Photography Brian Hart / 

CHE Archives, Bishopsgate Institute

1972年、ロンドン初のプライドマーチの記録

50年前、この歴史的瞬間をつくり出し、そこに立ち会った人びとの体験を、当時のアーカイブ写真とともに振り返る。

by Tom George
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28 July 2022, 3:00am

Photography Brian Hart / 

CHE Archives, Bishopsgate Institute

1970年10月初旬のある日、フィリップ・レスコラは、ロンドンの大学の食堂にいた。「〈Gay Liberation Frontに参加しよう〉というポスターが壁に貼られているのを見かけました。当時はゲイという言葉はホモセクシュアルの意味で使われていなかったので、どういう団体なのかよくわかりませんでした」と彼はいう。「写真には楽しそうな男性や女性たちが写っていて、10月13日水曜の6時からミーティングがある、と書かれていました。行ってみると、18か19人くらいが参加していました。それほど多くのクィアが一部屋に集まるなんて、当時はめったにないことだったんです。これこそが、英国の〈ゲイ解放戦線(Gay Liberation Front)〉の初めてのミーティングでした」

 1969年、ストーンウォールの反乱の直後にニューヨークで設立されたゲイ解放戦線(Gay Liberation Front: GLF)の影響を受け、ボブ・メラーズとオーブリー・ウォルターは、英国で革新的な政治を求める急進派のクィアの若者のために、同様の団体を立ち上げた。ふたりは1971年、英国のクリスチャンによる寛容な社会への反対運動〈Nationwide Festival of Light〉を妨害したことで知られている。1972年7月1日には、英国初のプライドマーチを企画した。内部紛争によって3年で解散するものの、英国GLFは、クィアのホットライン〈Switchboard〉と英国初のゲイ・ニュースメディアという派生団体を生み出したことでも、歴史に名を刻んだ。

 しかし、彼らの最も重要な功績は、やはりロンドンへのプライドマーチの導入だ。この歴史的な日から50年、英国GLFの残存メンバーと他の参加者、現代のクィアの若者が一堂に会し、この年に一度のイベントの革新的なルーツを祝福、記憶するために、当時と同じルートを行進した。

Protesters holding signs and banners on the plinth in Trafalgar Square at the 1972 pride march

「ゲイ解放戦線は、どちらかといえば改革よりも革命を求めていました」とフィリップはいう。前述の最初のミーティングのあと、団体は彼らの要求をリストアップしたリーフレットを作成し、アールズコートのゲイバーに配って回った。「僕たちは政府に従いたくなかった。なぜなら、政府は僕たちを犯罪者や罪人として扱っていたので。波風を立てる存在としてみなされていた僕たちにとって、かなりつらい時代でした。僕たちが叫んだり声を上げたりするせいで、世間の人びとが政治をより意識し、状況を悪化させると思われていたんです」

 フィリップによれば、翌週のミーティングには100人以上が参加したという。4週間が過ぎる頃には、英国GLFのメンバーは200人を超えていた。同団体は複数の下位グループから成り、その中には、ゲイ男性の性的同意年齢が他の人びとよりも高い事実に焦点を当てた、21歳以下の若者の団体もあった。実はこのグループは、英国初のプライドの1年前の1971年8月にマーチを開催している。「3組のカップルがトラファルガー広場で抱き合う、この有名な写真を見たことがあるひともいるかもしれません」とピーター。「真ん中にビールを持ったひとがいるでしょう? それが僕です」

Protesters holding signs and banners walking along charring cross road on the first pride march in 1972

「世界中のゲイ団体が、1969年6月29日に起きたストーンウォールの反乱に一番近い土曜日にお祝いをしよう、と話し合いました。1972年のイベントは7月1日になりました」。最初のプライドは非営利団体〈Campaign for Homosexual Equality〉とともにGLF青年部が開催した。このイベントの焦点は、性的同意年齢への抗議だった。

 しかし、そこには反発もあった。「パレードフロートの使用は許可が下りませんでした。その代わりに、ブリクストン出身のカリビアンバンドがトラックに乗って先頭で演奏し、その後ろを奇抜なドラァグクイーンたちが行進しました。みんなドレスアップしていましたが、今知られているようなドラァグではなく、ジェンダーファック(※さまざまな性表現やアイデンティティを混ぜ合わせることで、従来の性別を打ち破ること)でした。さらにその後ろに、ヒッピーのような格好の僕たちが続きました」。ピーターは生き生きとした様子でその日を振り返り、修道女に扮してローラースケーターをはいた人びとのことを鮮明に語った。一行はトラファルガー広場を出発して、チャーリング・クロス・ロードとオックスフォード・ストリートを通り、ハイドパークでのスピーチで幕を閉じた。現在は、このルートはロンドン中心部のショッピング街の最も多忙な日の妨げになるとして、通行が許可されていない。「ショッピング客の大半は『あれは誰? 同性愛者? ほんとに? あんなにいっぱい?』という感じでした。呆気にとられたり、叫ぶひともいました」

Protesters holding signs and banners on the plinth in Trafalgar Square at the 1972 pride march

当時の参加人数については、200人から2000人まで、聞く人によって意見が分かれる。その理由のひとつは、マーチに参加したい思いはあるものの、このイベントが広く知れ渡ることを恐れる取り巻きがあまりにも多かったからかもしれない。「僕は1年前の秋にカミングアウトしたばかりで、ありがちな話ですが、初めて出会ったゲイの男性と恋に落ち、彼にプライドに行こうと誘われました」と英国初のマーチに参加したピーター・スコット=プレスランドは語る。「この日のために街なかまで来ましたが、僕は隠れた参加者のひとりでした。忘れてはいけないのは、あの日、あの通りを行進した人びとは信じられないほど勇敢だった、ということです。当時のデモはすべて写真で記録されていました。警察が写真家を建物の屋上に配置していたんです。僕はそれを重々承知していて、『両親にこれを見られたら?』と不安になりました。僕のように尻込みしたひとは大勢いたはずです」

 ピーターと、彼いわく100人くらいの人びとは、マーチに沿って脇道を進んだ。「写真にも写っていますが、何人かと一緒に歩き、オックスフォード・ストリートが見える場所で立ち止まりました」と彼は付け加えた。そこからでも、その歴史的瞬間とエネルギーは感じられた。「どんよりとした曇りの日でした。マリファナの匂いがすごかったのも覚えています。参加者は全員ベロベロだったに違いありません。ハイキックをする修道女や、抱き合ってキスをする男性たち、女性たちがいました。遊び心に満ちていました。政治的な遊び心がね」

Protesters sitting in Hyde Park after the first pride march in 1972

フィリップは、GLF内の分断も記憶している。彼によれば、ジェンダーロールの打破を目指し、コミューンで暮らす「ラディカルなドラァグメンバー」と、ゲイ解放運動に懐疑的だった左派の労働組合と手を組もうとしたより「マッチョ」な「マルクス主義者」が対立していたという。GLFメンバーのネッティ・ポラードは、よりオープンで堂々としていた元メンバーのひとりだ。「その頃、私はガールフレンドと同棲していて、彼女と一緒に参加しました」と彼女は回想する。「地下鉄の中でも堂々とGLFバッジを付けていました。まあ、あの頃はいつでも付けていたんですけどね」。彼女はマーチを懐かしく振り返り、「私たちが腕を組んでキスをしていると、見物人はまごついていた」と語った。ネッティにとって、マーチの最後のハイドパークでの出来事が特に印象に残っている。「そこでキスイン(※同性愛者が性的指向を示すために公共の場でキスをする平和的な抗議運動)がありました。何人かの男性が服を全部脱ぎ捨て、輪になって踊りました。スピン・ザ・ボトルで遊び、食べ物やマリファナを分け合いました。警察はどうしたらいいかわからない様子でした。私たちはとてもたくさんの違法行為をしていましたが、数が多すぎて全員はとても逮捕できそうになかったので」

参加者の多くが口を揃えたのは、その日は1日中、警察の配置人数が非常に多かったということだ。「デモでこれほど多くの警官を見たのは初めてでした。警察が参加者の倍いるなんて、めったにないことです」とフィリップは証言する。マーチで叫ばれたスローガンには、参加者を取り巻く警官に直接向けられたものもあった。いち、にの、さん、し、あなたのパートナーは本当にストレート?

 「マーチに参加していた人びとの多くは緊張し、怖がっていました。でも僕の体験からすると、警察は攻撃的でも不愉快でもなく、かなり困惑していました」とピーターは説明する。「こんなにたくさんの同性愛者を見たことがなかったんでしょう」

Protesters holding signs and banners on the plinth in Trafalgar Square at the 1972 pride march

ピーター、ナッティ、フィリップにとって、その日の記憶は圧倒的にポジティブなものだ。コミュニティがひとつになり、同時にその場を混乱させ、自分たちに影響を及ぼしている問題について声を上げることができた。「若者が思い切り楽しみ、羽目をはずし、スローガンを掲げ、叫んでいました」とフィリップ。「しかし同時に、参加者の多くは、怒りを抱えていました。自分たちはここにいる、どこにも行かない、平等な権利を与えられて然るべきだ、と」

 ロンドン初のマーチには、現在のプライドマーチが学ぶべき教訓がいくつかあると3人は考えている。特に、不正義に対して声を上げ、イベントをコミュニティ全員にとってより開かれたものにすることだ。「僕たちは誰にもマーチへの参加を強制していません」とピーター。「LGBTQ+の権利を求める闘いは、特に海外で、まだ続いています。僕たちはこの国を超えた先を思い描く必要がある。同時に僕たちの国にも、同性愛者の権利を踏みにじる政府があります。米国から学んでも、現状を注視していなければ(これまで獲得のために闘ってきた権利を)失いかねません」

Protesters holding signs and banners leaving Trafalgar Square on the first pride march in 1972

だからこそ、2022年7月1日金曜日の午後1時、ロンドン初のプライドマーチ50周年を記念して、UK GLFのオリジナルメンバーが若きアクティビストや再編成されたUK GLFとともにマーチに参加し、トラファルガー広場を出発して、最初と同じルートをたどった。「プライドのルーツはラディカルなものです。それはゲイ解放戦線であり、ストーンウォールの反乱であり、ブラック・パワー運動であり、ウーマン・リブであり、トランスの解放運動でした。それは商業的でもエリート主義でも、世界中で人権侵害を犯す企業を支持することでもありませんでした」と現UK GLFのメンバーであるダン・グラス=ミンサーは訴える。「だからこそ、7月1日と7月2日をしっかり区別することが重要なんです。本当にすばらしいのは、1972年にプライドマーチを始めたゲイ解放戦線やその支持団体の人びとが、今も僕たちと一緒に闘ってくれていること。僕たちには、彼らから学べることがたくさんあります」

Protesters holding signs and banners on the plinth in Trafalgar Square at the 1972 pride march

Credits


Photography Brian Hart
Courtesy of CHE Archives, Bishopsgate Institute

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