アデル・アドキンス、3年ぶりのロングインタビュー

イギリスでいま最も重要な歌手アデル。最新アルバム『25』をリリースし、久しぶりのインタビューに応えてくれた彼女が語る、母親であること、有名であることへの恐怖、そして、『21』の続編をつくらない理由とは。

by Hattie Collins
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19 April 2016, 2:15am

アデル(Adele Adkins)は10歳のときに祖父を失い、悲しみに明け暮れた。「祖父のことが、なによりも好きでたまらなかった」。彼女は自身の悲しみだけでなく、祖母の喪失感をも感じとっていた。「友情や、心のつながり、すべてにおいて祖父母は理想的な関係を築いていたの。もちろん嫌なこともたくさんあっただろうけど、孫の目から見て至福ですばらしい関係だったわ。だから、とてもとても悲しかった」。悲しみは深く、アデルはその場で心臓外科医になる決意をした。「みんなのハートを治してあげたかったの」と彼女は言う。1年後、バラムのチェストナットグローブ高校に進学した彼女は、生物の授業に没頭した。しかしそれも、彼女が目覚めるまでのこと。「遊びと、男の子たちにね。それでやめちゃった。気が変わったのよ」

祖父の死から10年後、アデルはデビューアルバム『19』に続く作品のレコーディングをダン・ウィルソンのプロデュースのもと終え、ロサンゼルスから故郷であるロンドンへ帰ってきた。11時間のフライトの後、時差ボケをものともせず母親の家に向かった。「ママにミックス前の「Someone Like You」を聞かせたの」とアデルは回想する。「ママは涙ぐみながら、『あなたは外科医になったのね』って言ったの。『みんなのハートを治す医者よ』」とまで言って言葉を切り、肩をすくめた。「なんだか映画の『スライディング・ドア』みたいじゃない?」

グウィネス・パルトローが主演した1998年公開の"~たら""~れば"を題材にしたラブコメディーを引き合いに出したのは、最新アルバム『25』のテーマになにか通じているからだろうか。アルバム制作にとりかかろうとした時に、アデルは地元の店で新しいノートを買ったのだという。「アルバムを作るたびにしていることよ。新しいノートを買って、それを嗅ぐの。においって大事なのよ。それから太いシャーピーで自分の年齢を表紙に書くの。25にはビックリマークが5個ついてるわ。だって『一体どうなっちゃったのよ?!』って感じじゃない? だって21から25よ?」。アルバムのテーマは、歳を重ねていく度にノスタルジックになることだと彼女は言う。昔はどうで、今はどうなっていて、もしかしたらこうだったかもしれない、といったふうに。それはつまり、大切さに気づいていなかった当時を懐かしく思い出すということだ。たとえば、ブロックウェルパークで友人たちと2リットルのシードルを飲んでいた18歳の頃のことだとか。「あの頃は、人生のなかでいちばん生き生きとして、楽しい時期だった。今を逃したらもう公園に座ってシードルを飲むことなんてできない、ってあの頃ちゃんとわかっていたら、と思うのよ」。彼女が有名になったからではない。彼女の、そして友人たちの人生が、すでに次のステージに進み、誰一人としてもうティーンエイジャーではないからだ。「今回のアルバムは過去を整理することがテーマだと思ってるの」とアデルはゆっくりと言葉を紡いだ。「昔は心配するのを楽しんでたくらいだけど、親になって20代も半ば過ぎると、そんなにいろいろ気にしている暇なんてなくなったわ」。心配するのを楽しんでた?「ええそうよ。昔はそういうのがドラマティックで大好きだった」、アデルは少し顔をゆがめている。「でももう母親だし、頭のなかのスペースにも限りがある。たくさんのことをさっさと片づけていかなきゃいけないわ。根に持ちやすいわたしには、それがいいの。過去にとらわれなければ、ずいぶん生きやすくなるものよ」。

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批評家たちは『25』を富と名声の繰り返しと捉えるかもしれないが、そういう見方は正しくないし、フェアでもない。過去のアルバム同様、アデルは自分の経験を誰でも共感できる感情へと完璧に昇華させている。歌声とパワフルなまでにシンプルで心揺さぶる曲作りが、それを可能にしている。私たちが傷つけば、アデルも傷つく。アデルがもがけば、私たちももがく。それは私たちが何者であっても変わらない。『25』は、20代というタイミングがいかに大きな変化の時であるかを映しだしている。それは世界的な歌手でも、大学院生でも、配管工や新米ママだとしても同じことだ。

どうしたって『25』は、『21』とは大きく違う作品だ。ミキシングしたりマスタリングしたりしながら、きっとアデルも同じように感じている。3,000万枚を売り上げ、いくつもの賞に輝き、アデルを通好みのアーティストから世界的なスターダムに押し上げた傑作との違いを。「『21』とは違うものにしなくちゃと思ったの。悲しくなんてなかったから、悲しい曲を作る気もなかった。前よりいいものができると思わないんだから、そんなことをしたって意味ないでしょ?こう言うのはありきたりかな?」とアデルは言う。「それに、『21』を書いた時の気持ちをもう一度味わいたいとは思わないわ」。一体どんな気持ちだったのだろうか。「とても悲しくて、寂しかった。母親であるか恋人であるかにかかわらず、もうあんな気持ちになりたくないの」。彼女はもう一度言った。

27歳にしてMBE勲章を授与されているアデル・ローリー・ブルー・アドキンス。彼女は3年ぶりのインタビューに応じるために、所属レーベルXLのロンドンオフィスに設けられたアーティスト用ラウンジのドアを開けて入ってきた。実にさまになっている。このレーベルには、ディジー、M.I.A.、タイラー・ザ・クリエイターなどが所属している。彼女はヘッドフォンをして、Macbook ProとiPhone 6、ボブザビルダーのバッグを手に、XLのプロモーション用ボンバージャケットを着て現れた。緑茶を頼んで「健康的になろうと思っていて」と言い、笑いながら緑茶を飲むと中国人になった気になれるのだと話した。「ワンタンの味を思い出すわ」と付け加えた。

レギンスとベスト、カーディガンとナイキ5.0+シールドを黒で統一し、ネイルはせず、大きめのフープピアス以外にアクセサリーはナシ。そんな出で立ちをしたアデルは、気取ることなく床に座り込み、私たちに『25』から7曲を聴かせてくれた。「緊張してるの」と言いながらオーディオのケーブルをいじり、きらめく緑の目でちらりとこちらを見る。「マネージャー以外に聴かせるのは、これが初めてなの」。そして、iTunesをスクロールした。「よし、あれ? オーケー。何からにしよう? そうだ、「Hello」ね。これはファーストシングルになるの」。2週間前にXLのチャンネル『Xファクター』のコマーシャルでプレビューを流した際、ネット回線をパンクさせかけた曲だ。アデルがプレイボタンを押すと、曲が流れた。4年ぶりに聴く彼女の歌声は、素晴らしいの一語に尽きた。テイラーやリアーナ、マイリーといった今をときめくポップスのなかに、アデルのようなボーカルは決して見つけられない。3分半後、曲が終わるとふたりとも目に涙を浮かべていた。少なくとも私は。

アデルは10月初旬に、トロントでPVを撮影した。監督を務めたのは、カンヌ映画祭で審査員賞を受賞した監督であり、俳優もこなすグザヴィエ・ドランだ。ドランの演出は思いがけなく楽しかったようだ。「すごくうまいって言ってくれたわ。泣いたりもしないといけなかったけど、楽しかったわ。演技なんかしないってずっと言ってきた自分が、いけ好かない女だったな、って思うくらいね」。当時2歳だった息子のアンジェロを自宅に残してこなければならず、とても気掛かりだったという。「子どもと一緒にいられないのはどんなことよりも辛かったわ」。母親としての生活はどう?「本当に大変。楽勝だと思ってたの。『みんなやってることじゃない。大変なわけないわ』ってね。あーあ...」と、大げさにため息をついてみせた。「なんにもわかってなかった。大変だけど、すごいことよ。私がこれまでやったことの中で一番ね。息子といるといつでもバカになれるし、まだ若いって思わせてくれる。こっちがやらせたいことも子どもが足をバタバタさせて拒否したら、もうどうしようもないの。これまで世界の中心は自分だったのに、今ではすっかり息子が中心よ」。アデルの幼少期は、彼女の息子とは大きく違うだろう。トッテナムで母親のペニーに女手一つで育てられたアデルは、ごく普通の労働者階級出身だ。ちなみにペニーは、ブリクストン・アカデミーで行われたザ・ビューティフル・サウスやザ・キュアーのコンサートに、3歳のアデルをこっそり連れて行っている。「子どもの頃は楽しかった。たっぷり愛情を注いでもらったの。母親になってその大切さがわかった。母の子育ては、私の子育てと道徳的には変わらないけれど、環境は大きく違うわね。楽しかったけど、今の私とは何もかも違う。それは充分わかっているわ」。

グレッグ・カースティンがプロデュースした「Hello」は、「Someone Like You」と同様の"運命の瞬間"がある。心を躍らせ、沈みこませ、そして再び持ち上げてくれる。「人を傷つけたことを歌った曲だけど、同時に自分自身であり続けることを歌ってもいるの。そうするのが難しいときもあるでしょ」とアデルは言う。「自分の違う側面を欲しているとも言えるわね。家を離れると、家での生活が恋しくてたまらなくなる。イギリスにいない時に感じるのは...」彼女は言葉を切った。「絶望よ。他の場所では息苦しくなるの」。どうして? 「わからない。ここでの生活にとても愛着があるの。有名になって、いろいろなことができなくなった。「Hello」は家にいたいという思い、自分自身も含めたこれまで傷つけてきた人に手を差しだして、謝りたいという気持ちを歌っているのよ」。

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この曲は「Someone Like You」で歌われたアデルの昔の恋人に向けた、ある種の謝罪ではないかというのが、最初に受けた印象だった。「まさか」彼女は即座に否定した。「もう完全に終わったことよ、ありがたいことに。あれから何年にもなるわ。これは特定の人物をモデルにした曲じゃない。友だちや前の恋人たち、それから自分自身と家族を歌ってるの。ファンにも向けられているわね。みんなが私を遠い存在だと思ってるように感じるけど、そうじゃない。アメリカに住んでると思われてるけど、違うしね」。アデルには、イギリスの労働者階級の者が等しく持っている特有のメンタリティーがある。魂を売り渡してルーツを忘れたと思われるのは絶対に耐えられないのだ。「みんなが、私に話しかけるのをためらっているように感じることがあるわ。アデルは変わったって。でも、変わってないと思いたい。そうは思えないんだもの」

アデルは全部で8曲を聞かせてくれた。「Rolling In The Deep」のプロデューサー、ポール・エプワースが「I Miss You」を小声で口ずさみながら現れた。アデルは目を固く閉じて、メロディーに合わせてうなずいている。これはセックスに関する曲でしょう? 彼女はまた大笑いした。「これは、いろいろなレベルの親密さを歌っているの。セックスだったり、喧嘩だったり。私の人生でいちばんプライベートな瞬間ね。酔っぱらうと本音が出るのに少し似てる。これは私のモットーよ。だから、もうあまり飲まないようにしてるの。翌朝起きたときのパニックと言ったら」。アデルにも怖いものがあるようだ。

When We Were Young」は、このアルバムの「Rolling In The Deep」的存在になる可能性がある。王道のラブソングで、アリエル・リヒトシェイドがプロデュースした70年代風のディスコバラードだ。「Hollywood」を聴いたアデルに見いだされた(2340万人のフォロワーに彼のことをつぶやくまで無名だった)トバイアス・ジェッソ・Jrもこの曲の共同作曲者として名を連ねている。彼女はロスに飛び、ブレントウッドにあるトバイアスの友人の祖母の家に向かった。そこに置いてあったフィリップ・グラス愛用のピアノを使って、この曲はレコーディングされたのだ。「ここはしょっちゅうクレイジーなパーティをしてる家だったんだけど、なぜかそこに彼のピアノがあったから、そこで曲を書いたの」

カースティンがプロデュースした「A Million Years Ago」は、セリア・クルスのティト・プエンテ時代と相通じるものがあり、私たちの涙腺をまた刺激する。あ、少なくとも私はそうだった。

あの空気が懐かしいI miss the air/友だちが恋しいI miss my friends/母に会いたいI miss my mother/人生がパーティだった頃に戻りたいI miss it when life was a party to be thrown/でもすべてははるか昔のことbut that was a million years ago.

「あの曲が好きって本当?」アデルは心から驚いたようだった。「あれは3日前、最後の最後になってアルバムに入った曲なの。余計なものを全部そぎ落としていて、とても『19』っぽいわ。ギターの音だけで歌ったの」。彼女はもう1曲かけようと言ってくれた。「デンジャー・マウスのとブルーノ・マーズの、どっちを聴きたい?」。決められるわけがない。すると彼女は、気をつかって両方かけてくれた。「River Lea」は「Hometown」のバージョン3.0といったところだ。

子どもの頃育った場所はリア川のそばWhen I grew up as a child I grew up on the River Lea/今でもあの川の水が私の中にあるNow there's some of that water in me

「つまり、私は変わらないということ。トッテナムは私の心であり、髪や指や足であって、魂なの」。ブルーノ・マーズとのコラボ曲は、何でもありといった仕上がりだ。「クールなものをつくろうとしてたんだけど、なんだか楽しくなっちゃって」。この曲では、よく耳にするバーブラ・ストライザンドやベット・ミドラーなどの歌姫らしい要素を、スケールの大きい圧倒的なレベルまで押し上げている。キーまで変えていて、素晴らしくばかげた作品だ。「今まで一度だってこんなに真剣に歌ったことはないわ。ブルーノと私がどれだけ楽しんだかわかる?」。ええ、よくわかりますとも。

『25』は、ソウルやR&B、ブルーグラスの影響が明確に感じられた前作2枚とはハッキリと違った毛色をしている。コンテンポラリーポップスに徹しながらも、カーペンターズ、アレサ、カーリー・サイモンといった70年代の雰囲気を強く帯びている。2002年のフリートウッド・マックのライブでのスティーヴィー・ニックスとの出会いは、彼女にとってかけがえのない経験となったようだ。「彼女の前で大泣きしちゃったの。有名人の前で泣くなんておかしいし、相手も困らせちゃうから嫌なんだけど、どうしても我慢できなかった」

『25』の制作には、かなりの時間がかかった。しかし、アデルは急ごうとはしなかった。いや、できなかった。「一年遅れたかもって思うこともある。でもね、母親をやっていたの。急げるような状況じゃなかった。それに、ちょっとは待ち焦がれてもらわないと」。2013年、彼女はレコーディングすべく友人であるキッド・ハープーンのスタジオで色々試していた。「ただの遊びよ。試しにちょっとやってみた程度のね。トムとはとても仲がよかったからプレッシャーをかけられることはないと思って、彼のところでやったの。ほとんどはおしゃべりして、チョコレートの天ぷらを食べただけだった。何故かわからないけど、仕事モードになれなかった」

数ヶ月経って、「Turning Tables」や「Rumour Has It」で共演したOne Republicのフロントマン、ライアン・テダーとコラボレーションするためにニューヨークに向かったときも、思うようには進まなかった。けれど、その時に「Remedy」が生まれた。親友や祖父母、恋人、そして彼女がサイモン・コネッキとの間に授かった息子のことを歌った曲だ。ちなみに、タブロイド紙やゴシップサイトが憶測を飛び交わせているが、アデルとサイモンは今でもつき合っている。「『Remedy』がすごくいい出来で、歌っていても楽しかったの。すっかり舞い上がって"私、いけるわ!"って思ったんだけど、違ってたみたい」彼女はさらりと言った。「それでどうでもいい曲を書き始めたの。んーと、どうでもよくはないわね」。自ら言い直した。「悪くないポップスだったけど、やみくもに曲を書こうとしてたの。しっかり考えるんじゃなくてね。結果として、ボツになった。マネージャーが『出すレベルじゃないね』って」。あらら。「ええ、それでちょっと自信なくしちゃったんだけど、自分でもわかってたことだし。それからリック・ルービンに会って聴いてもらったんだけど、『君を信じられない』って言われた。信じてもらえないなんて、私にとってこれ以上怖いことはないわ。それで、一からやり直すことにしたの」。

ある日、アデルがテダーとランチをしていると、テイラー・スウィフトの「Trouble」がラジオから流れてきた。「『この曲いいわね。誰の?』って言ったら、ライアンが『マックス』って言うのよ。『マックスって?』って聞いたら『マックス・マーティンだよ!』って。それで『マックス・マーティンって誰?』ってことになったの」。テダーに彼の作品のYoutubeリンクを送ってもらい、世界的に活躍するソングライターだと知ることになる。こうして生まれた曲が、『25』にまた別の"運命の瞬間"を与えることとなった。図らずも、「Send My Love To Your New Lover」は、マーティンの「Can't Feel My Face for the Weeknd」に少し似ている。メロディーとリズムにはカリプソのようなバイブスが少し感じられる。本人曰く、「ちょっと楽しい感じでしょ。いつも暗い曲ばかりやってられないわ」とのこと。なんといっても、歌い出しが素晴らしい。

すべてがあなたのことThis was all you/その中に私はいないnone of it me

「私も好きよ。最高にかっこいい曲」とアデルは言う。「これまで私と関わった大勢の人間は聞いたらすぐに、『しまった。アデルに何かしたっけ...』って不安に思うわよ」

アデルは13歳の時に、この曲の構想を書いた。"男の子たち"のせいで心臓外科医の夢を捨てた後、音楽の道を志した。エイミー・ワインハウスが『Frank』をリリースした2008年のことだ。すぐにギターを手にして、曲を書き始めた。「エイミーと『Frank』に出会わなければ、ギターを手にすることは100%なかったし、「Daydreamer」や「Hometown」を書くこともなかった。「Someone Like You」だってギター片手につくったのよ。いろいろ噂されてるけど、私とエイミーはお互いをほとんど知らなかったし、友だちでもなんでもなかった。ブリット・スクールに行っていて、彼女もしばらく在籍してたというだけ。ともかく、『Frank』を聴かなかったら、100万%こうはなってなかった。彼女のことは敬愛してるわ」

話題は最近のドキュメンタリー『Amy』(2015)へと移った。「ええ、観たわ」アデルが言う。「そのつもりはなかったんだけど。大好きだったから、ファンとして長いあいだ喪に服してた。それでようやく私の人生に彼女が与えた影響を感じられるようになったの。彼女の全てを愛する気持ちになってた。でも、あるレビューを読んで、観に行こうと思ったの」。それで、どうだったの?「葬儀の様子を観たときには、とても感傷的になった。でも、保存されてたボイスメールとかはちょっとね」と言いながら、顔を歪めている。「土足で踏み込んでしまったようで、いい気分はしなかった。それで台無しになったわ。彼女の姿を目にできたのは嬉しかったけど、観なければよかったという気がした。でもね、エイミーのことは大好きなの。ずっとそうだったし、これからもそう。私にとって何がとても悲しいかわかる? もう彼女の声が聴けないことよ」。私たちの目に涙が浮かんだ。ええそう、少なくとも私の目には。エイミーとアデルには、無視することのできない共通点がいくつもある。ノースロンドンに生まれたこと、父親がいないこと、お気に入りの女性アーティストに夢中だったこと。どちらの少女も、アルバムを1、2枚出して、もしかしたら音楽誌に載って、そして元の生活に戻ると思っていただろう。どちらも、そうはならなかったけれど。予想外の展開に二人が驚いたのは、すぐに想像できる。だが注目すべきなのは2人の違いのほうだ。それが、なぜアデルは今も活躍していて、どうしてエイミーはもういないのか、その答えになるのだろう。

アデルをインタビューするのは、アルバムの枚数と同じく3回目だ。最初が2008年、次は2011年だった。いつだってアデルは素晴らしいインタビュー相手だった。ともかく陽気で、一つ一つの質問に真正面から向き合ってくれる。話す内容には興味津々で、どんなときもどっしり構えている。びっくりするくらい賢くて、間違いなく正直。以前の彼女は、ポップスターを愛情を込めてからかうのが十八番だった。ワインハウスと同じようなやり方で決して愉快な揶揄ばかりではなかった。それに比べれば、今のアデルは少し慎重になったかもしれない。もちろん比べればというだけの話で、ありがたいことにその奔放さに一切の曇りはない。

90分に及んだインタビューの間、アデルは早口でいろいろなことを話してくれた。Facebookもやらないし、Netflixもポッドキャストにも興味がないけれど、MTVの『Teen Mom』や『Walking Dead』、『American Horror Story』には夢中なこと。家で歌うのはもっぱら民謡の「Row Row Row Your Boat」だが、たまにアリソン・クラウスの変わった曲を口ずさむと、息子は気に食わなそうな顔をするので、彼女はそれを見て笑っているそうだ。『21』を出した頃の受賞や受勲を除けば、運転免許を一発で取得したことが最近のハイライトだという(「今でも自分が運転できるなんて信じられないわよ」とも言っているが)。「Someone Like You」がチャートで自身初の1位になった時には"四六時中"泣いていたし、ブリット・アワードで喝采を受けたパフォーマンスを今でも覚えているのだという。「あの舞台で人生がこんなに変わるなんて思ってもみなかった。バックステージにひとりで立って、ステージに飛び出していくことを考えただけでちびりそうになってた。ブーイングの嵐になるんじゃないかって思ってたのよ」。ゴールデングローブ賞の時に"ハリウッドの連中"がどれだけ酔っぱらっていたか、そしてステージを降りる時に誰かの手をつかんだら、それが"かの"ジョージ・クルーニーだったことも話してくれた。「Hello」のPVを制作した時に、グザヴィエに泣いてくれと言われてラビリンスの「Jealous」をかけさせたエピソードも教えてくれた。「あのピアノが聴こえた瞬間、私は」と言いかけて彼女は泣き真似をした。「鼻水が止まらなかったのなんのって。あの歌を聴いたら、もうだめね。息子の誕生日だったとしても、あれを聴いたら泣き出すわ」。彼女にしてみてばクリスマスもおふざけのいい機会で、バーブラ・ストライサンドへのオマージュとして同じようにオスカーを飾っているらしい。「レッドカーペット用のドレスやオスカーなんかを、『最優秀ママ賞』と並べて棚に置いてるのよ!」とのことだ。ブリッツ、グラミー賞、オスカー...。2011年は記憶に残る年だったに違いない。「信じられる!?」いまだにすべてのことに驚いているのだと彼女は言う。2007年にMySpaceでアデルの歌声を耳にしたXLの誰かから打ち合わせに来るよう言われたとき、彼女はスカウトとして働いてくれと言われるのだと思っていたのだ。「こうなるとは思ってもみなかった。ここまで大きなことになるなんて」

アデルはプライベートな部分にはあまり踏み込んでほしくないようだった。息子や恋人の名前を口にすることはなかった。長年疎遠になっている父親は、祖父について話すときにだけ出てきた。祖父を「父方の」と呼ぶことはなく、「母方でない」とした。アデルはこのインタビューに際してぴりぴりしていたと、終わった後に認めている。「3年間も立て続けにインタビューされてれば何を言うのかだいたいわかってくるし、質問という質問は聞かれ尽くしたわ。だから、『どうして有名でいるのが好きじゃないの?』なんて聞かれるんじゃないかと思ってピリピリしてたの。本当はそうじゃないのに」。名声を疎ましく思っているのだろうか? 「ただ怖いだけよ。有名になることで自分が壊れて、どうにかなってしまうのが怖いの。自分がどこにいるのかもわからなくなって、私が音楽を通して夢中になった人たちの何人かが迷い込んだような道を辿るのかと思うと、恐ろしくてたまらない。それから、大好きな人たちに、自分たちの知っているアデルはもういないって思われるのも耐えられない」。事態を少々深刻に重く受け止めすぎているかもしれないことも彼女は自覚している。「『Stars In Their Eyes(オーディション番組)』みたいに、スモークのなかに飛び込んで、まったく違う存在になって出てくるのよ」。そして、動揺を隠すかのような笑みを見せた。「スモークの中に入っていったきり出てこなかった、そんなふうに思われるんじゃないかって。名声って危険よ。もう十分この体に取り込んじゃってるから、これ以上いらないの!」

2015年現在、アデルほど有名であるにもかかわらず地味に行動しているアーティストは彼女を除いて思い浮かばない。キム・カーダシアンが"カーダシアン"というブランドを維持するため、いったいどれだけウェブに時間を費やしているか考えてみてほしい。音楽業界でもエリー・ゴールディングはしょっちゅうツイッターでつぶやいて、ファンに日々のくだらないあれこれを伝えることでつながっていると感じさせている。それに比べて、アデルはめったにツイッターはやらないし、Instagramは最近やっと始めたばかり、今年パパラッチされた回数は多くても3回だ。どうやってこういったものを回避しているのだろうか? 「避けるより流されるほうが間違いなくラクよね。みんなが流されているのは、そのほうがラクからだと思う。でも、私はだめ。ああいうものに流されるのは嫌なの。買い物しているのを写真で撮られるのは意味もなく有名になるってことだから嬉しいとは思わないし、きっと我慢できない。自分のためにね」。そんな理由から、アデルはパパラッチが待ち構えているボンドストリートやソーホーには行かないようにしている。「有名であることから逃げようとしてるわけじゃない。曲が書けるように、ちゃんとした人生を送りたいだけ。現実との関わりをなくしてしまった人間の出すアルバムなんて、誰も聴きたくないじゃない。だから派手な生活をしないのは、ファンのためでもあるの」

これこそ、アデルがかけがえのない存在である所以だ。アルバムが何百万枚も売れるからではないし、数々の賞をもらったからでもない。私たちにとってアデルは、深い感動や影響を与えるかたちで人生を歌うからこそ、いなくてはならない存在なのだ。"エンゲージメント数"や"カバー率"、"リーチ"は大した問題ではない。彼女は有名人ぶった行動をとったりしない。アルバムごとにルックスを変えたり、新しいコンセプトを持ち込んだりもしない。アーティストであって、エンターテイナーではない。この世代のパッツィー・クラインであり、スティーヴィー・ニックスであり、フランク・シナトラであり、アレサ・フランクリンなのだ。私たちが共通して持っている意識を刺激するアルバムをつくり、中身のある曲を歌う。自分の手と時間を使って曲をつくり、機が熟したところでアルバムとしてリリースし、少しばかりインタビューを受ける。

『25』は『21』のようなヒットになるだろうか? そんなこと誰が気にするっていうのだろう。『29』や『42』、願わくばきっと『89』だって出るはずだ。アデルは生涯アーティストであり続ける。次のアルバムがプラチナディスクになろうと、一切話題にならなかったとしても、必ずその次の作品が出る。アデルは歌うことを止めない。そしてきっと、今のまま正直に、オープンでいてくれる。そこに彼女のパワーがあるのだ。「久しぶりのインタビューが終わって、ちょっと感情的になってるわ。特にずっと大好きなi-Dだから。カーゴパンツをはいて、ウェストノーウッドの駅のホームに立って読んでたもの」。これまでもずっとそうだったように、アデルは今もハッピーでリラックスしていて、少なからずホッとしているように見える。「曲を書けなかったときは、こんな時期が来るとは思っていなかった。だから本当に嬉しくて、今回作った曲を誇りに思ってるわ。アルバムが完成するまでは不安だったけど、聴いたら興奮するわよ」。次はどうするの?「ちゃんとツアーをやりたいわ。あとはね、ラスベガスでブリトニーを観たい。他にも子どもをつくるかどうかはわからない。グザヴィエにああ言われたことだし、演技を始めるかも......。アルバムはもう1枚つくりたいわね」。彼女は揺るぎない決意を持ってこう締めくくった。「この移り変わりの激しい世界で、じっくり腰を据えてやっていきたいと思ってる。今回みたいに時間を使ってアルバムをつくり続けたいわ。もしそうやっていけたら、めちゃくちゃハッピーよ」。私たちの目には涙が浮かんでいた。はあ、まったく、何回泣けばいいのかしら。

@adele

Credits


Text Hattie Collins
Photography Alasdair McLellan
Fashion Director Alastair McKimm
Hair Malcolm Edwards at Art Partner
Make-up Mark Carrasquillo at Art Partner
Nail technician Jenny Longworth at CLM
Photography assistance Lex Kembery, Matthew Healy, Simon Mackinlay
Styling assistance Lauren Davis, Sydney Rose Thomas, Bojana Kozarevic
Hair assistance Jason Lawrence
Make-up assistance Al Yokomizo
Production Nina Qayyum at Art Partner, Ragi Dholakia, Alex Hill, Matthew Lawes
Retouching Output
Special thanks Gaelle Paul

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