Photography Mary Manning.

コロナ禍における衣服の意味とは?

自粛期間中の服装を振り返りながら、反抗のしるしとしての服、ファッションデザインの未来を探る。

by Charlie Porter; translated by Nozomi Otaki
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05 August 2020, 11:25am

Photography Mary Manning.

この記事はi-D The Faith In Chaos, no.360に掲載されたものです。注文はこちらから。

ここ最近のロンドンは、暖かな日が続いている。この数ヶ月間、私が家で着ているのは、Tシャツ、セーター、ジーンズ、ショートパンツ。同じ服をローテーションしては洗濯するを繰り返し、たくさんのアイテムを眠らせたままにしている。でも、ちょっと待ってほしい。私はロックダウンが始まる前も同じような格好をしていたのではないか?

パンデミック下での生活を通して、私たちは常にそこにあった単純な事実に気づかされた。それはサワードウスターター(発酵種)がただの粉と水であるのと同じこと。ファッション業界のノイズ、目まぐるしく移り変わるトレンドの幻想があろうと、私たちの服装の習慣はずっと同じだったのだ。

しかし、私たちはその習慣に十分な注意を払ってきただろうか? もしかしたら、私たちはもっとファッションを楽しむことができるのかもしれない。

まず、何が変わったかを見てみよう。最も大きな変化は、自分の格好を周りに見せる機会がなくなったことだ。ロックダウン中は、パーティーもデートもできない。バーで友人に会うこともなければ、内心注目されることを期待しながら何も気にしていないフリをして、人混みをうろつくこともない。

服を周りに見せることは、他人とは違う自分でありたい、という欲を満たしてくれる。私たちが服を欲しがる理由は目立ちたいからかもしれないし、セックス、注目、友情、コミュニティなど、欲しいものを手に入れるためかもしれない。

しかし、その機会は失われてしまった。ZOOMのクラブイベントはノーカウントだ。私たちが見ているのは互いの服装などではなく、カーテンなのだから。

仕事も変わった。ここで言いたいのは通勤用のワードローブではない。私がもっと関心があるのは、貧困だ。多くの人びと、特にDJ、バーテンダー、ダンサー、警備員など、主に夜間に働く人びとが、突然収入源を失ってしまった。

今夏に卒業する服飾学生も、すでに負債を抱えているうえに、突然職を失った。今年の夏、秋、冬が過ぎても、そしてその先も、学生たちが仕事に就ける保証はない。

ショッピングに関しては、私たちはなけなしのお金をファッションに費やしている。その理由のひとつは、今やるべきではないことをして背徳感を味わうスリルだ。

たとえ今が好景気だとしてもバカげた心理だが、大不況が予想されている今、持っている以上のお金を使うことは生活を脅かしかねない。どうか、なけなしのお金をファッションに費やさないでほしい。

〈気分を上げる〉ためと謳って、財布のひもを緩めさせようとするファッション業界のやり口には注意したほうがいい。食べ物と住む場所さえあれば〈気分は上がる〉し、しかも借金を増やさずにすむ。

服を披露する機会やお金の他になくなったのは、〈目新しさ〉だ。完全な形でのファッションショーは、当分のあいだ開催されないだろう。ライブ配信もなければ、フロントロウやバックステージでのSNS更新も、新たなトレンドを生み出すアイデアもない。

しかし、トレンドにとって大切なのは、本当に目新しさだけなのだろうか。それは私たちになけなしのお金を使わせるための道具に過ぎないのだろうか。それなら、ないほうがせいせいするというものだ。

現在のファッション業界においては、少なくとも年2回、ブランドから〈目新しさ〉が提供される。それがどれほど陳腐で退屈でも、〈新しい〉と形容される。消費者にとってだけでなく、デザイナーにとっても退屈だ。

そんなサイクルは今や崩壊した。この状況がいつまで続くかはわからない。大切なのは、私たちがこの期間に何をするのか、ということだ。

最近、私は〈極上の退屈〉という言葉についてずっと考えている。それはナン・ゴールディンの写真集『The Ballad of Sexual Dependency』、映画『パリ、夜は眠らない。』のボールルームのショーを待つ客、チャールズ・アトラス監督『Hail The New Puritan』で夜の街へと繰り出す準備をするリー・バウリー、トロージャン、レイチェル・オーバーンによって表現されているものだ。

このテーマは、ラリー・クラーク監督の『キッズ』にもよく表れている。ソフィア・コッポラも、この表現にかけてはエキスパートだ(『ヴァージン・スーサイズ』『マリー・アントワネット』)。

この記事の執筆中に、テートモダンでアンディ・ウォーホルの回顧展が開かれた。ウォーホルもこの〈極上の退屈〉を満喫していたひとりだ。

本展の最初の展示作品は、映画『スリープ』。ウォーホルの当時の恋人、ジョン・ジョルノが眠る姿をとらえた、5時間20分に及ぶ作品だ。それほど長尺の〈極上の退屈〉が、誰もいない美術館で延々と流されているのを想像してみてほしい。

〈極上の退屈〉は、急進的で、挑戦的で、クィアだ。最近ではあまり見かけないテーマだが、それには明確な理由がある。

Appleには、私の先週の平均スクリーンタイムが1日4時間33分だったことを指摘された。しかし、ロックダウンこそ、誰もが〈極上の退屈〉を満喫するチャンスだ(もちろん、今の私たちの心をかき乱している不安から自分を解放できたらの話だが、実際は難しいかもしれない)。

話は戻るが、今日の服で気に入っているポイントを挙げてみてほしい。着心地が良い、という答えなら何の問題もない。もし上下別々の服を着ているなら、そのコントラストはどんな感じだろうか。

ここであえて鏡を覗き込んだり、自分を見下ろしたりする必要はない。まっすぐ前を向いた状態で、視界の下のほうに映り込むものを確認すればいい。なぜなら、それが私たちが普段目にする自分の服装だからだ。

服の色合い、コントラスト、質感、形は、会う人びとの注意を引くためだけのものではない。私たちが日中、服を着て目を開けているときは必ず、自分を楽しませてくれるものだ。

明日も自分に同じ質問を投げかけてみてほしい。もしかしたら、積み上がった服の山から何かを引っ張り出すことになるかもしれない。もっと自分のことを知ろう。どんなものを見たい? その理由は? 自分の服やファッションの言語を理解することはできるだろうか?

誤解しないでほしいのは、私がいう〈極上の退屈〉とは、退屈な服を勧めているわけではない、ということだ。私がいいたいのは、どこかミスマッチで、厄介で、ちょっと浮いているアイテムのことだ。スウェットパンツでもいい。

それは上品な服、すなわちスタートアップ企業のオフィスに馴染む、ノームコアから派生した小ざっぱりした現代的なワードローブとも違う。シェアオフィスで〈感じが良い〉とみなされる服装から離れ、自分が着るものに少しだけ緊張感を持たせてほしいのだ。

この緊張感によって、自分が着ている服、すでに持っているワードローブに喜びを見出すことができる。その喜びは、ロックダウンが終わってからも続くはずだ。また新たなアイテムを好きなだけ買えるときが来ても、その誘惑に打ち勝てるかもしれない。

私は、これまで以上にファッションデザインの可能性を信じている。今こそ、私たちは個々のファッションデザインを、時代にそぐわない業界の傲慢なアイデアから解放できるはずだ。

その意味で印象的だったのは、最近セントラル・セント・マーチンの修士課程を卒業したエラ・バウチト(Ella Boucht)の作品、クィアとノンバイナリーの人びとを称える彼女のコレクションだ。

私はウェストミンスター大学のファッションデザインコースで教えているが、今年の卒業生のアイデア、才能、作品に込められた政治性には圧倒された。パンデミック以前から、学生たちは不安定な世界での生活に警鐘を鳴らしていた。私たちが普通だと思っていたことは、普通ではなかったのだ。

今は不安の多い時代だ。活動の自由の終焉、監視社会、厳しい現実、全国紙で野放しにされるトランスフォビア……。英国首相は、医療従事者に拍手を送るいっぽうで、彼らの命を守るために十分な給料を支払うことも、適切な備品を支給することもない。

米国大統領は中絶する権利に反対し、ブラジル大統領は嬉々として熱帯雨林を破壊している。私たちを取り巻く世界は冷酷無情だ。

着飾ることは、一種の反抗だ。私が敬愛するアーティスト/DJのプリンセス・ジュリアは、カウンターカルチャーのなかで生きている。私が知るなかで、最も深く物事を考える人物のひとりだ。ジュリアの着こなしは、ジュリア自身を体現している。それはロックダウンが始まってからも変わっていない。

Louise Grayの新聞柄のドレスにLouise Grayのジップアップジャケット。Ashley WilliamsのドレスにNokiのヘッドラップとVetementsのプラットフォームブーツ。Art Schoolの黒いナース服。彼女は日課のエクササイズのためにこれらの〈よそいき〉を着て、ヘアスタイルもメイクも完璧に整え、足元はいつも厚底の靴だ。

自粛期間中、セントラル・セント・マーチン修士課程の卒業生のハリー・ブラッドショー(Harrie Bradshaw)とフラットメイトのグイ・ローザ(Gui Rosa)は、アルミホイルを敷き詰めたアパートや路上で、服の可能性を押し広げている。

YouTubeのファッションチャンネル『Jason’s Closet』でホストを務めるミス・ジェイソン(Miss Jason)は、家でAsaiのアイテム、フェイクファー、サングラスを身につけていた。

ニューヨークでは、アーティストのTabboo!は、30年間暮らしているイーストビレッジのアパートで、着飾ってリップシンクする動画を毎日アップしている。最も印象的なのは、Tabboo!自身がジャケットを手がけたDeee-Liteの「Power Of Love」をかけて踊っていたことだ。

私が自粛期間中に着ていた服の話に戻ろう。TシャツはほとんどBoot Boyz Bizのものだ。セーターはCraig Greenのチェック柄のもので、クレイグ・グリーンは「献身的なピクニックブランケット」と呼んでいる。ジーンズはCelineのヒッコリーストライプだ。本当はフレアジーンズが欲しかったのだが、すでに売り切れていた。

今までのような自由があったとしても、これらが私がこの2ヶ月間に着て出かけていた服だ。コロナ禍の前から持っていたアイテムで、セーターは買ってから約1年になる。今のところ、他のものは必要ない。今あるものだけで十分だ。

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