ヘルムート・ラングの元右腕がベルリンファッション界のスターに

なぜロゴの流行をよく思っていないのか? なぜ「ミニマリスト・デザイナー」と呼ばれるのを拒むのか? コスタス・ムルクディスがその理由を語る。

by Juule Kay; photos by Max von Gumppenberg; translated by Aya Takatsu
|
maj 25 2018, 9:32am

コスタス・ムルクディス(Kostas Murkudis)が本当に学びたかったのはアートだった。そうすれば美術修復家や建築家になれるから。しかし運命に導かれた彼は、異なる道を選んだ。そして幾多の紆余曲折――大学で2年間、化学を専攻したりーーを経たのち、ようやくファッション業界にたどり着いた。「化学反応を見ることに残りの人生を捧げるなんて、なんだか想像できなくて」とコスタスは話す。「平凡すぎるし、詩的でクリエイティブな要素がまったくなかったので」。彼はファッションの中に詩性を見出している。ヘルムート・ラングの右腕となった彼は、のちに自身のブランドを立ち上げることを決意した。

コレクションを通して、彼はファッションへのその独自のアプローチをつまびらかにしていく。芸術的でパフォーマティブ、かつ自由な感覚をもってフォルムやシルエットをつくりあげるコスタスのデザインは、明瞭でありながらも柔らかい。。「隠すのが好きなのです。見たい人にだけ見えるように」と彼は言う。今回のインタビューで、コスタスは自らの仕事の流儀と、行間をよく読むことの必要性を語った。

——かつて7年間、ヘルムート・ラングの右腕として活躍されていましたね。自身のブランドを立ち上げようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
すごく個人的な理由からでした。当時、子どもが生まれたのですが、毎週のようにミュンヘン行きの飛行機に乗っていました。あるとき、自宅にいるのに客のような気分がしました。それでもうこんな状態ではいけないと思ったのです。選択肢はふたつありました。ウィーンへ移住して、今の仕事に没頭すること。もしくはすっぱりと辞めること。私は後者を選び、まず1年間の休息を取りました。ファッションには十分時間を費やしましたから。最終的にはヘルムートとたくさん話し合って結論を出しました。彼は言いました。「こんなふうにすべてを投げ出すのはもったいなくないか? ファッションの世界に戻るべきだ」

——なぜ休息を取ろうと思われたのでしょうか。
誰かとあれほど近い関係で仕事をしていたら、ちょっと距離を置く必要が出てきます。自分のために、自らがやりたいと思うことを見つけなければならなかった。だから、フードと静物のスタイリストとしてしばらくスタジオで働いていたんです。とてもおもしろい仕事でしたが、満足ではなかったですね。

——ファッションからは充足感を得られると思いましたか?
ファッションへの情熱が枯れることはないと思います。ですが「充足感」では意味が大きすぎる。私にとって、それはもっと複雑で、これまでのキャリアとも過分に結びついているものなのです。現実と必要不可欠なもののバランスを取りながら、調和するように仕上げなければなりません。そうしなければ、仕事のために生きるようになってしまうでしょう。私にはそれでは足りないのです。

——ストリートウェアが発展し、ラグジュアリーに近づいてきたことをどう思いますか?
自然な成り行きです。Vetementsがスタートしたとき、その最初のコレクションには誰も見向きもしませんでした。ファッションが自身を鏡で見るべきときが来たからこそ、機能し始めたのです。ファッションにはそれを震撼させる人が必要なんです。ほとんどのコレクションが同じように見えますから。いい面もたくさんありましたが、結局は、ジャーナリストも選択肢がたくさんある消費者も、その潮流からはずれたものを見つけようとするのです。そうは言っても、ロゴの流行に関しては、好きだと言えませんね。私の感覚に添わないので。ブランドが多くなりすぎると、また人はそれと違うものを追い求めるようになります。それは繰り返し起こるサイクルなのです。

——10年ベルリンに住んでいらっしゃいますが、ベルリンのファッションシーンで大切に感じていることは何でしょうか。
「ファッションシーン」という言葉も難しいですね。私のように時間とエネルギーをそこに費やしている人がいることは確かですが、一方で、好機に飛びつき、ファッションを仕事として楽しむ人も大勢います。私にとって、それはファッションシーンではありません。そういうのは1年かそこら続いて、あっという間に消えるブランドというのにすぎない。以前、それはモデルであって、次にDJ、そして今はデザイナーになりました。誰もがブランドを持ちたがり、そのことによって自分を際立たせたいと思っているように、私には見えます。

——業界のほかのことには一切手を出さないでファッションだけをつくっていくというのは、もう不可能だと思いますか?
仕事をしているように見せるために、カフェでノートパソコンを開き、3時間ばかり過ごしてそれを閉じる。クリエイティビティはそんなことをしても出てきません。自分の作品をつくるときに、または自分の人生に対して、正確な展望やしっかりした意図がなければ、結局すぐに失敗してしまうでしょう。今日のファッションでは、さらに多くのスキルが求められます。現代のファッションデザイナーたちには、マーケティングやPR、そしてコミュニケーションについての理解が求められています。クリエイションのためにクリエイトしていた80年代や90年代には、そんなことはなかったのですが。

——あるインタビューで、ご自身をミニマリスト・デザイナーだとは思わないと話しています。それはなぜですか?

“ミニマリズム”という言葉はとても90年代的だと思います。北欧ではミニマリズムを多く目にしますが、私は自分の作品はこれとは違うと考えています。自分の作品を分析するとしたら、もちろん、それは物事を削ぎ落とすことでしょう。ですが、その背後にはたくさんの複雑なアイデアがあります。しかし、大きく目立つものを作品に取り入れるのは私のやり方ではありません。隠すのが好きなのです。見たい人にだけ見えるように。そうすることで、もっとおもしろくなるのですから。

——ではご自身のことはどのように考えているのですか?
クリエイターというほうが近いでしょう。“デザイナー”という言葉に付随するような意味やつながりを持っていませんから。自分自身をひとつのことだけに限定したくないのです。そんなことをしたらすぐに飽きてしまいますから。私の関心はテキスタイルだけでなく、陶器やガラスといった素材、パフォーマンスや映画のような芸術表現にも向けられています。ひとつの箱にすべてを詰め込めたら人生はもっとシンプルになるでしょうが、私はオープンであり続けたんです。これまで誰も試したことのないやり方で物事にアプローチするために。ある時点で、書道に挑戦するかもしれません。好奇心がとても強いので。

——コレクションを通してストーリーを紡ぐことで知られるあなたですが、2018年春夏コレクションに隠されたストーリーは何でしょうか。
90年代とゼロ年代はずっと、たくさんのストーリーをつくるのを好んでいました。ですがもうそれは機能しなくなりました。特に最近のコレクションは、ひとつのアーティスティックなアプローチや特定のアーティストからのみ着想を得たものです。加えて、そのDIY精神全体、そして美しき素朴さに強いインスピレーションを受けています。ときには断片化した性質を使うこともあって、そうするとストーリーはどこか行間に落ちていくのです。