美の見つけかた、視覚的編集のしかた:エレン・フライス interview【後編】

編集者で写真家としても活躍するエレン・フライスへのインタビュー。後編は私的(詩的)ジャーナリズムと、エレンが敬愛していたジャーナリストで本展開催のきっかけになったミッシェル・ビュテルについて。

by Nakako Hayashi; photos by Kisshomaru Shimamura
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23 January 2019, 9:08am

インタビューの前編はこちら

——「Disappearing」展からは「消えつつあるものの美しさ」に目をむけさせるという意図を感じました。

「消えていくものに、よく心が動かされるんです。好きな店や写真に撮ったものがなくなってしまったり。展示の写真にいた猫たちも、もういません」

——過去はマーケティングツールとして用いられることもあります。未来を想像することは不安を呼び起こすのとは対照的に、「懐かしさ」という感覚は安心して振り返ることができるので。けれどもあなたが指摘した、消えつつあるものへの感情は、そうしたマーケティングの視点から離れたものですね。

「フランスでもアジェの家、アンドレ・ブルトンの家といったように、たくさんの人が訪れる観光地があります。それはすべてを台無しにしてしまう。ペソアのリスボン、カフカのプラハも同様で、このように過去を利用したマーケティングは、誰もがやっていることで魅力がありません。人びとのリアルな生活のほうがずっと面白い。私の村にも魅力のある年老いた人たちがいて、そういう人たちをパーソナルに見ていくほうがより豊かに歴史を学べると思います。
過去は哀しい感情を引き起こしますが、私はそれが美しいと思うんです。観光地でも「美しい素敵な村」という見かけの場所を少し離れると、哀しい感覚の場所が拡がっている。世界中でいちばん哀しい場所こそ、美しいと思うんです。いってみれば可愛すぎる村も都市も美しくはないのです。冬は空っぽで美しい村も、観光客であふれる夏になると私は嫌いになります。
ホンマタカシさんが以前、イタリアの未亡人を撮った写真集を作っていますが、それも哀しい美しさのある作品です。人はつねに自然なスナップショットを撮ろうとするけれども、写真は嘘をつくということを語っています。タカシは人生における哀しみやメランコリーを写すのがとても上手い。テリー・リチャードソンやユルゲン・テラーなどトラッシュ・フォトをやろうとする人たちは、私は嫌いです」

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——「Disappearing」展のための古着はどのように買いつけたのですか?

「ブロカント(古道具)をあつめた店やチャリティストアで、何時間も探して掘り出しものを見つけました。これは根気がいるし、時間がかかる、肉体的な労働でもあります。スーパーマーケットやブランドなどのファッション産業が見落とした古着の山から1、2時間かけて探すのですが、そのなかに60年代や80年代の服を見つけたり、アクリルの服の山からウールのセーターやコートを見つけたりすることがあるんです。ほとんどがZARAやBenetonやH&Mですが、2%くらい別なものが混ざっています。なにかを見つけたときの嬉しさといったら。消えつつあるもののなかから美しいものを見つけるのは、宝さがしなんです。私は個人的な行為として古着を買い始めたのですが、すぐに自分が必要とする以上の量を買ってしまったことに気づきました。そこで友人と、大きなブロカントのなかに私たちが選んだ古着を販売するコーナーを設けました。でも今回のCOSMIC WONDERとのプロジェクトがいちばん嬉しいお話でした。COSMIC WONDERの前田征紀さんに「白い服を買い付けてください」と言われて、夢中になって買い集めました。状態の良い白い服を見つけるのは大変でしたが。白い古着をいろいろなトーンの墨で染める。それだけでこんなに美しい服が生まれるなんて。「Autre Temps」は大好きなプロジェクトです」

——ファッション産業の中にも、古着を愛好する人々は常にいますね。

「90年代のマルジェラは古着をコピーしていました。彼は古い衣服に熱中していたのです。今では私もそうです。フランスでは皆、いらなくなった服を袋につめてチャリティストアに持って行きます。そこには60年代のGivenchyのシルク・スカートや70年代Courrègesのウールセーター、手作りのセーターやドレス、コート類もある。ここ数年私は手持ちの服に、そこでみつけた古着を合わせて着ています。田舎に住んでいるので、こういう場所でしか美しい服に出会う機会がないのです。昔の人はお針子さんのつくった美しい服をもとめて店に買い物にいきましたし、多くの女性が自分たちの服を手作りしていたんです」

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——「Disappearing」展に寄せられたあなたのテキストは、ミッシェル・ビュテルというジャーナリストの旧友へのオマージュであることが綴られていましたね。どんな人だったのでしょう。

「彼は2018年の夏に、77歳で亡くなりました。私のつくっていた『Purple Journal』は少部数ですが、彼の印刷物はとても大部数で、街中のニューススタンドに売られていました。雑誌のようなものでしたが、彼はそれを「マガジン」と言わず「ジャーナル」と呼んでいました。80年代終わりのフランスの知識人は皆それを読んでいましたね。子どもや看護婦へのインタビュー記事を掲載する、ちょっと変わったジャーナリズムで、とても自由でした。私は彼とよく人生や文学の嗜好について話しました。自分の信念に合わないことは絶対にしない人でした。金銭に執着しないので、彼はとても貧しく人生を終えました。行動と思想が直結していたんです。
私たちがやっていた『Purple』に訪れた問題は、ファッション誌の広告主が自分たちの服を撮れと主張してくることで、私はそれが嫌でした。しかしオリヴィエは、ファッション・システムの中にいたかった。それで私たちは別々のことをするようになったのです」

——ジャーナリズム一般に対してあなたはどんな考えをもっていますか?

「そもそも、「アート」「経済」「世界」というようにセクションがわかれているのが問題だと思っています。私はある日、トゥルーズの街で醜い人びとのなかに美しい顔をもつ一人の女性に出会いました。彼女は90歳で、デパートの中で手伝う人もいず、店内で迷いながら靴下を見ていました。「私は90歳で、買い物をするのが難しいんです」と彼女は言いましたが、とても美しかった。その日見た人のなかで唯一、彼女だけが美しいと感じたんです。もし私が新聞をつくっていたら、彼女にインタビューしたいと思います。デパートに彼女が一人でいて、誰も手伝わない状況。彼女の人生はどうなっているのか、子どもたちは戦争に行ったのか。とてもゆたかな話を聞けるでしょう。そして、すばらしいポートレイトが撮れると思います」

——ジャーナリズムに関していえば、そもそも主観をころした「客観的な文章」というものがあるという考えに同意できないと私は思っています。

「人が自分自身を語ることが大事だと思います。主観的であること。その人の人生を語るということだけではありません。個人がどう感じているかが文章に入っていることが大事なのです」

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Credit


Text Nakako Hayashi
Photography Kisshomaru Shimamura

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