Photography Olivia Rose. Styling Karlie Shelley. Jacket Christopher Nemeth. Boilersuit Supreme. Necklace and badges Judy Blame archive.

ネナ・チェリーが語る愛と喪失、ジュディ・ブレイム、新作『ブロークン・ポリティックス』

ネナ・チェリーは創刊当初のi-Dをともに製本した仲間であり、世代を代表する曲「Buffalo Stance」を生み出した唯一無二のシンガーだ。私たちは彼女にあまりに多くを負っている。

by Ryan White
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19 November 2018, 9:50am

Photography Olivia Rose. Styling Karlie Shelley. Jacket Christopher Nemeth. Boilersuit Supreme. Necklace and badges Judy Blame archive.

This article originally appeared in i-D's The Superstar Issue, no. 354, Winter 2018.

ネナ・チェリーは自宅の裏庭で行われている撮影と、シエラレオネへの旅の準備を同時に進めていた。ノッティング・ヒルの閑静な住宅街に建つ小さな家が彼女の住まい。今はそのキッチンにスタイリスト、アシスタント、子どもたちが集まっている。パソコンを開いている者もいれば、リコリスペーパーでタバコの葉を巻き、それをフレンチドアの向こうのネナに渡している者もいる。キッチンテーブルの上には、リリースを控えた彼女のアルバム『ブロークン・ポリティックス』が積み重なっている。

ネナがシエラレオネを訪ねるのは1984年ぶりだという。その前は故郷のスウェーデンを離れてから、兄弟とともに滞在した1979年の1回きり。今回は夫でプロデューサーのキャメロン・マクヴィ、娘のナイマ、タイソン、メイベルと家族全員で向かう。数日前に亡くなった、ミュージシャンの父、アーマドゥ・ジャーの葬儀のためだ。

「埋葬は父が生まれた村で執り行います」とネナは撮影のあと、リビングのソファに腰かけて語る。「15歳のときのシエラレオネへの旅は、私の人生を変えた、とまではいわないまでも、人生の進むべき道が決まるきっかけとなりました。ロンドンへ移住したあとの自分の写真を改めて眺めると、『お子ちゃまだなあ』って思うんですけど、当時、アフリカ滞在を経験した私は、自分が完璧だと感じてました。それが15歳のときの話で、今は54歳。今は人生のなかでもまた別のフェーズにいる。何だか意義深いと感じますね」

〈お子ちゃま〉だったネナがロンドン暮らしを始めた時期、それはロンドンの文化史にとっても重要な時期だった。1970年代のパンクが沈静化していた80年代のロンドン。そこで彼女はファッション、音楽、アート、ユースカルチャーを劇的に変化させたシーンのなかで重要な役割を担うことになる。ロンドンに着いてすぐ、ネナはポストパンク/ニューウェーブバンドRIP RIG + PANICのボーカルとして活動を始め、ロンドン南部のバタシーでTHE SLITSの故アリ・アップと不法占拠をして暮らし、Better Badgesに勤めるようになった。Better Badgesといえば、『Kill Your Pet Puppy』『Toxic Grafity』、そしてi-Dなど、人気を博した有名なZINEを出版していたバッジメーカーだ。「Better BadgesはTHE SLITSのギグでも商品を売ってて、そのおかげで創業者のジョリーと出会いました」とネナは当時を想い返す。「業務がどんなだったかは忘れちゃった。でもバッジにピンを留めたり、i-Dの製本をしたり。サラとスクラバーっていうふたりのパンクスと働いてました。当時のi-Dはまだストリートキッズの写真とちょっとしたキャプションだけっていうスタイルでしたよ」

Neneh Cherry i-D Magazine
Neneh wears shirt Martine Rose. Top (worn underneath) John Lawrence Sullivan. Ring (worn throughout) model’s own. Necklace and badges Judy Blame archive.

ネナは70年代に故郷スウェーデンを離れた。当時のスウェーデンは、今のように進歩的でも開放的でもなく、彼女は疎外感を感じていた(ただ現在のこの国ではファシストの数が増加の一途をたどっている。ネナはそれを〈ねじれた反逆〉と呼ぶ)。「私が育った時代のスウェーデンは、文化的にとても息苦しくて、自分だけがひとり場違いな気がしてました」。もちろん彼女の地元愛は強く、5年前までストックホルムに10年間住んでいたくらいだが、彼女の母国への感情はどこか複雑だ。「すごく閉じた国だけど文化は発達してる。それにはあまり太陽を拝めず、寒さが続くこの国の気候が影響してると思います。北欧には通底する特徴があると思うんです。統合失調症的な光、というか。そういうスウェーデンの文化に内在する特徴は私のなかにも根づいていて、それを大事に育てるようになりました。昔はどこかの国の文化を体現するなんて、自分には無縁だと思っていたんですけど」

ネナの母はスウェーデン人アーティストのモキ・カールソン。義父はアメリカ人ジャズミュージシャンのドン・チェリーだ。幼いころネナは両親に連れられ、スウェーデンと米国を行き来していた。そして10代のネナは、徐々に学校へのモチベーションを失っていく。「スウェーデンの不良たちとつるむようになりました。でも彼らは人種差別的なところがあったのでムカついて。私はどうにか自分の周りの壁を高く築いて、変な奴らにバカにされないよう心がけていました」

心ない差別的な言葉にさらされたネナは、母とニューヨークへ移住する。「もうスウェーデンにはいたくない、この国から出ないとって」。NYへ向かう途中でネナはロンドンに立ち寄るのだが、その2日後、NY行きの飛行機に乗り込むときには、彼女は髪を「わけのわからない色」に染めており、必ずロンドンに戻る、と強い決意を抱いていた。シエラレオネの実父のもとで4ヶ月過ごしたあと、彼女は自分の決心を実現する(「THE CLASHのTシャツ、編み込み44本、ツーピーススーツといういで立ちでした」とネナ)。

「『当分学校には行きたくない』と母親に訴えたら、わかった、自分のやりたいことに没頭して、『百年の孤独』や『戦争と平和』などたくさんの本をちゃんと読破するなら、しばらく学校は行かなくていい、と条件を出されました。結局その後、いちども学校には戻ってません」

その代わり〈Buffalo〉というクリエイティブ集団が、彼女にとっての学校となり、そこで文化の素養を身につけた。Buffaloは多くのアーティスト、写真家、デザイナー、音楽家、モデル、学生などが集まる、過激で多様なコレクティブ。彼らが巻き起こした創造的なムーブメントをi-Dや『The Face』『Arena』といった雑誌が盛り上げた。ファッション業界におけるキャスティング/スタイリングの始祖レイ・ペトリが創始したBuffaloは、それまでのファッションにも、雑誌でも見たことのない斬新なかたちで〈男性らしさ〉のイメージを転覆させた。1988年、英国の音楽番組『Top of the Pops』で、妊娠8ヶ月のネナが「Buffalo Stance」を披露し(スタイリングはジュディ・ブレイム)、彼らはメインストリームに躍り出た。しかし翌1989年、レイ・ペトリがエイズで亡くなる。「レイが病に倒れたとき、彼はその先見の明を発揮してこういいました。『ムーブメントを率いるのは私じゃない、ジュディだ』って。それは正しかった」

ネナのジュディ・ブレイムへの愛、そしてジュディがこの30年間でネナの人生に与えた影響は、言葉では表せないほど大きい。彼の死から8ヶ月後、彼がいない人生の重みを、ネナはいよいよ実感しているという。「正直、自分のなかでまだ整理しきれてない気もします。最近ようやく実感してきたところで……。昨日もジュディの写真をみて、胸が張り裂けそうでした。ジュディと夫のキャメロンと3人でいっしょに老後を過ごそうって話してたんです。スペインかどこかで」

ネナとジュディとの出会いは、とあるクラブ。「場所も時期も、全然覚えてません。でも彼と出会ったとき、お互いに認識しあったときの感覚は覚えてます」。その後ふたりは、Buffaloの拠点でのミーティングで再会する。「Buffaloはニューキャヴェンディッシュ通りに建物を所有してました。レイとマーク・ルボンが暮らしてた建物です。建物内のマークのスペース、その一角にジュディが寝泊まりしてて。私が建物のなかに入ったら、ジュディとクリストファー・ネメスがいて、ふたりでしゃべってました。ジュディがいると私は緊張してしまって。でもそういうちょっとぎこちない感じなのに、同時にすごく自然だったんです。ふたりはRoyal Mailのメールバッグを用いたジャケットをつくっているところでした。メールバッグって地下鉄の駅のプラットフォームによく転がってるやつ。私はそれがほしくて、ふたりに私のぶんもつくってもらえないか頼みました」

neneh cherry
Top John Lawrence Sullivan. Earrings model's own. Badges Judy Blame archive. Beret model’s own.

今年頭、ジュディの容態が悪化し、ネナは仲間や友人たちと彼の家に集った。「2月14日、バレンタインデー。それが〈終わりの始まり〉でした。でも彼も元気に歩き回ってました。私、カーリー・シェリー、キャメロン、私の娘たちが出入りしつつ、マーク・マトック、デイヴ・ベイビー、フィリップ・トレーシー、フローラ……。みんな彼の家にやってきました。マットレスに雑魚寝して。フィリップなんてソファの裏に小さいタオルを数枚敷いてその上に寝てましたよ」。6日後、ジュディは亡くなった。

「いっしょに時間を過ごしたことが、私たちみんなの力になってると思います。みんなで時間を共有して、死を受け入れて。何より近くにいられた。ジュディは私を導いてくれる人でした。だから彼が亡くなって、私は迷子になってしまったような感覚で。よく知ってる場所を歩いていても、どこで立ち止まればいいのか、どこへ向かえばいいのかわからなかったんです。私は彼のおかげで人生の機微を知れました。だけど彼は今だってすぐそばにいるって思うんです。私には彼の声が聴こえる。彼の意見も、彼だったら何ていうかもわかる。私たちがいっしょに過ごした時間も、仕事も、家族との時間も、友情も、深い関係性も全部ある。消えてません。私のDNAに刻まれているんです」

ジュディが亡くなる前、ふたりはネナのソロ5枚目となるアルバム『ブロークン・ポリティックス』でコラボしようと話をしていた。ネナと夫のキャメロンが曲をつくり、プロデューサーにフォー・テットを迎えた今作は、これまでの彼女の音楽的軌跡の集大成だ。しかしネナは今作を、未来を見据えた作品だと断言する。「よくジュディと、ノスタルジーやすでにある何かを模倣することの危険性について話してました」とネナ。「このアルバムには『Homebrew』にも『Raw Like Sushi』にも通じる箇所があります。それって『ここまで来るのにいろいろやってきたね』って自分自身を認めてあげるのと同じ。もちろん『もっとできたかもしれない』『これからもっといろいろやろうよ』って想いもありますが、これまでの自分をほめてあげたい気持ちもちょっとあるんです。前作『Blank Project』は意識の流れ、私のなかで渦巻いていた想いがほとばしった結果としての作品。悪魔祓いみたいな感じでした。母が亡くなってからずっとふさぎこんでたので。今作はしっかり内省して、それから自分の意識を外に向けてオープンにしたかったんです。前作はもっと内へ内へと入り込んでいくような作品でしたから」

2014年の『Blank Project』のリリース後、ネナのいちばん下の娘・メイベルが、ブラックミュージックを対象とした英国の音楽賞〈MOBOアワード〉で新人賞とフィメールアクト賞というふたつの賞にノミネートされ、ハリー・スタイルズのツアーで前座を務めるなど、音楽業界での存在感を増しつつある。立つステージも感じるプレッシャーもそれぞれ違えど、母娘のキャリアが似ているのはおもしろい。しかしメイベルが歩むミュージシャンとして道のりには、ネナは一切関与しないという。「私はステージママにはなりたくないし」とネナ。「メイベルに口出ししていい人なんていません。私が今の彼女くらいの年齢のとき、今の彼女と同じような活動をしていたけれど、私の両親は何も口出ししなかった。でも応援してくれているのはわかってました。私とメイベルも同じような関係を築いてます。ふたりでアイデアを交換したり、音楽をシェアしたりできるのは楽しいですね。深い関係を築いています」

社会的にも政治的にも、前作からさまざまな物事が変化した。タイトルが示唆するように、『ブローン・ポリティックス』もこれらをテーマにしている。アルバムのリードシングル「Kong」は、難民危機と英国の植民地政策の歴史に想いを馳せる曲だ。「でも愛は大きく/すべての大陸 すべての国家がフランスとイタリア そして世界中と友好関係を結ぼうとしてる/だけど銃と殺戮が歴史をつくり/悲痛な愛が私のなかにぽっかりと穴をあける」。「Shot Gun Shack」でも、銃、暴力、戦争を歌う。「これが制度的な解決法/行き場のない交差点/銃を取れ 使うことになるのはわかってる/弾を装填することになるのはわかってる」

ネナの音楽はこれまでも政情を反映してきたが、現在はブレグジットやトランプ大統領など、看過できない問題が多すぎる。「今朝、眠れなくてRadio 4でテリーザ・メイ(首相)が出演する番組を聴いてたんです」とネナ。「保守党党員がこれから予定しているすばらしい改革について熱弁していたんですが、私は『こんなの嘘、これも嘘、これも嘘…。全部真っ赤な嘘だ』って思ってました。いろんな問題が私たちの周りで起こっています。それらを消化するには音楽、曲づくりしかない。音楽は人生の省察です」

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Top John Lawrence Sullivan. Earrings model's own. Badges Judy Blame archive. Beret model’s own.

Credits


Photography Olivia Rose
Styling Karlie Shelley

Hair Johnnie Sapong at The Wall Group using Leonor Greyl at Salon Benjamin. Make-up Sharon Dowsett at CLM using Apotheosis - Le Mat de CHANEL and CHANEL e Lift. Photography assistance Zelie Lockhart. Make-up assistance Amanda Jah

This article originally appeared on i-D UK.

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