香港デモのスナップ 若きプロテスターたちが体現する「自由になるためのスタイル」
2019年6月から現在まで続いている、香港の「逃亡犯条例」に反対する抗議デモ。香港出身の写真家ericは、そこに参加する若きプロテスターたちの姿を記録した。これはファッションではない──自らの身を守るための防護服であり、自由になるためのスタイルだ。
Style To Be Free ©️Eric
今香港では、「自由」を守るために、二百万人もの一般人がデモに参加している。彼らが求めているのは、どんな「自由」なのだろう? そして、そのためのデモはどうあるのが適切なのだろう?
ひと口に「自由」と言っても、そこにはいくつかの「自由」が混じっている。簡単に三つに分けてみる⋯⋯。「政治の自由」「日常生活の自由」「人生の自由」。
「政治の自由」は、体制に対する自由。思想・信条の自由も含まれる。国の存立にかかわることだから、法としての制約が多い。民主主義の国といえども、反民主主義には寛容でありえないし、民主主義体制転覆の勢力には排除が働く。言い換えれば、どんな国家体制であれ、その転覆を謀るとしたら、相応の覚悟が要る。
「日常生活の自由」は、複数の人が共に生きている日常の場での自由。一人一人の自由は必然的に衝突を起こす。そこで、法や慣習、約束事での調節が図られる。けれども、それが極端に進むと、日常生活は窮屈、すなわち不自由になる。
「人生の自由」は、自分が何をして生きていくかを自ら選ぶ自由。人それぞれの核心にある権利。他者からも国家からも最も不制約であってほしい、そして、そうあるべき自由。
三つが一緒に語られるのは、一つの出来事において、複数の自由がかかわるからだ。例えば、外国への移住には、三つが等分に関連する。両国の許可がいる。それぞれの国の文化・風習の軋轢がある。そして、移住は人生の選択だ。

今、香港でデモに参加した人たちの中で、体制変化を求めている者はいない。けれども、中国共産党は、それで良しとはしない。共産主義は、その出自が哲学にあるから、より良い世界、理想の世界のためには、人はどう生きてあるべきかの考えがある。そのために、政治が、「日常生活の自由」と「人生の自由」に介入しがちとなる。
香港の人たちはそこに反発しているのだ。繰り返すが、体制転覆は狙っていない。人生は、国家に決定されるものなのか、自分たちで決定するものなのか。香港の人たちは、自分たちでの決定を望む。平たく言い換えれば 「自由」を望むということだ。
体制側は、デモが暴力と破壊の混乱となるのを待っている。体制維持のための強権発動の名目が立つからだ。しかし香港の人々は、暴力の手段を持ってはいない。最低限、自分の身を守るためだけの姿で、この抗議活動を3ヶ月間続けている。人々が望んでいるものは、「転覆」でも「破壊」でもなく、あくまで「自由」だからだ。
「日常生活の自由」、わけても「人生の自由」を求めるデモには、それを明解に表現することが肝要だ、そう、ここに紹介する人たちのように⋯⋯。
Eric(Photographer)









今、香港の人たちは普通に選挙がしたい、普通に自分たちの政治を自分たちで決めさせてほしい、そのために自由を認めてほしい、民主主義を認めてほしい、と闘っている。
香港の雨傘革命のリーダー、現在は政治団体デモシストの黃之鋒(ジョシュア・ウォン)が日本に来たとき、彼はビックカメラに行きたいと言っていた。お目当ては、アニメのグッズやガンダムのプラモデルだった。まあなに、拍子抜けするぐらい、普通のオタクだった。
ジョシュアと話したときに「僕たちは選ばれし子どもなんだ」と言っていて、かっこいいこと言うなと思ったら、元ネタは『デジモン』だった。初期デジモン、俺もテレビで見てたな。そんなセリフあったのすっかり忘れていたよ。
彼とは築地に早朝から寿司を食う約束をしたけど、寝坊してこなかった。僕はそういう彼らを知っていることが嬉しい。俺は知ってる。あいつはオタクで時間どおり来れない(そして僕も時間どおりに全然動けない人間だ)。
先日、同じくデモシストの周庭(アグネス・チョウ)が、news23に出た際に会ったときも、別れ際に言われたことは「明日の昼めっちゃカラオケ行きたいから、もし時間あったら一緒に来て!」だった。結局忙しくてそれどころではなかったけど。
自由が認められない社会で闘うことはしんどい。けど、なんのために闘うかって、こういったくだらない会話をいつまでも続けるためだ。明日築地やカラオケに行く約束を邪魔されないために、僕たちは闘わないといけない。この一見、ファッションスナップみたいな写真を見てそんなことを考えてほしい。
だんだんと物騒な写真や映像が増えてきて、「あんなやり方だとダメだ」みたいな声も上がっているのも見かける。確かに、そこに暴力行為が全くないかと言われたら嘘だろう。武装した機動隊に向かっていく若者たちを見ると胸が痛くなる。逮捕された情報が出るたびに心配で仕方がない。殴ったら痛い。殴られたら痛い。当たり前だ。
ただ、僕は知っている。中心にいるメンバーは自分(そしてあなた)と同じような若者たちで、あなたと同じような日常を守りたいと思っている。僕はそれでもなお、彼らの味方でいることをやめない。そして、できるだけ、誰も傷つくことがないように。そう祈っている。
ジョシュアが雨傘革命のときに逮捕される前に、こう叫んでいた。
「これは君たちの国なんだ。君たちの国なんだ」
そうさ。僕たちの国の話でもある。
僕は2015年の夏、国会議事堂前に集まった12万人の前で同じことを思った。
そして今も同じことを思っている。
この国だってどうなってるんだ。
彼らを応援したいと思うときにそのこといつも考える。
大事なことは自分たちの国だと思うことだ。
自分たちの国は自分たちで変えることができる。
どんなに辛いことがあっても、僕は、民主主義という価値を信じている。この東アジアという土地で民主主義が根づくことを願っている。
民主主義という価値を、香港の人たちと分かち合うために、私たちにもやるべきことをやろう。自由と民主主義のための行動を。
香港に自由を。
奥田愛基(THE M/ALL 実行委員)