山形一生インタビュー:ビヨンド・コントロールの愉楽

「ポスト インターネット・アート」と呼ばれる注目の表現領域で、3DCGを用いて現実とヴァーチャルな世界の境界を問い続ける現代アート作家の山形一生。個性を否定し、異質な空間を求めて旅に出る彼を衝き動かすものとは?

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okt 26 2017, 7:49am

蝙蝠が飛び交う夕闇の中、上野の森の木立を抜けて東京藝術大学の敷地内、美術研究科の一室を目指した。天井が高く、広々としたアトリエの片隅に机が置かれ、大型4KモニタとPCが1台ずつ。「博士課程にもなると、より広いスペースが与えられて制作に集中できます。それもあって、より過酷な制作も可能になって……。毎日、滅茶苦茶な生活を送っています」

PCに向かいながらそう苦笑する山形一生の主な表現手法は3DCG。インターネットがもはや当たり前の存在になり、現実世界とヴァーチャル空間の融合が進みつつある状況の中、デジタルネイティブ的な感性でアート作品を発表している「ポスト インターネット・アート」の担い手のひとりだ。

「ジャンル分けは特に気にしていません。ただ、制作の背景に幼少期から慣れ親しんだテレビゲームやインターネットの経験があることはたしかです。父がIT関連企業に勤めており、小さい頃から自宅にデスクトップPCがあったため、それでよく遊んでいました。5、6歳の頃はWindows95に内蔵されていた『ピンボール』や『Hover!』などのゲームをプレイして、小学校高学年の頃には個人用のデスクトップPCを父からもらい、デジタルとアナログの両方で絵をずっと描いていました。毎日お絵かき掲示板に絵を投稿していましたね。それから生き物も飼っていて、当時はカタツムリやカマキリを繁殖させていました。数年ほど前から再燃して、今も自宅で30種ほどの昆虫を飼育しています」

しかし、だからといってその様子を作品に反映しようとは思わないという。それは、自動車好きな人が必ず自動車の作品を作るとは限らないのと同じこと。実はここに山形の表現コンセプトにつながるヒントがあった。

「ゲームやネットなどのヴァーチャルな世界観と生物飼育はあくまで別物です。ただ、幼い頃から行なってきたことなので、自身の美意識や判断に大きく影響を及ぼしていると言えます。例えば、3DCGは表面のテクスチャのみを描画するのが基本で、中身は完全な空洞です。昆虫の脱皮殻も外見は普通だけれど、中を見ると空洞という点では同じです。そこから思考を発展し、基本的に僕らは対象の表面しか知覚しておらず、それに大きく信頼の比重を置いていると考える。そしてまた、果たしてそうだろうかと、ふたたび疑いのまなざしを向けてみる。基本はアイロニカルに思考を追い詰めていきますが、最終的にはユーモラスな答えを立ち上げるべき、と最近は考えています」

東京ワンダーサイト本郷で2015年に開催された個展では、天井から吊り下がったオブジェが床に落下すると同時にサウンドエフェクトが鳴り響く作品を発表。その後は同世代アーティストとの2人展やグループ展で、映像を中心とするインスタレーションを展示してきた。「基本的に、CGやプログラミングなど制作のすべてを自分ひとりでやっています。でも、それは自分らしさや個性の現出とは関係ありません。"自分らしさ"というものはないというのが僕の姿勢です。アートの世界では常に作家性が問われることは理解できます。ただ、作品というものは自分で作っていながら、完成すると自分のスケールを飛び越えていってしまう。自分でプランを練って作り上げたにも関わらず、そこには自分のものとは思えない奇妙なものが内在してくる。そういったコントロールできない部分が、実は重要なのではないかと思っています」

その上で、他人と同じ既製品のソフトウェアを用い、3DCGを制作する理由はどこにあるのだろうか。「20年以上ずっと絵を描いてきました。しかしあるとき絵を描くことに疑問を感じるようになってしまったのです。絵画は人類が2万年前から変わらない技法と材料で続けてきた表現といえます。インターネットや映像がある現在において、自身が絵画で表現をする必要はあるのか。なぜそこまでして"描く"ことに執着するのか……もちろん3DCGや映像も、絵筆と同じように共通のツールで制作されます。マシンのスペックや自分のスキルにも左右される。正直、まだ3DCGは拙くて絵画表現のときよりもできないことだらけです。しかし、できないことで立ち現れるものもあります。僕自身、基本的に美術以外のことが全然下手で、できなかったからこそ、この大学にいるわけですからね」

ならば、山形一生にとってアートの楽しみは果たしてどこにあるのだろう。どのようなモチベーションで自身の作品と向き合っているのだろうか。「作品を作るのは本当に大変です。楽しいときは……あまりないです。特に展示の直前はめちゃくちゃきつくて、毎回『もう展覧会はできないのではないか』と真剣に思います。それでも、グループ展の場合は気の知れた作家や一緒にやりたいと思う作家同士で作品を持ち寄って、お互いに『この配置はどうか』『こう組み合わせたら面白い』と協働していく。その意味でも、展示での設営が唯一楽しく、同時に制作へと向かわせるモチベーションになっているのかもしれません。展示や作品に対する批判も時に厳しいものですが、豊かです。苦しくもあるけれど、自分自身が更新され、書き換えられていく喜びのほうが強いですね」

アートによって、絶えず自分と世界の見え方を更新していく。山形は9月から助成を得て半年間、海外を旅して回るという。「僕が自信を持って楽しいと思える場所は、自身の領域からなるべく離れた場所かもしれません。だから、いったん海外に身を置いて戻ってきたら、日本の異質さも再認識できるはず。そう思っています」

Credit


Photography Kisshomaru Shimamura
Text Keita Fukasawa