『午後8時の訪問者』:ダルデンヌ兄弟インタビュー

カンヌ国際映画祭パルムドールを2度獲得しているジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の最新作『午後8時の訪問者』がまもなく日本公開される。音楽ライター/翻訳家の小林雅明が、本作のテーマである「傾聴」、主演にアデル・エネルを選んだ理由、そして本作で試みたカメラワークについて、来日していた監督たちに話を訊いた。

by Masaaki Kobayashi
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28 March 2017, 1:35pm

ああ、なんてとりかえしのつかないことを……診療受付時間を過ぎてから聞こえた、あの訪問ブザーに応対し、診療所の中に入れてあげていたら、彼女が命を落とすこともなかったのでは……今、自分にできるのは、身元不明のその女の子の名前を突き止めて、家族に伝えてあげること……ベルギーはセランの活気のない街で医療活動に専念している若き医師ジェニー・ダヴァンは、そのことにとらわれながら、口を真一文字に結び、自ら動き出すことに。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の最新作『午後8時の訪問者』はそこから動き始める。ジェニーに扮しているのは、2013年の映画『スザンヌ』において、華奢な姉思いの、心も身体も大きな妹役で見せた瑞々しい演技により、注目のフランスの若手俳優の1人となったアデル・エネル。
自分にできること、自分がやらねばならないことを見極めてゆくジェニーの行動を、サスペンスと紙一重の妙な緊張感が持続されるなか、静かに熱く見守るうち、彼女を取り巻く社会の実相や現代の様々な家族(生活)のあり方という、それまではハッキリとは聴こえてこなかった声が立ち上がり、最終的には、映画を観ている側へ向けた現実的な問題提起としても投げ出されることになる。

今回の作品も、最初のショットに、作品における重要なポイントが集約されているように思います。前作『サンドラの週末』が"目覚めさせられる"映画だとすれば、今回の『午後8時の訪問者』は"耳を傾ける"映画だと思います。そもそも、この映画の構想はいつ頃、どんなきっかけで生まれたものなのですか?
リュック・ダルデンヌ(以下LD):医師の話という構想は前から持っていました。それにそこでは移民の問題も同時に扱っていて、その問題がここに来て、重要さも増してきたので、ちょうどいいと思ったのです。医師というのは、死から人を守ったり、遠ざけたり、治療することが職業なわけですが、ここでは、逆に、その医師が、ある移民の女の子の死の責任を負うことになってしまう。ドアを開けなかったことで、死に至らしめ、そのことで、医師である彼女は罪の意識を抱えてしまうのですが、その意識を他の人たちと分かち合うという映画にしたかった。彼女以外の他の人たちは、自分の利益を守るために、罪の意識を抱えたがらず、責任を持ちたがらない。そこで"耳を傾ける"ことを通じて、人々が段々と、真実の言葉を話すようになってゆく、というふうにしたかった。
ジャン=ピエール・ダルデンヌ(以下JPD):構想は10年前からありましたが、脚本を書き出したのは2014年です。

脚本を書いてから、出演者を決めていったのですか?
JPD:重なっていました。というのも、2014年の6月に、偶然、アデル・エネルと会ったのです。わたしたちの『サンドラの週末』が受賞した授賞式で、そこで、彼女も受賞していました。それまでは、医師を40歳くらいに設定していたのですが、誰にするのか、なかなか決まらずにいました。その年齢を26歳くらいしたら、実現できるのかとかいう話になって、彼女にはとても無垢な面があったので、彼女に演じてもらうことで、役に信頼感が出て、みんなに受け入れてもらえるのではと思ったのです。

例えば、アデル・エネルは、それ以前には『スザンヌ』に出ていましたし、その後に公開された『ラヴ・アット・ファースト・ファイト』(2014)などでも、とても快活というか、無垢ゆえの逞しさみたいなものを持っている印象を受けましたが、出演作はご覧になっていたのでしょうか?
LD:役を演じている彼女を見て、そう思ったのではなく、彼女本人を直接目にしてそう思ったのです。

間近で見た彼女の印象について、監督ご自身の言葉で表現するなら?
LD:若く、ナイーヴで、無垢だし、裏表がない。例えば、彼女が「医師として、守秘義務なので絶対に守ります」と言ったら、誰もが信頼してくれるのでは、という印象でした。

『午後8時の訪問者』での彼女は、こういう言い方がふさわしいかどうかわからないのですが、医師であるのに、修道女というか、診療所を修道院に見立てているようなところもあり……。
JPD:ああ、確かにいつも同じコートを着ているし。
LD:映画の中では、死んでしまった女の子のことにずっととらわれている。医師とは、ある種の使命感というのがあると思います。医者というのは、自分でなりたくてなるわけですから、いろんなものを犠牲にして、他の人たちを助けたいという使命感を持っている。そこには、宗教に近いものがあると思います、ただ、神様に仕えるのではなく、患者に仕えているわけですが。

また、彼女の治療そのものが、患者に告解の場を与えているようにも思えました。
JPD:ええ、そうですね。加えて、告解のときの神父様と同じように、医師にもは守秘義務がありますから。
LD:そして、先ほどの質問にもあったように、最初のシーンが、この映画において重要な点を物語っていて、彼女は"耳"なのです。だからこそ、アデル・エネルを選んだのです。みんなの耳になれる人。そして、彼女は背が高く175センチくらいあるので、患者さんが寝ていたり、診察したりする際、近づくときには、屈まなければなりません。自分のほうから患者さんに近づくことで、耳を傾ける、ということを身体的に表すことができるのです。

© LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINÉMA - VOO et Be tv - RTBF (Télévision belge)

告解といえば、ヒッチコックの『私は告白する』(1953)があったり、自分だけが聞き取った音のせいで、主人公が事件に巻き込まれてゆく。『ミッドナイトクロス』(1981)といった映画もありますが、おふたりの映画を観たことがある人なら予測できるように、『午後8時の訪問者』はいわゆるサスペンス物のほうに行きそうで、当然行かないわけですよね。そのあたりのバランス感覚みたいなものはどうなさっているのでしょうか?
JPD:確かに、死んでしまった人の名前を探すということと、犯人を探すという点では、二重のサスペンスがあるわけですが、元々この映画でやりたかったのは、この医師と接触することで、人々がいかに語るようになるのか、ということだったので、彼女が名前を探しまわる、というのがその土台となり、主題を正当化するものとなったわけです。

ジェニーが、死んだ少女のことだけでなく、研修生として彼女の診療所に来ていたジュリアンが医師への道をあきらめる原因を自分が作ってしまったのでは、と思い悩み、その面についても罪悪感を抱いているという話も、途中から具体的に展開されてゆくことによって、サスペンス物に向かうのではなく、そこから離れ、観ているわたしたちの場所にぐっと近づいてきたようにも思えました。
LD:その通りです。
JPD:そのジュリアンのくだりがあることで、罪の意識と罪の意識から引き出される真の言葉により焦点が絞られてゆくきっかけになっていると思う。そのくだりはある種の皮肉も交えていて、ジェニーは自分のせいで、ジュリアンが医師になるのをやめてしまったと思い込んでいるわけですが、彼女がしつこく問い詰めることによって、彼からは全く違う事実が出てきて、自分のせいではなかったことが彼女にわかります。彼女の態度に、彼をしゃべらせる何かがあった、という設定になっているのです。
LD:この映画で語りたかった真実というのは、まさに、推理物や探偵物で求められている真実とは違うそれであって、そこを追究しています。もちろん、観客は、犯人は誰なんだろうと知りたがりますから、それを混乱させるような要素もいくつか入れ込みました。例えば、彼女の患者の1人である少年とその父親の関係とか、原動機付自転車(モビレット)に乗ったその友達とか。また、その少年の父親が最初に語るのも、道徳的な真実ではないのです。状況については話し続けるのに、自分の道義的な責任は認めない、なかなか話そうとしない。この映画で求めているのは、道徳的な真実なのです。
JPD:推理物っぽい粗筋はあるにはあるのですが、この映画の登場人物はそういう次元を超えたところにいて、その粗筋には振り回されないのです。医師であるジェニーも警察がするような張り込みはしないし、相手から言葉を引き出すために罠にはめるようなこともしません。そういう警察的な手法を使って真実を言わせるというのではなく、あくまでも、本人が自分からしゃべりたくなるまで待っている。彼女自身が持っている罪の意識を、相手に感じさせることによって、相手も自然にしゃべりたくなる、そういう次元なのです。

© LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINÉMA - VOO et Be tv - RTBF (Télévision belge)

そして最終的には、というか、同時に、ジェニーは自分自身の声にも耳を傾けていた、ということになると思います。そのあたりから、今回の『午後8時の訪問者』の撮影の面で特に注意されたことはありますか?
JPD:今回、診察する場面を撮るというのが新たな取り組みでした。治療を見せるには時間がかかります。身体に触れたりして治療している場面が、映画全体を流れている緊張感の邪魔をしないように、むしろ、その緊張感を高めるように撮るにはどうすればいいのかという点に特に注意しました。そして、ジェニーが患者の身体を診ているときに、患者の身体が語る、それを観客にも感じ取ってほしい、と思いました。この人は何か言いたがっているんだな、とわかるくらい、身体を診てもらう時間をとらなければいけない。その一方で、そうすることで、全体の緊張感を崩さないよう留意しました。
LD:診察の場面では、しゃべりながら心音を聴いたり、肺の音を聴くということはできないわけですから、沈黙が流れるわけです。ですので、沈黙の場面が多いのです。その沈黙の場面というのは、音を聴いている、耳を傾けている時間です。まさにその沈黙があるからこそ、語り出す。
JPD:診察の場面は、次の展開へと導く駆動力のような働きを持っています。医師だからといって、医師の所作っぽいことをしてよしとするのでなく、治療をしていたり、その様子を見守ったりする場面が、実際に、彼女が何かを追い求めているのだというのを示す駆動力となるわけです。実際に、医師が脈をとるとき、15秒かけてますが、この映画でも実際に15秒かけて撮って、そのまま入れています。
LD:言葉が登場人物から出てきて、実際に流れ出てくるようにするために、(それは直感だったので、今でもうまくいったかどうかわからないのですが、)正面から撮ったらいけないと思ったのです。そこで、たいてい斜めから横顔を撮っているのですが、そうすると耳が見える。一方、正面から撮ると、彼女が観客を見つめているようになり、また、医師と患者とのあいだに空間ができてしまい、フレームと医師とのあいだにも空間ができてしまうので、それはいけない思った。そこで、斜めから撮ることで、空気があることを感じられて、そこに空気があることで、言葉が出やすくなると感じたのです。それで、そういう撮り方にしました。そして、おっしゃる通り、彼女は自分の心にも耳を傾けていたと思います。ですので、年配の医師と語ったときに、自分がどういう方向に進んだらいいのか判断できたわけですし、そして、彼女は恵まれない人たちにとっての医師になる、と決心するわけですね。

Yurie Nagashima

午後8時の訪問者』 
監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ出演:アデル・エネル オリヴィエ・ボノー ジェレミー・レニエ ルカ・ミネラ2016 ベルギー=フランス 106分 La Fille Inconnue
4月8日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開!

Credits


Text Masaaki Kobayashi
Photography Yurie Nagashima

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