© SPUTNIK OY, 2017

『希望のかなた』映画評

2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞したアキ・カウリスマキの最新作を翻訳家の三辺律子がレビュー。

by Ritsuko Sambe
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30 November 2017, 9:36am

© SPUTNIK OY, 2017

「わたしはとても謙虚なので、観客ではなくて、世界を変えたかったんだよ」

これは、「観客の意識を変えるために、この映画を作ったのですか?」という質問に対するアキ・カウリスマキ監督の答えだ。抑制された演出で社会の底辺にいる人々を描いてきたカウリスマキ監督の最新作は、今、ヨーロッパをはじめ世界を揺るがしている難民問題に焦点をあてている。

主人公はシリア人のカーリド。故郷アレッポの内戦で家族を失ったカーリドは、生き残った妹とヨーロッパへ逃れるが、途中、妹とはぐれ、一人フィンランドのヘルシンキにたどり着く。難民申請をするが、なかなか結論は出ない。妹の行方もわからないままだ。

比較的難民に好意的だったフィンランドにも、排他的な雰囲気が広まりつつある。ある日、カーリドは街の極右集団に襲われる。行き場を失った彼に手を差し伸べたのが、レストランオーナーのヴィクストロムだった。

© SPUTNIK OY, 2017

悲惨な状況から逃げてきた難民と、彼を助ける支援者―――そう聞くと、劇的な展開を想像するが、むしろ拍子抜けするほど淡々と進んでいくのがカウリスマキ映画。ヴィクストロムは衣類セールスの仕事にも家庭にもうんざりしてすべてを投げ出し、ポーカーで勝ち取った金でレストラン経営に乗りだした男。なんとなく胡散臭さがまとわりつく。だいたい顔がこわい。映画の中で笑ったシーンがあったっけ?というくらい。行きがかり上、カーリドに仕事や寝泊まりする場所を提供することになるが、「私の平和はどうなる?」とブツブツ文句を言いつつ渋々手を貸すだけで、立派な志があるわけではなさそうだ。

街の極右集団にしても、もちろん差別と暴力は許しがたいが、そろいの革ジャンの背にかかれた〈フィンランド解放軍〉の文字は汚い手書きだし、なにか組織だって行動しているわけでもない、不良に毛が生えたような一団だ。

カーリド自身は家族のほとんどを空爆で失うというおそろしい不幸を経験しているが、それもカーリドの口からぼそりと語られるだけだ。劇的な演出はなにもない。カーリドが極右集団に襲われるシーンでさえ、ある意味あっさりと描かれる。

© SPUTNIK OY, 2017

そう、もう一度冒頭の言葉を見てほしい。「わたしはとても謙虚なので・・・世界を変えたい」。こんなユーモアのある監督の映画に、笑いがないわけがない。ヴィクストロムの店が、流行りのスシ・レストランへ変貌するシーンは、カウリスマキ的ユーモアが炸裂。従業員の服にかかれた怪しげな日本語やら、ボウルにてんこ盛りになった緑色の物体やら(最初、アボガドかと思いました)、特に日本の観客は笑わずにはいられないだろう。

ゆえに観客のほうも、ヴィクストロムの献身に涙したり、カーリドの壮絶な経験に戦慄したりといった大げさな反応を引き出されることはない。しかし、うっかり笑わされているうちに、じわじわと感情が揺すぶられていることに気づく。身の回りにいるような市井の人々が、救いの手をさしのべたり、暴力を振るったり、はなから無関心であったりするということに、気づかされてしまうのだ。

監督は、こうも言っている。「臆せずに言えば『希望のかなた』はある意味で、観客の感情を操り、彼らの意見や見解を疑いもなく感化しようとするいわゆる傾向映画です」。その企みは、みごとに成功している。

『希望のかなた』
監督・脚本:アキ・カウリスマキ
出演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン
12月2日(土) 渋谷・ユーロスペース他にて 全国順次公開

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