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      film Douglas Greenwood 7 April, 2017

      スコットランド人は『トレインスポッティング』をどう観たか?

      劇場公開から20年。『トレインスポッティング』がスコットランドの若者たちに与えた影響について改めて考えてみよう。

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      『トレインスポッティング』が誕生するまで、スコットランドを舞台にした映画はほとんど制作されていなかった。1997年にエディンバラ出身のトニー・ブレアがイギリス首相となり、スコットランド議会が創設されるまで、スコットランド国民の生活は、400マイルも離れたロンドンのウェストミンスターで議論されていた。当時国民にとって、スコットランド独自の議会を持つなど、夢のまた夢だったのだ。ジョン・メイヤーがまだ首相として君臨していた1996年——新労働党が選挙で快勝する18ヶ月前のことだ。

      そんな1996年の2月、低予算で作られたインディペンデント映画が世界の目をスコットランドに向かわせた。そして、失われたユース世代に「自分の生い立ちを恥じることはない」と説く結果を招いた(意図せずして)。その原作小説も映画も、社会の体制に対し、華麗に中指を突き立てる作品として、世界で絶賛を浴びた。エディンバラの北に位置するリースを舞台に、ヘロイン中毒の若者たちを描いた物語は、スコットランド人たちが感じ続けてきた自己愛憎の構造を如実に描き出していた。この作品は賛否両論を巻き起こし、カルト的人気を博すこととなった。

      その物語は、ある意味で、暴力とドラッグの世界に溺れる4人(スコットランド人、レントン、スパッド、シック・ボーイ、そしてベグビー)が繰り広げる扇動的な寓話だった。同時に、それは、若者たちの愚かな現実逃避と友情、そして日常についてまわる責任から逃れる姿をとらえた、エネルギー溢れる映画だった。前者の解釈をもって、政治家たちは『トレインスポッティング』を「ドラッグ文化を美化している」と酷評した。しかし、それまでリアルなスコットランドを映画で観たことがなかった地元の観客たちは、後者の解釈——映画冒頭、レントンが「Choose life(人生は選択だ)」と始める独白に、それが顕著に表されている——をもって、「この作品は、これまでに観たどんな映画とも少し違う」と感じた。

      親友スパッドとともに地元のデパートで万引きをしたレントンが、ストリートを逃げ回りながら、観客に、皮肉めいた言葉回しで、キャリアや家族、"バカでかいテレビ"とともに「生きること」を選べと言う。日常に溢れるつまらないものを悲しくなるほど連続して列挙するこの独白は、観客たちに目覚めをもたらした。その詠唱に、観客はまるで幻想でも見るかのように、現実逃避に酔いしれた。世界中の大学生たちが自室に貼る訓示のごとく、「Choose life」で始まるスピーチは、当時の若者のマニフェストとなった。薬物に溺れ、盗みをはたらきはするものの、レントンのスローガンは、彼をスコットランドきっての偶像的存在にした。

      人口550万人弱のスコットランド(ロンドン市の人口は860万人)は、これまで「文化的に偏狭で鎖国状態の国」というイメージを世界に与えてきた。スコットランドで作られる映画のほとんどは地元映画館でしか上映されず、現在にいたるまで、スコットランドを舞台にした映画といえば、"キルトをはいた逞ましい赤毛の男が広大な丘陵や無骨な山肌に立ち、バックにはバグパイプの音が響く"といったステレオタイプに満ちたものばかりだ。

      『トレインスポッティング』が公開される1年前、映画『ブレイブハート』が世界で公開された。メル・ギブソンが、13世紀末にイングランド王国の支配からスコットランドを救った軍事指導者ウィリアム・ウォレスを演じた映画だが、これがまさに世界が抱いていた"スコットランド観"だった。「14世紀初頭で時間が止まっている国」——グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国以外の世界にとって、スコットランドはそんなイメージの国だった。『トレインスポッティング』の中に、中心人物4人の友人であるトミーが彼らを高地へと連れていき、"大自然の力"を体験させるシーンがある。薬が抜けはじめ、激烈状態にあるレントンは、そこで、スコットランド人に古くから受け継がれてきた激しい自己嫌悪の思いを吐露する。「スコットランドなんてくそくらえ!」。レントンは叫ぶ。「俺たちなんか、下の下だ。虫けらだ!文明に放り込まれた、もっとも不幸で、惨めで、卑しく、哀れな、ゴミみたいな存在だ!」。レントンがそう叫んでから21年後となる今、彼のこの言葉は、スコットランドで経典のように扱われている。

      『トレインスポッティング』が初上映されたのがカンヌ映画祭だったという事実を考えると、制作チームが自国を愛するがゆえに強いられたであろう多くの困難を、想像せずにいられない。プロの翻訳家に「cannae hack it」というスコットランド特有の言い回しを、ニュアンスを損なうことなくフランス語に翻訳してくれと懇願したり、劇中で繰り広げられる怒涛の無駄口の嵐を字幕に落とし込んでくれるだけの忍耐力を持った翻訳家を探したり(スコットランドに馴染みのないひとは不思議と感じるだろうが、薬物で完全なハイ状態にあるスパッドが仕事の面接を受けるシーンに見る、スラングと強い訛りの入り混じったあの雰囲気と人間像は、スコットランド人にとってとても心温まるものがあるのだ)。アメリカで発売された小説『トレインスポッティング』には用語解説集がついていた。映画では、観客が物語の展開をきちんと追えるよう、音声の一部が吹き替えになっていた。英語を話せるからといって、スコットランド英語がわかるとはかぎらないのだ。

      スコットランド人にとっての"愛国心"はとても複雑なものだ。それは、自己嫌悪と自己愛が入り混じった感情であり、サッカーの試合会場や、泥酔した客に溢れるパブなどでしか表現されることはない。しかし、スコットランド人のより深いところを流れているのは、そんな自分たちのあり方を"愛すべきもの"として守りたいという、断固たる思いだ。それが彼らの愛国心だ。

      ようやく公開される『T2 トレインスポッティング』が、スコットランド人にそんな愛国心をふたたび芽生えさせるかどうかは、21年後になってみないとわからない。本作も、ひょっとすると、オリジナル版が持っていたのと同様の威力を持っているかもしれない。しかしそれは、映画が世界に残すものによって生まれ、育まれていくものだ。とはいえ、登場人物たちの声が、いまスコットランドが求めるある種の"後押し"になることは間違いないだろう。スコットランドは、ここ数年で、ふたつの大きな政治的局面を迎えた。2014年には、住民投票でイギリスからの独立について国民に是非を問うたが、僅差で独立を断念している。そして2016年、EUからのイギリス脱退問題では、スコットランド国内すべての選挙区でイギリスのEU残留支持が過半数を占めたにもかかわらず、イギリスはEU脱退法案を可決。スコットランドが持つ発言権の弱さに幻滅し、イギリス連合の未来を悲観する声が高まった。

      スコットランドの映画産業もまた、伝統的作品路線に回帰しはじめている。重要な社会問題を扱うのではなく、昔ながらの寓話的世界や、中世を舞台にした物語ばかりが作られている。リース出身の4人組が織りなす物語が、ひょっとするとスコットランド国民の真の声を世界に轟かせてくれるかもしれない——そう願わずにいられない。

      ヤク中映画とでもなんとでも、好きに呼ぶがいい。欠点も多い登場人物たちだが、むちゃくちゃな友情と間違った選択ばかりの人生から逃れようともがく彼らの姿は、世界のどこでも、そしていつの時代でも、迷える若者なら誰もが共感できるあり方なのだ。

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      Credits

      Text Douglas Greenwood
      Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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      Topics:film, culture, think pieces, trainspotting, scotland

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