野中モモ評:『20センチュリー・ウーマン』

前作『人生はビギナーズ』で、ゲイであることをカミングアウトした自身の父親を描いたマイク・ミルズ。彼が最新作で扱ったのは母親だった。アネット・ベニング、グレタ・ガーヴィグ、エル・ファニングが演じる、世代の異なる3人の「20世紀の女たち」を描いた本作を翻訳家・ライターの野中モモがレビュー。

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jun 5 2017, 8:10am

© 2016 MODERN PEOPLE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.​

1979年、カリフォルニア州サンタバーバラ。15歳の少年ジェイミーの母ドロシアは、1924年生まれ55歳の「大恐慌時代育ち」。とある企業で製図の仕事をしながら、高齢出産した息子を女手ひとつで育ててきた。思春期を迎えた息子の危なっかしい行動に戸惑い、ジェネレーションギャップに不安を覚えた彼女は、ほかの誰かの助けが必要だと考える。そこでドロシアが「ジェイミーを見守ってほしい」と頼んだのは、「父親代わり」になりそうな男性ではなく、まだ若い女性ふたり。母子の家に間借りしている24歳のアビーと、隣家の娘で17歳のジュリーだった。世代の違う3人の女性とひとりの少年、共に過ごしたひと夏の思い出――。

「なんて少女マンガみたいな映画なんだ……」と思う。少女マンガと言っても最近の邦画でたくさん制作されている胸キュン高校生ラブじゃなくて、もっとお姉さん向けのやつ。とはいえ「オトナ女子」とかいうのもちょっと違う気がする。じゃあ具体的にどんな漫画家・どんな作品のことよと問われると困ってしまうのだけど、たぶん線は細くて画面は白め。女の人が経験する喜び悲しみ痛みを鋭く描写して、でも結局のところは絵物語だから(良くも悪くも)そんなにエグくはならなくて、きれいで優しい。「世界がこんな場所だったらいいのに」という切なる祈りが込められたひとときのエンタテインメント……。自分、少女マンガに夢見過ぎ!? ていうか褒めすぎ!? と思わないでもないけれど、そんな印象を持った。

この最大限にいい意味での少女マンガ感を支えているのは、まず第一にカリフォルニアの陽光きらめく、どこかドリーミーな映像だろう。もっとつらくみじめになりそうな(できそうな)場面にも、さんさんと降り注ぐ日射しを浴びて殺菌消毒された洗いたてのシーツの手触りのような清潔感が漂っている。

そしてもちろんアネット・ベニング、グレタ・ガーヴィグ、エル・ファニング、3人の女優の好演。加えて、彼女ら「20世紀の女たち」に囲まれて物語の軸となる20世紀少年が「女の子に興味があるけれどそんなにセックスにがっつきはしない心優しい美少年」だということ。それって夢のような存在。なんてファンタジック。演じるルーカス・ジェイド・ズマンは子役出身の2001年生まれ。どうかこのまま健やかに美しく成長しますようにと願わずにはおれない。

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本作で言及される数々の音楽や本、文化事象や事件の数々は、それぞれ思い当たる人をニヤリとさせるのはもちろん、その記憶の無い人にとっても「20世紀の人生」を想像し理解するための補助線を提供してくれるだろう。初見でピンと来なくても、あとになって「そういえば」と気づくことがあるかもしれない。

人物のバックグラウンドを説明するにあたってアーカイヴ映像やさまざまなアイテムのブツ撮りを軽快に挿入する手さばきは、監督マイク・ミルズがまずグラフィックデザイナーとして名を上げた人だったことを思い出させる。歴史の教科書のよう、というよりはやはりしゃれた雑誌の特集記事っぽい気安さで、彼女たちが歩んできた道のりをマッピングしてみせるのだ。ウーマンリブといえば1960年代末から1970年代前半の先鋭的な運動の盛り上がりにまず注目が集まるけれど、そこで完結しているわけでは決してなくて、フェミニズムの考えかたが広く浸透したのはむしろその後に続く時代だったのだということを、こんなにストレートに表現した映画を他に知らない。

また、そうした「勃興と普及の時間差」に関して言えば、15歳の少年にパンクとそれに続くポストパンクが同時に届く様が描かれているのもいい。ニューヨークやロンドンの冴えてる若者は1976年またはそれ以前にパンクに熱狂していたかもしれないが、誰もがすぐそういった新しい波に気づくわけではないのだ。歴史年表に刻まれる一行の出来事には、前と後ろに広がりがある。距離も、時間も、深度も。あたりまえのことだけれど、自分が知らない時代について人はそれをつい忘れてしまいがちだから、何度でも思い出させてもらいたい。

もちろん現実の1979年の暮らしはたとえアメリカだってこの映画の中で描かれているよりもむさ苦しいものだったろうし、当時あんなに頭身が高くて毎日シャンプーしてそうなサラサラの髪の人はそういなかっただろう(NHKの朝ドラの近過去ものに関してよく指摘されているやつだ)。しょせんは人類史においてあたりくじを引いたほうの人たちの話、という視点を忘れてはいけないな、とも思う。だがそれでも、もしくはそれだからこそ、2017年の日本で毎日アホみたいな縁故主義の蔓延と残酷すぎる人権侵害を目にしては「前近代かよ」と嘆き憤りつつなんとか生きている自分にとって、この映画の「モダンでありたい」と願う女性たちの姿はまぶしい。「夢のカリフォルニア」最新バージョンとして、性別を問わず広い世代に鑑賞されてほしい作品だ。

最後にもうひとつ。本作でトーキング・ヘッズが大好きなジェイミー少年をなよっちいアート野郎とバカにしていじめる子は、ブラック・フラッグのファンという設定だ。ブラック・フラッグおよびいわゆるハードコアの支持者たちの一部にああいう狭量で粗暴な若者がいたのは事実に違いないけれど、高潔な理想に燃えてかっこいい活動をしていた人もいたはずなので、どうかイメージだけで嫌いにならないでほしい(自分が言うのもさしでがましいのだが、それでも言っておくのが中年の責務かな、って……)。こんな風におしゃべりと鑑賞後のリサーチを誘発するあたりもまた「いまの映画」らしい気がする。

20センチュリー・ウーマン
6月3日(土)丸の内ピカデリー/新宿ピカデリーほか全国公開中

Credits


Text Momo Nonaka