ジャパナーキー:イギリス人が写した東京パンク

イギリスのパンクドラマーが5年間で撮りためた、東京パンクの世界をとくとご覧あれ。

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aug 26 2016, 8:57am

パンクは、今年で生誕から40周年を迎える。誰の評価も必要としない毅然とした態度、裏Vサイン、ボンデージスタイルで世界に揺さぶりをかけたパンクの創始者たちは、数々のイベントや展示企画などでその功績を讃えられている——大英図書館や遺産宝くじ基金(Heritage Lottery Fund)など、到底パンクなど理解していないであろう組織によってだが……。そんな昨今、パンクが殺菌されてしまったような感覚をおぼえるのは私だけだろうか?

幸いなことに、パンク精神を踏みにじるようなイベントに代わる、素晴らしい企画もあるにはある。ミュージシャンであり映像作家でもあるドン・レッツ(Don Letts)が考案し、BFI(英国映画協会)で開催される映画祭はキュレーションも素晴らしく、ストーク・ニューイントン・リテラリー・フェスティバルも同様に素晴らしかった。そして今、ある新しい写真展が公開を控えている。パンクが行き着いた実に面白い世界——日本とパンクをテーマにしたエキシビションだ。

元パンクドラマーで、現在はフォトグラファーとして活躍するクリス・ロウ(Chris Low)は、5年間暮らした東京でアンダーグラウンドのシーンを写真に収め続けた。その作品をまとめたのが、このエキシビション『Up Yours! Tokyo Punk and Japanarchy Today』だ。このシリーズは、パンクが大切にした「パンクによる、パンクのための」というDIYの理念に則ってギグやパーティ、ショッピング、クラビングなどに興じるジャパニーズパンクたちを追い、ドキュメントしている。

イギリスやアメリカのパンクたちのライフスタイルを真似るわけでもなく、日本のロッカーたちは西洋パンクの象徴的なスタイルのみを取り入れている。UK82モヒカン(パンクムーブメントの第2波で生まれたUKハードコアパンクバンドがこぞって取り入れたモヒカンスタイル)やスタッズジャケットなどを取り入れているわけだが、彼らは元祖イギリスパンクの音楽/ファッションスタイルすべてに、ハードさ、速さ、大胆さ、突き抜けた解釈を取り入れることで、極めてユニークなスタイルを作り上げている。もちろん、一言で「パンクスタイル」と言っても、日本のパンクたちは本家イギリスの元祖パンクとはまったく違った社会文化的問題に直面しているわけだが——これは祝福すべきことなのではないだろうか?そして、そこに改めて文脈づけをする過程で、パンクはより興味深いものへと変異していくのではないだろうか?ロンドンのRed Galleryで今週オープンするこのエキシビションについて、作品を撮ったクリスに話を聞いた。

日本のパンクシーンについて知ったのはどのようなきっかけだったのでしょうか?
ファンZINE『Maximum Rock N Roll』の「ジャパン・シーン・レポート」を読んだ80年代から、日本のパンクシーンの存在は知ってたよ。当時は、日本を訪れるなんて、それこそ火星に旅するのと同じぐらい現実味のないことだったけど、だからこそそこに大きな魅力を感じたし、だからこそ日本のパンクがエキゾチックで浮世離れして思えたんだ。最初に日本を訪れたのは、ポルトガルのバンド、ザ・パーキンソンズのドラマーとして、フジロックや他のギグでプレイするためだった。本当のところ、僕は「日本大好き!」というようなタイプでもなかったし、日本のマンガとかアニメ映画、ビデオゲームにすら触れたことがなかったんだ。でもいざ行ってみると、やっぱり東京には魅了されてね。あれ以来、もう30回以上東京を訪れてるよ。東京パンクシーンとの出会いは偶然からだった。ある時、新宿でGBHのメンバーに偶然出くわしたんだ。やつらはツアーで日本に行っててね。その夜にギグがあると言うから行ってみると、そこには東京のパンクスが大勢いて、そこからそいつらと仲良くなったんだ。彼らもこのエキシビションの作品に登場してるよ。

パンクはどのようにして日本へと渡って行ったのでしょうか?
イギリスから他の諸外国へと報道やレコードで渡っていったのと同じだと思うよ。1978年に日本で発売された雑誌を持っているんだけど、そこで「パンクスタイル」特集が組まれているんだ。それだけでも、パンクのムーブメントとスタイルがすでにメインストリームカルチャーに取り込まれ始めていたのがよく分かる。The Roxy Clubやキングスロードで1976-77年あたりに撮られたアイコニックなパンク写真を見ていると、どうして日本のユースがパンクを積極的に取り入れたのかが解るような気がするよ。保守的で伝統を重んじる傾向にあって、ときには堅苦しいまでの日本文化の中にあって、ユースカルチャーはその反動で、極端に振り切りがちなんだ。音楽であろうとファッションであろうとね。日本初のパンクバンド、SSは1977年に活動を開始したんだけど、その凶暴でとにかく速い演奏スタイルは、西洋のバンドじゃ到底真似できないものだった。それは、その後アメリカから生まれたとされる"ハードコア"サウンドに近いものだった。その頃、イギリスではまだ、パンクロックは"速いパブロック"だった。その後、日本ではザ・スターリンやリップクリーム、ギズムといったバンドが結成されて、パンクシーンはファンZINEやアンダーグラウンドのテープ交換なんかを通して西洋に知られることとなった。そのサウンドも、そのルックスも、西洋に強くアピールするものがあったんだ。

日本パンクシーンのルックスの特徴とは?
イギリスではレザージャケットとボンデージパンツ、そしてスパイキーヘアがすぐにパンクスタイルとして定着したわけだけど——YouTubeで、デス・サイドやガスといった日本のバンドが確立した究極のスタイルをまずは見て欲しい。彼らもUK82スタッズジャケットやスパイクヘアといった特徴的なスタイルは同じだけど、重力に逆らう2フィートのモヒカンやリバティースパイク(自由の女神が着けている王冠のようなヘアスタイル)など、彼らのスタイルを前にしたら西洋のパンクたちなんて銀行員みたいに保守的に見えるよ。でもよくよく考えてみたら、日本はその後ガングロやコギャル、パンダ目なんてスタイルが若い女性のユースカルチャーでメインストリームになった国だから、「極端なルックス」は決してパンク特有のものじゃなく、学生みたいな若年層にも活発に見られる動きではあるんだろうね。

保守的な日本のイメージとはうまく一致しないのですが、そのようなルックスはアウトサイダー的なものとして捉えられるのでしょうか?
日本でしばらく暮らしてみて見えてくるのは、「日本という国が対外的にはとても保守的なイメージを保持しながらも、実は多くの面で西洋よりもずっと極端で自由な社会」だってこと。セックスに対する感覚が独特で極端なのは有名なわけだけど、そんな極端で独特な感覚は日本人のいたるところに見られるんだ。仕事を終えたサラリーマンが飲みすぎて終電後の道端で吐いていたり、極右のメンバーたちが特攻服を着て行進していたりね。お辞儀の形式の向こうには、実に奔放な国民性がある。日本のパンクたちはアウトサイダーだし、警察や当局からは敵視されているし、リベラルな考えの人たちからは好奇の目で見られたりもする。日本はイギリスと違って彼らを支援する体制もないし、物乞いは違法とされているから、僕が知ってるパンクたちは、パンクルックが問題視されない工事現場や工場といった場所で働いて生計を立てているんだ。彼らにとってパンクとは生き方で、音楽の趣味にとどまらない、ある種の信条なんだね。商業主義に対するカウンターであり、メインストリーム社会へのカウンターでもあることで、日本のパンクシーンはアンダーグラウンドで元気に生き続けてるんだ。

あなたは部外者としてどの程度受け入れられていたのでしょうか?
東京のパンクシーンは、僕がこれまでに見たどのパンクシーンよりもフレンドリーで、オープンだったよ。まあ僕がこれまでにポリティカル・アサイラムやザ・アポッスルズ、オイ・ポロイ、パート1といったバンドでドラマーをやってきたからというのもあったのかもしれないけどね。僕が参加してきたバンドの多くは日本のパンクシーンでいまだに高い人気があるから。でも、そんなバックグラウンドがなかったとしても、日本のパンクたちは僕を同じように扱ってくれたと、これは確信をもって思う。彼らは僕をギグやパーティに呼んでくれて、どこでもいつでも本当に礼節を尽くしてくれるんだ。西洋じゃ、それなりの格好をしてなきゃ絶対に得られないようなもてなしをしてくれるんだよね。僕は、「パンクは生き方の姿勢だ」と思い至った80年代初頭以来、パンクの服装はしてないんだ。今や西洋のパンクはどれも無愛想でどんよりした雰囲気のスタイルばかりだけど、東京のパンクたちのスタイルにはパンク黎明期のディテールへのこだわりや、あの「スタイルが持つ言語」といったものが息づいてる。素晴らしいとしか言いようがないよ。

シーンの構造はどのようになっているのでしょうか?アクティブなシーンですか?
東京パンクシーンのひとつの大きな特徴は、派閥争いでシーンが枯れてしまわなかったということ。世界の他の大都市では、派閥争いでパンクがダメになった。東京は大都市だけど、パンクシーンが脈々と息づいていて、パンク専門のライブハウスやショップ、バーやレストランができている。それと政治的な面でいえば、僕が知っている東京のパンクたちはすべて極右国粋主義の台頭に抵抗し、抗議の姿勢を見せて闘っている。安倍晋三政権が横暴に振る舞い、福島の原発事故の影響がいまだ続くなかで、これまでは表立った抗議行動をしてこなかったパンクたちも立ち上がった。彼らは福島のために募金を集め、反原発の活動を続け、最近では自衛隊の任務拡大に反対する抗議活動を展開しているんだ。

ジャパニーズパンクは、世界のパンク・コミュニティのなかでどのように受け取られているのでしょうか?西洋のバンドに影響を与えたりしているのでしょうか?
「影響」なんて生半可なもんじゃないよ。今の西洋のバンドはそれに気づいていないかもしれないけどね。今日のパンクサウンドは、1977年のパンクや、クラスのような1980年代のアナーコパンクから進化して、よりスピードに傾倒したスラッシュメタルやグラインドコアに近いものになっている。ナパーム・デスの元ヴォーカリスト、ニコラス・ブレンは、僕のショーのために書いてくれた作品のなかで、「80年代中期までのイギリスのパンクバンドは、メタルの影響も見える日本のハードコアパンクに大きく刺激され、インスパイアされた」と言ってる。特にナパーム・デスは、G.I.S.M.やKuro(白)といった日本パンクのヴォーカルが持つ切迫感と腹の底からの唸りに強く影響を受けたんだね。G.I.S.M.やGauze(ガーゼ)、Death Sideといったバンドが活動を再開した今、きっと世界が日本のパンクシーンに注目することになるだろうし、衝撃を受けて、熱狂するはずだよ。日本文化と同じく、日本のパンクはフェチ的な熱狂を引き起こすんだ。僕の写真にもそういったバンドは捉えられてるけど、それだけじゃなくて、今日の日本パンクシーンを活気付ける重要な存在でありながらまだ広くは知られていないバンドたちも同じように撮影してるよ。

日本のパンクシーンにのみ見られる要素というものはあるのでしょうか?
もちろん!撮りためた写真を見ていて気付いたのは、カメラを向けると多くのパンクたちが裏Vサインをするってこと。エキシビションのタイトルもそこからアイデアを得たんだ。イギリスではもうほとんどVサインなんか見ないだろう?いまや中指を立てるのが西洋では定着しちゃってるからね。もしかするとセックス・ピストルズの古い写真を見て、真似しているのかもしれないけど、本来は攻撃的なジェスチャーであるべきものなのに、彼らがやると"古き良き"習慣に見えてしまうのが不思議だよね。

最後に、日本のパンクはあなたにとって何を意味しているのでしょうか?
パンクのあるべき姿だね。「パンクによる、パンクのための」っていう精神。

Credits


Text Matthew Whitehouse
Photography Chris Low
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.