namachecko spring/summer 19

現代性と伝統的なクルドのデザインを融合するNAMACHEKO

ディランとレザンのラー兄妹は、文化的なルーツを掘り下げながら、アイデンティティ、難民、そしてコミュニティというテーマを追求している。

by J.L. Sirisuk; translated by Ai Nakayama
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aug 17 2018, 7:45am

namachecko spring/summer 19

「もし運よくブランドが10年、20年と続いても、誰かが僕たちの情報を目にするときには、絶対に、僕たちが生まれたキルクーク(イラクの都市)で、いとこたちと始めたブランドだってことを知ってほしい」。スウェーデンとクルドをベースとするメンズウェア・ブランド、NAMACHEKOのディラン・ラー(Dilan Lurr)はそう願う。現在躍進中のNAMACHEKOを、ラー兄妹が創始したのは約1年前。最近、2019年春夏コレクションをパリで発表したばかりだ。クルディスタン地域で生まれたラー兄妹は、幼い頃にスウェーデンに移住し、のちにスウェーデン南部の、ファッションの昔からの中心地からは少し外れた場所に位置する都市、ルンドで土木工学を学んだ。ディランとレザン(Lezan)がデザインの道に足を踏み入れたのは、自らのルーツに立ち返ったのがきっかけだった。「キルクークについてのショートムービーをつくることにしました。僕たちのいとこ、彼らの生活を追った映像でした」とディランは説明する。兄妹は映画のためにイラクの婚礼衣装にインスパイアされた衣装をデザインし、それが2017年に発表されたNAMACHEKOの最初のコレクションになった。

NAMACHEKOは伝統というものを掘り下げながら、個人のアイデンティティ、難民、人と人とのつながりというテーマを追求している。ディランは4番目となるコレクションで、ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』や、アーティストのエヴァン・ホロウェイ、ブライス・マーデンらの作品に影響を受けたという。様々なインスピレーションと丁寧な仕立てへの途切れることないこだわりが、色鮮やかなNAMACHEKOの2019年春夏コレクションをかたちづくる。ライムグリーンや小豆色、ダイアモンドモチーフ、ナイロンテープの留め具、フレアのクロップドパンツ、50年代後半から60年代前半風のシルエット。NAMACHEKOは現在、世界中のDover Street Marketで扱われ、拡大を続けている。そんななか、本コレクションでは、ラー兄妹が抱く原動力や野心が視覚的にはっきりと表現されている。i-Dは先日、NAMACHEKOがショールームを構えたパリのフランス共産党本部でディランにインタビューをし、ブランドの始まりと未来を訊いた。

——まずは、90年代後半、おふたりがイラクからスウェーデンへと移住したときの話から伺わせてください。

僕たちがスウェーデンに到着したのは、1997年12月。クリスマスでした。見渡せばクリスマスの飾りつけと雪。まるでマンガのなかにいるようでした。それほどまでにかけ離れた世界だったんです。当時の僕は自転車も乗れない子どもで、9歳でした。クルディスタン地域では、1日1時間しか電気が使えませんでした。連続で1時間ではなく、さっきは5分、今は10分使える、という感じです。テレビを観れば、サダム・フセインの演説か、フセインの誕生式典。あるいはフセインの息子の誕生祝賀会。それだけでした。イラクでの思い出はたくさんありますが、全ていとこたちとともに自分の店で働いていた父との思い出ですね。スウェーデンに移ると、朝から晩まで学校に行くようになって、友達の家に遊びにいったり、自転車を乗り回したり…。急にただの子どもになりました。

——今振り返ってみて、当時の生活があなたのクリエイティビティに影響を与えたことはありましたか?

僕の父は宝石商だったんです。クルディスタンでは、ほとんどの家庭にそれぞれ専門職があってそれで生計を立てています。父方のいとこも、大半が宝石商でした。僕らが生まれ育ったキルクークという街にはバザールがあって、そこに宝石商がみんな店を構えていました。宝石商はいつもスーツを着ているんですが、僕も父といっしょに仕立屋に行ったことがあります。別にハイファッションのスーツなどではなく、普通のスーツです。でも、それが無意識のうちに僕のなかに残っていたんじゃないかと思います。仕立て、そして職人技を今も大事にしていますからね。

——あなたのブランドは、永続性を重んじていますね。1シーズンで終わってしまうものではなく。

6~7歳のとき、いつか家族で移住することになると知ったんです。それを学校で話したら、先生が僕の母親に、「ご家族でスウェーデンに移ることを人前で喋らないよう、息子さんに言い聞かせたほうがいいですよ。独裁政権のもとでは、そんなふうに学校の周りを歩いてはいけません」と注意しにきました。とにかく僕は、クルディスタンは永住の地ではないと知っていた。それが逆に、永続性にこだわるきっかけになったんでしょう。僕たちはデンマークのテキスタイルメーカー、Kvadratの生地をたくさん使っています。Kvadratは家具用の生地をつくっていて、10年保証なんです。そこがすごいと思って。伝統的な仕立ての技により、服は耐久性を持ちます。そこに僕はこだわってます。ラグジュアリーとしてではなく、長持ちするという点で。

——もともと土木工学を学んでいたそうですが、どうしてファッションやデザインの道に?

ルンドの大学に通っているとき、土木技師になってお金を貯めて、それからファッションブランドを始めようって考えてたんです。そんなとき、母親が病気で容体が悪くなり、亡くなってしまいました。それがきっかけで僕たちは、やりたいことがあるなら今始めなきゃダメだ、って気づいたんです。大事な人を喪ったら、誰もがそう感じると思います。人生の短さを知るんですよね。母は僕たちにとって、クルドの土地との絆のような存在でした。だから僕たちは、クルドの文化をかたちにすることに意義を感じたんです。そこで、キルクークについてのショートムービーをつくることにしました。僕たちのいとこ、彼らの生活を追った映像でした。そのために衣装を用意することにして、小さなコレクションをつくりました。2016年12月、キルクークに衣装を持っていって映画を撮り、2017年1月に帰国して、パリ・ファッションウィークでそのコレクションを発表しました。おもしろかったのは、キルクークで撮影をしているとき、街の約60キロ外にISがいたことです。

——今回のコレクションのアイデアはどうやって生まれたのでしょうか? あなたのクリエイティビティを刺激したのは何ですか?

タルコフスキーですね。彼の作品が好きなんです。自らの体験を映画に反映させる彼の手法に関心があります。僕はタルコフスキー作品でデザインを学んだと思います。タルコフスキーは実に信心深く、霊性を大事にし、細かい演出で、自らの作品に思想を盛り込んでいます。僕はムスリムの両親のもとで育ちました。僕自身はムスリムを自称しませんが、ムスリムでないとはいいません。心から神を信じているし、神についてよく考えます。今回のコレクションで、その宗教的な面について疑問を投げかけました。タルコフスキーの宗教の表現方法を観ることは、僕にとってとても意義深いです。僕も宗教を表現していかないと、と思い、今回のコレクションではダイアモンドのモチーフを使いました。ダイアモンドはイスラム教芸術の象徴なんです。タルコフスキーは作品で、セリフをあまり用いません。大事なのは、カメラの動き、カット、シーンです。前3回のコレクションでは、自分は言葉にしすぎて、視覚的なイメージをあまり示さなかったな、というところがあって。そこで、エヴァン・ホロウェイやブライス・マーデンを参考に、色彩を加えました。このふたりは、昔から好きなアーティストなんです。

——あなたのデザインが向かう先はどこだと思いますか? そして、デザインを続ける理由は?

僕はすごく負けず嫌いなんです。10年サッカーをやってましたから。サッカーは勝つか負けるかでしょう。僕はもっとうまくなりたいし、もっと大きなコレクションをつくりたい。もっとたくさんのアイテムを発表したいんです。このブランドは、自分のバックグラウンドと、クルディスタンに住むいとこたちにスポットライトを当てたのがきっかけで始まりました。世界には3500万人のクルド人がいますが、彼らは国をもたない。これは、僕が発言していくべき大事な話題だと思っています。シーズンを重ねるごとに、NAMACHEKOは成長している。僕の発言力も高まっていて、より多くの人が耳を傾けてくれるようになっています。コレクションごとに、クルディスタンを知って、Google検索してくれる人が10人増えれば、万々歳です。ブランドを始めて1年半経った今、僕は仲間全員に敬意を表したいと思っています。始まりはクルディスタンだったという事実を僕は発信し続けるでしょうし、どこに行ってもそれは変わりません。だけどそれだけじゃない。もっと良くすること、これは常に意識しています。そしてもっとたくさんのアイテムを発表することで、ブランドの空気をつくっていき、エネルギーを発生させ、人びとに何かを感じてもらえればいいですね。

This article originally appeared on i-D US.