今やアイコンは、完璧な見た目と欠けた心をもったアンチヒーローとなった。どういう人物かではなく、何をするかによって彼らは崇拝の対象となるのだ」

そして私たちは、スター達を自分たちと変わらない人間として受け入れる代わりに、彼らの欠点を<アイコニック>という言葉に加えることを選んだ。今やアイコンは、完璧な見た目と欠けた心をもったアンチヒーローとなった。どういう人物かではなく、何をするかによって彼らは崇拝の対象となるのだ。彼らに求められるのは完璧さやカリスマ性ではない。私たちはハムレットのように、失墜していく彼らの姿に夢中になり魅了されるのだ。

単に才能があるだけのアイコンからは魅力がなくなった。ポール・マッカートニーが、片足の妻やオリンピック開催式で行ったつまらないパフォーマンスによってジョークの的となっている一方で、ジョン・レノンの言葉は今でも聖典として捉えられている。

70年代以降、これがすべてのアイコンの型となった。悪行や過剰から生まれた輝きが人々を惹きつけていく。シド・ヴィシャス、ジョーン・ジェット、ジャック・ニコルソン、イアン・カーティス、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、ダイアナ。それ以前のアイコンとは違い、彼らに会えばすぐに欠点のある人物だとわかるだろう。舞台裏で取り乱している姿や、テレビに出演する際の反抗的な振る舞いを、大衆は求めているのだ。

寝室の壁に貼られたポスターはもはや清らかな聖堂ではなく、マスク(仮面)となった。その下でなにかが進行中であることをみんな理解し始めていた。そして、それに沿うようなかたちで2人の偶像が90年代のアイコンとなった。

ケイト・モスがその一人だ。多くのストーリーを語る顔に隠された、決して言葉を口にしない少女。"ヘロイン・シック(Heroin chic)"とそれによって醸しだされる美しさが彼女の魅力だ。モスは、美しい見た目と共存する破滅的な雰囲気によって世界の注目を集めた。二人目は、モスに絶大な影響を与えた男だ。カート・コバーンはあらゆる点で完璧なアイコンだった。スイートで繊細な才能を持ち、一時的ながら鬱病とドラッグ中毒を克服し、最後は華々しく燃え尽きた。彼がつくる楽曲はどれもキャッチーだが、同時に救いを求める苦悩の叫びでもあった。美しい顔には彼の不安定な心情が現れている。カート・コバーンが亡くなった日、米国の音楽評論家グレッグ・コットが国営テレビに登場し、若者が嘆き悲しんでいる理由を語り、コバーンが新しいアイコンになるだろうと確信し次のように述べた「今の若者にとってジョン・レノン的な存在がいるとすれば、それはコバーンでしょう。彼の音楽にはスイートな部分もありますが、とても大きな怒りも存在しています。それが彼の遺産となるでしょうね」。

「欠点や欠陥が見つからない場合は、新たにつくればいいだけの話だ。肥満、痩せすぎ、問題児、不貞、パーティ狂い、非モテ、など余地はいくらでもある」

モスが精神的にも安定した若い母親となる一方で、コバーンが深刻な精神疾患であったという事実はあまり重要ではない。彼らの信仰者たちはそのことを周知していだろうし、知らなかったとしても、そうなるだろうと思っていたに違いない。アイコン達が破滅的な振る舞いをしているのを見て、私たちは初めて自らが潜在的にもっている破壊衝動を満足させたのだ。芸能・音楽業界がアイコン達のプライベートや舞台裏で起こっていることを提供し続けるのはそのためである。

以前は否定的に捉えられていた"セレブのニュース"は、今ではテレビから雑誌まで、あらゆるメディアの推進力となった。新聞の小さいコラムでしか扱われていなかった"ショービズ"は、日刊・週刊・月刊の出版物やテレビチャンネル全体に広がり、スターの訃報を伝えることに熱を燃やしている。お涙頂戴とは無縁の人物たちが4分間の追悼映像に編集される。これが結局のところ、視聴者が欲しているものなのだ。打ちひしがれて、ボロボロになって、傷付いたアイコンたち。欠点や欠陥が見つからない場合は、新たにつくればいいだけの話だ。肥満、痩せすぎ、問題児、不貞、パーティ狂い、ボーイフレンドがいたことがない、など余地はいくらでもある。

しかしそのシステムは、スターを次々と生み出す代わりに、彼らのイメージを窮屈なものにしている。宗教と同じように、欧米メディアはこぞって今世紀の新たなアイコン(偶像)が生まれるのを妨げているのだ。私たちが望んでいると思われているもの―スキャンダル―を提供することで、スターを羨望の的ではなく、非常におぞましいものにしてしまった。新しいスターに魅せられた瞬間に、彼の惨めな姿がメディアで大量に流れてくるのだ。

私たちがスター達を求めるのは、自己を投影できる対象としてだ。ポスターの中で輝かしく佇む静かな顔であろうが、自己破壊的なスターであろうが、いくらでもストーリーを書き直すことはできる。一方で、もうこれ以上スターについての情報はいらないと思い始めてもいる。現在、私たちは転換期にいるのかもしれない。21世紀において、栄光から派手に転落し、それをメディアが讃えたために、アイコン的ステータスに到達した数少ない人物(ヒース・レジャーやエイミー・ワインハウス)。もしくは何とか自分の仮面をコントロールできた人物(ビヨンセやアギネス・ディーン、デヴィッド・ベッカム)。彼らは、誰と連んだかではなく、成し遂げた功績によって記憶に残っている。しかしその名前を、モンローやヘプバーン、プレスリー、レノンの横に並べてみてもしっくりこない。かつてジェームズ・ディーンが言ったように、「人間にとって真の偉大さ、真の成功は、不死の中にある」のだ。アイコンたちがかつてのような神秘性を再びまとうことはないかもしれない。太い足が晒されることほど致命的なことはないのだから。

Credits


Text Sam Wolfson
Photography © Gabriele Cardu
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.