スーツの未来:今季のゴーシャ、デムナ、ラフから考える

絶えず変化する不安定な現代にあって、新世代ミレニアルズにとって伝統的なビジネススーツは果たして意味をなすのだろうか? 誰もがそう考えていた矢先、ゴーシャとデムナ、そしてラフまでもが、男らしさを示すトラディショナルなスーツに遊び心をもって再解釈をほどこした2017年春夏コレクションを発表した。

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sep 20 2016, 4:10am

gosha rubchinskiy spring/summer 17

Gosha Rubchinskiyがピッティ・イマジネ・ウォモ展示会で2017年春夏コレクションを発表した。フィレンツェに残るファシズム建築様式のタバコ工場を男性モデルたちが歩く三部構成のコレクション、最初の二部ではモデルたちがノー・シャツのスーツスタイルで登場。アクセサリーなしだった一団に続き、第二団は裸の胸に太めのチェーンを揺らしていた。そして第三団はシャツを着たスーツ姿、と今回のGosha Rubchinskiyはすべてがさりげないダークスツーツという展開で、Instagramは公開直後からこの話題に沸いた。

しかしながら、これは天下のピッティだ。デザイナーのゴーシャ・ラブチンスキーにとって、テーラリングを多用したコレクションを発表することは当然の計画だったに違いない。それでもやはり、スポーツウェアとトラックスーツが織り成す独特の世界観で一大トレンドとなっている"ソ連崩壊後のロシアクール"の旗手ゴーシャが、テーラードスーツのコレクションを発表するというのは衝撃的だった。

つまるところ、社会(もしくは学校)に蔓延する画一化された概念に反抗しなくなってしまったら、それはストリートウェアなのだろうか?フィードバックに溢れる今の時代、私たちとストリートウェアのロマンチックな関係はすでに終焉を迎えようとしているのかもしれない。もしくは、もともと思想の反映だったストリートウェアが、今や万人化してしまい、単なる"スタイル"になってしまったのかもしれない。誰が作り出したのか、アスレチックとレジャーを併せ持ったスタイルとして「アスレジャー」などという造語が生まれ、それが浸透してしまった影響なのかもしれない。

スーツのデザインがゴーシャの成長の証などと言うつもりもなければ、これがゴーシャの自己形成の過程における最終段階だと主張するつもりもない。実際のところ、ユースの精神を最も大切にしてきたデザイナーの多くが、2017年春夏コレクションで、重点をストリートウェアからスーツに移しているのだ。この動きを顕著に見せているのが、ゴーシャの同胞でもあるデムナ・ヴァザリアがクリエイティブディレクションを手掛けるVetementsとBalenciagaだ。そして、思春期を「第4の性」と呼び、テーラードのシェイプと共にデザイン世界に描き出してきたラフ・シモンズはその動きの中心的存在といっていいだろう。Off-WhiteとJ. W. Andersonも特筆すべきスーツへの移行を見せているし、黒人男性の男らしさとアイデンティティをテーラードで探って今年のLVMHプライズに輝いたグレース・ウェールズ・ボナーもまたこの流れをつくっている大きな一因といえる。

Wales Bonner spring/summer 17. 

グレース同様、Fashion East/MANに抜擢されてメジャーでのキャリアをスタートさせたチャールズ・ジェフリー(Charles Jeffrey)のLOVERBOYもまた、テーラリングを用いてドレープを作り、ギャザーを作り、そして無理な細工を服に施すことで新ロマン主義を誇張した世界を表現して、男性のシルエットにまつわる伝統的な美意識を問うている。

ビジネススーツとして知られる現代のラウンジスーツは、同族性とストレートの男性性、男らしさ、フォーマリティ、そして社会的地位を示す記号の上に成り立っている。よってその基礎となるシルエットに変化を加えれば、それがどんな男性性を意味するのかが重要になってくる。20世紀初頭から、男たちには、ポケットやラペル、シャツの襟の角度など、テーラーとともにスーツをカスタマイズすることによって、それぞれの独自性を表現してきたという歴史がある。2017年春夏コレクションに見る"スーツへのさりげない破壊行為"は、世に受け継がれてきた伝統的な男性アイデンティティに違和感を感じる現代男性たちを巧みに表現しているようにみえた。ゴーシャのスーツは、非伝統的フィット感とバギーなシルエットで不思議なバランス感覚を見せ、Vetementsもまたクチュールのショーで同様の世界観を打ち出していた。そこには、安定感の欠如と不安、そしてたどたどしさと不完全を自認するミレニアム世代に共通する感覚が表現されていた。経済の内破とリベラルなインターネット時代到来の衝撃で、新世代は、伝統的スーツに象徴される伝統的な男性像から明確な距離を置いている。

年齢層というものは、曖昧なものでしかない。思春期や大人という区分は、一体何歳から始まるものなのかを考えてみてほしい。1990年代半ば以降に生まれ、インターネット環境を当たり前のものとして育った新世代"ジェネレーションZ"に何かしらの定義付けをするとすれば、それはその未発達の状態であり、また子供と大人の中間で永遠のような時間が無目的のまま流れていく、あの感覚でしかない。著書『The Fourth Sex』で、ラフ・シモンズと共著にあたったフランチェスコ・ボナーミ(Francesco Bonami)は、思春期とは年齢で定義されるものというよりも「情熱やヴィジョン、そして破壊的思考が衝突して生まれる力」によってできる心の状態だと言っている。この言葉を念頭に見れば、これらの服が理解できるだろう。また、ラフ・シモンズが2017年春夏コレクションにロバート・メイプルソープの写真を用いたのも、思春期の曖昧な激情を表現するのに適していた。トップボタンを外した大きなシルエットのシャツの胸に、テーラードのパンツの股間部分に、着丈長めのブレザーや学生が着るようなウールベストの下に、感受性と自由、アイデンティティに揺れる心、情熱の探求、性の衝動を象徴するメイプルソープの写真がプリントされていた。

Raf Simons spring/summer 17

それは、第二次世界大戦後にユースが生んださまざまなサブカルチャーに共通して息づく精神だ。1950年代のテディボーイ(テッズ)が、大人の作り出した社会のあり方に反抗を見せた最初のティーンたちだった。英国伝統3ピースのドレープスーツにギャバジンやベルベット、バラシアなど派手な印象を与える生地を用いて快楽至上主義的イメージを演出し、タイトなパンツでセクシャルな印象を前面に出し、かつアメリカのロックンロールやズートスーツのスタイリングを取り入れて、唯一無二の反逆的スタイルを確立した。

60年代にはモッズが登場したが、テッズが熱狂的な反逆のエネルギーを放ったのに対し、彼らは巧妙に演出されたイメージでスタイルを確立し、反抗の姿勢を示した。例えば、タイトなスーツに、トップまでボタンを閉めたシャツ、自由な発想でありながらも統制のとれたスタイルで、鏡の前に立ち身づくろいをする姿は、彼らの典型的イメージだ。そのイメージには、従来の価値観に従うのではなく、自分を生きるのはあくまでも自分なのだという彼らの断固たる姿勢と情熱が現れていた。社会構造の底辺で彼らは変革のイメージを醸し出し、それが彼らの現実逃避となり、アイデンティティと社会的地位を問い、打ち崩す力を与えた。

モッズが辿り着いたセルフイメージを構築する世界こそ、今回のBalenciaga 2017春夏メンズコレクションでデムナ・ヴァザリアが探ったテーマだったようだ。興味深いのは、Vetementsでは徹底して偶然と脱構築で服を組み立てていくデムナが、Balenciagaではその真逆の世界観を築いていることだ。ショーの冒頭に登場したのは地味なカラーのオフィス制服のような服だったが、そのプロポーションは不思議な切り口で切り崩されていた。後半はよりはっきりとした色彩が目立ち、牧師が着るストラのようなスカーフや、芯地の入った襟のシャツが登場して、権力、通例、そして禁欲の世界を匂わせた。だが、女性的なシェイプにコルセット状のウエスト、大きく開いた襟ぐりなどのデザインがベルベットやブロケードなどの生地に施され、その謎に包まれたエロチックな世界観は、ストレートの男性を基礎として作り上げられた伝統的な男性の理想像を徹底的に拒絶していた。それは性倒錯的にして、ただただ壮観だった。

スーツの未来は、今後どんな道を辿るのだろうか?その未来は、今後の世界を動かしていくことになる、新世代ミレニアルズの手中にある。社会がより実際主義のものとなり、時代錯誤で通例的なルールを私たちが次々に排除していくなかで、スーツは、功利主義的だからこそ廃れていっているように見える。すでにウォール街に起こっていることを例にとれば、今年の6月にはJPモルガン社が「今後は社内でのスーツ着用を義務としない」という通達を出して話題になった。このデジタル時代——誰もがノートパソコンにかじりつき、そこに作ったアバターを自分の代わりに使ってコミュニケーションを図るこの世の中にあって、服はどのように変わっていくのだろうか。現実世界での裸を隠せるのであれば、バスローブでもキルトでも、極端にいえばマトリクスレベルでの衣服でもいいと思える——そんな未来は果たして訪れるのだろうか?

Credits


Text Kinza Shenn
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.