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The 1975 マシュー・ヒーリー interview「今後はもうインタビューに答えないかも」

The 1975のフロントマン、マシュー・ヒーリーが語る4thアルバム『Notes On A Conditional Form:仮定形に関する注釈』、〈ウォークネス〉への批判、ポスト・バンデミックの世界における音楽の未来。

by Douglas Greenwood
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22 May 2020, 9:11am

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こちらからのビデオ通話に出たマシュー・ヒーリーは、ピンストライプのツーピーススーツを着て、ジョイントを吸っていた。世界でもっとも話題になることが多いフロントマンは今、田舎にある自宅兼音楽スタジオに犬とこもっている。彼のバンド、The 1975の4枚目となるアルバム『Notes On A Conditional Form: 仮定形に関する注釈』のリリースを11日後に控えた月曜の、ちょうど正午を過ぎた頃。「マジでクソだよ」と彼はリリースまでのカウントダウンについて語る。「永遠にその日が来ない気さえする」

これまでThe 1975は、レッテル貼りやカテゴライズされるのを避けてきた。彼らはポップバンドでありながら、ポップバンドではない。マシュー・ヒーリーはロックスターでありながら、ロックスターとは違う。彼らが探索するサウンドの行き先は、〈決して予測できない〉という一点においてしか明確ではない。それを証明するのが『仮定形に関する注釈』だ。

22曲が収録された80分越えとなったこの大作は、すべての瞬間にギミックが詰まったインパクト大な現代のポップアルバムとは一線を画す。世界中にいる数百万人のThe 1975ファンたちが、作品内に浸り、ディグる甲斐のある作品だ。きっと繰り返し聴くことになるだろうし、聴けば聴いただけ発見があるだろう。

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収録曲に一貫性はまったくない。語りが入ったと思えばスクリーモへ、フォークバラードからダンスホールミュージックへと切り替わる。だからといって、実験作と呼ぶのも正しくない。実験は仮説を証明するために行われるものだ。The 1975の目には、証明すべき物事など映っていない。「周りを注意して眺め、みんなが何を考えているかを探るんじゃなくて、地元に戻って、自分たちが作っていて楽しいと思える変な作品を作ったんだ」とマシューは語る。

メディアで絶賛された2018年のアルバム『A Brief Inquiry Into Online Relationships: ネット上の人間関係についての簡単な調査』の続編となる本作は、今の社会における不安や、現代の生活を象徴する物事にフォーカスしている。例えばFaceTimeセックス、拡大し続ける環境破壊、依存症、インターネット上のキャンセルカルチャー。

キャンセルカルチャーに関しては、マシューは慣れたものだ。彼は世界中に暮らす100万人のティーンたちに神格化されていると同時に、様々な問題について率直に発言するし(率直すぎるともいえる)、本能のままに動く。善意に基づいていたとしても、彼の口から発された言葉が歪められ、疑わしいものになってしまうときもある。

例えば新型コロナウイルスのパンデミックに苦しみ、サポートを呼びかけるインディミュージシャンたちについてジョークを呟いて批判されたり、ドバイでのライブで観客の男性にキスをして、同性愛が法律で厳しく禁じられている国におけるThe 1975のクィアファンたちの身の安全についての議論を巻き起こした(彼はコンサート後に、キスをした相手の男性とメッセージのやり取りをし、その男性は「人生で最高の夜だった」と語ったという)。また、宗教への批判について語った彼の動画は、インターネットで大いにバズった。

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アンチからはナルシシストとして叩かれがちなマシューだが(本人はそういった感受性を有していることを否定しないだろう)、観衆の前でパフォーマンスができない今、人生について熟考しているという。The 1975のアートフォームは、オフラインの生活とも、オンラインのスタンカルチャー(ファンたちの力でバンドはこの10年でパブから世界中のアリーナへと羽ばたくことができたのだ)とも深く絡み合っており、バンドの今も未来も輝かしいものであることは間違いない。

今回行なったインタビューは1時間にも及び、リリースを控えたニューアルバムについて、〈ウォークネス〉との戦いについて、そしてクィアカルチャーへの尽きない愛について、マシューは様々なことを語ってくれた。

──まず、あなたが『仮定形に関する注釈』について、収録曲は全22曲だと発表した9ヶ月前のことを聞かせてください。その22曲がどういう曲になるかはすでに決まっていた?

いや、まったく。だからちょっとビビってた。空っぽのレコードを見つめると、自分という人間にはスキルがあるような気がしてきて、それを駆使して何かを作ろう、みたいな気にもなるけど、そんなのはクリエーションのやり方じゃない。突然スイッチが入って、何か面白いことが起きて、それについて頭で考える前に、何かを生み出すんだ。

──『ネット上の人間関係についての簡単な調査』が絶賛されたことは、最新作がここまで圧倒的なプロジェクトになるきっかけになりました?

どうだろう。『I like it when you sleep, for you are so beautiful yet so unaware of it: 君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついてないから。』(2016年リリースの2ndアルバム)を作った頃には、別にどうでもいい、とにかく僕たちは今やってることを楽しんでるんだから、って思うようになった。だからこのアルバムも、周りの声なんてどうでもいい、って感じで作った。僕らが守っているのはその姿勢だけ。アルバムを作るときには計画なんて立てない。こういうサウンドになったからアルバム作りは成功、っていうんじゃない。唯一のルールは、とにかくワクワクし続けること。小さな部屋にいるティーンエイジャーでい続けること。

『ネット上の人間関係についての簡単な調査』は、意外性を追求したとか冒険的だとか、ああだこうだ言われたけど、単純に僕らがワクワクすることをやっただけ。どうやったらリスナーの度肝を抜けるか、とかは考えてない。自分たちが退屈しないようにしただけ。バンドを始めて18年、プロとしてのキャリアは10年だけど、僕らはずっと、自分たちが好きなことをひたすらやってるだけだよ。そうじゃなければ意味がない。

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──〈バンドが売れる〉ということに関するあなたの考えは、時を経るごとに変化してきました。今でも、アルバム制作の際はオーディエンスや自分たちのファンベースを念頭においてますか?

結局は本能で動いてる。こないだ『ブルーベルベット』を観て、デヴィッド・リンチについていろいろ読みあさってたんだ。彼は「どうやってこんな映画作品を作っているんですか?」っていう質問に、「まず脚本を読んで、最初に思ったことを書き留める。それから現場に行って撮影する」って答えてて、最高だなと思った。つまり、彼は〈デヴィッド・リンチ読本〉みたいなものに従ってるわけじゃないってこと。彼が自分の本能に従うだけで、オーディエンスに響く。それを習得するのは難しい。リラックスしていられるために自信をもち、自分の本能が自分のアートである、と理解する。それに勝るものはないし、そこにひとは共感するんだと思う。だから、君の質問に対しての答えはノーだね。「これじゃピッチフォークにはウケない」とかは考えたことない。マジでどうでもいい。そうやって考えるようになっちゃったら、頭がおかしくなりそう。

──では、今ラジオでかかりまくっている「If You’re Too Shy (Let Me Know)」のヒットには驚きました? 商業的な成功をすると、自分をポップスターだと感じることもあるのでは。

数字とかチャートとか、うちのレーベルに所属してるアーティストの場合は気にするけど、The 1975に関しては気にしたことないよ(※マシューは、ベアバッドゥービーやNo Romeが所属する〈Dirty Hit〉レコードのクリエイティブディレクター)。「これが君たちにとって最高位を記録したシングルになるね」とかいろんなひとに言われるけど、そのときは「これまでの最高位ってどのシングルだったの?」って聞いてる。だって知らないから。マジで興味ない。数字に関心を抱くことは、自分にウソをついてる気がする。それって、自分が好きなことを常に数字で測り続けることになるから。

僕にはいろんなイメージがあるじゃん? 「If You’re Too Shy」みたいな曲を作れるわけないとか、ポップバンドっぽくないとか。そういうジレンマはみんな抱えてると思う。そのちょうどいい例が僕だよ。自分とはこういうものだ、っていうのを探してる。僕はそれを音楽で、オープンにやろうとしてる。そういうことはなるべく忘れようとしてきた。

──自分自身は、ステレオタイプ的なフロントマンの特徴を備えてると思います?

君はそう思う?

──あなたの姿勢に関しては、そうかな、と思います。現代の文脈において、真に面白いひとってあんまりいないと思うんで。

僕はポストモダン的構造の産物だよ。だから、僕らが依拠してるあらゆる仕組みを、僕はからかってる。僕が自分のことをジム・モリソンだと思ってる、って君が思ってるのを僕は知ってる、っていう。

──なるほど……。

僕が自分のことをジム・モリソンだと思ってる、って君が思ってるのを僕は知ってるけど、僕自身はそうじゃないって知ってる。僕らはこうやって互いを挑発しながら謝る、っていうゲームをしてるんだ。これ以上ないくらいに偽りない、心からの言葉を発信しながら、ステージで自分の後ろにクソみたいな僕のサインを点滅させとく、みたいな。僕はそういうおふざけ、タブーこそいちばん面白いって思う。音楽以外のことは全部バカげてる。みんな知りすぎてるから。

──あなたがThe 1975というバンドの中心人物であることは否定できないと思いますが、あなたとジョージ・ダニエル(バンドのプロデューサー兼ドラマー)の関係は共生的なものに見えます。アルバム制作のプロセスに、あなたの気分や態度はどれほど関わっていますか?

こう言うと自惚れてるように聞こえるかもしれないけど、僕らは音楽的ボキャブラリーを共有してるから。同じ場所にいなくても、いっしょに音楽を作ってる。僕の作品をジョージに聴かせて、ジョージがこう[心底驚いたようなリアクション]なるってことはないね。僕らはお互いのやっていることに、すごく自然な反応をする。タイミングは被らないようにしてるけど。まさに共生関係だと思う。彼と離れていることのほうが変な感じだよ。

──気分もノらないし何も作れないって気分だったのに、やってみたら良いものができた、みたいな日はありますか?

そんな最悪な日なんて思い出せないな。毎週金曜、作ってたアルバムを捨てたくなったときにはバンドマネージャーのジェイミーが来て、いっしょに座って聴いた。僕は「ゴミだよ、最低」って言うけど、そういうふうに言うのって、実はみんなに「いやマッティ、最高だよ、お前マジ天才」って言ってもらいたいから。僕をいい気分にさせてほしいんだ。僕ら自身がいちばん辛辣な批評家だし。

──新作のコラボレーターについて聞かせてください。彼らに共通する点ってありますか?

フィービー・ブリジャーズとコラボすることになったのは、お互いに大ファンだったから。あと彼女と僕は同時期にLAに滞在してたんだ。別に「いつか絶対に彼女をフィーチャーしたい」と意気込んでたわけじゃなくて、ただ単純に、彼女の声がこの曲に合うだろうと思ったんだ。米国のことを考えると、彼女の声が聞こえる。FKAツイッグスも同じ。「If You’re Too Shy」でオペラの曲からサンプリングしたパートがあって、ステージ上ではここを世界最高のポップオペラシンガーに歌ってほしいなと思って。彼女も「もちろんオーケー」って受けてくれた。

誰かをフィーチャーするって僕はそこまで好きじゃないんだよね。マジのコラボレーションだったらいいけど。そこはみんな簡単には信じない。異花受粉的なものってすごく望まれてるよね。例えばチェインスモー……まあ他のグループをこきおろすようなことはしないけどさ。考えなしにいろんなひとの名前を出しちゃってよく批判されるんだよ。アーティストのXさんとYさんにしとこう……。とにかく、コラボの裏に商業的な意図みたいなものがあると、みんな「はいはい、そういうことね」ってなるわけ。僕とフィービーは以前、それについて話したことがあったんだ。そこに在ることが自然、っていう声の使い方がされた音楽がいいよね、って。

個人的に、今作をもっともよく象徴する曲は、父さんと作った「Don’t Worry」だと思ってる。僕が幼い頃、父さんが作った曲。音源なんてなかったから、スタジオに父さんを連れてきて演奏してもらった。最高の曲だし、僕らしさもあるし。マジで特別な1曲。The 1975のアルバムに収録できるような曲を作れて、しかもその曲がThe 1975っぽいなんて、世界で父さんにしかできないよ。僕のルーツはこれなんだな、と思う。

──5月10日に公開された「The Times」誌の記事で、あなたは「活動家のもつ高い意識(ウォークネス)」を有している、と評されていました。自分を〈ウォークカルチャー〉の先導者だと思いますか?

公平を期すためにいうと、あの記事を書いた女性記者は、ネット上でめちゃくちゃ批判されたみたい。それはかわいそうだなと思う。別に悪い記事じゃないのに。でも僕は、クソみたいなウォークカルチャーの先導者ではない。ジーザス、そもそもそれってどういう意味? まずそれについて話して、それからその定義を決めることってできない? 既存の定義に従うんじゃなくてさ。僕らはもはやわかりやすい情報とか、しっかりキュレーションされた情報だけじゃなくて、あらゆる情報に無限にアクセスできるから難しいけどね、「〇〇について話をしないと!」っていっても。話をしないといけないのはわかるけど、みんなで一気に話をするのは無理だし。

もちろん、僕らの音楽には意味がある。僕らは、不平等を助長するような思想には反対する義務があるとも感じてる。僕も正義に関しては一貫した倫理観があるし、その多くは僕の音楽で表現してる。タイミングによって、僕の政治的立場は様々だ。僕とは意見が合わなくても、僕の音楽で発されている言葉を確かめるために僕に注目しているひとたちの前に立つこともある。それで上手くいってるのは、僕らのルーツが後期パンク/ハードコアにあるから。僕らが今、ヘヴィな音楽を作らないのは、僕らの目の前で、僕らの手の中でヘヴィネスが死んだから。ヘヴィな音楽をやることは、反体制的な行動じゃない。引き出しの中にあるものの中で、もっとも鋭いのは〈美しさ〉だ。ステージに立つときはね。例えば中絶禁止法みたいな、何か間違ったことが起こっているとき、僕らはそれを間違っていると指摘する。それは僕らがもともとそういう音楽シーンにいたから。世界を変えることはできないけど、僕らの周りは変えられるよね、っていう。

そうやって500人に伝えて、次は1000人、それから5000人、そして8万人に増えていく。「自分は正しいことをしている」とは思わないけど、でも自分が属しているコミュニティでは、お互いを理解していて、それが成長していってる。そのエネルギーに、僕らは音楽という燃料を注いでいるってわけ。僕だってここでは正しいことをいっているけど、別のところでは間違ったことをいっているかもしれない。だけど僕が抱く意見、重要な意見は、すべて作品の中に込めてる。

──これまであなたは様々な意見を表明し、炎上してきましたが、その炎上についてもきちんと意見を述べてますよね。過去の自分の発言に触れることにも慣れました?

公共の場で謝ったり、自分の意見を変えることは怖くないよ。怖がるひとは多いよね。支持を失ってしまうかもしれないから。僕はただのひとりの人間で、知識には限りがある。その中のひとつが間違っていたとしたらどうすればいい? 自分が成長して、「愚かだった」と謝ることしかできないよ。まあ、これからヤバいことは言わないと思うから幸いだけど。不適切なように聞こえることもあるかもしれないけど、だいたいは言葉足らずだからで……いや、そうでもないか、クソみたいなことばかり喋ってるな。

今後はもうインタビューに答えないかも。まあこれが最後のインタビューになるってことはないし、プリンスみたいになるわけじゃないけど。僕は、自分がやりたいと思うことだけやりたいんだ。インタビューは、今の僕にとってはそこまで価値があるわけじゃない。アートや音楽が好きなひとと話すのは好きだけどね。面白いし。でもただアルバムだけを出していくほうが、僕にとっては安全かも。

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──あなたは公共の場でもプライベートでも、LGBTコミュニティの支援者として活動してきました。クィアのひとびとに囲まれて育ち、あなたのファンにもクィアが多い。彼らのためになることをしないと、という責任は感じますか?

そうだね。でもドラァグクイーンに囲まれて育ってきたことを除けば、質問は「どうして?」じゃない? 僕の人生においては、LGBTコミュニティってずっと存在感があった。子供の頃はロンドンに暮らすクリエイティブなライター/ジャーナリストのレスターおばちゃん、ポールおばちゃん、マークおばちゃんみたいなひとたちになりたかった。そのひとたちは偶然ゲイだったけど、ゲイっぽさに憧れていたわけじゃない。単純に彼らがカッコよかったってだけで。アーティストとして活動を始めた頃も、マンチェスターで育った自分の体験以外歌ったことないよ。

でもそうやって、誰もが加わることのできる環境を作ってきたと思う。自由とか、他人の自由を侵害しないことについての僕の気づきには、僕らのオーディエンスの多くが共感してくれた。無視できないくらいにね。これまでもそういう環境の中から、素晴らしいアートフォームが生まれてきた。ボールルームとかヴォーギングとかドラァグとか、ファッキン・デヴィッド・ボウイとか。規範を破ることは、クィアの世界から生まれてる。現代では、いわゆる〈ゲイカルチャー〉は大きな現象となってる。チャーリーXCXとかキム・ペトラスみたいな素晴らしいアーティストが登場していて、彼らの美学とか大胆さ、才気やサウンドに僕も夢中になってる。善きひとびとのための善き場になっていると思う。だからといって僕の愛の理由を説明することはできないけど。僕がゲイやバイだったらより筋が通っているのかもしれないね。でもゲイカルチャーが僕を形成していることは確かだから。不当に利用しないようにしたい。

──自分の信条に沿うアイデンティティをサポートしているとも見受けられます。自分と同じシスジェンダーの白人男性の他者への態度にムカついている、というのもあるのでは。あなたの主張が、罪悪感というものに根付いている可能性は?

僕は、自分がしているサポートはあまり世間に見せていない。それは〈マシュー・ヒーリー〉がやっているんじゃなく、僕がやっていること。でもそれは、〈ウォーク〉カルチャーがクールだっていうことに超意識的だからで。ウォークカルチャーに寄り添うことで、シスジェンダーで白人でストレートの自分をより興味深くみせようとする考え方は、マジで勘弁してほしいね。実際そういうことが起こっているのか、そういうひとたちがいるのかは定かではないけど。僕自身は、ゲイのための空間を奪いたいなんて思ったことはない。『Attitude』誌の表紙に載ったときも、受けたのはそれが〈アクティビストとその仲間たち〉っていうテーマの号だったから。僕は場を代表するにはふさわしくないよ。

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──もう話したくないなっていう話題はありますか?

ドラッグ。なぜならこれについて話すためには、現実的な問題を、正しく伝える必要があるから。結局、ドラッグはいいもんじゃないってことを伝えたいわけなんだけど、でも「いいもんじゃないよ」とは言えないし。だって、僕らは気楽に話していて、その流れで「ヘロインに関する問題のひとつは、入手するのが煩わしいということである。モペッド(エンジン付き自転車)の後ろで…」とか話し始めたら、日曜の新聞の特集を飾る小見出しみたいだろ。僕は忘れがちなんだ。言ったのは確かだけど、それって僕らが互いに僕の意図を、つまり、ドラッグはマジでいいもんじゃないって言いたかったんだ、ってことをわかってたからこそ言えたわけで。僕はドラッグの愛好家じゃないことは、僕も君もお互いに承知してた。それを記事に書いてくれないと。そういう世界に身を置いていることが、本当に腹立たしく感じるよ。だからそういうことは話さないようにしてる。

あと、僕が世間知らずな節があるっていうのも影響してるかも。ただ「ヘロイン」って言葉を発するだけで、みんなこうなっちゃう[と息を呑む]のを忘れちゃうんだよね。ヘロインがどれほど悪いものかについて、誰かの意見を聞きたいわけじゃない。僕らは今こうやって話をしているわけだけど、僕をウィリアム・バロウズのワナビー的な感じ、つまりベルリンでギターを抱えているのがクールだと思ってるやつ、みたいな感じで提示しないでほしい。そういう話はもうしたくないんだ。アクセサリーを飾ってもっときらびやかにしようなんて思ってないし。僕はアルバムを作って、犬を飼ってる。それについてなら全然話すよ。人生を生きることについてのアルバムを作れているのは、僕がちゃんと生活できているからこそで。バカげたおとぎ話の中には生きてないよ。

──両親と連絡は取り合っていますか?

うん、けっこう頻繁に連絡してる。FaceTimeとかで。もう逃げ場はないよね。逃げられない。僕はインターネットについていろいろ話してきたけど、SNSがこんな状態になっているのとはまた違う、ユートピア的なインターネット像に近づいてる感じがする。前から存在していた人間関係を広げていく、っていう。

僕はVRにかなり興味があって、デジタルの世界において触覚はどうする、っていう問題を考えてる。僕と君はこうして話をしているけど、この次のステップは、身体性の獲得だと思う。それが実現したとき、人間は第二の世界に入り込むことができる。そういう、身体性にアプローチする環境を生み出せたら、それがどういう意味であれ、かなりドープだと思うね。

──そういう考えは、あなたのライブが将来どうなるか、っていうことにも関わってきますか?

100%そう。ライブがなくなるとは思わない。コンサートでアーティストとつながれる体験っていうのはめちゃくちゃパワフルだし。聖地巡礼みたいなものだよ。

でも夜のコンサートはなくなるかもね。カーボンニュートラルの黒テントにアーティスティックな感じでライトを当てれば、それをステージの照明として使える。まあ妄想だけど。人間の今の行動を保ちつつ、それを充分に揉みこんで社会的に受け入れられるようにする、みたいなのはもう終わり。そうなるとどこかで犠牲を払わなきゃいけなくなるから。

「もうライブはやらない」とかそういうことを宣言するつもりはないけど、でも例えば、15メートルの壁に囲まれた会場ってもう古いんじゃないかってこと。これからどうしようかな。僕らはライブミュージックとは何か、ライブにおいて何が大事なのか、っていうことを考えはじめた。パンデミックを、環境問題を本気で考えるいい機会と捉えるべき。新しい世界に行って、元の世界とまったく同じ世界を再構築して、その世界がまためちゃくちゃになるのを待って、それからまた環境問題にどう取り組むかを考える、ってことはできないからね。今始めないと。

今は、ゲーム会社と何かできないかいろいろ話してるところなんだ。『仮定形に関する注釈』のあとは、そこが僕の目指すところかなって。ジョージはモジュラーシンセの世界、僕はデジタルアートの世界に向かってる。おそらく、僕はしばらくインタラクティブゲームに没頭すると思う。

──その種はすでに撒かれている? それとも今後始まっていくのでしょうか。

そうだね、ビデオゲーム関連のプロジェクトに取りかかるのは間違いない。自分のゲームを作るのか、あるいはゲーム音楽を担当するのか。この前ツイートもしたよ、退屈だったから。ゲーマーのパンクキッズが反応くれるだろうなと思って。『Call of Duty』の音楽はやらないよ。新しいコンテンツには興味あるけど。

TikTokも面白いフェーズに来てるなって思う。Vineとは違う。AppleとかNetflixみたいになるんじゃないかな。TikTokは、みんなにとってコンテンツを生み出すための刺激になってる。TikTokのライフスタイル的要素は薄っぺらいものなのかもしれないけどね。魅力的な容姿でビーチにいて、みたいな。だけどそれを支えているのはコンテンツだし、ひとりの賢い若者が一変できてしまう。iPhoneを持った14歳のスパイク・ジョーンズが、そこにいるんだよ。

『仮定形に関する注釈』はDirty Hit/Polydor/Universal Musicより5月22日に全世界で発売。

This article originally appeared on i-D UK.

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