Photography Mitchell Sams

ジェレミー・スコットのインディペンデントな20年を祝う

ポップなファッションを作らせたら右に出るものはないジェレミー・スコット。20年におよぶキャリアを彼自身が振り返り、再解釈したコレクションが発表された。ランウェイには、デヴォン青木からココ・ロシャ、ジョーダン・ダン、ジジ・ハディッドまで、歴代の“ジェレミー・ガールズ”が登場した。

by Emily Manning
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13 September 2017, 12:44pm

Photography Mitchell Sams

This article was originally published by i-D US.

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ジェレミー・スコットは、彼らしくあり続けることで、カラフルな帝国を築き上げてきた。そして、現代ファッションを変えてしまった。たとえば、長年にわたりコラボを続けているadidas Originalsは、ラグジュアリーとスポーツウェアのクロスオーバーというファッションの新時代を切り拓いた。知り合って10年になるというケイティ・ペリーや、Jeremy Scott 2015年春夏コレクションではジュエリーを手がけたマイリー・サイラスなど、スコットとポップスターたちの関係は強く、それが彼独特のヴィジョンを新たな消費者層へと届ける助けとなった。20年以上にわたって、スコットは自身の会社が掲げてきた信条を証明し続けてきた。その信条とは、「普通のひとたちはファッションを恐れていない」ということだ。

昨夜、Spring Studiosでジェレミー・スコットが自身の功績を振り返った。しかし2018年春夏コレクションは、単なる回顧ショー以上のものとなった。「これまでの歴史をすべて振り返り、そこを新たな始まりとした。気が遠くなるような行程だった。なにしろ20年の歴史だし、ファッションは文脈があってなりたつものだから」と、バックステージでスコットは話す。「それは、『自分がやってきたことからどう着想を得て、どうやって新しいものを作り出していくか?』という挑戦だった」

スコットはその行程を、「花を摘み、香りを抽出するために絞るようなもの」と説明した。スコットによるサード・シーズンは、大胆にカットした真っ白な服が並ぶ"ホワイト・ショー"だった。そこで彼の永遠のミューズ、デヴォン・アオキが世界に知られることとなった。「当時のアイデアをもとに、そこにほかの時期の作品の要素を織り込んでいくという試みだった」とスコットは話す。「2年前にやった何かかもしれないし、最近気になっていたスパンコールかもしれない。あるいは、僕のトレードマークになったグラフィックだったり、みんなが好きだと言ってくれるフォルムやシェイプだったりするかもしれない。どうすればそういったものを讃えることができるかを考えた」

彼自身が作り出してきたモチーフを再解釈することに、スコットは見事に成功した。ショーのオープニングは、キラキラと輝くライダース・ジャケット(彼の定番だ)を着たデヴォン・アオキが務めた。彼女は後に、スパンコールが散りばめられ、そこにアニメ風イラストが描かれたパッチがいくつも配された、アームホールいっぱいのドレスを着て再登場した。パッチに描かれたイラストはジーンズのペイントや、スコットのトレードマークであるインターシャ・セーターにも見られた。アメフト選手たちが脛などにつけるパッドが多くモチーフとして用いられていたのも、ファンたちにとっては嬉しい要素だった。そして、あの太ももまで長さをもたせたブーツはカモフラージュ柄で、人間ミラーボールさながらのココ・ロシャはシックなコルセットをまとって歩いた。

アオキとロシャのほかにも、ジョーダン・ダンやジジ・ハディッド、ジョーン・スモールズ、ステラ・マックスウェル、リバティ・ロス、シャーロット・フリーなど、スコット世界を彩った歴代のモデルたちが次々とランウェイに現れた。そこへ、近年スコットが虜になった新世代モデルたち(スリック・ウッズや、ソフィア・リッチー)が混じっていく。「20年間を振り返ると、今回のオープニングはデヴォン以外には考えられないと思った」と、スコットは言う。「時代毎に、そのときのコレクションを象徴する女の子たちがいた。僕のショーがきっかけで有名になった子もいたし、モデルとしての第一歩を踏み出した子もいた。数世代のジェレミー・ガールズが一堂に会するなんて、素敵だと思う!」

このショーの白眉は回顧することではなく、未来へと目を向けている点にあった。50年代や60年代のシルエットを遊ぶのが得意なスコットだが、ショーの最後に見られたルックには、彼の挑戦が垣間見えた。それらのルックについて、スコットは、「体に彫刻を作り上げていった。体を飾るジュエリーという考え」と説明した。ジジ・ハディッドがクロージングを飾ったこの"ボディ・ジュエリー"のシリーズは、「彫刻家アレクサンダー・カルダーのモビール作品と、色鮮やかなディスコの照明がぶつかり合う」というアイデアから着想を得たそうだ。作品について説明するスコットの目は、ボディ・ジュエリー同様に輝いていた。

彼ほどの功績を持つデザイナーであれば、アーカイブ作品だけで観客を魅了することもできたはずだ。しかし、彼はそうしなかった。20年を経たいまでも、スコットは服をデザインすることが好きでたまらないのだ。そんな彼と話をしていると、エネルギーがもらえる。わたしは、スコットが90年代中期に通っていたブルックリンの美術学校、プラット・インスティテュートでの日々について訊いた。プラットのファッション教育プログラムは、パーソンズやF.I.T.に比べて規模こそ小さいものの、スタジオをベースとした教育で、独立心旺盛でクリエイティブな考え方をもつデザイナーを育てることで定評がある。現在も成長を続ける会社のオーナーでもあるスコット。プラットと同じ考え方のようだ。

「最初は、F.I.T.に入学志望の手紙を出した。でも、『オリジナリティにもクリエイティビティにも、アーティスティックな能力にも欠ける』と、不合格通知が送られてきた。次はパーソンズに直接、作品を持って面接にいった。パーソンズの面接官は、『誰が着ると想定してこれを?』と訊いてきたから、『友達です』と答えたら、『友達は顧客ではない』と言われた。でも、プラットは違った。「君は未来を見据えているし、ヨーロッパに目を向けている。君のアイデアはSFだ。私たちはそのアイデアをかたちにする方法を教えてあげられる」と言ってくれたんだ」と、スコットは振り返る。「やっと話を聴いてもらえたと感じたよ」

プラットで彼は夢を構築する方法を学んだ。「(先生たちは)作品をこき下ろした。『ダメだ。作り直しなさい』っていつも言われたよ。恥をかきたくないから、作ってはやり直し、作ってはやり直しを繰り返した」と、スコットは当時を振り返る。「カッティングや縫製、ドレーピングを叩き込まれていなかったら、初期のコレクションは作れなかった。シューズまで僕が作っていたんだから! 手でね! プラットで学んだものがなければ、服を作るのはもちろん、アイデアを言葉で説明することもできなかったはず」。そこまで話すと、スコットはadidasと共同制作した羽根付きスニーカーを例にとってこう続けた。「パターンの作り方を説明できなければ、あのシューズもデザインできなかった。パターンとデザインは、どちらが欠けても成り立たない」

「若いときにした選択が、その後の自分を形成する」と、スコットはいう。「僕のインディペンデント精神は、プラットで学んだことに由来しているものだと思う」。スコットはこれまで掲げてきた目標を今後も掲げ続けていくそうだ。「ひとびとを笑顔にしていきたいんだ」と。