TOGAデザイナー古田泰子インタビュー前編

今年ブランド設立20周年を迎えたTOGA。12年ぶりに東京でショーを行ったTOGAのデザイナー古田泰子に、今までのTOGAの軌跡と今回のショーについて訊いた。

by Kazumi Asamura Hayashi
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16 November 2017, 11:24am

12年ぶりに東京コレクションでショーを行ったTOGA。ロンドンコレクションで既に発表した2018SS Collectionを、東京ではスタイリスト北村道子を迎え、再解釈した形となった。

フロントローには、写真家・鈴木親によって過去にブランドイメージとして起用された安藤サクラ、紅甘、井脇海などの面々も。そしてデザイナー・古田泰子と交流の深い五木田智央や坂本慎太郎などのアーティスト、その他にも、内田也哉子、榮倉奈々、柄本佑、内田春菊といった多彩など顔ぶれが一堂に会してはブランドを祝福していた。

過去20年にわたり、一つのブランドを創り続けている古田泰子。本人曰く、決して懐古的な発表にはしたくなかったのだという。国立新美術館の二階部分、吹き抜けになっているアトリウムから長いエレベーターをニーナ・シモンの「Be My Husband」に乗って降りてくるモデルたち。その光景はブランドの過去と未来、デザイナー本人の今までとこれからを象徴するかのような、力強さと聡明さを感じることができた。

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Photo by Shun Komiyama

──20周年を記念したショー、本当にお疲れ様でした。まずは感想を教えてください。

「やってよかったと思います。常に新しい次のシーズンを考えることが自分のルーティンだとしてきました。だから「20周年で何を?」と思った時に、過去のアーカイブを振り返るのではなくて、あくまで現在形を見せたいと考えました。ショーを作り上げる間、終わった後、沢山のサポートを受けてここまできたんだと改めて感じました。ショー自体もこの12年東京ではやっていなく、スタッフに関しても全員ロンドン、パリに一緒に行けるわけじゃないから、皆で共有できたのは大きな経験となりました。なにをやっても無駄はないし、とにかく動けばその分リアクションと感じるものがあるというのは同じだなと思えたのもよかったです」

──一番最初にブランドを始めた時は、どういうコンセプトだったのですか?

「学校を卒業して、すぐ特にマーケティング戦略や強いブランド方針があったわけでもなく、どちらかというともう本当に情熱だけで。湧き上がるのは何かを作りたいということだけでした。今振り返ると、時間だけはとてもあった。何かしたいという欲求がずっとふつふつと煮えていて、いつのまにか作って、作ったら発表がしたくなって、発表をしたらリアクションが欲しくなる……というとっても純粋な衝動で作っていたのが始めた頃でした」

Photo by Shun Komiyama

──一番最初の頃は自分が着たいものを作っていたのですか?

「全くそうじゃなかった。TOGAというレーベルを始める前は、コマーシャルやショー、CDのジャケット、ミュージシャンの衣装などの一点もののオファーを受けて仕事をしていました。一瞬で一点だけにインパクトを与えるために作るというよりも、より多くの人に広める服を作りたいという気持ちがありました。自分が着たいというよりは、みんなに着てほしいものを考えている方が大きかったと思います」

──この20年間という節目について教えてください。

「TOGA初めての展示会。自分でパターンを引いて、サンプルを縫い、お店も自分で電話をして、展示会場も決めて、予算のない中すべての交渉を自分でやった。そして展示会に来たバイヤーは3名。3日間本当に暇で、なかなか簡単に人って来ないもんだなというところから、じゃあどうやって人に伝えていくんだろうということを考え始めた、その1回目が大きかったかな。展示会を続けたその後事務所を借りる事になり。今ほどじゃないけど自分にとってはすごく大きな場所でした。「ここだったらサロンショーができるかも」と思い、その時にあった50万だけでショーをやろうとしたんです。そこで出会った人たちが協力してくれて。それは、今回のショーに協力してくれたプロダクションやプレスの人たちとか。最初は、誰がモデルへのゴーサインをだすのか、どうやってモデルをキャスティングするのかもわからなかったんです。そのショーのあと、また次のショー、また……と、どんどん会場も大きくなって」

Photo by Shun Komiyama

──一番最初のショーは何年ですか?

「2001年です。会社にした2001年に事務所を初めて借りた時。全部荷物を入れる前にここでショーできるかもって。秋冬ですね。その後贅沢だけど現状に満足できなくて、海外でやってみたいと思うようになっていました。パリを選んだ理由には、自分が最後学んだパリの存在が大きいですね。パリで学生をしていた時、ファッションのインターンシップ、ショーの時にバックステージのヘルプがあったりと、とにかくファッションに関わるアルバイトの仕事があり経験しました。パリのショーはただ服を見せるだけの場というより、ジャーナリストからプレス、その場所にいる人々、空気に緊張感があって真剣でした。例えば、その時代のとても人気があるブランドでも、よくないと会場からブーイングが起こる。そのときの私からしたら、スターデザイナーはなんでも許されて発表ができると思っていたからその厳しい環境に驚きました。パリで発表してみたいという気持ちがどんどん大きくなっていきました。そんな気持ちの中、その時のボスにコムデギャルソンのショーに連れていってもらいました。大勢の方々の後ろの方から、モデルのヘアくらいしか見えてなかった気がするけど(笑)。ショーの始まる前の熱気、空気や緊張感を感じて、いつかここでやりたいと思いました。日本では、リアクションにおいて、そういう緊張感が得られなかった。そんなに批判もなく、どっちなのかわからなくて。そんな感情の中、パリのことを思い出していました。パリで発表する準備ふまえ、2006SSから発表の場をパリへ移しました」

──そのあとにロンドンに?

「2008年でパリは一旦中止しようと。展示会だけは維持しながら色々見つめ直して体制を立てなおしている時、今のロンドンPRに出会い、「一から一緒にロンドンでやってみない?」という提案があって。私にしてみるとロンドンも東京もパリも、シーズンでその時にできる全ての自分たちの世界をみせることに集中するという点では、どこでも何も変わらないです。でも、発表した後の環境は違いますね。パリは、本当に親身になりあえるチームが作りあげれなかった。発表だけして帰ってくる感じでした。いまのロンドンのチームは家族のように一緒に悔しがったり、うまくいかなかったことを本当に怒ってくれたりする存在です」

Photo by Kenshu Shintsubo

後編へ続く

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